中長ブログ - つかもとさんのエントリ

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2020/03/30
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (17:01)
みなさん、こんにちは。
塚本です。


こんとし、回してくれてありがとう。めっちゃええこと書くやん、、、
それ以前のみんなも下級生にとっては読むべき、卒業レーンにふさわしい有意義なブログを書いていて感心してしまいました。真面目かっ。
あと回ってくるの早すぎわろた。おかげでめちゃめちゃのんびり書くことができました。
お待たせしました。



とうとう卒業レーンが回ってきてしまいました。
ついにブログ書くのも最後になってしまいます。僕にとっては寂しいことです。
同期の中では、この中長ブログに書く・読む含めて費やした時間はマイケルや山田に引けを取らないと思います。
暇なときに自分の入学する以前の記事を遡りまくったことが何回もあります。


ブログに対する情熱が有り余り、何度も何度も長文を投稿してしまいました。あれでも推敲を重ねてできる限り削った末出来上がった文章だったのです。
これ以降ブログを書くことはないという事実は、自分にとってとても辛いことです。最後くらい、後悔のないように全てを出し切って終わりたいと思います。
己の中にある全ての書きたいことを、とめどなく、そこはかとなく、余すことなく、ノーカットで綴っていきます。
まだ書く前ですが、もう長くなりそうなことが自分でわかります。
最後なので、どうか許してください。





みなさん、「ちゃららら」ってご存知でしょうか。
そうです、京大陸上部の部内誌のことですね。


「部内誌」って表現があっているのかはわかりませんが、名大の陸上部で言うと会報のようなものです。一年に一回発行される、その一年の陸上部の出来事がつまった一冊になります。
名前を出してしまっていいのかはわかりません、、、関係者の方いたらすいません、、、
僕は京大にいる高校時代の先輩に何度か見せてもらったことがあります。


このちゃららら、会報と同じく部員一人一人の投稿集があります。
その中でもメインはやはり卒業生の投稿です。現役部員の投稿とは分けて前の方にまとめられています。


ここまでに関してはほぼ会報と変わりありませんが、この部員投稿がちょっとテイストが違います。それは、一人一人が書く文章の内容が半端なく濃いのです。


名大の会報は、一人が書いてよい量の制限があります。それゆえ割とあっさりとした内容になっていることが多いのですが、京大のそれは量の制限とか(多分)ありません。投稿集がめっっっちゃ長いこと続きます。特に卒業生は、一人20ページとかのレベルで書いている人もいました。


同期やパート全員に一人づつメッセージを書いていたり、自分の陸上人生を1年ずつ詳細に書いていたり、その内容は様々です。
ですが、共通していることはやはり内容がとても濃密なのです。それは、その一人一人の部で得た経験がその人にとって、とても大きいものであったことを物語っているように思います。適当に過ごしていたらかける文章ではありません。一人の部員として、部活動に一生懸命エネルギーを注げ続けた証なのです。そんな部員がたくさんいるからこそ、京大の陸上部は永く強くあり続けられるんだろうな、と読んでいて思いました。



自分も、卒業するときにはこれくらいの規模でそれまでを振り返りたい、、、
そういう謎の憧れを持つようになりました。しかし名大の会報には文字数制限があります。叶わない夢に諦めかけていたその時、僕はあることに気が付いてしまいます



ブログあるやん!



有意義な卒業レーンを書いてくれた同期たち、そして有意義なメッセージを待っていた後輩たち、ごめん、、、
このブログに開設以降運営に関わった全ての方々にも、「そんな場じゃねえわ」とツッコまれそうで申し訳ありません、、、


京大の方々も、やはり大学卒業というのは一つの大きな区切りだと捉えているのでしょう。当たり前ですがその先の進路がどうであれ、競技に真剣に取り組める時期がそこで終わる人が多いからですね。
自分も卒業後はできる限り競技を続けたいとは思っていますが、今までほどの情熱を持って取り組み続けることはできないでしょう。ここは、自分の陸上に限らず人生において、大きな節目だと感じます。


これまで書いたどのブログも自分の我強さにまみれていたと思いますが、最後も抑えきれない我の強さにより、このブログを使って自分の陸上人生を振り返らせてもらいたいと思います。そこにはもちろん、ブログとしての有意義さなどは欠片も存在しません。ただの自己満足です。しかし追いコンも卒業式もなくなってしまった今、これ無しでは真の意味で卒業できないのです(?)


…ポワポワポワ–ン(回想に入る音)(河上先輩ではない)




第1章 〜帰国〜


なんと2009年まで遡ります。
訳あって海外にいた僕は、小さい頃から父と兄の影響で野球をやっていました。
日本の学年で小学校6年生の時、土手っ腹にデッドボールをくらったところから僕の陸上人生は始まります。



小学校の割と序盤の方から海外にいたのですが、その地域では小学生が集まるリトルリーグがありました。日本でリトルリーグというとガチなイメージがありますが、地域的に都会か田舎かというと田舎よりな場所だったので、集まる人数がそこまで多くもなく、監督や審判含むリーグの運営も近所のおっちゃんで回っているようなのほほんとした場でした。レベル的にも高いとは言えず、試合によってはバットを一回も振らなければ勝手に押し出しで勝てるみたいな感じでした。


そんなレベルなのにも関わらず、なぜか硬式球を使っていました。多分国柄的に(?)世間的に軟式球にあまり馴染みがなかったのだと思います。
そんな感じなのでなんとなく分かると思いますが、悲劇が起こりやすいです。
あんまり上手くない投手に限って目一杯投げるので、球はどこに行くかわかりません。そして僕はデッドボールをくらいます。


小学生の頃の話なのでちょっと記憶が肥大化されてるとは思いますが、とてつもなく痛いです。それはもう、一塁に行けるだけでは割に合わないほど痛いのです。それ一発で3点くらいくれてもいいと思いました。


それからというものの、打席に立つのが嫌で嫌でしょうがなくなりました。自分に打席が回ってくる回になると憂鬱でしたし、打席に立っても逃げることしか頭にありませんでした。
当たり前ですけどそんな感じでやる野球は1ミリも楽しくありません。その意識で打てるわけもないし、そもそも守ってても球飛んでこないし。
中学に上がった年には、もう野球はいいや、と思ってやめてしまいました。


早速くだらないエピソードですが、大きい転換点だった気がしています。もう少し続けていたら、周りのレベルもそれなりに高くはなってきていたでしょう。そうなれば、そもそもノーコンな投手が減ってより本来の野球らしい野球ができたと思います。
小さいころから野球は結構好きだったので、デッドボールを食らっていなければ帰国しても野球部に入っていたでしょう。陸上とかの選択肢は全く頭にありませんでした。



僕の住んでいた地域では、通年でやるスポーツの活動というのは、学校に付属したクラブであるかないかに関わらず多くありませんでした。ある期間だけそのスポーツのクラブができて、他の季節になると他のスポーツクラブの活動が始まる、と言った具合になっていました。日本でいうと小学校の部活で夏だけ特設される陸上クラブみたいな感じですかね、日本の方はよく知らないですが…



中学校に上がった僕は、秋スポーツのクラブとして、これまた兄の影響でクロスカントリークラブに入りました。

(文脈上あまり必要のない説明ですが一応しておきますと、僕のいた地域は日本のように小中高大6,3,3,4年制ではなく、5,3,4,4年制で高校まで義務教育でした。さらに年度の区切りが春ではなく秋になるので、年度内で見ると秋スポーツ→春スポーツとなります。ちなみに野球のリーグは学校のクラブではありませんでしたが春スポーツです。僕は日本でいう小学6年の夏の終わりに中学に進みました。)


クロスカントリーとはスキーではありません。長距離ではよく練習でやるアレの方です。なんとクロカン走が一つのスポーツとして確立されており、レースとかもちゃんとあるのです。
何にもやらないのもアレだし、兄が入っていたのでなんとなく入りました。


このスポーツ、当時の僕を刺激する大きな特徴を持っていました。それは、レースがvarsityとjunior varsityの二つの部に分かれているのです。上級生と下級生といった感じです。しかし日本の学年別レースのようにはっきり学年で分かれておらず、下級生をvarsityで走らせることができるのです。


まだ中学生ですから、もちろん年上の方が足が速いです。しかし人数の関係上、僕のチームは1年生を二人までvarsityで走らせることができました。
始めたての僕はクロカンとか以前に長距離走がとても遅く、その上根性無しですぐ歩き始めるようなヤツでした。
そんなある日のレース、同学年の子がvarsityに選出され上級生に混じって健闘する姿を見ました。速くなりたいとか強くなりたいとか全く思っていませんし、むしろキツイことはなるべく避けたいとさえ思っていましたが、その「選ばれ抜かれた強者同士の戦い」感がなんかカッコイイなと思ったのを覚えています。


中学生(日本で言ったら小学生)の初心者の集団です。ちょっと真面目に走り始めれば記録はすぐに伸びます。結果的に僕は、シーズン最後のレースに向けた部内選考に勝ち、varsityの権利を勝ち取りました。レース本番ではvarsityの中でビリから2,3番目でしたが、悔しいとかは全くなく、もう長距離走をしなくてもいいという解放感と、自分はvarsityだったという事実に満足するのみでした。


そしてしばらく時間が経ち、春になります。春スポーツの開幕です。
僕は迷うことなく陸上クラブに入りました。そして種目は迷うことなく短距離を選択しました。


当時、僕は現地の学校とは別に日本語で日本の授業を受けられる補習校に通わせてもらっていたのですが、そこで1年に一回ある運動会の徒競走で負けたことがありませんでした。さらには野球をやっていたリーグでは、(今思えば単に日本人だったというだけで)「イチロー」と呼ばれていました。
そんな感じだったので、僕はとても自分の短距離走の速さに自信を持っていました。ついにキツい長距離走から解放されて、自分の得意な種目で勝負できる、やりたかったことがやれるしヒーローになれる、と希望に満ち溢れて入部したのを覚えています。


練習初日、現時点での走力を確認するためのTT的なものが行われました。100mです。自信満々で走り出した僕は、5人中4番目でゴールしました。

??????

約1週間後、メンバーを変えてもう一度100m走が行われました。ビリでした。

???????????

あれ?僕って足速いはずじゃ?イチローのはずでは?
自分でも何が起こってるのかよく呑み込めないまま、対抗戦100mの3枠の争いから遠く脱落していきました。


しょうがないので人が足りていなかった走り幅跳びの選手になりました。正直全然やりたくなかったので成長しません。むしろやるたびに足が痛くなってすぐにどうでもよく思うようになりました。

種目が変わってからも、部員全員で短距離走をやる機会は設けられていました。僕はその度に100m復帰を目指して走るのですが、正選手との差は全く縮まりません。
そのうち僕は気が付き始めます。
これ、一生勝てんわ、、、


その差を埋めようと必死に努力したりしたわけではないので言う資格はありませんが、やはり短距離には、少なからず体格とか元々ののポテンシャルとかそういう事情が絡みます。
中学1年生当時の僕の身長は150cm弱。同級生たちはすでに170cmを超えている子もいました。その上同い年にして筋骨隆々。
隣で走っていて、馬力の違いを感じるのです。一歩の大きさがまるで違います。はたから見てたら、大人と子供が一緒に走ってるような光景だったでしょう。もし仮にこのままやっても、一生同じくらい速く走れるようにはならないんだろうな、と悟ります。
中学1年生にして、井の中の蛙という言葉をこれ以上なくダイレクトに受け止めました。文字通りに「大海を知る」ってか。


根性の無い塚本少年は、陸上ごとどうでもよくなり適当にシーズンが終わるのを待つ体制に入りました。
そんな僕の様子に気がついてか、コーチが僕に提案してきます。長距離種目にチャレンジしてみないか、と。
えーっまた長距離かよ。キツイからイヤ。ということを英語で表現しきれずに押し切られて走ることになりました。


世界中どこでもやっぱり長距離走は子供達に人気がありません。その時長距離を専門にしていた部員は0で、コーチも流石に枠くらいは埋めておこうと思って僕に提案してきたのだろうと思います。クロカン部のコーチと同じ人なので、長距離走もやったことあることがバレていたのも災いしました。


向こうの(中学校での)長距離種目は日本と違い1600m(1mile)走です。その時は多分8分以上かかってました。しかし部内でトップ。何かこう、部内での立ち位置を見つけたような気がしてちょっと優越感を感じました。この時も、部内で1600mが一番速いという事実がなんか気持ちよくて、気がついたら長距離をメインに走る選手になっていました。

これまた長距離走あるあるですが、始めたての人というのは、ペース配分とかも含めてその種目の走り方がわかってくるので、走るたびに勝手にタイムが伸びてきます。僕はこれにハマり、どんどんタイムが縮むことが嬉しくなってのめり込んでいきました。

僕のいた市は、日本からしてみるとかなり異質な試合形態をとっていました。基本的にレースは、同市内の中学校と2校対抗戦のような形で行われ、全ての組み合わせが終わった後、最後に全中学集まってのレースが行われます。
僕はレースのたびに相手校の選手と競り合いながらタイムを伸ばしていき、最後のレースでは5分台に突入し入賞を果たしました。


今見てもタイムは大したことないですが、それまで何も考えていなかった状態で、競争で勝った、とか入賞した、という体験は自分の中に強烈に響くものです。程度の小ささはともかくとして、この時の長距離走で結果を残した、という経験は長距離を走る今の自分の観念に繋がっていると思います。


シーズンが終わり、日本に帰国しました。
転入した中学校では何か新しいことにチャレンジしようと思っていて、特に陸上をやろうと思ってはいませんでした。しかし長距離走での栄光(?)が頭を離れず、気がついたら結局陸上部に入っていました。



第2章 〜駅伝〜


日本に帰ってきたら、やっぱり様々なことにカルチャーショックを受けます。
上で書いたような日本のやり方から全く違うことを当たり前だと思っていたので、日本のレースを目の当たりにしたときにはもう何が何だかわかりませんでした。
そして特に衝撃を受けたのは、レベルの高さ。
僕のいた西三河地区は、岡崎市や豊田市など陸上が盛んな市が多く、非常にハイレベルなレースが繰り広げられていました。その年の夏、中学選手権の3年男子1500m、トップはなんと4分フラットでゴールしました。
4分て笑。今まで6分弱で先頭争ってた自分たちはなんだったん?笑


僕のいた中学の陸上部には、本格的に長距離をやったことのある顧問の先生はいませんでした。メニューなどは先生が立ててくれていましたが、おそらく手探り気味だったのだと思います。いま振り返るとかなり初歩的なもので留まっていました。多少の強度の波はついていたように思いますが毎日似たような練習で、その一つ一つの意味などは全く知らずにただやっていました。なのでポイント練習とかインターバルとかペース走とか知りませんでした。あとで高校で知ってこれまたカルチャーショックを受けました。

しかし、中学生も体が成長するので、走り続けていれば自動的にタイムが伸びます。学校の練習には体力を持て余していましたが、休みの日などには父と一緒に長いジョギングをしたりしてある程度の体力がついてきていました。
そして中学最後のトラックレース、タイムは4分26秒まで伸ばすことができました。それでも県大会に出場することはできませんでしたが、満足して終わったと思います。


しかし最後のレースでベストを出したことにより、悔いなく勉強へと切り替えるはずが、陸上へのモチベーションはむしろ増していきました。そして先生から推薦で誘われた駅伝チームにどっぷりハマりこみます。


聞いたところによると多くの中学校では「駅伝部」というのは陸上部とイコールではないようですね。秋頃のシーズン限定で、普段の部活は関係なしに速い人ややる気のある人を募って発足することが多いようです。僕の中学もそうでした。他の部活にいたけど中学で駅伝をやってみて、高校から陸上に転向した、という人は周りにたくさんいます。


この「駅伝」との出会いも、今思えば大きくターニングポイントだったかなと思います。そこで経験した団体競技特有の一体感や達成感など、ありきたりな表現しかできませんが、自分にとっての長距離走を陸上競技というより駅伝のためのものと認識し始めたタイミングだったと思います。

この機会に、中学の卒業文集を見返してみました。自分のクラスの投稿欄に、「20歳の時にはどうなっていたいか?」というお題に対して、自分は「走ることをやめないでいたい」と答えていました。ハードルの低すぎる未来像に当時の競技レベルの低さを感じますが、自分を形成するアイデンティティのうちの多くが、この時点ですでに走ることだったのだと思います。



高校に進学しても、やっぱり陸上部に入ります。
当時、自分の高校の陸上部は厳しいことが学校内で有名になっており、「陸上部に入るのはやめたほうがいい」と色々な人に言われることがあるくらいでした。そのせいで経験者が多く陸上部に入るのをやめるのですが、走ることをやめないと宣言(?)したばかりだし、1ミリも入部をためらいませんでした。


上にも書いた通り、中学までの陸上は部活の制約のせいで基礎の基礎すぎて、陸上をやっているにカウントしていいか微妙なラインでした。高校にきて、初めてちゃんとした取り組み方を知ることになります。それはもうまたカルチャーショックの連続で、こんなにも練習が辛いものだったのかと心が折れそうだったのを思い出します。
しかし、それが結果的に中学時代までに温存しまくっていたポテンシャルが開花するきっかけとなり、記録が爆発的に伸びていきました。


中学時点で3000mの自己ベストが10分台だった自分が、最終的には高2で5000m14分台を出すまでに成長します。それには、チームメイトに恵まれたことがとても大きかったと思います。



特に大きな存在だった同期がいます。原嶋渓といいます。
彼は中学時代、サッカー部でした。もともと走ることが大好きだった彼は、初心者ながら入部直後から驚異的な成長を見せ部内の主力になります。
そんな彼と、僕はいつも一緒に走っていました。競り合っていました。実力的にはすぐに追い抜かれて、次第に負けることがほとんどになってしまいましたが、常に互いを意識して、高め合えていたように思います。


彼以外にも、陸上に熱いとても同期や先輩後輩と一緒に陸上漬けの日々を過ごしていました。運よく同期も先輩後輩も長距離の人数が多く、実力的にも恵まれたチームだったと思います。二つ上にはインターハイに出場した先輩もおり、格上の先輩食らいついたり格下のチームメイトの下克上を受けたりしながら、まさにみんなで速くなっているチームでした。


そんな僕らのチームは、ある時から東海高校駅伝出場を目標にし始めます。
なんだか「長距離をやっているなら駅伝が目標でしょ」みたいな雰囲気が部内にはあって、最初は何も考えずただそれに従っているだけでした。しかし全員が一体となって取り組む日々を過ごすに連れて、本気で駅伝で結果を残したいと思うようになったのです。
流石に全国高校駅伝は現実的に厳しいので、頑張れば手に届きそうな水準ということでの目標です。
過去のブログでも詳しめに書いていました。→「予選会まであと6日!」


今考えれば、その目標を達成した後に何かがあったわけではありません。ただ東海高校駅伝に出場できる、それだけのためでした。
しかし、その時の僕らは、それ以外に考えられないくらいにそこに向かっていっていたのです。
それは、チーム全員がそれに向かって本気で取り組んでいるという過程が、自分にとってこれ以上なく充実していたからだと考えています。
本気でこいつらと勝ちたい。
このチームで喜び合いたい。
そういう気持ちが、他の細かいことをどうでもよくするくらいに上回っていました。駅伝が終わった後に、自分は陸上を続けられるのかと心配になることもありました。仲間も全員同じ気持ちだったからこそ、そのようになったのだと思います。


駅伝で負けてから、当時は個人のインターハイ出場に目標を切り替えて再スタートしたつもりでした。
しかし、すでに駅伝が陸上のすべてとなっていた自分の頭を、どこかで切り替え切れていなかったのかもしれません。そこから引退までは、うまくいかないことの方が多かったように思います。小さな怪我や病気による不調を繰り返し、最後の高校総体はあっけなく負けてしまいます。


思い返してみても、なんだか自分の記憶がこの時期だけ非常に薄く感じます。あまり自分にとって良い出来事がない時期だからだとは思いますが、それでも自己ベストを更新することもあったし、変わらず真剣に陸上に取り組んでいたはずです。ただ、それまで自分の中でのすべてだった県駅伝を終えてからの、喪失感にとらわれすぎて、陸上をしている意味を本心では見失ったままだったかもしれません。



県総体で負けてから、ぼやっとしている自分の目に名大の陸上部が入ってきます。

自分の高校は、名大へ進学する人がとても多い高校でした。それも、進学校にありがちな、まだ大学とかよくわかってない下級生のうちから、模試ではとりあえず名大と書かせておく雰囲気があったからです。その流れのままに受験本番まで向かう人が多いのだと思います。
自分も例に漏れずその一人でした。別に本気で名大に行きたかったわけではなく、何も考えていなかったのです。もちろん合格できるだけの学力を持ちあわせていたわけではありません。無理そうなら後で全然変えるつもりでした。


全日予選で敗北する名大を見て僕は、なんとなく親近感を覚えていたということは前のブログに書いた通りです。
加えて、それまでも名大の選手が近くにいることが多かったのです。
「1組目を走っている國司さんは、春のレースの時話しかけてくれた人だな」「3組目を走っている鈴木(雅斗)さんは、いつか一色マラソンでスパート勝負した人だな」「1年生で自己ベストを出した時に、一緒に走っていた人も名大の人だったな(降籏さん)」そんなことを考えながら、すでに名大側の人として観戦していたと思います。
「ここで僕が走ったら、どんな感じになるんだろう…」
うっすらと、名大のユニフォームを着て走る自分の姿を思い描いていたと思います。


数週間後の話です。
インターハイの東海地区予選まで駒を進めていた原嶋を応援しに、エコパの競技場に行っていました。
ベンチで待機している彼に、見たことある人が近づいてきました。なんと元マラソン日本記録保持者の、超有名な方でした。
なんとなく察しがついていましたが、その少し後、彼に告げられます。
「駒澤大学で箱根を目指そうと思う。」
「一流ハードラーの第一歩」

そうなるんだろうな、となんとなくは思っていました。しかし、いざそれが現実となった時、嬉しい気持ちとか応援する気持ちというよりは、さみしい気持ちの方が勝ってしまっていました。いつも一緒に走っていた彼は、互いにライバルだと思っていたはずの彼は、気がついたら自分なんか全く手の届かない遠くへ行ってしまう、と。


その時、数週間前に見た光景が頭の中を流れました。


決めた。名大に行く。
自分が名大を全日本に連れて行く。

そしてそこでまた、彼の隣を走る。



最終章 〜陸上観〜


やっと卒業ブログっぽくなってくるかもしれません。
大学陸上を振り返ってみたいと思います。



このように自分のことに時間をかけて向き合うというのは、やはり新たに発見することがたくさんあります。ましてや今回のように文章にしてみると、自分を含め人間の考え方というのはグニャグニャとしていることがよくわかります。


この陸上部に入る時、自分の目標は「全日本大学駅伝出場」でした。そこで、彼と一緒に走ることが本当の目的だったわけです。


しかしだとすると、東海学連選抜として出場した2年時に目標は達成されています。結果的にですが彼は4年間伊勢路を走ることはできなかったので、本当の目的が果たされることは自分の結果にかかわらず達成されることはありませんでした。


しかし自分は気がついたら、「名大で」全日本大学駅伝出場を目標にして陸上に取り組んでいたわけです。
それは紛れもなく、山の上のたくさんの仲間と出会ったからです。



1年生の頃、入ったらすぐにエース格になれるだろうと思っていた自分の鼻をへし折るように受験ブランクにぶち当たります。思うように走れない中で、初めて「中堅層」として臨む駅伝(予選会)、そして経験したことのない大人数からの応援とプレッシャーを経験し、すぐに全日という目標を見失いそうになりました。

そんな中でも、必死に「3強」の背中を追い続け、東海地区のトップレベルに仲間入りをしました。しかし、それでも全日は遠かった。有名な駅伝映画の言葉を借りるようですが、「良いタイムを持っていること」と「強いランナーであること」は全く別物であることを、勝負のレースに負け続けることで学んだのが2年生の頃です。
「予選会まであと13日!」

3年生になって、全日予選で初めて主力らしい走りができました。しかし総合では遠く及ばず、自分の力だけではどうしようもない無力感を感じるとともに、それまで忘れていたチームとして強くなることに目を向け始めました。自分が速くなることはチームのためであることを一番に意識していました。



そしてパート長に就任しました。ここからの1年間が自分にとっては最も大きな1年でした。

なんとしてでも、自分が、名大が、全日本に出たい。チーム内の誰よりもそう思っていた自信があります。しかし、そう思いすぎるがあまり現実を見失い、空回りしていました。


大学4年生の春。インカレで2種目入賞し、片方では優勝。初めての全国大会の出場権を獲得し、大学生活の中で一番走れていた時期だったと思います。

そして大学生活の中で一番、陸上が楽しくなかった時期でした。


自分が走れている一方、ケガ人と不調者が大量発生し、全く前に進めないチーム。パート長である自分のせいだと頭ではわかっていたものの、思い通りにならない苛立ちが焦りを生んでいました。就職活動のストレスなども合わさって冷静に考えられなくなり、現実から目を背けたまま突き進んでいたと思います。

当たり前のごとく全日予選で大敗します。そこで自分にとっての全日本がなくなって初めて、目が覚めたように思います。
「歴史の偉人」

ある先輩は、客観的に見て達成確率が50%以下の目標は目標ではなく妄想だと言っていました。また他のある先輩も、“A goal without a plan is just a wish.”と書いています。

今振り返っても、夢の中にいたような感覚でした。僕の目標は、ただの妄想に過ぎなかったのだと思います。自分でも達成できると信じきれない目標に向かって進んでいくのは、苦しいものです。
ふと現実に戻った時、自分のやるべきこと、というよりは自分にできることの限界が見えてきました。そうしてようやく、自分本位ではなく、本当の意味でチームのために考え動くパート長になった気がします。


再スタートを切った矢先、今度は自分が怪我をしました。それまで怪我をしたことがなかったので復帰に時間がかかってしまいましたが、その時は本当にもう自分は走れなくてもいい、と考えていました。来年以降の戦力になれない自分よりも、チームの結果の方が大事だと思っていたのです。
最終的には、結局チームのみんなに助けられ、駅伝でギリギリ復帰することができました。
「東海学生駅伝まであとぴったり24時間」

直前にブログで、終わりの集合では笑顔で挨拶ができればいいと書いていました。
どんな顔で挨拶していたか自分では覚えていませんが、この4年間で一番晴れやかな気持ちでの挨拶だったのを覚えています。

目標に向けて、僕個人としては足を引っ張る形になってしましました。3位を取れたことも、チームの強化が実った結果とは言い切れないと思います。
しかし、パート長として取り組んできたそれまでの全てが無駄ではなかったとわかったような気がして、救われた気持ちになりました。
そして何より、勝てる可能性が半々くらいの中で、それぞれが持てる最大限を発揮する駅伝ができたことに、これ以上ない充実感を感じたのです。やっと、このチームで思い描いた「駅伝」ができたな、と。






前のブログで一度、僕は一橋大学の中長ブログを欠かさず読んでいるという話をしたことがあるかもしれません。今でも見ています。
そっちの方でも卒業生が最後にブログを書くのですが、その中で自分が4年間で強く印象に残ったレースベスト3をあげるという流れがあります。
それを見ていて、自分もそれやったろと思いました。
我が強い程度に収まらないブログになってきていますが、大学4年間を振り返った今、最後の我を振り絞って語らせてもらたいと思います。


3位 一橋戦2017

そんな話をしていたらちょうど一橋大の話です。このレースは前にも一回印象に残っているレースとしてあげたことがあります。
この大会では中長距離種目がこぞって負け越し、総合での負けの原因となってしまいました。
一橋大学の選手たちは皆、対校戦における勝利への執念が強く、そういう意識の薄かったこちらサイドの自滅により負けてしまったという感じでした。
めちゃめちゃ悔しかったのを覚えています。実力では負けていないのに、レースの巧さで負けた。名大陸上部において、対校戦というものにどういう姿勢で臨むべきかを考えるきっかけとなった試合でもあります。
「公比1/2」


2位 東海学生駅伝2018

自分が3年生の時の東海学生駅伝です。この大会で自分は4区の区間賞を獲得したのですが、実は区間3位だった選手がタスキを受けとるタイミングでミスをタイムロスしており、本当はその人の方が速く走っていたのです。それを知りながら表彰を受けることのやるせなさというか惨めさが強烈に頭に残っています。
また、この時は総合でも優勝を狙っていながら2位。自分の無力感を感じました。そして何より、タイムを大幅に稼いでくれた先輩方3名がラストイヤーだったことで、それから名大に厳しい時代が来ることを予感させる象徴的な大会であったことから特に印象に残っています。


1位 東海インカレ2017

自分が2年生の時です。見てた人は少ないと思います。だいたい印象に残るレースといえば悔しい思いをしたものが多いのですが、これは自分の大学で走ったレースの中で唯一「会心の走り」と呼べるレースです。
10000mに出場したのですが、エントリー段階では希望者もそうたくさんおらず、とりあえず出てみよう的な感じでした。もちろん格上ばかりで入賞すら厳しいと思っていましたが、集団の中で粘りに粘っているうちに気がついたら4位入賞を果たしていました。

当時の自分にとって、インカレで入賞することなんて遠いことだと思っていたので、上位の常連だった他大学の上級生をたくさん倒して入賞できたことは、自分でも信じられないくらいのことでした。
あれだけ会心のレースができたと自分の中で感じることは今まで他にありません。自分の力の120%が出せた感じでした。出し切りすぎて、大会終了後に体調を崩し2週間お医者さんから走るのを禁じられるくらいでした。

良い走りができて良かった、というのも印象に残っている主な理由なのですが、そのレースによって、見えている景色が変わった、というのが一番大きな思い出としての残っています。
それまでの自分は、チームの中ではエース格の先輩たちの脇を固める存在にすぎず、足を引っ張らないことだけを考えていました。しかしこのレースによって、自分も他大学と勝負できる、という自信を持つことができました。それによりチームを俯瞰してみることができるようになり、他大学の戦力まで含めてより自分の置かれている状況が見渡せるようになりました。

言い表し方が下手でよくわからないかと思いますが、これって実はとても大切なことだと思っています。レース前に、周りがみんな速そうに見える時って一回くらい経験があると思います。それはもちろん自分に自信が無いからそうなるのだと思います。それは人によってはどうしようもないことなのですが、自分が周りよりも持ちタイムで劣っていないと思うだけでも、レースへ臨む気持ちが全然違うと思います。

誰かも言っていたような気がしますが、「成功体験」というのはそれ以降の新たな成功にも大きな役割を果たします。自分にとって、「一回でも東海地区のトップで戦えた」という事実があることはだいぶ自分にとって心強いことで、それからのレースで勝ちを狙えるようになっていった一因だったと思います。
あくまで個人の意見ですが、伸び悩んでいる人の中には、こういった一回のちょっとした成功でブレイクスルーが生み出される人がいるのではないかと思います。そうしたきっかけを掴みにいくことが、まずは飛躍の一歩目であると思います。






もちろん、他にも思い出に残っているレースというのは山ほどあります。しかし思い出そうとするほど、自分が悔しい思いをしたレースばかりが蘇ってきます。
冷静に振り返ってみると、自分の大学の4年間は100%満足のいくものではなかったのかもしれません。逆にそんな人滅多にいないと思いますが。
しかしながら、やはり多くの卒業生が言うと同じく、自分にとって大きな意味のあった時間であったと言いきれます。


長々と書いた自分史の締めくくりとして、自分の陸上人生において、特に大学の後半で向き合うこととなった「陸上観」の話をします。



「陸上観」

国語的に見れば正式には存在しない言葉です。東大の陸上部長距離が使っている言葉を借りています。「人生観」とかの「〜観」を使った造語です。ざっくりといえば、なんのために陸上をやっているのか、どのように陸上向き合うのか、みたいな感じです。


上にも書きましたが大学を卒業すると言うのは多くの人にとって陸上人生を終える(もしくは競技としての陸上から離れる)タイミングなので、卒業ブログにはそのことを書く人が多いと思います。少なくとも陸上をちゃんとやりきったと思える人が、それまでを振り返って行き着いた先が、その人の「陸上観」であるとも呼べるかもしれません。


今まで卒業レーンを書いた人も、それについて書いている人は多くいますね。それらは、それぞれが経験した様々なことの集大成なので、読み応えがあります。そしてこれからも陸上を続ける人にとっては貴重なものです。自分も過去に、先輩方の卒業ブログを見て考えさせられたことがたくさんあります。


卒業ブログに限ったことではないかもしれませんが、こう言った場でよくでる話に「真剣にやらないのであれば辞めた方がいい」と言うものがあります。本当にやりたいことが陸上ではなくて、ほかにやりたいことがあるのならばそっちをやった方がいい、と言うか有意義になりやすいってやつです。
僕も同じ意見です。そしてそれはもう、ほぼ事実なのだと思います。特に長距離においては、嫌々走ってたら偶然速くなった、ということにはほぼならないからです。


しかし、大学の陸上部という集団の性質上、そうとも言ってられない状況が多いです。部内での細かい役職や大会の運営に関わることなど、走らない人が果たす役割も非常に大きく、そういった人たち無しでは成り立たない競技なのです。
ゆえに、裏方に回ることがほぼなく、試合を出続けさせてもらった僕が「真剣にやらないならやめた方がいい」とかそんな偉そうなことはとても言えません。かといって部をやめようとしている人を延々引き止めたりもできず、とても心苦しい思いをしてきました。


僕たちは陸上「競技」部です。真剣に陸上をやれなくなった人がたくさんいていい場所であるべきではありません。全員が陸上と裏方を同時に担えれば問題ないのですが、部としての成果や効率性を考えると、どうしても役割分担することになってしまいます。僕たちはいつでも、競技で部に貢献できない人たちのおかげでちゃんと「競技」ができています。そういう難しいバランスをとりながらやっていかないとけない集団なのです。



僕は、多くの人の「陸上観」を見るようにしてきました。ブログなどで文章化されたものだけでなく、チームメイトと1対1で聞いたりもしました。もちろん同じような状況で陸上に取り組んでいる東大をはじめとした他大学の選手たちのものも多く見てきたつもりです。
それを通して、あることに気がつきました。
陸上をやっている人も、所属するチームの勝利を自身の成長のモチベーションにする人と、自身の成長それ自体をモチベーションにできる人に分けられるのです。


大した話ではありません。単純に言えば、陸上をやっていて何が楽しいか、ということです。
単に陸上競技という点だけで見るならば、個人競技なので全ての人が後者だと思います。しかし、部活動として陸上をやる僕たちの中には、前者もたくさんいます。


僕より3世代上の、ある先輩が、引退し部を去る直前にこう書いていました。
「僕の走る最大のモチベーションは”学校の名を背負って試合に出ること”であった。いい記録を出したときにはもちろん嬉しいけど、いい記録を出したことによってその先の何か大きい大会への出場権が得られることが最も重要であった。つまり僕にとってタイムは目的ではなく手段に過ぎない。」


完全に前者よりの考え方だと思います。
そして思い返してみれば、僕も同じような考えで陸上をやっていました。全く理解できない人もいると思います。ですが、こう考えるタイプの人も確かに一定の割合でいます。
僕は、名古屋大学に駅伝をやりにきた。最初からそう言っていたと思います。もちろんトラックで記録を伸ばすために練習していましたし、自己ベストを出せたときは嬉しかったです。しかしそれは全て駅伝でチームに貢献するためだと考えていました。選手それぞれの持ちタイムから駅伝におけるチーム総合力を伸ばすため、それが一番自分を走らせる原動力になっていたと思います。
僕もその先輩も、チームに所属していなければ、自身の自己ベスト更新をこだわりきれないのです。


名大のようにチームの自由度が高いほど、いろいろな人がいて、完全に自分の戦いに割り切っている人もいます。どちらも間違いではなく、その人が陸上に取り組む意味そのものなのです。だから難しい。
駅伝においても、年によってはチーム内でまとまりきれず、ロードレース×7みたいになってしまっていたこともありました。いつも選手は全力で走っていたと思いますが、やはりその辺の雰囲気というのはどうしても時と人による部分があります。だからこそ、自分としても最後の年にある程度チーム全体で納得のいく駅伝ができたことはとても嬉しかったのだと思います。


こう言うと駅伝に限った話のようですが、そうではありません。
名大の陸上部は全体として対校戦の勝利を目標としています。そして、僕たちの中には、対校戦で点が取りやすいから、あるいは枠が空いているから、と専門種目を変えた人がいます。そこまで至らなくても、対校戦の度に別種目を優先したり、兼ねたりする人がいます。幹部からお願いされて仕方なくやっている人もいるかとは思いますが、この行為というのは、紛れもなく自分個人の競技にかける時間を犠牲にして、チームへの貢献を優先した動きです。


こういったところだと思います。
入部当初、駅伝をやりにきたとは言え、全日本に東海学連選抜で出場したことによって目的を達成しそうだった自分が、名大としての出場にこだわった理由です。
僕の意見です。個人としての好記録や勝利はもちろん嬉しいですが、それによってチームが勝利したことの方が何倍も嬉しいです。
このチームには同じように思ってるヤツが何人もいて、そいつらはそれを目指して頑張っている。それが僕にとっては楽しくて居心地が良くて、気がついたら「このチームで勝ちたい」という目的に変わっていたのです。このチームで過ごした時間と、関わった人たちがそうさせたのだと思います。



部を辞めようと思っている人がいたら、少し考えてほしいと思うんです。
辞めたいと思う理由の多くは、結果が出ない、忙しい、怪我が治らない、練習が辛い、つまらない、、、とかだと思います。
そこで、自分の「陸上観」について。自分がもう完全に自分一人の戦いをしていて、自分の記録を伸ばすためだけに陸上をしているのであれば、それはちょうどいい辞め時なのかもしれません。
しかし少しでもチームのためを思って陸上をした瞬間があるならば、もう少し粘ってみてもいいんじゃないかなと思います。チームのためになんらかの負担を負えたことがあるならば、必ずいつか、このチームにいてよかったと思える時が来ると思っています。そしてそれは、上手くあらわせないけれど、陸上じゃないと味わえないことだと思うし、チームにいないと得られない感情だと思います。
少なくとも自分の4年間は、このチームのために陸上をやりたいと思えたし、このチームじゃないとできなかった(やろうと思えなかった)こともたくさんあったし、チームにたから有意義なものとなったと思います。




書きたいこともだいたい書けたと思います。しかし、最後にもう一つやりたいことがあります。
上にもに書きましたが、この4年間ブログを漁り続けて様々な考え方に出会いました。しょーもない記事から深い記事まで、多種多様な記事が存在するこのブログ。少なくとも僕にとっては陸上に取り組むに当たって、そしてこの部で過ごすに当たって非常に大きな意味を持っていたものだったと思います。


僕はもう投稿する側でなくなります。もう発信する機会がなくなってしまいます。なので最後に、少しでも有意義なことを発信する場としてお返ししたいと思いました。それは、僕が在学中に投稿されたブログの中で、僕が感銘を受けたブログを3つピックアップさせてもらうというなんとも偉そうなアレです。

「〜新・3大長距離全員が読むべき中長ブログ〜」

として後輩たちにもぜひ読んでほしい、さらには後世に語り継いでいってほしいと思います。
(勝手に引用させてもらってます。著者の方々、不快に思われたら申し訳ございません。)



1.「人類生存のための科学」(佐伯元春さん)

僕の2つ上の世代の主将が書かれた卒業ブログです。在学中に、長く怪我に苦しんでいました。しかし競歩に転向し、初心者の状態から日本選手権の標準を切るまでに成長しました。最後の年には主将としてチームを引っ張り、七大戦優勝を成し遂げました。
何回も読み返していますが、良いブログだなと思います。この部活で陸上に取り組むに当たって、大事なことが書いてあると思います。過去に一回、引用させてもらったこともあります。
大変失礼ですが、陸上にはとてもアツい、なんなら暑苦しいくらいの主将でした。ですが僕はそんな佐伯先輩が引っ張るチームの雰囲気が好きで、多くの影響を受けたと思います。
知らない世代も多くなってくると思いますがぜひ読んでほしいです。


2.「あと10時間」(池亀透さん)

比較的最近の記事です。昨年度の東海学生レーンの投稿です。
僕の6つ上の先輩ですが、たくさんの影響を受けた先輩の一人です。特にブログやダイアリーなどは個人のことだけでなくチームのことも客観的な視点で書いていて、僕は全部スクショしてアルバムにまとめていたほどです。上に書いた「成功体験」の話も、以前のブログから大いに影響を受けています(「きっかけ」)。僕が在学中の先輩の投稿は全てレース前の投稿で、そのたびに経験に基づいた教訓が登場するのでそれ全部読んでほしいですが、代表としてこれを選ばせていただきました。
これに関しては僕の名前が登場して嬉しくて印象に残ったのもありますが、それ以上に普段は語らないような陸上への情熱を語っていて感銘を受けました。9年間名大で陸上を続けてきた視点から見ても、やはり陸上競技を続ける上でその面白さ・楽しさを見失ってはいけないということ、言葉の重みを感じます。


3.「下克上は幻か」(濱野貴仁さん)

コレです。コレです。
僕が入学する直前の記事です。そしてご本人とも直接お話ししたことがありません。なので選ぶのを非常にためらいましたが、それでもみんなには読んでほしいと思ったので選ばせていただきました。
確か初めて山の上に行った日に電車の中で読んだブログだと思います。その時はあまりわかっていませんでしたが、今思えば大きな意味のあるブログだと思います。特に今のチームには。

大きな大会(全日本や東海学生駅伝など)に出場したことのある選手を「出世選手」、ない選手を「非出世選手」として分けています。当時のチーム状況と今ではちょっと違いますが、やはり昔から中堅層以下の成長に課題を抱えるチームだったのだと思います。今のチームでは、下克上はほぼ起こっていないと言っていいでしょう。しかし当時よりも選手層が薄いため、それほど成長していなくても出世選手となる選手がで出てきてしまい、チームとしてのレベルが下がってきています。
この危機的状況を伝えるべく、自分がパート長の時も同じようなまとめ方をしたことがあります。

生意気ですが、自分は1年生の時から出世選手で、正選手争いというものを経験したことがほぼありません。なので非出世選手としての気持ちはわからないし、僕が呼びかけても上手く伝わらなかったのかもしれません。しかし現実問題、今タイムを持っていない選手は、将来的にも他校と互角に戦えるようにはよっぽどならないことがデータで示されています。
特に今の名大は、中堅層以下の成長にチームこれからの大部分がかかっています。

勝田を中心に、新チームの長期的な目線での強化は進んでいると思います。数年後僕たちがOBとして応援する名大が、かつての名大のように全員が成長していて、勢いのあるチームになっていることを願っています。






ここまで書ければ、もう悔いはありません。


本当に最後に、名古屋大学の陸上部でお世話になった全ての人に感謝を申し上げます。
自分の大学生活がこんなにも充実していたのは、何一つ不自由なく陸上競技に打ち込める環境があったからです。部長、監督、OB会の方々、育生さん、本当にありがとうございました。
一緒に陸上をしてくれた先輩方、同期のみんな、後輩たちも本当に感謝しています。特に同期、この学年で陸上部として活動できて、心から楽しかった。本当にありがとう。
そして、陸上に関していつでも全力で応援してくれた家族。特に、このブログも読んでいるであろう父さん。ありがとう。


やっぱり長くなってしまいました。
ここまで執筆に2週間かかってしまいました。あまりに長すぎると思ってだいぶ削ったのですが、結局こうなります。
卒論を書くときに教授から、「君の書く文章は冗長でよくわからん」と言われました。
こんなにも長いのに、ここまで飛ばさずに読んでくれた人は、僕と相当親しい人だけかと思います。読んでくれてありがとうございました。あともう一つ言うことがあるとしたら、ヒマかい。


ごちゃごちゃといろいろなことを書いていて思いますが、結局は、やっぱり自分は、陸上がすごく好きなんだな、と感じます。
上にも書きましたが、自分は今まで駅伝をモチベーションに陸上をやっていたので、社会人として、個人の限界を目指して陸上を続けることはできないだろうと思っていました。
しかしチームを卒業した今、やっぱり走らずにはいられませんでした。様々なイベントがキャンセルになり、目指す大会も全てなくなってしまいました。しかし、何を目指すでもないのに、なんだかんだ走ることはやめていませんでした。

結局、僕は今後も市民ランナーとして走り続けることにしました。自分の記録のみとの戦いになる今後、どこまで本気でやれるのかわかりません。
でも続ける限り、名大陸上部で得た様々なことを活かして、まだまだ自己ベストを更新することを目指していきたいと思っています。
現役生も倒しに行きますよ。みんな、大会で会っても無視しないでな…!泣


それではここで令和2年卒業生、男子長距離卒業レーンを終わります。
みなさん、またどこかでお会いしましょう…!
2019/11/30
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (08:25)
河上先輩、回していただいてありがとうございます。
思い返したら東海学生レーンでは去年も河上先輩に回してもらった気がします。
ついに部からは先に失礼することになりそうですが、僕がいなくなっても寂しがらずに頑張ってくださいね、、、


どうもおはようございます。塚本です。
遅くなってしまいすいません。
言い訳をしますと、最後に回ってくることを前提に下書きしていたので、所々文章を変える作業を強いられていました。
最後に回ってくると思っていたのはうぬぼれでしたね。やはりDの偉大さには最後まで勝てなかった、、、


さて、東海学生レーンも佳境です(B急げ)
佳境ですが自分のペースを崩さず余談をしまくります。
しかし要点だけ先に書いて余談を下にまとめるのは、全員が目を通すことを前提にしていてこれまたうぬぼれな気がしてきたので、もうやりません。最初から読みたい人だけ読めばいいと思います(唐突に強気)


昨日、すっかり定番となった ぬ+うどん(小松作) という調整を勝田と森川とともに行いました。
集合時刻に少し遅れてしまったので森川を待たせてしまったのですが、彼は待っている間新作のポケモンをやっていたそうです。
僕はいまいち最近のポケモンがわからないのですが、昔不思議のダンジョンで育ててた「タツベイ」はもう今作には登場しないそうで寂しい限りです。
でもなんか見ていて楽しそうなので、僕もまた何かゲーム始めてみようかな…(卒論激ヤバ)


僕の昔ハマっていたゲームに、パワフルプロ野球というものがあります。ご存知の方も多いと思います。パワプロってやつです。野球のゲームです。
こんな僕でも昔野球をやっていたのです。(デッドボールが怖くてやめた)(ガチ)

長らくやっていませんでしたが、最近はスマホアプリのゲームも出ています。
懐かしいと思って3年くらい前にダウンロードしました。しかしアプリともなると昔の自分がやっていたゲームと仕様が違いすぎてしっくりこず、すぐに飽きてまともにやっていませんでした。
ちなみにそれでも毎日ログインボーナスをもらう作業だけ続けていたら、課金していないのにパワーストーンが2300個(課金して手に入れようとしたら15万円分)貯まりました。


このゲームのメインは、「サクセス」というモードで、優秀な選手を育成するというものです
。作品によって様々なシナリオがありますが、メジャーなのは高校生の主人公になって練習を積みながら甲子園出場を目指し、最終的にドラフト指名されてプロ入りを目指す、というものです。
僕が一番好きだった「パワプロクンポケット10」では、主人公は全寮制の強豪校に入学し、部活の練習以外にも麻雀して遊んだり恋したり様々なイベントを経て成長し、甲子園を目指します。甲子園に出場できたらプロ入りすることができ、ゲームクリアです。


選手を強くするためにはもちろん練習しなければいけないわけですが、ここがこのゲームの結構奥深いところで、多くの人がハマる要員であると思っています。
というのもただ単に練習しまくれば強い選手になるわけではないのです。
主人公には様々なパラメータが存在します。まず一つはその選手の野球能力を表すもので、これを伸ばしていくことがメインの目標です。
「練習」コマンドを選択すると、いろいろな種類の練習ができます。投手なら投げ込み、野手なら素振りとかですね。体操とか球磨きとか球拾いとかもあります。そしてそれぞれ得られる経験値が違うんです。筋力とか敏捷性とか。これをのちに能力パラメータを上げるのに使います。

そしてもう一つのパラメータが、その選手の状態を表すものです。体力ややる気のほか、病気なんかもあります。変にリアルですね。
しかしこいつらが意外と無視できないわけです。
練習を行うときに、やる気のパラメータが低かったら得られる経験値が少なくなってしまうわけです。他にも何か病気を抱えたままだと、経験値が半分になったりします。
さらに大事なポイントが、練習を行う時の体力の残存量に応じて、ケガをする確率が上がります。そしてその確率というものは、「ケガ率」という数字として練習選択画面に出てきます。

これがこのゲームの最もリアルで、リアルじゃないところです。





この半年間、僕は怪我に苦しめられました。
陸上は今まで10年間やってきましたが、これまで今回ほど長期の離脱を強いられた怪我はしたことありませんでした。

これまでは、いくら長い距離を走り続けても、いくら強度の高い練習を続けても、どこかが痛くなることはありませんでした。
「うはw もう自分、絶対ケガしねーわwww」
って本気で思ってました。そんな僕に、最後の年でバチが当たったのかもしれません。


全日予選の後、それまで自分の陸上観において根幹を成していた目標がなくなり、走っている時にふと強烈な空虚感に襲われるようになっていました。それに抗うようにして、半ば自暴自棄な形でレースに出まくっていました。何かで良い記録を出すことができれば、それがなくなるかもしれないと思ったわけです。

しかし下手なのに三障のレースに出続けたことが災い、左膝に違和感を感じ始めました。それまでケガをしたことがなかった僕にはそれが危険なサインであったことがわからなかったのです。
それが響き、七大戦では凡走。僕がまともに走れていれば、総合順位がひとつ上がっていたかもしれない状況でした。今でも、特に他パートの同期のみんなには少し負い目を感じています。

続く夏合宿で無理をして、ついに完全に走れない状態になりました。
今までそんなこと考えたこともなかったわけです。
当然どうすればいいかわからず、中途半端な状態で走り始めては悪化する、を繰り返しました。


この時、「ケガってこういうことか…」と初めて気がつきました。
それまでの僕は、ケガをする人の気持ちが全く理解できていませんでした。ケガをしたまま走って悪化させる人を見て、浅はかだなと感じていました。
走れないことがこんなに辛いものか、と。こんなにも焦りを感じるものか、と。

そしてそれまでは常々、毎日ちゃんと走り続けない人を見て少し軽蔑するような気持ちがありました。どうせ中途半端ににしか取り組んでいないのだろう、と。
復帰途中、逃避行気味だった自分のダイアリーを見ると、まさに当時そう思っていたような取り組みをしていました。
浅はかだったのは自分自身だと気がつき、恥ずかしくなりました。


気がつけば、ただ義務感で部活に来ている時期がありました。
そんな中、勝田と森川の急成長が僕をハッとさせてくれました。秋以降のレースで奮闘する彼らを見て、自分が何をしなければいけないかを思い出した気がします。
他にもダイアリーを見て無理をしていそうな自分にアドバイスをくれた小川や、ケガをしていても前向きに頑張り続ける山下南・清水夏を見て、背中を押されました。
大急ぎで全エネルギーを復帰に注ぎ、今回、なんとかAチームにメンバー入りするところまで戻ってくることができました。





この一年、パート長としてパートを運営して来て、就任した時に思い描いていた強いチームを作ることはできませんでした。
その大きな要因の一つが、ケガ人が多く出てしまったことだと感じています。


「ケガ率」が数字になって見えればいいのにな、と思います。これはみんなそうだと思いますが。

パワプロで強い選手を作るコツは、当たり前ですが効果的に練習し続けることです。そのために体力を一定水準にキープし続ける必要があります。
なのでよくある立ち回りとして、練習して体力が減ったら次は「休む」とか「デート」とか体力が回復するコマンドを挟むことです。その他にもやる気が低い状態ならば「遊ぶ」コマンド、病気を抱えているなら「通院」コマンドで、常に良い練習が続けられる状態をキープすることが大事です。


これって、結局は現実でも一緒ですよね。
パワプロも現実(陸上)も、どうすれば最大限効率の良い練習を続けられるか、というゲームな訳です。そのためにも、長期的な目線で見てその度ごとに最善な行動を取らなければなりません。
陸上だってケガしそうなほど疲れていたら休むべきだし、ケガとか病気とか気が向かないとかそういう状態で走ったって大して効果ありません。障壁となるものを解決するのが先決です。

なぜこんなにシンプルなことができないか?なぜ怪我してしまうか?
現実では「ケガ率」なんて見えないからです。
ましてや自分の体力ゲージすら見えません。


このゲームの最もリアルなところは、体力が低い状態で練習をしたらケガをするということで、最もリアルじゃないところは、「ケガ率」が見えてしまうことだと思います。
パワプロならば、ケガ率が1%でもあれば練習しなければケガをせずに済みます。
現実では、その見極めが非常に難しい。さらには陸上においてケガ率0%の練習なんて多分ありません。
しかし、ちょっと疲れてるからって休もうとする人は特に長距離選手には多くない気がします。

しっかり自分の状態を見極められる。先のことまで考えて、その都度最善な行動をとれる。陸上においてはよく言われる理想ですが、こんなことできる人そうはいません。ましてやゲームよりはるかにランダムイベントが多い現実でそんなことできたらよっぽど強い選手でしょう。


そんなこと自分でできないなら、仲間の力を借りればいいわけです。
僕がパート長になってから、各練習チーム内でミーティングする時間を設けました。パワプロに例えて言うと、仲間内でそれぞれが最近選んだ行動コマンドを共有し振り返る。他の人からみれば、当人よりよっぽど広い目で振り返られるはずなので、自分の行動をより最善化する助けとなるわけです。
良いやり方を定められず、最後まで効果的に行えなかったのが心残りです。
しかしこの一年これを続けた上で、変化があった人もいたと思います。
Aのミーティングで、よく和田の振り返りを聞いては意見した記憶があります。ダイアリーを見ていて、彼は、ミーティングの影響ではないかもしれないにせよ、この1年間確実に以前より考えて前のめりに陸上に取り組んでいたように思います。
以前はおそらく、行き当たりばったりに行動していたことと思います。
彼が秋に大幅自己ベストを出した時にチームが大きく盛り上がったのは、そんな彼の変化にみんな気が付いていたからだと思います。

大きな刺激を受けたチームは、秋になってからようやく「強化」に向けて動き始めることができたと思います。
今大会のチーム紹介で、彼を「ムードメーカー」として紹介しましたが、まさにその役割を担っていたな、と感じます。
これから、完全でなくても広い視野、長い目で物事を捉え行動選択をできる選手が多くなっていけば、このチームはさらに強くなると思えました。



1年前、この大会に向けて自分が書いたブログを読み直して見ました。
その時の自分は、「弱体化の年のパート長として大学陸上を終えたくない」と書いています。
この目標は、達成できなかったかもしれません。結局、うまくチームを引っ張り強化することも、ましてや自分自身が強くなることも達成できませんでした。
非常に情けなく思います。


しかし、「来年以降も戦える。」
今は、自信を持ってこう思えます。それは、上でも挙げた3人や、それ以外にも頼もしい後輩がたくさん育ってくれたからです。僕が率いた1年が、確かに無駄ではない1年であったと思わせてくれました。
そして実際にそうであったと将来言えるように、次のパート長となる勝田には最大限やりやすいように体勢を整えてバトンパスをしたいと思います。


こうは書いたものの、僕の任期はまだ終わっていません。まだやるべきことが残っています。
僕の最後の仕事は、「チームを総合3位に導くこと」だと思っています。

来年以降も続いていく強化に、「3位以内を死守した」という事実、さらには来年のBチームの存在も欠かせないものと思います。
目標としてはもちろん簡単でないと思います。

この1年迷惑をかけた、それでもついてきてくれたチームに恩返しをすべく、最高の走りをします。
そして、終わりの集合では笑顔で挨拶ができればいいと思っています。


見に来られる方、審判や補助員でくるチームのみんな、朝早く寒い中ですが、全力を尽くして走りますので応援よろしくお願いします。(審判補助員は心の中で)


スタートはちょうど24時間後。

心は熱く、頭はクールに
みんなで3位を獲りにいこう





次こそはAレーンの大トリになります。
思い返せば僕はこの大会、過去3年間すべて國司さんにタスキを渡しました。
最後はこのブログでのタスキリレー(?)になりますが、いつもの頼もしい笑みで受け取ってくれることと思います。
國司さん、よろしくお願いします!
2019/07/30
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (06:07)
森下、回してくれてありがとうな??
念のため言っておくけど、買ったスパイクはちゃんと準備して試合に臨もうな?
去年の七大、僕は3000mSC出走5分前にスパイクのピンが全部付いていないことに気がつきました。1500mで使った別のスパイクを猛ダッシュでベンチに取りに行きましたが、あの時の速さはおそらくレース本番以上にスピードが出ていたことでしょう、、、
スパイクに慣れてないとこういうことしがち(僕だけ?)だから、注意してな。


どうもおはようございます。塚本です。
早速くだらない話でスペースを使ってしまいました。


七大戦は、3000mSCと5000mに出場します。
応援よろしくお願いします。


3000mSCレーンはここで終わりです。


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夏、ですね。


先々週までの連日の雨が嘘だったかのように気持ちよく晴れています。土日は台風だったけど。
天候にはマジで振り回されました。
ちゃんと天気予報を見た上で、止まなさそうだと判断して集合練習無しにした時に限って夕方晴れてきやがります。そう思って今日こそやるぞ、と思った時には練習直前に降ってきます。
やはり神様は日頃の行いを見ているのかもしれません。


夏ということで色々なイベントがあるようで、世間も盛り上がり始めているようですね。
そんな中でも流石の精鋭ぞろいの我がパート員たちは浮き足立っていなかったようです。「夏」をテーマにしたブログで出てくるイベントが合宿だけって。
パート長としてはとても喜ばしいことです。喜ばしいことなんですけど、何というかこう、大学生の一つの集団環境として危機感を覚えるざるを得ないというかなんというか、、、
せめて後輩たちには強く生き抜いて欲しいと思いました。


そしてとにかく、希望(何の?)が0になった佐藤には合宿中みっちりと距離走に付き合ってもらって、逆に希望を見出してあげたいと思います。
合宿が楽しみになってきたなぁ(暗黒微笑)



先月末、西日本インカレに出場してきました。(唐突)
今年は京都開催。
西日本インカレには始めての出場でした。


どうして出たかと言いますと、もちろん当初は5000mのタイムを狙いに行こうと思っていたんですが、それ以上に西京極の陸上競技場で走ってみたいと思っていました。


西京極陸上競技場といえば、高校駅伝の聖地ですよね。
全国高校駅伝では毎年テレビでラスト勝負から生まれるドラマを数々見てきました。


さすがに高校の頃は目標的にも物理的にも遠すぎて走ってみたいとは思いませんでしたが、大学に入ってからは自分が本格的に陸上をやっているうちに一回はこの競技場で走ってみたいと思っていました。そこでちょうど今年京都開催の西カレはラストチャンスだと思い、出場することにしました。


しかし、やはり陸上長距離はメンタルのスポーツだと言われるだけあります。
本気で勝ちたいとか記録を狙いたいと思わずに、適当なモチベーションで出場すると、キツい時のあと一歩の粘りができません。
結果は特に言及するほどでもない感じに終わりました。


そして全然悔しいとも思いません。遠征としてはむしろテレビで見る景色を眺められたことや、高校時代のチームメイトと久し振りに会ったことの方が自分の中では大きいイベントで、完全に旅行としての思い出だけが残った大会でした。
たまにはこんな感じのレースもいいかもしれないなと思いました。


すいません、西カレの話はあまり関係ありません。
今回書こうと思った内容は、その帰り道での出来事(?)です。ついでにちょっと触れとくかくらいに思ったらやはりダラダラと書いてしまいましたね。


ちょうど西カレが行われていたくらいの時期に、メーリスで会報が流れてきました。
僕は京都から鈍行で帰ってきたので2時間ほど暇で、その間ずっと会報を読んでいました。


今年の会報ですが、非常に面白い内容でした。皆さんもう読まれましたでしょうか。
特に長距離の人にとっては読んでおくべき内容だったと思います。
去年が全日本大学駅伝が50回記念だったということで、大会が始まったころのエピソードを交えて当時現役だった諸先輩方の投稿が特集されていました。


それを読み進めていく中で、特に印象に残った文章がありました。それは前監督が長距離の監督に就任してから全日本に初出場するまでと各出場回のことをまとめた記事です。

今から20年ほど前の話だと思います。当時男子は今でも歴代記録上位に名を連ねる先輩方を中心に全日本大学駅伝出場を決めていました。そのころ、同時に女子も全日本女子大学駅伝への出場を目指していたそうですが、まだ力不足で叶わなかったと書いてあります。
その時に女子選手から「私たちに何が足りなかったのでしょう」と聞かれたのに対し、前監督は「女子が全日本に行くには、まだ歴史が足りん」と返したそうです。


なんかちょっと言い方がカッコイイですよね。それで印象に残ったんだと思いますが、それ以外にもその時の僕の心情的にも何か響くものがあったのだと思います。


西日本インカレは、全日予選の一週間後でした。全日予選を終えてからの僕は、少し腑抜けた感じになっていました。


1位とは総合で10分差を超える大敗。もう負けというよりも、勝負になっていませんでした。
終わった後に、國枝先生は「君たち、今回はそんなに悔しそうじゃないね。」とおっしゃっていました。
たしかに、その時の僕は悔しいというよりは最後の全日予選がこんなにもなすすべ無く、あっけなく終わってしまったことに対する虚無感に支配されて呆然としていたと思います。
現実問題、今回はライバル校と戦力的に互角に戦える可能性すら数パーセントでした。それでも何が起こるか分からないからと、自分にとって最後の全日予選をモチベーションに走ってきていました。
僕以外のみんなは思ったより冷静に現実を見ていたのかな、とも思いましたが、それよりも自分が少ない可能性を盲信しすぎてたと思います。
終わってから数日間、僕は現実を見られずに、いつも通りに走り出すことができませんでした。
そんな中旅行ついでにみたいな感じで、集中力皆無でレースに出場した自分に、「歴史」というワードが突き刺さりました。


普段普通に部で陸上をやっていて、部の「歴史」なんかを意識する人は少ないと思います。

しかし誰しもがある程度目にする部の歴史があります。それは部が何年にできたとか創立何年目とかの話ではありません。
歴代記録です。


僕がいた高校の陸上部でも、毎年歴代10傑が更新されていました。
僕は高校でも大学でも、入部した時に「どの種目でもいいから歴代10傑に入って、部に自分の名前を残したい」と思いました。多分同じことを思った人も多いと思います。


歴代記録とは、過去にその部に在籍した全ての人の記録が集積されたもの、つまり部の実績の歴史と言って過言ではないと思います。部のレベルとも直結する重要なデータだと思います。


歴代記録に名を連ねている先輩方が全日本大学駅伝出場に大きく貢献した歴史が会報に書いてあります。
それも、第一回大会のことから書いてありました。全日本大学駅伝とともに歩んできたこの半世紀の陸上部長距離の歴史を知れることはとても有意義なものであると感じています。


初出場から最近まで様々な世代の様々な選手が関わっています。特に今回は、陸上部長距離史の中ではとても大きな存在であった方の訃報とともに、全日本を経験した数多くの歴代長距離ランナーの方々の投稿がありました。その様々な経験や思い出とともに陸上部の存在を改めて理解した中で、前監督の「歴史」という言葉を目の当たりにしたことで、自分はあることを実感します。
自分たちはこの「歴史」の先端に立っている、と。


とても大げさな言い方ですね。傲慢で自意識過剰な言い方かもしれません。


しかし、どれほど多くの先輩が、どれほど前の時代の先輩ががこれまでの自分たちと同じように全日本を目指し走ってきたのかを知るとその重さを実感せざるを得ませんでした。

一週間前、自分たちが勝負すらできなかった全日予選は、紛れもなく名大陸上部長距離の新たな歴史の一つだったのです。


前監督から、「歴史が足りん」と言われた女子選手たちがどう思ったのか気になります。
これは、前監督が女子選手たちに送った褒め言葉だったのかもしれません。「お前たちはよく頑張った。しかし他の条件が整わなかっただけだった。」という。


名大の女子駅伝チームは、それから数年後に全日本女子大学駅伝に初出場を果たします。「名大陸上部の歴史に大きな一歩を記した」と書いてあります。
その書き方は、それまでの歴史を作り上げた全ての女子長距離選手の存在があってのことだった、という風に僕は解釈しました。


中学生の頃、社会の授業で「なぜ歴史を学ばなければならないのか?」ということを考えさせられた記憶があります。
多分色々それらしい理由があったと思いますが、最も強調されていたのは「人はこれからを生きていくために、過去のことを知って、過去の過ちや失敗から学んでこれからに生かしていくことが必要だから。」だったと思います。
まぁそりゃそうだ、って感じですよね。
日本史とか世界史のスケールでこれを言われても全然ピンと来ませんけど。

ここに来て、その重要性を再認識した気がします。


僕は現在4年生です。
名大の駅伝選手としての自分には、まだ東海学生駅伝が残されています。
しかしどうしても、僕は全日本大学駅伝のことを一番に考えてしまいます。
そう考えると、4年生の僕たちはもう名大として全日本大学駅伝に出場することはできません。全日本出場に直接貢献することもできません。
自分は、名大の全日本大学駅伝の歴史の中では「終わった存在」なのです。


しかし、だからと言ってそれで終わってはダメなのだということです。
名大が最後に全日本大学駅伝に出場したのは、現在D2の國司先輩が1年生だった2012年です。もう7年間本戦から遠ざかってしまいました。名大の長距離の歴史で見ると、僕の4年間は暗い時代を作ってしまったのかもしれません。
そんな4年間でも、チームにとって無駄にしてはいけない。かつての女子チームがそうだったように、この暗い時代も含めた「歴史」を積み重ねて、いつかまた名大が本戦復帰するための糧にしなければならないのだと思っています。


終わってしまったパート長の僕が今目指すべきこと。
それは、また名大の長距離が強いチームに戻るために、そのためのシステムを作り上げること。基礎づくりをすることだと思っています。

パート長に立候補した時、理由は自分が本戦に出たいから、という独りよがりな考えしか持っていませんでした。
冷静に考えたら、最初からそのつもりでやるべきだったかもしれません。自分は、自分の世代での出場を最初から諦めるという大人な選択ができませんでした。


自分の4年間で、なぜ予選突破できなかったかを考えることがあります。僕の4年間は2年生から今年まで3回、枠が2つありました。それなのにダメだったのは、もちろん自分が努力不足だったと思いますが、在籍中の状況も運が良くなかったと思います。主にライバルチームの強化状況や戦力状況ですね。名大の状況も少し含みます。こういったことは、正直どうしてもある程度の運が絡むものだと思っています。つまりは、諦めずに本戦を目指していれば、いつかは今以上のチャンスが訪れるのではないかと思います。


残りの期間ですが、これまでのやり方は変えて後輩を巻き込みながらこれからのチームを考えていこうと思っています。どうか今いる後輩たちが全日本の本戦を走ってほしいというのは、今の自分が走るモチベーションの一つになっているかもしれません。


僕自身、大学陸上においていつでも全日本大学駅伝を念頭にやって来ました。それまでで感じたことを、ここまで長々と書きました。結局当たり前なことを大げさにしているだけだと思っていますが。
毎度不安になるのでいっておきます、全て僕個人の思っていることです。不快な気持ちになられた方がいらっしゃったらごめんなさい、、、




書き方がアレなので、何か切ない感じのテンションの文章になってしまっているかもしれません。
書いておこうと思ったことがもういくつかあります。


何年後のチームがどうこうばかり書いていたり、自分たちを「終わった世代」だとか書くのは我ながら競技者としてどうなのかと思います。
もちろんまだ競技をやめるわけではありません。

それでもこれほどまでに真剣に陸上に取り組めるのは今年がおそらく最後です。
その期間のうちに、一陸上競技者の僕個人として達成しておきたいことが二つあります。


一つ目は、自己ベストの更新です。
最終的にはなんとしてでも超えたいと思っている目標は、
5000m 14′28″79
10000m 29′55″29 です。

何の記録かって深い意味はありませんが、強いていうなら僕にとっての超えるべき”壁”なのです。

さらに欲を言えば、内田みたくこのサイトの自分の自己ベスト欄を全て緑色にしたいです。1500mと3000mSCはもう更新できました。そして上の目標が達成できたとしても、800mが鬼門になりそうです。



そして二つ目が、七大戦で活躍することです。
やっと七大戦の話に入ります。

長距離パートの歴史には全日本大学駅伝が大きく関わっているのと同じように、部の歴史には七大戦が大きく関わっているように思います。こちらも一回大会から結果が記録されていて、これに関してはOB会ホームページの「陸上競技部の歴史」というところで見られます。昔は東大と京大が圧倒的2強だったようですね。名大は今まで3回優勝したことがあります。

僕はありがたいことに過去3回出場させてもらってますが、2年連続長距離種目無得点というこれまた暗黒の歴史を作ってしまいました。しかも片っぽは名大が総合優勝した年で、露骨に足を引っ張りました。

対抗戦うんぬんの話はインカレの時に詳しめに書いたので省きますが、最近は全日本から遠ざかってしまった時代と少し重なって、「対抗戦で長距離が足を引っ張ってしまった時代」でもあります。
悔しくて情けない、申し訳ない思いをたくさんしました。最後になる今年こそは、むしろ長距離が得点を稼いで、総合の目標に大きく貢献した年にすること。これを何としても達成し、今までの贖罪をして対抗戦を終えたいと思っています。


今年は5000mと3000mSCに出場します。
なかなか厳し目な兼ね方だと思っていますが、両種目得点を狙っています。
お昼頃に3000mSCを走って、夕方前に5000mです。


3000mSCは優勝を狙います。
思えば去年はまだ始めたばかりでわんちゃんを狙っての出場でした。点が取れたことと記録がよく伸びることで楽しくなってしまい、それからはガンガン出場してきました。去年からハードリング技術はあまり上達していませんが泣、記録は伸ばせてきたのでしっかり勝負のレースをして来たいと思います。


5000mは正直どうなるかわかりません。
今まで一日2レース走ることはよくありましたが、3000mSCと他の何かを同日に走ったことがないので、どのくらい影響があるのか想像がつきません。それでも記録では得点圏内にいるので、厳しいレースになるとしても何とか粘って得点したいと思います。


思えば去年は、ミスれば3年連続長距離種目無得点という壮絶なプレッシャーを抱えた中でのレースでした。院生やOBの先輩方からのプレッシャーを自分の中で無駄に肥大化させてしまっていました。
当事者の選手たちには本当に申し訳ないのですが、正直自分が点を取れなかったらもう無得点だろうと思っていました。仲間を全く信用していないクソ野郎ですね。
その結果、3000mSCでは6位の選手に張り付く極度のチキンなレース運びをしてしまいました。結果的に点が取れたので良かったのかもしれませんが、とにかく6位になって1点を確保することしか頭にありませんでした。


去年は戦力分析において自分は得点できないとされていましたが、今年はたくさん点を取ってくる計算になっています。しかし、パート長になって見方が変わったからなのかわかりませんが、去年よりも変な緊張をしていないように思います。もし自分がミスっても勝田か森川が点をとってくれるだろうと本気で思っているからです。もしかしたら佐藤や森下が下克上することも0ではないと思っています。
今年はしっかり後輩たちを信用して、自分は自分のベストを尽くすことに集中したいと思います。



各選手全力で走りますので、応援のほどよろしくお願いいたします。



以上です。
これで3000mSCレーンは終わりです。
全部読んでくれた方、すいませんでした。お疲れ様です。

当日は暑いと思いますが、体調に気をつけながらまずは楽しみましょう!
その上で、部員全員で勝ちを狙いにいきましょう!
2019/06/13
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (15:57)
内田、回してくれてありがとう。
中長ブログの自己ベスト欄で自分のところを全部緑色にするチャレンジ、実は去年僕もやってました。
他の種目は全部緑色にできたけど、唯一10000mだけあと4秒届かず達成できませんでした(隙あらば自分語り)
その経験から言わせてもらうと、初めて挑戦した年に達成できずに次の年に再挑戦しようとすると、難易度が跳ね上がるから注意してな。絶対今年達成しとけな。

あと、今年の就活諦めてねぇわ。みんな勘違いするでしょうが!


こんにちは。塚本です。
最近同期が部活に戻ってき始めて嬉しいです。


予選会レーンです。これももう最後になりますね。
入学してから陸上における最大目標をずっと全日本大学駅伝出場にしてきた僕にとっては、もちろん最も大事なレースです。
最後の最後まで、死力を尽くして闘います。

当日は夜遅く長いですが、どうか応援をよろしくお願いいたします。


次は飯田先輩に回します。


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はい、余談です。


みなさん、「東京大学」って知ってますでしょうか。
日本最難関の大学として有名ですね。
中には目指してたなんて人もいるのではないでしょうか。

部全体の大目標において、立ちはだかる最も強大なライバルであることはミーティングでも毎回触れられていると思います。

七大戦において、大会を主幹して優勝した後は苦しんでいるという境遇は我々と非常に似ています。特に東大は3年前の大会で優勝し、2年前の大会では5位。2年前優勝した名大としては、そうならないように前主将が邁進していましたが、結局5位で同じ轍を踏んでいます。


…なんかここまでは七大戦レーンみたいですね。
つまり何が言いたいかというと、学力に大きい差があれど、陸上部としての強さでは東大と僕たちはそんなに差がないんじゃないかと思ったのです。

なのでやっぱりいつも意識してしまいます。
特に七大戦でもライバルになるということで、向こうが出した記録にはかなり敏感になっています。最近も中長で出た話題としては、東大の長距離勢が1500mで好記録を続出させました。戦力分析をし直した中距離パート長の小川は頭を抱えていましたね。

いつも意識していると、やはり随時情報を知りたくなります。それでもどこに行き着くかって、やはり陸上部のホームページですよね。
東大のホームページにもブログがあります。さらに全体のブログと長距離のブログは分かれていて、長距離の方では日々の練習メニュー振り返る記事が毎回更新されています。
僕はこれ、もちろん毎日チェックしています。(←こういうことを言うと毎回パート員の一部から「気持ち悪っ」て言われる)

練習メニューの振り返りだけじゃなくて試合の結果報告と振り返り、最近では新入生の紹介記事なんかもあげられていて、パート長の僕からしたら知りたい情報のオンパレード。
非常にありがたいです。初めて見たときに一瞬でお気に入り登録しました。
ぜひみなさんも見てみてください。

その東大の長距離ブログにおいて、ある時一つの企画として「陸上観」というものが始まりました。
これは何かというと、自分は陸上競技とどのように関わってきたか、自分にとって陸上競技とは何か、についての思いのことだそうです。
毎年合宿で一人一人の陸上観を話し合うそうですが、それをブログとして投稿するという企画が始まりました。

僕はそれを見ていて、とても素晴らしい企画だと思いました。やはり人の陸上人生を知るのって結構面白いんですね。

いつかのブログで一橋大学の陸上部についても触れたかもしれませんが、やはり東大とか一橋とか彼らの取り組みを見ると参考になる部分が非常に多いです。
学力の差ってこういうところに出るのかなぁ


一目散に、名大でも似たようなことが出来ないかな、と考え始めました。
それで、一人一人と面談的なものをやってみることにしたのです。
去年の東海学生が終わってから、パート長として一人一人と話すことは必要かなぁと前から思っていたのですが、いかんせんどうすればいいかわからない状態でした。そこでまずは面談自体に深い意味を見出そうとせずに、みんなの「陸上観」を軽く聞いてみる機会にすることにしました。それが何か特定のことに生きる訳ではないのですが、チームとして動いていく中ではそういうことを知っておくのも大事かな、と思ったのです。あと純粋に聞いていて楽しいというのもあります。

やってみて、気がついたことがあります。
勝田も少し触れていましたが、長距離部員のなんと球技あがりの多いこと。
野球、サッカー、バスケ、テニスなど、ほとんどの部員が小中学校まで球技をやっていました。まぁたしかに最初から陸上長距離を始める子どもはあんまり聞かないな、、、

なんで陸上を始めるかというと、その球技で活躍できなくて、でもで走る系の練習は好きで、そこでは速い方だったから、という理由が多かったです。
多分球技をやっている人の多くが走練は嫌いだと思いますが、走練が練習の中で一番好き、というチームの中では特異な存在だった人が陸上部に流れ込みます。
陸上部(特に長距離?)は球技が出来ない、運動神経が悪いと良く言われますが、
これって「そんな気がする」ってだけじゃなくて、本当にそうなんですね、、、

ちなみにまた自分語りをしますと、僕もその1人です。最初は野球をやっていましたが、小学生なのになぜか硬式球を使うリーグで、デッドボールが怖くて嫌になりました。
チームの中で足が速い方だったので、中学に上がったら陸上部に入りました。
ただ野球やってて足が速いってのはもちろん短距離のことで、陸上部でもバリバリに短距離で勝負するつもりでした。そしてご察しの通り、チームメイトとすら全然勝負にならなくて試合に出られませんでした。
でも長距離種目の枠が余っていて、何も出ないのもつまらないからと思って出てみたら、意外と速かったので長距離に転向したという形です。


また話が逸れましたね。
何が言いたいかというと、長距離にいる部員の多くは、かつて長距離走で栄光を持っていた人たちなのです。部員とかに限らず、長距離走をやっている全ての人は、大小あれど、成功体験があるからこそ走ることを続けていられるんだろうなと思います。



多くの人はご存知の通り、昨年の東海学生駅伝を終えて主力だった院生の先輩方が抜け、名古屋大学の長距離パートは弱くなってしまったかもしれません。

院生が強くて、学部生は弱い。院生主体のチーム。僕が入学した時から、そう言われるようなチーム状況でした。


そんな状態を変えたい、そう思って色々な取り組みを行ってきたつもりでしたが、空回ってしまったことが多かったです。
ケガ人が増え、さらに上と下の差が広がっていきました。


かつてチームを支えていた院生の先輩方は、学部生の意識の低さを指摘されていました。
確かに院生の先輩方は忙しい中でも時間をうまくやりくりして、走り続け日々強くなっていました。
それと比べると時間がたっぷりあるはずの学部生が伸びないのは意識に差があるという結論になるのは自然でしょう。実際、そこまでのストイックさを持った部員は多くないように見えます。


しかし、僕は面談を通してこう思うようになりました。
みんなは、陸上に対する意識が低い訳じゃない。ただ、上手くいくイメージができないから、学業などの忙しさに勝てないのです。
初めて陸上を始めた時の、自分は長距離が得意だという思いが、長距離が得意なやつだらけの集団の中にいるうちに薄くなっていって、モチベーションが落ちてしまったのだと。
そう思いながらも、何か有効な策が思いつかずにここまで来てしまったことに無力感を感じます。

しかし、良くならなかったことばかりだとも思いません。新しくなったチーム状況下で、現状を変えようと動き始めてくれた部員も少なからずいたと思います。
特に、和田からはそれを感じました。
彼は年始の頃こそ多少飛ばしすぎてケガをしてしまったものの、それ以来よく考えて行動や練習を選ぶようになったと感じられました。
まだ荒っぽさがあるのかもしれませんが、そう言った姿勢はこれからのチームをちょっとづついい方向に引っ張っていくのではないかと思います。
和田だけに限らず、この半年で競技面でも競技面以外でも成長した人は多くいたと思います。そういった部員は上級生になるにつれ、主力選手になっていくと思います。
もしかしたら、同じようなことが5,6年スパンで繰り返されるものなのかもしれませんね。



ともあれ陸上というのは、基本的にキツいものです。
だから、楽しくやれなければ続きません。
いろんな人がSNSとかで言ってますが、陸上が楽しく感じる時というのは、多くの人にとってはやはり何かに「勝った時」じゃないかなと思います。


僕にとっての最後の予選会、チーム状況的に見て厳しい戦いであるのは明らかです。
そんな中でも、僕は本気で勝てる可能性はあると思っています。本気で勝ちを目指します。本番では何が起こるかわかりません。

たとえ予選会だろうが、駅伝での勝ちはチーム全体での勝ちです。
今回のチームは、去年までほど強烈な強さはないかもしれません。しかし、メンツと心意気が一新された、チームとしては新たな一歩を踏み出す予選会となります。
そんなチーム全体での勝ちは、長距離でモチベーションを失ってしまいそうな一部の部員に希望を与え、さらには長距離に限らず部全体に良い勢いを与えられると思っています。
僕は、そういう勝利にチームを導くような走りをしたいと思います。


応援、よろしくお願いいたします。


なんか勢いがない文章になっちゃった感がありますかね。
なんかふわっとしたことしか書いてないので、最後に普通に予選会に向けた意気込みを書いて終わろうと思います。


前回のブログでは、インカレや対抗戦についての意気込みを長く(我強く)語りました。そして優勝を狙いますと宣言して臨んだ10000mではシンプルにタレて3位。悔しかったです。というより恥ずかしかったです。
しかし形はどうあれ自身にプレッシャーをかけていた10000mが終わったことにより、何かこう、吹っ切れたような気持ちになりました。そしてわんちゃんくらいの気持ちで臨んだ3000mSCで優勝してしまいました。
嬉しかったです。入学した時には、まさか自分が初めて全カレに行く種目がさんしょうだとは思いもしませんでした。

それからというもの、調子はギャンギャンに良いです。
レースで良い記録が出てる訳ではないですが、走りの感覚としてはかなり良い状態だと思います。
加えて先日、中距離の800m勢が好記録を出しました。チームも勢い付いたと思いますが、僕自身も負けていられないと非常に前向きな気持ちになっています。

予選会においては、過去3年間会心のレースはできていません。
最後の今年はもうこれ以上はどうやっても無理、というような全てを出し切るレースをして、全体トップを狙います。

そしてタイムを稼ぐ心づもりです。
他のメンバーは安心して自分のレースに集中して100%を出し切ってほしいと思います。

(流石にカッコつけすぎたかな…緊張してきた…)


また長くなってしまいましたかね。
以上です。
当日に向けて、メンバーは気持ちを高めていきましょう!体調は崩さないように…
そして長距離だけとは言わず部全体で盛り上がっていきましょう!
残り3日だけどみんなどんどん掲示板書いてね!!


次に回します。
飯田先輩お願いします!
調子が上がってくるとなぜか不運(トイレの件とか)に見舞われる先輩ですが、遂に何事もなく本番を迎えられそうですね!!
2019/05/13
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (20:54)
こうし、回してくれてありがとう。
一度ミーティングのパワポで選手紹介の写真が光志じゃなくて弟の写真になってるっていう軽ボケがあったらしいけど、僕は気がつきませんでした。似てるよな、、、負けないように頑張ってくれ、、、


どうもこんばんは。塚本です。


インカレレーンが回ってきました。もうインカレに出られるのも最後かと思うと切ない気持ちになります。なんとか悔いを残さないように走りたいと思います。
10000mと3000mSCに出ます。
応援よろしくお願いします。


10000m&3000mSCレーンは森川に回します。

そして複線化して競歩勢にも回したいと思います。雑な感じになってしまいますが10000mWに出場する4人(山田、智大、諒、松永さん)に一気に回したいと思います。
回すの遅くなってごめんなさい。
よろしくお願いします!



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と、いうことで余談に入っていきたいと思います。


毎度いらんことばっかり書いていたら長くなりすぎて、読んでいる人はスクロールするのが面倒くさいみたいな状況になると思ったので必要な情報(出場種目と意気込みと回す人)だけ短くまとめて残りは下に書くことにします。
これ以降の文は思ったことをあまり推敲せずに書き殴ったので駄文です。
でも暇なら是非読んでください(かまちょ式)


上でも書いたのですが、もう僕も4年生になってしまい色々なレースが最後になってしまいました。最後となるとやはり思い入れが強くなります。


特に信大戦。この間、長野で行われました。この大会は僕にとって相性が良く、1500mでは3年連続で1位を取ることができました。自分の中ではだいぶ思い入れの強いこの試合ももう無いと思うとしんみりした気持ちになります。
長距離にとって二校対抗戦というのは異質です。6人で行われるレースはより駆け引きが重要になり、負けると精神的なダメージがヤバいのです。だからこそ自分の中ではシーズン中のレースの中でも、3つある二校対抗戦大きな存在感を放っているのでしょう。


ふと思い出したのですが、高校の頃、卒業式の後に陸上部のあつまりがあって、卒業生が一人一言何か後輩たちに残していく、という文化がありました。そこで僕は、自分の過去の栄光を話してドヤ顔した記憶があります。
そこで、今回のブログでは僕が名大に入学してからの対抗戦成績を並べて、ドヤ顔する回にさせてもらおうと思います。
がぁ〜つぇ〜


二校対抗戦
2016年
名阪戦 5000m 15′48″17 3位(事前戦力分析2位)
一橋戦 1500m 4′07″46 1位(事前戦力分析4位)

2017年
信大戦 1500m 4′02″41 1位(事前戦力分析3位)
名阪戦 5000m 18′26″90 6位(事前戦力分析1位)
一橋戦 1500m 4′19″92 2位(事前戦力分析1位)

2018年
信大戦 1500m 4′02″55 1位(事前戦力分析1位)
5000m 15′15″95 5位(事前戦力分析2位)
名阪戦 1500m 3′59″67 2位(事前戦力分析2位)
5000m 15′23″49 2位(事前戦力分析2位)
一橋戦 1500m 4′02″18 1位(事前戦力分析1位)
5000m 15′13″59 1位(事前戦力分析1位)

2019年
信大戦 1500m 4′06″40 1位(事前戦力分析1位)
5000m 15′13″53 1位(事前戦力分析1位)
名阪戦 1500m ⁇(事前戦力分析2位)
5000m ⁇(事前戦力分析1位)



次の名阪戦に出場できれば、普通の時期に入部した選手として出場し得る二校対抗には皆勤賞です。
本当にありがとうございます。ドヤ


いつかの会報に書こうかと思ってまとめていたものを持ってきました。
こう見ると我ながら我の強い出場の仕方をしていますね。こんなに出てしまって良いのかなぁという気持ちになったこともあります。
そんな中でも、今まで3年間名大として対抗戦を戦ってきてこんな風に考えるようになりました。


対抗戦は、れっきとした試合で、勝負です。
常に勝てる可能性が一番高い選手が出場するべきだと僕は考えています。これによって出場する選手が偏ってしまってもそれはしょうがないことです。
チームで陸上をしている以上、最優先すべきはチームの勝利だと考えています。


言い方がちょっと過激ですが、僕はそうなっていなかった時期にそのことに違和感を感じていました。
2年生まで、僕はどちらかというと1500mに出ることが多かったですが、複数の種目を兼ねるという発想がありませんでした。そういう時に5000mが負け越してしまい、総合得点に貢献できないことが多かったのです。


それまでの長距離パートは、あまり対校戦に重きを置いておらず、どちらかというと下級生に勝負の舞台を経験させることを重視する風潮があったと思います。これはおそらく誰かの考えではなく、伝統的に受け継がれてきたものだったんじゃないかと思います。それに関して誰も不思議に思っていなかったようです。


しかしそれが時にチームの脚を引っ張ってしまうことに対して僕は危機感というか、肩身の狭い思いがありました。
そして3年になりついに二種目出場を希望しました。言葉を隠さずに言うとその時他の誰が走るより自分が走った方がはええと思ったのです。今思うとかなり傲慢ですね。


振り返るとそれで5位とか取ったりしてかえってチームに迷惑をかけたりもしました。
でもそれは間違っていなかったと今でも思っています。そうするようになってから、長距離種目であからさまに脚を引っ張ることも少なくなったと自負しています。
僕がパート長に就任してからは、1500mパートが確立し始めたのも関係していますが、常に得点最大化を意識してメンバー選出をしているつもりです。


以前のシステムの良くなかったところは、経験を積むため、という理由のみで選ばれて負けてしまう選手がいたことだと思います。そういう選手は実力的に引けを取っていることが多いので高確率で負けてしまうのですが、それを実力差があるのでしょうがないみたいな風に捉える雰囲気がパート全体にありました。


試合というのは、そういうのではダメなんです。他のスポーツでもそうですが、入りたての選手というのはまずはチーム内でレギュラーを獲得することを目標として練習します。そしてやっと入れたら、自分の代わりにメンバーから外れた選手たちの分まで背負って、緊張感を持って試合に出場します。だからチームが強くなっていくのだと思っています。


特別なチーム状況がない限り、経験を積むため負けてもしょうがない、という逃げ道が与えられてはいけないと思っています。チームを背負って戦う覚悟を持った人しかなれないものであるべきです。そういうポジションであると確立させることで、チーム全体の底上げにつなげるべきものだと僕は考えています。


もちろん現実は簡単にそういう風にはなりません。自分には関係ないなあと思ってる人も多いような気がします。
ずっと出続けている僕が言っても全く説得力が無いかもしれませんが、そういう選手にもどうか対抗戦出場を目指してほしいと思います。
ケガ人が増えたり他種目との兼ね合いがあったりして、チャンスが回ってくることもあります。
そういった時のために実力が近い人と勝ち負けを競い合うことが、直接チームの成長につながります。そして実際に出場できたら、陸上という競技に新たなやりがいを見つけることができると思います。
対抗戦というのは、大学でチームとして陸上を行う醍醐味の一つだと僕は思っています。


チームでいつも走っているのだから、頑張りは必ず誰かが見てくれているはずです。対抗戦というものが全員のモチベーションになるような状況が、実際にはかなり難しいですが、陸上部の今のあり方の理想に近いと思います。

(これはあくまで個人の見解であり、所属する組織の公式見解ではありません)
(かなり偏った考え方をしているかもしれません。読んでいて不快に思った方がいましたらお詫び申し上げます)



まだちょっと続きます。
お付き合いください。



名大における対抗戦をさらに大きく考えてしまう原因の一つに、戦力分析がしっかり行われるということがあります。
単純に持ちタイム比べるだけなんですが、何かって順位と得点を予想してしまうのがデカいですね。


上でも言いましたが対校選手はチームの代表として走ります。そして一人一人ノルマのような形で取ってくるべき点数が定められます。
これ、なかなか壮絶なプレッシャーが襲ってきます。僕だけかもしれんけど。
一位予想されている時はもちろん一位を取って当たり前で、2位以下は戦犯、とか考えます。みんなも僕は一位取ってくると思っているんだろうな。そう考え始めちゃうと毎回対抗戦の度にお腹がゆるゆるになります。それで2位とか取った日には申し訳なさと恥ずかしさでメンブレしてその後一週間走る気力を失ったりします。


5年くらい前の箱根駅伝の復路でのテレビ放送で印象に残っているシーンがあります。
展開としては、9区に首位T洋大学の独走状態で襷が渡ります。2位のK澤大学には、トップと3分40秒差で主将のK田選手に襷が渡ります。K田選手は必死に飛ばし差を詰めるのですが、思ったように縮まりません。
そこで実況が言ったのが、「K澤大の主将K田!責任感で脚を運ばせています!」


この話を引き合いに出すのは大げさかもしれませんね。
でもちょっと近いとこあると思います。考えすぎると上手く走れなくなる時があります。
持ちタイムが勝っていても、負ける時は負けます。
特に中長距離というのは、持ちタイムというのは様々は条件が良い状態で出した自己ベストの記録であり、実際のレースでどちらが強いかということと必ずしも同じになりません。


何が言いたいかっていうと、インカレや名阪戦では厳しい戦いになることが前提で対校に選ばれた人や、多めに得点を予想されている人がいると思いますが、選ばれたならそういうことはあまり考えすぎずに精一杯走った方がいいと言うことです。
上で言ったことと少し逆行するかもしれませんが、もちろん対校選手に選ばれたなら選ばれてない人の分まで背負って走らなければなりません。しかしそれをプレッシャーに感じて実力を発揮できないのは違います。
全力で走った時に他より速いと判断されて選ばれているのだから、走り始めたら得点とか考えずに1秒でも速く、1人分でも前でゴールすることを、考えるべきだと思います。


僕の場合は勝手に自分で一位予想して勝手にプレッシャー背負っているのでいいですけどね。試合中に得点がどうとか考え始めるのは最高学年とか幹部になってからでいいと思います。


ここでやっとインカレの話に戻ってきます。


東海インカレ
10000m
2017年 30′57″84 4位(事前戦力分析13位)
2018年 31′06″28 2位(事前戦力分析1位)


過去のインカレの僕の成績です。
2年生の時に出たインカレは、間違いなく僕の中で転機になるレースでした。格上の選手を次々と置いていき、当時明らかに格上だった國司さんにも勝ち得点しました。
部内の喋ったことない人たちにもたくさん褒められてすごく嬉しかったのを覚えています。もっと陸上を頑張ろうと思いました。
それから少し上手くいかない時期を挟んだものの順調に記録を伸ばしていけました。
気がついたら記録上で東海地区の中で上の方に来ており、次の年はなんと出場者中持ちタイムトップでした。
当時は実際にはエントリーしていなかった選手が戦力分析に含まれていたため1位予想はされていなかったですが、上位入賞・得点を予想されているという意識は走り出しても頭の中に残り続けました。


(優勝しなくては、、、余裕を残さねば、、、)
こんな感じに頭の中で考えながら走っていたと思います。
でも長距離を走っている人ならなんとなくわかると思います、余裕を持って走らなきゃと思っている時ほど、余裕がなくてキツく感じるものです。結局動きが固くなって無駄に消耗していた僕は、最後の一番大事なところで相手のスパートに対応できず負けてしまいました。
前年から順位は上げていたし、初めての表彰台でしたが、何かスッキリしないまま終わってしまいました。


これを責任感とかプレッシャーというのはやっぱり大げさかもしれませんが、一つ言えるのはやはりこういう風に走っているとあまり楽しくないです。


なので考えました。もちろんチームの得点のため、予選会に向けた前哨戦の意味合いを含んでいるため、とかも色々ありますが、それを含めた上で、今回は"僕が勝ちたいから"僕のために優勝を狙います。全カレにも出たいから。
そうすればいろいろといい結果がついてくると思っています。


あ、今年度初めてなので自己紹介します。
4年の塚本亮司です。長距離パート長です。多分見た目パート長っぽくないんじゃないかな、自分ではよくわからないけど。
金曜日に行われる10000mではきっとトップでゴールするので知らない1年生はそれで覚えてください。もしそうじゃなかったらトップは國司さんかなぁ。


あと、日曜日の3000mSCにも出ます。こっちも地味に優勝を狙っています。愛工大のU松と森川がライバルになりそうです。僕は障害を飛び越えるのがヘタクソですが、種目適性はあると思っていて、謎の自信に満ち溢れているので見ていて面白いレースが、さらには走っていて楽しいレースができればいいなと思っています。


「レースを楽しむ」という表現はいつか物議を醸していた気がします。もちろん全力で勝ちに行くことに変わりありません。サポートしてくれる全ての人たちや大会を運営してくれる人たち、さらには金曜日なのにわざわざ応援に来てくれた仲間と日曜日の最後の方で疲れてきた中応援してくれる仲間みんな、さらにはさらには出たかったけど出られなかった仲間のためにも全力で一位を狙いにいきます。もしそんな中でみんなが盛り上がるようなレースができればそれは僕にとっても最高に楽しいレースになるはずです。


みなさん、どうか応援よろしくお願いいたします。



次は森川に回します。今回は10000mと3000mSCに出場する人が3人まんま同じなので回しやすいですね。森川は申し訳ないけど急いで國司さんに回してくれ、、、


もう残り時間があまり無い中競歩勢にも全く回っていなかったのでもう出場者4人に一斉に回してしまいたい思います。余裕のある人から書いていってください。
時間が無いってのに回すのが遅くなり、さらにはダラダラと長文を書くというかなり害悪なことをしてしまった気がします。ごめんなさいm(_ _)m


以上です。
本番3日間はチーム一丸となって頑張りましょう!!
2018/12/05
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (13:25)
河上先輩、回していただいてありがとうございます!
来年からは、河上先輩が名大のアイデンティティとも言えるMの名を背負っていくんですね。
えっ、まさかDも…?


どうもこんにちは。
塚本です。


最近雨鬱陶しいですね。今日は気持ちよく晴れてますが。
今年、ここまでNO体調不良の僕に最後の試練が降りかかっているようです。
でもまぁ、心配いりません。
コンディション調整のためなら、予定(授業)とかはいつでもキャンセルする所存です。


それでは余談に入っていきます、、、


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先日、愛知駅伝が行われました。
僕は今回も含め、刈谷市の代表として何回か参加させてもらっています。


この大会は、僕の中ではかなりインプレッシブな大会です。

この大会、数ある市町村対抗駅伝の中では少し特徴があります。それは、参加する世代の幅が広く、さらに細かく区間分けされていることです。
他の県をよく知りませんが、よく見るのは中学生、高校生、一般と3世代分くらいに分けて、各世代2,3人づつが走る、みたいな感じですかね。規模の大きい所だと一人の選手が2日間で2区間走らないといけないみたいなこともあるだとか。

対して愛知駅伝は、小学生、中学生、高校生(ジュニア)、一般のそれぞれ男女。さらに男女は分かれていませんが40歳以上の区間もあります。
その細かく分かれた区間に出走するのは各市町村から一人づつ。

何をグダグダと言ってんねん、て感じになってるかとは思いますが、このシステム、実は結構ヤバいことが起こります。
何かというと、実力差が出るんです。チーム内での相対的な実力差という意味でも、その区間内で見た実力差的にも。
それも、えげつないほどモロに。

意味わからないと思うの詳しめに説明します。
上でも言った通り、各チーム、出走するのは各年代から一人づつです。つまり、当たり前ですがその市町村にいるその年代の一番強い人が出走することになります。

仮に、例えば各世代のレベルがそこそこ高い市があったとします。その市で各年代で一番強い人は、普段から県内でもそれなりに戦える実力があります。しかし高校生の男子だけは偶然その代に人がおらず、一番強いの人でも県ではまるで戦えないほどとします。

何が起こるか分かりますでしょうか。
露骨に足を引っ張るんです。高校生男子のそいつが。

他の区間は区間上位で走ってくるのに、そいつだけ区間下位の実力ですから、めっちゃ順位を落とすことになります。そしてこれがまた残酷なことに、区間順位という数値としてすごく分かりやすい形で足の引っ張り方が可視化されてしまいます。

これ、各世代に何人か走るシステムであれば、ちょっと緩和されます。当然一番強い人だけが出てくるから強い市町村もあるわけで、何人か走ることになれば実力が劣る選手も出さないといけなくなる市が出てきて、区間配置の仕方違いにより戦力差が均されます。当然それでもこういう辛い人は出てくるでしょうけどね、、、
そう考えると現行の愛知駅伝のシステムは、表面上世代を越えて繋がるタスキ…みたいなキレイな感じに見せかけて、一部の人が割を食う悪魔の制度と言えなくもないです。


…なぜこんなにdisるかと言いますと、上で例えで出した高校生というのは、実は高校1年生の時の僕のノンフィクションエピなのです。
刈谷市は例年各世代それなりに強い人が揃っているのですが、中高生男子の育成に課題を抱えています。そこの区間では毎年苦戦を強いられるのですが、その年偶然中学生に県上位で戦う強い選手がいました。
高校生で選ばれたのは僕。当時の5000mの自己ベストは、15′38″。降旗さんと激闘の末破れ、出した記録ですね。
当然高校生区間には、県のトップレベルの、14分台の選手がたくさん出てきます。もちろん僕なんかひとたまりもありません。
不遇なことに男子ジュニア区間は2区。
さらに無情なことに、1区の中学生女子の子が、かなり上位でタスキを持ってきました。なすすべなく抜かれていき、4.8劼隆屬11人もの選手に抜かれました。
刈谷市は3区以降順調に巻き返し、徐々に順位を上げていきます。そしてアンカーまで上手く走りきり、僕にとっては最悪の形で幕を閉じました。


最悪の形、というのは、クソみたいな考え方ですが、僕一人がやらかした形だからです。チームの順位の推移を折れ線グラフにすると、綺麗なV字型、というかチェックマーク✔のような形になります。谷底は僕一人で作り上げています。
関係ないですが、後に応援メッセージ欄みたいなところで、「刈谷市の2区遅すぎん?」みたいな書き込みを見つけたりもしました。

この時は、相当凹みましたね、、、
これ、その立場にならないとわからないことかもしれませんが、匿名で叩かれるのはマジでメンタルがヤバい、、、

なんでこんなことをムキになって長々と語ったかと言うと、今回の大会を見ていてこの経験を思い出したからです。
今回、ある高校生の女の子で僕と同じような展開で、僕よりもよっぽど壮絶な経験をしたであろう選手がいました。女子のジュニア区間というのは後半にあるので、テレビなどでもある程度目立ってしまいました。
僕はとても気持ちがわかるので、同情してしまいました。全然知らない選手ですが、この経験をバネにこれから頑張ってほしいと思いました(何様)


ちょっとだけ触れようと思った話が長くなりすぎました。以上は余談の中でも余談。
以下も余談が続きます。


駅伝や対校戦など、団体で陸上競技をやっていると、時には足を引っ張ってしまうことが出てくると思います。

自分もこれまで、数多くの戦犯を経験してきたように思います。上の愛知駅伝のことも含め、チームの負けに直結するような走りをしてしまったことも何度かあります。

その中で、自分の中で大きく残っているのは、去年の一橋戦の走りです。戦犯、というほどでもなかったかもしれませんが、一位予想をされていながら負けてしまったことは、相手を勢いづかせてしまい総合の負けに繋がったと言ってもいいでしょう。
なんでかあんまりわからないですが、この時はこの時でめっっちゃ悔しかったことを覚えています。
それ以降僕は、これでもかというほど一橋大学を意識するようになり、毎日のように一橋大学のホームページをチェックするようになりました。


皆さん、一橋大学陸上部のホームページを見たことがありますでしょうか。特に中長の方、結構充実していて、普通に見ていてもそれなりに楽しいです。自分の中での因縁は終わりましたが今でも結構見てます。

中でも、僕たちにはないシステムとして、「掲示板」というものがあるのです。これは、選手たちが試合に出場するたびに反省を書いていくものです。
それだけなら他の大学もやってそうなことですが、何かって文量がとてつもなく多い。とても読みきれない。えげつなく詳細。人によっては調整法からメンタル面など事細かに分けて振り返っています。


自分はこれを発見して、考え方がだいぶ広がりました。なんと自分のダイアリーの内容の薄っぺらいこと。めちゃくちゃ恥ずかしくなりました。文字として反省を書き残すことの意味は、こうまでしてやっと生まれるものなのか、と。


人によるとは思います。日誌とか書いてなくても速い人は速いですね。
でも一回、見てみてほしいなと思います。


最近パート内のミーティングで、よく考えて練習をするべき、的な話をしました。
必要なことは、トライ&エラーを繰り返して、良い方法を見つけていくことだと考えています。
そのためには、エラーをはっきりとさせ、それとよく向き合うことが大切なことは言うまでもありません。


一橋大学のみんなは、僕らと目指すところが違います。彼らの最終目標は箱根駅伝の予選会で、20劼鬚いに速く走るかということを主眼においています。僕らとくらべて、よりごまかしがきかないとも言えますかね。
そんな中で、彼らはそのプロセスを掲示板や部内の練習日誌を通して上手くやり抜き、記録を向上させていっているのです。(実際はどうかを詳しく知りませんが…)


またこれを契機に、色々な大学の陸上部のブログや練習日誌を読み回るようになりました。
選手によって、様々な信条や考え方の偏りが見えて面白いです。
そういったものすべて含めて、僕の陸上に対する知識として堆積していき、強くなるための試行錯誤の材料となっていきました。


話は少し変わってしまいますが、七大戦を持って、中距離のパート長に小川が就任しました。
1年の時の彼しか知らない人からしたら、今の彼は「誰?」て感じかもしれません。
今季、彼は飛躍しました。1500mのタイムを10秒以上縮め、今や名大中距離のエースです。
彼が変わったからタイムが飛躍したのか、タイムの飛躍が彼を変えたのか、よく分かりませんが。


彼はよく、こう言っています。
陸上と受験は一緒、メニューは授業と一緒、と。
何が言いたいかと言うと、授業だけ受けっぱなしでも学力は伸びないのと同じように、メニューだけやってたって伸びるとは限らない。大事なのは自分には何が足りないのかを分析し、それを補うためには何をしなければならないかを考えること。


陸上は、積み重ねが大事だと言われています。練習を継続することが、伸びるためにはまずは必要です。しかし、だからこそいつも同じことの繰り返しになり、次第に思考停止に陥ります。
そうなった時に、自分をよく分析し、何が足りないのかを把握すること、何をすれば解決に向かうのかの方法を考える必要があります。
そしてこれをら探し出すのは、とても難しいことだと思います。


前々主将「人類生存のための科学」
http://nagoya-univ.sakura.ne.jp/middle-long/modules/weblog/details.php?blog_id=2736


自分の経験を言葉に書き起こす必要は出てきます。
自分を客観的に分析する必要があるから。
そうしたら、自分の抱えた問題が見えてきます。
本来色々なことを試してみて、やっと解決策が見つかります。しかしそんなことしなくても、答えが見つかる可能性があります。
多くの人がそれぞれの体験や考えを文字として発信しているし、僕たちの場合、同じ道を通った先人たちが近くにたくさんいるからです。
勉強に例えると、数多くの参考書がこの世には転がっているし、チューターや先生がたくさんいるから、とかですかね。


中距離では、春に自分がどうなっていたいか共有し、そのためにどうするか、また自身を管理するための取り組みが行われ始めてるようです。小川パート長を中心に、パート全体が、これから変わろうとしているのでしょう。



最後にもう一個だけ直接は関係ない話を。
編集段階ではわからないですが、ここまででけっこう長くなってしまっている可能性はあります。ごめんなさい、、、


去年の夏頃、自分は「3強入り」を目標に掲げていたと思います。
3強というのは、目指すべき存在でありながら、いつも自分にヒントを与えてくれる存在でした。
気がついたら、(記録だけで見れば)自分も肩を並べるくらいにはなれていました。

しかし、追いついたと思ったらまた、壁は高くなっていました。


「私が後輩にとっての超えるべき壁となり,一人でも多くの後輩が私を超えることで,強いチームになっていけたらと思います.しかし壁が低いようでは意味をなさないため,私自身も日々の鍛錬を欠かさないように精進していきます.」



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ご存知の方も多いかもしれませんが、僕は東海学生が終わると長距離パート長に就任します。


誰がなるにしろ、長距離パートは、大きく変わっていくと思います。
僕は、佳境を迎えた代の前線に立たせていただきます。決して、弱体化の年のパート長として大学陸上を終えたくないのです。

当たり前ですが、もう一度深く陸上というものに向き合わなければならないと感じます。
これからチームを作っていこうとする時には、今まで見てきたたくさんのチームの考え方、先輩たちから得た知恵や教訓、パート長仲間となる小川や山田が持っている情熱、そしてそこから作り上げた自分の信念のようなものが、自分の助けとなると信じています。


以降、チームは主軸を多く失います。
彼らは、僕にとってはまさに「先人」でした。
これからは、その目印無しで前に進んでいくことになるでしょう。
でも僕は、これからももっと強くなっていくつもりでいます。パートのみんなも一緒に。
人は、夢を持つことができる生き物なのですね、、、

僕たちは、来年以降も戦える。僕自身、そう他のチームに知らしめられるような走りを、当日したいと思います。


そして何より、頼りになる院生の方々を含めた先輩方と走れる最後の機会に、チームの優勝に貢献するような走りを。


区間賞を獲ります!



当日は朝早く寒いですが、サポート、応援の方よろしくお願いします。


結局長くなってしまいました。次に回したいと思います。

國司さん、お願いします!
2018/07/27
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (20:28)
河噛先輩、回していただいてありがとうございます。多分ですが入部してから先輩にはレースで負けたことないので今回も余裕です(煽り)


どうもおはようございます。塚本です。
高校の頃は1500mを主戦場としていたので実際中距離みたいなとこあります。
今年の夏も800mで中距離に殴り込みにいく予定です。


(どうもこんばんは。このブログを書き終えた後の塚本です。朝書き始めたのでおはようございますと挨拶しましたが、どうでもいいことばっかり書いていたら夜になりました。どうでもいいことばかりな割に長くなってしまったので七大戦に関係ない部分は波線で区切らせていただきます。時間がある人だけぜひ読んでください、、、)




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では早速余談に入っていきましょう。


7月に入ってから、長距離パートの一部はある出来事から、自分の最大酸素摂取量なるものを知る機会がありました。自分もその1人でしたが、その値がどのくらいだと高いとか低いとか全く知らなかったので、自分の値を聞かされた時には全然ピンときていませんでした。
しかしネットで調べてみたり周りの何人かに値を聞いてみるにつれ、自分のそれがとても低いということに気がつかされました。


そもそも最大酸素摂取量とは何かというと、1分間に体重1kgあたり取り込むことができる酸素の量、ということでもちろん長距離においては記録との相関があります。
つまるところ、この値というのは、強さの指標の一つとして見られることもあるということです。


そんな選手として重要な値が低いという事実を知るのはなかなか心にくるものがあります。実際、自分の値は長距離選手というより、ちょっと走るのが得意な一般人レベルでした。


しかしショックを受けると同時に、どこか嬉しい気持ちにもなっていました。
それはそんな状態であるならばなんらかの手段で値を高めることができればもっと記録が伸ばせるのではないかと思ったからです。
やはり、競技の性質上ポテンシャル的な限界が無いとも限りません。
これだけ低いのならば、これが限界ではないだろうと、まだ強くなれる余地があることを科学の力に教えてもらったような気がしました。
伸びしろですねぇ。


また、値が低いのに高い人たちと同等かそれ以上に走れているということは、自分は取り入れることのできる少ない酸素を効率的に使えている、つまり効率的な走りができているということ(だと思うようにしてます)。
誰もがそうかとは思いますが、自分は特に走る動き一つ一つに深く注意しているつもりです。フォームに関しては多くのことを考え、試行錯誤してきました。


どの年だったか忘れましたが、日本選手権の10000mのラスト一周で当時早稲田大学の大迫選手と、日清食品Gの佐藤悠基選手が競り合っているシーンが自分の中では大きく印象に残っています。
ラスト200mまで前にいたのは大迫選手。後ろを引き離そうと、体を目一杯使った大きな走りでスパートをかけています。
しかし、佐藤選手はジョグみたいな楽そうな走り方ながら決して離れません。しかもそのままスピードを上げ難なく大迫選手をかわして優勝したのです。
なんであんなにラクそうに走っているのに必死で走っている大迫選手よりスピードが出ているんだろうと不思議に思うと同時に、自分もあんな風に走ってみたいと強く思ったのを覚えています。


それまでの自分の走り方は、今振り返ると前かがみ・オーバーストライド・大げさな腕振りと三点揃って最悪でした。
通常走り方を矯正するには、走りを一つ一つの動きに分解した動き作りを行ったり、体幹や走りを支えられていない弱い部分の補強をしたり、ミニハードルなどで正しい姿勢や接地の動きを意識したりするのが効率的だと思いますが、そんなことなんも知らん当時の自分は動画で見たフォームを見よう見まねで走り始めました。
背筋が伸びた走りを見てむしろ後傾するくらいで走ってみたり、コンパクトな腕振りを見てむしろ腕を振らずに走ってみたり、素早いピッチを見てちょこちょこ走ってみたり。
時々窓ガラスに映る自分のフォームを見ながら、ああでもないこうでもないとあれこれ考えながら一冬の練習を全て消化しました。


結果、佐藤選手みたいな走り方になりませんでした。当たり前でした。まず身長というか脚の長さが全然違う。その前にそもそもの走力が違いすぎた。あんなにスピード出してるのにあの上半身の安定感はどういうこと…


しかし、確かに走り方に安定感は増していました。
その時矯正したフォームが今の走り方に繋がっているわけですが、自分で見ても自分の走り方には上下動があまりありません。これは長距離を走る上では良いところかな、と思っています。


今考えればその時の取り組みは走り方を崩したりケガしたりするリスクが高くてとても危険でしたが、走り込む前に、もしくは走り込む際に動きを重視してより走り込みを効果的にするという意識を持つようになった契機でした。


いつだったか、ケジェルチャというエチオピア人の選手が18歳という若さで5000mを12′53″という記録を出しました。
これについて誰か知らない人がツイッターで「長距離は根性じゃない、動きを極めるスポーツだ」的なことを言っているのを見ました。
若くてまだ試合経験も積んだ練習量も比較的少ない選手が好タイムを出したから、ということでなのでしょうが、自分はこの考えにとても共感しました。


フォームに関しては、これでもかというくらい頓着してても良いものなのかな、と思っています。多分ですが、速いペースで走っても疲れない身体能力を身につけるよりも、速いスピードを出してもラクなフォームを身に付ける方がよっぽど簡単だと思っています。
まだ自分のレベルであれば、フォームの改良がそのまま記録につながるだろうし、改善された分走り込みしやすい、さらには怪我もしづらいといういいことづくめです。


僕は日頃東大長距離パートのブログを欠かさず見ていますが、いつかの試合反省かなんかで、かの有名なエースで主将のKさんが「自分の走りを言語化できれば強くなれる…」みたいなことを書いていました。高次元な話をされているので自分にはどういうアレかは理解しきれていないですが、自分的に解釈するとたしかに上手く走れている感覚をしっかり日本語で表現できるというのは大事なことだと思いました。
走る時の感覚とかはけっこう曖昧なもので、悪いと感じた時修正しようにも良いと感じた時維持しようにも、自分がどういう状態にあるのかを把握することが難しいです。
なんか走れるなぁ〜で済ませてしまうのではなくて、その時の走りを振り返る意味で言語化するのが大事なのかなと感じました。
なので自分は普段のダイアリーにその練習が上手くいったかどうかとかよりも、走ってる時どう感じたかとか何を意識したかを書くようにしています。走り方が崩れたり調子が悪くなった時とても役に立ちます。


自分はまだ今の走り方に満足していません。
見ていてカッコいい走り(≒モテたい)がしたいという思いがありますが、安定感を求めるあまり動きが小さく躍動感がありません。
めっちゃ必死に走っているのに、はたから見てるとあんまり頑張っているように見えないのが悩みどころです。
今のフォーム目標は、旭化成の市田宏選手(あえて弟)です。身長体重ともに僕とほぼ一緒だからです。彼は走ってる時沿道からキャーキャー言われているので、会得したあかつきには僕も知多のコース沿いにいるおじいちゃんおばあちゃんたちからの黄色い声援を浴びることができると信じています。


七大戦レーンでした。
七大戦の話でもしますか。


僕には、高校の頃から一つ夢がありました。
3000mSCを走ることです。


僕の高校は3000mSC、いわゆるさんしょうがけっこう盛んで、ふたつ上の先輩と同期がインターハイに出場したりしました。
長距離の人数はそんなに多くなかったですが、必ずさんしょうの枠は埋められてて県大会にも進出することが多かったです。


しかし僕はいつも1500mと5000mで、さんしょうには出たことがありませんでした。確か高校の大会の日程だと、5000mとさんしょうは兼ねにくいんですね。なのでチーム内で1500mと5000mの人、1500mとさんしょうの人に分かれていました。前者でした。


何に魅力を感じたとかそういうのではありませんが、その間さんしょうを走る人たちを見ていて自分も出てみたいなぁと感じていました。見ている分には全然辛さがわからないので自分が走ればもっと速く走れるんだろうなぁ、とか思っていました。


そしてこの間、ついにチャンスが訪れました。今年は東国体の時期に予選会も七大戦もなく、心置きなく出場できるタイミングでした。
僕は我の強さゆえにさんしょうパート長先輩を押しのけて東国体のさんしょうに出場させていただきました。優勝。七大戦で見ても入賞わんちゃんくらいのタイムでした。
これが僕の輝かしいさんしょうキャリアの第一歩となります(?)


現在名大の学部生にはさんしょうを走る人があまりおらず、枠が余ってしまいかねないので、今回、七大戦はさんしょうにエントリーをさせていただきました。


「お前が3000mSC?なんでやねん!」
と思われた方、こういう経緯です。どうか暖かい応援をお願いします。



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ということで今回、1500mと3000mSCに出場します。


1500mでは、名阪戦でついに3分台を出すことができました。4分フラットを出してから3年近く4分ちょいをウロウロしていたのでとても嬉しかったです。
しかし七大戦のレベルはとてつもなく高く、4分を微妙に切っただけでは戦えません。

自分の中ではもう少し速く走れるのではないかという手応えがあります。七大戦の1500mはハイペースになりやすい気がするので、なんとか前に食らいついてベストを更新し、あわよくば一点でももぎとってきたいと思います。


3000mSCは得点ライン周辺にいます。まだ一回しか走ったことないのでこちらもレースによってはもう少し出せると信じています。そもそもこの種目が開催される大会は限られていて、専門としている人も少ないので戦力分析があまりあてになりません。油断せずに確実に得点を狙っていきたいと思います。

3度目の七大戦を迎えますが、過去2年とも長距離種目では1点も取れていないという状況です。色々と思うところはありますが、何よりチームの足を引っ張ってしまっているというのが申し訳なくて毎年メンブレしています。
特に去年はチームは優勝しましたが自分はあまり歓喜の輪には入ることができず辛かったです。個人としては七大戦にいい思い出がありません。

テストに苦労しながら、七大戦でいい走りができずどっちも不完全燃焼。そんな形で始まる夏休みをもう繰り返したくはありません。
今年こそは、会心の走りでチームに貢献し、美味しいお酒を飲んで帰りたいところです。
それができたらまぁ最悪テストはどうでもいいです。


種目は去年までとは違いますが、より点数にこだわったメンバー構成になっているのではないでしょうか。特にさんしょうは僕の他2人はスペシャリストですし、5000mの3人も上り調子で得点やベストの可能性も十分にあると思います。

七大戦レーンは残り浮津先輩ととみーが書いて終わりです。
今年は長距離全体としても気持ちの良い七大戦にしたいところですね。明日からのオープン種目も含めて皆さん頑張っていきましょう。
それではおわります。
2018/06/04
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (06:05)
勝田、回してくれてありがとう!
最近は陸マガの陸上競技ランキングのおかげで、名前だけでその人が今までどんな記録を出していたかをすぐさま知ることができてしまうんだな。しかしそれはその人がどんな競技人生を歩んできたかに純粋に興味があるだけで、、
決して人をタイムで人を判断するとかじゃないけどね?僕はそんなことしないけどね??


どうもおはようございます、塚本です。


つい先日、勧誘のために愛知県高校総体を見に行ってきました。
高校生のほとんどはこの大会のために頑張って来たでしょうし、3年生だとこの大会を最後に引退する人も多いでしょう。
それぞれが熱い想いを持って臨んでいるのがよく伝わって来ました。
競技が終わった後は泣いている選手もいて、僕も胸が熱くなりました。


彼らを見ていて、3年前自分が高校3年生だった時の総体を思い出していました。
自分は1500mで東海総体出場を狙っていましたが、結果は予選落ち。やりきれない思いで引退を決めたのを覚えています。

それからは抜け殻のように過ごしていました。急に走るという習慣を無くし、かと言ってそのエネルギーを全て勉強に使えるでもなく、何かモヤモヤした気持ちを抱えていました。
そんな中である日、父親が東海地区の全日本大学駅伝予選会を見に瑞穂に連れて行ってくれました。その当時から名大を志望していたので、大学の陸上を見れば勉強へのモチベーションも上がるんじゃないか、となんとなくな理由だったとは思います。しかしそのレースは僕が、名大で全日本を目指そうと強く志すきっかけとなりました。


確かそのレースは名大がめっちゃ強かったわけではありません。実際その年に本戦出場を決めたのは4組目までもつれ込んだ接戦を制した岐阜経済大学でした。
名大は善戦していましたが、組ごとにジリジリと離されていく厳しい展開。
4組目の2人は大逆転を懸けて前を追います。
そんな姿が、どこかそれまで高校で陸上をやっていた自分と重なるところがあったのだと思います。


自分の高校陸上での最大の目標は、東海高校駅伝に出場することでした。
この大会は、愛知県高校駅伝で上位6校に入らなければ出場することができません。
愛知県高校駅伝には90校近くの高校が出場し、全都道府県の中でもそれなりにレベルが高いです。そこで6校に入るというのは普通の公立高校ではそこまで簡単なことではありません。
そんな中で僕は幸いにも強い同期と先輩後輩に恵まれ、高校としては十分目指せる戦力がありました。
結果は7位。全員がベストに近い走りをした上での、力負けでした。何かこう、悔しい、というよりは悲しい、という感じだったと思います。自分たちの全力は、相手に及ばなかったという事実が。

駅伝で結果を出せずに終わってしまったのは、大きな心残りでした。
しかしみんなで目標に向かって一つになって頑張った経験は自分の高校陸上を最も楽しく、意味のあるものにしていたと思います。

ライバル校の選手には絶対負けられない、そう思って練習しているうちにみんなぐんぐん強くなっていきました。
記録会などでチームメイトが自己ベストを更新すると、これ以上ないほどワクワクしました。
駅伝がチームスポーツであるゆえの醍醐味を隅々まで味わっていたと思います。
最も大きかったことは、結果で上位6校だった学校とそれを争っていた他のライバル校のほとんど私立の高校でした。部員数も多くその中で3学年選りすぐりのメンバーで駅伝に出てくる(自分たちの高校は通常3年生は総体で引退し駅伝は2年生以下で戦っていました)チームを相手にしどう戦っていくのか、本番はどのくらいのタイムで走らなければいけないか、誰に負けてはいけないか、自分たちはそもそもそれぞれどのくらいの持ちタイムを目指すべきなのか、そういったことをみんなで考えるのは一番楽しい時間でした。


岐経大や愛工大と肩を並べて戦う名大を見て、自分たちのチームと似たような雰囲気を感じたのです。
相手は強豪と呼ばれる私立で、戦力的に不利である場合が多い。そんな中だからより、1人1人がしっかりと勝つために何をしなくてはならないかを意識して戦っていかなければならない、かつて自分たちも持っていたようなそんな意識を名大からは感じました。
自分たちも名大も、結果的にギリギリで勝てていない。自分がこのチームに入って、今度こそ上の大会に行ってみたい。
その時、高校で果たせなかった東海高校駅伝の夢を、全日本大学駅伝に見出したのかもしれません。


あれから3年が経って、自分は予選会を2回走らせてもらいました。
正直、高校の頃はもし自分が走ればだいぶチームを押し上げられる、と甘い考えを持っていました。しかし実際に走ってみて、それがただの10000m走ではないということを思い知らされました。
8人全員のタイムが計上されるというミスの許されないプレッシャーと壮絶な駆け引きの中で、どれだけ自分の走りを保てるか、これがいかに難しいことか当時の自分には想像もできないことでした。

実際に過去2回、どちらも名大に貢献する走りはできていません。特に去年。
インカレでの走りが評価され4組目を任せてもらいました。しかしエースの集まる最終組に自信を持って臨むことができず、自分の走りが全くできないままレースが終わってしまいました。とても情けなく、力不足を感じました。
記録だけ見ると、惜しい戦いだったと思う人もいるかもしれませんが、自分にとって「勝つ」と言うのが途方もなく遠くに感じられました。自分の走りの良し悪しがだいぶ違うにしろ、ベストを尽くして負けた、高校の駅伝の時と似たような感情でした、、、


これで3年目になります。
もう(普通の大学でいう)上級生として、責任感ある走りが求められるかと思います。
冷静に考えて名大が勝つ(予選突破)ためには、僕がタイムをある程度稼ぐ必要があります。
つまり僕は他校のライバルにはほとんど負けてはいけないことになります。頑張ります。

こう考えて自分を追い詰めてしまい失敗したのが去年の例だと思います。
頑張らなければいけないのはそうなんですが、頑張る頑張る思いつめすぎて舞い上がってしまいました。
勝負が佳境になるほど冷静さも必要ということで
「心は熱く、頭はクールに」
戦いたいところです。

去年の東海学生レーンでカメさんが書いていたことですかね。確認したところ「熱い気持ちとクールな頭」がそれで、次に岸田さんが「心はヒート、頭はクールに」と書いていました。(他の投稿だったらごめんなさい)
どっちも多分同じことですね。

生意気ですが持ちタイムでは自分は上位の方にいます。
順当に行けばほとんどの相手に勝てるということだと思って、いつも言っていることですが冷静に自分の100%の走りをすることを第一に意識したいと思います。
それが多分最も名大の勝ちに繋がることで、今まで自分ができていなかったことだと思ったからです。


当日は夜遅くまで長いですが、皆さん応援よろしくお願いいたします。


次に回します。
最近天ぷらを揚げるのが上手い小松、よろしく頼んだ
というかうどん作ってる場合じゃねぇ!
2018/05/04
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (20:14)
浮津パート長ぱいせん、回していただいてありがとうございます。
体調は崩さないように細心の注意を払っております。しかし気をつけないといけないのは信大戦後というよりインカレ後なんですよね(昨年インカレ後2週間、被ドクターストップ)
ともあれ、体調不良と闘いがちなのは僕ら二人ともだと思うので頑張りましょうね、、


こんにちは。塚本です。


ついに陸マガ増刊号「大学駅伝2018 春号」が発売されましたね。
もう皆さん読まれましたでしょうか。
僕はさっきまで読んでいたのですが、注目すべきページはやはり
「2018年最新大学生男子 長距離ランキング」ではないでしょうか。
そこのページに

10000m
334位 31.55.40 浮津 照也 (名古屋大3+)
336位 31.57.79 河上 匠 (名古屋大3+)

おめでとうございます。
先輩方に陸マガデビューの先を越されてしまいました。
なんとか僕も名前を載せてみたいところです。
ですが次はチーム全員で、名古屋大学として、顔写真もついてるページに載れるといいですよね。
(一応説明しますと、学生三大駅伝に出場するチームは夏頃に発刊される同雑誌で選手の顔写真とかもついてるような詳細なデータが紹介されます。つまるところ今年は全日本に出られると嬉しいですねと言いたいのです、、)


どうでもいいことですが最近のマイブームはyoutubeで過去の箱根駅伝の動画を見ることです。
ここ10年くらいの大会を、年ごとに往路と復路それぞれ3時間くらいにまとまってる、軽く見るにはとてもちょうど良い(?)動画をあげてくださってる方がいるんですね。
最近放送されてるやつなのかな。コンプラ的に大丈夫なのかは分かんないですが、とてもありがたいです。

先日は第84回大会の復路を見ていました。
この年は往路優勝した早稲田大学を復路で駒沢大学が逆転、近年では復路で首位交代が起こることはほとんどないので今見るとかなりアツい展開だったのですが、それ以外にも注目を集めた出来事がありました。
学連選抜チームが総合4位と大健闘したのです。

関東学連選抜は予選会を通過できなかったチームの中から上位の選手で作られたチームです。なので実力的には予選会通過校と比べても遜色ないはずなのですが、何故か良い成績を残せないことが多かったようです。そのためこの年の好成績は周りを驚かせました。
選手たちのモチベーション低下や団結力に課題があると言われていましたが、このときチームの監督をしていた青山学院大学の原監督は選手間のコミュニケーションを重視してチーム作りを行い、指揮を高めることに成功したと記事に書いてあります。
ちなみに翌年、青山学院大学は33年ぶりに予選会を突破し本戦出場を果たしました。今の強い青山学院のチームが作られる上での足がかりとなっていたかもしれませんね。

現在の箱根駅伝では学連選抜は学生連合チームと名前を変えオープン参加になってしまいましたが、自分は毎年割と注目してしまいます。

というのも、僕の好きな本の一つに堂場瞬一さんという作家さんが書いた「チーム」というものがあります。
この本は学連選抜に選ばれた選手たちの、母校の仲間たちと走ることができない、いわば記念出場となってしまう箱根駅伝を「なんのために走るのか」という葛藤を描いたストーリーになっています。
まだ自分があまり真剣に陸上に取り組んでいない中学時代に読んだ本なのであまり詳しいとこまで覚えていませんが、高校で陸上にのめり込んでいくきっかけの一つであったと思います。
毎年箱根駅伝を見ていて学生連合がレースを動かすようなドラマを生み出すんじゃないかという期待感を持ってしまいます。


この本に、自分の陸上観は大きく影響を受けていると今でも思います。
登場人物の一人に、山城悟(東京体育大学4年)という選手がいます。
この人は5000mを13分台、10000mを27分台で走る日本トップレベルの選手なのですが、とにかく自己中心的で、チームや相手の選手を見下します。自分のためだけに走る・自分さえ速ければそれでいいという考え方の持ち主です。
物語の中では、学連選抜としての出場に対して熱い想いを持った主人公(別の人)や監督との関わりの中で彼の心境や考え方が変化していく様が描かれているのですが、そこはまぁ気になる方は読んでみてください、、
僕の印象に大きく残っているのは、彼の競技に対する哲学です。

特にわかりやく現れていると感じる部分がこちら
「練習ではこんなこと(足の違和感)は何度もあった。そういう時絶対に無理せずにストップする。山城は自分の体を過信してはいなかった。長距離ランナーの体は、精密にチューンアップされた車のようなものであり、エンジンが高速で回転している間は非常に安定している。だが精密故に故障も多い。道路の小さなうねり、顔にかかる雨、体を包みこむような暑さ、そんな些細なことで一つのパーツが壊れ、やがて影響が全身に及んで走れなくなる。」
彼は自分が速くなること、ただそれだけを考えています。故に自分の走りに対する分析が極端に緻密で冷静です。
常に自分を客観視して、速くなるために合理的な選択をし続けます。

こういう感じキャラクターはこの件に限らずいろんなスポーツもので出てきがちだと思います。だいたい敵役だったり性格が悪かったりするので好きになれませんが、、
しかし、現実の競技という目線で見てみるとスポ根な主人公よりも理にかなっていることが多いとは思います。

速くなるために最善の選択をする、というのは一見当たり前のことのようですが徹底できる人というのは少ないように思います。
自分は高校の頃、練習で軽い肉離れを起こしたことがあります。肉離れといっても本当に軽度で、休んでいればおそらく3日もかからず治っていたものだったと思います。しかし自分はこのくらいであれば休まなくても何とかなると思い走り続けました。結果、走り方が崩れ逆の足を痛め、一ヶ月弱走れなくなってしまいました。

最終的に速くなるためには、もちろんどんな小さなことでも走る妨げになるような事案があれば走らないことが最善手です。どっか痛いのを我慢しながら走ったって多分たいして速くなりません。違和感が痛みに変わる前に休んで、復活してから存分に走った方が絶対に速くなるはずです。
そんなことは分かってるのに、周りに置いていかれる焦りなどから、無理して走ってしまうことが多くの人にあると思います。

もちろん無理をしてでも走らないといけない時はあるかもしれませんが、大事なのはその時無理を押して走ることと走るのを辞めて回復に努めること、両者を天秤にかけてその時の自分にとってどっちが大事かを冷静に判断できることだと思います。山城クンだけでなく速くなれる人というのは、そこらへんの折り合いのつけ方が上手いんじゃないかと感じます。
彼は極端な例ではありますが、本当に速くなることだけを突き詰めると、たしかに周りを気にしている場合ではなくなるのかもしれませんね。

自分は高校で怪我をして以来、足の小指を壁にぶつけるとか、コンクリに膝をぶつけて青アザになるとか、どんなにしょうもないことでも走りに影響がでそうなら走るのやめるようにしています。自分で言うのもなんですが、自分は怪我への対応は早い方だと思っています。
もともと足が痛くなったりすることは少ない方ですが、もしどこか痛くなったとしても長くて1週間で治ることがほとんどです。

何故急にこんなことを思ったかといいますと、最近いろいろな人のダイアリーを見ていて怪我が長引いている人や、どこかを痛めたまま走って、ちょっと治ったら走ってまた痛める、ということを繰り返している人を何人か見たからです。
自分は長期間走れなくなるような怪我をしたことがあまりないのでなんとも言えないのですが、怪我とどう向き合っていくかを長期的な目線で考えることはとても重要であるということを改めて思い出した感じがしました。
思うように走れない時期こそ、競技に対してはドライに構えるべきなのかもしれませんね、、


ちょっと雑談を、と思って書き始めたら長くなってしまいました、、すいません、、
ええと、東海インカレレーンでしたっけ、、

10000mを走らせていただきます。

怪我へのリスクマネジメントが上手くなる一方で、体の免疫機能は下がる一方な気がしています。おかげで3月中はいまいち練習が継続できず、だいぶスロースタートなシーズンとなってしまいました。
そこでいくつかレースを諦め練習を積み、それなりに仕上げていくことができたと思っております。

去年のインカレは、格上の選手と競り合うことが出来て主に心持ちの面でステップアップするきっかけとなるレースになったと思います。
今年もさらなるレベルアップにつながるレースにしたいと思っています。
優勝を狙います。応援よろしくお願いいたします。

ちなみに金曜日です。
大丈夫。たしか4限後とかでも間に合います。
応援は本当に力になるので、ぜひぜひ来てください。
マジレスいたしますと1日目は会場全体で人が少なくて盛り上がりに欠けるんです。
いやほんとに、ぜひぜひ来てください、、


次に回します。
我らが長距離パワポ長、一林先輩に回します。
選手紹介に関して一言言わせていただくと、ざけんな(ありがとうございます)
2017/12/01
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (23:00)
みなさんこんばんは
塚本です。


小松回してくれてありがとう!
早めに2年軟弱トリオ(小松、塚本、小川)解散しような?
ここで倒れるわけにはいかねぇ。。。


さて、いよいよ12月に入って本格的に寒くなってきましたね。
毎度こんなことを書いているような気もしますが、僕は非常に免疫力が軟弱で、なんでもない風邪をひいては重症化し走りに悪影響を及ぼしています。
そんな僕にとって一番の敵は冬の寒さではなく秋から冬にかけての季節の変わり目です。
下がっていく気温に体が追いつかないんですね。
中学生頃までこの時期は毎年鼻水を垂らしながら走っていたような気がします。

大学に入って東海学生駅伝がこの時期にあることを知った時は絶望しましたが、去年は無事に走ることができましたし、今年もここまでは非常に順調にきています。
どうにか当日までは何事も起こらないように、たとえ勉学を多少犠牲にしようとも体調管理に全力を尽くしていきたいと思います!


競技の話に入るとここまでのみなさんはまず今期の振り返りから話している人が多いので、自分もまずは今シーズンを振り返ってみたいと思います。

河上先輩や小松も言っていた過酷な過酷なバイト合宿と校内合宿を乗り越え、順調に調子を上げていくことができました。
そして選抜チームとしてではありますが、自分の大学陸上における最大の目標であった全日本大学駅伝に出場することができました。
2年生で達成できたということでとてもいい経験になりましたし、今期はとても充実したシーズンであったと言えると思います。
しかし全日本本戦では緊張でかたくなってしまい上手く走ることができず、悔いの残る結果となってしまいました。
今まで出ることを目指すあまり本戦での結果をあまり意識できていなかったように思います。
いざ走ってみて他地区との歴然とした力の差を感じ、やはり満足のいく結果を残せなければ出場しただけになってしまい意味がないのだと痛感しました。
来年、必ずリベンジしたいと思います。
その時は選抜チームではなく名大として出場したい、そう思って大学陸上での最大目標を修正し、思いを新たにしたという点でも、今期は自分にとって転機となった充実したシーズンでした。


そんな今シーズンも大詰め、もう暦の上ではディセンバーということで、当日まで一週間とちょっととなりました。
毎回大きな大会が近づくと緊張しますが、今回はある理由から普段の倍くらいのプレッシャーを感じております。


ここで急に全然関係ない話をしますが、僕は最近家に置いてある「YAWARA!」という漫画を読み直しました。皆さんこの漫画知っているでしょうか。
この漫画は、天才柔道少女の柔ちゃんが自分より2倍も3倍も大きい相手を次から次へと投げ飛ばしていくという漫画です。
とても面白くて読み入ってしまいます。よく受験期に現実逃避として軽い気持ちで手に取ってはついつい読破するということを繰り返していました。(ちなみに全29巻あるので全部読むとその日は終わる)今回も勿論勉強したくなくて読んでいました。
その漫画の中で、主人公の同級生の1人花園薫(蛯天堂大)が、試合前に緊張した時の対策を聞かれて、こう答えていました。

「俺ってばムチャクチャ強ェェェ!!」

と叫ぶ、と。
彼は言っています。「なんちゅうか、相手はみんなもの凄く強い連中ばかりで、自分より弱い奴はいないんじゃないかなんて思ったりして…」


まるで全日本大学駅伝の時の中継所にいる自分のことを言っているように思えました。
規模の大きい大会でいつもと雰囲気が違うし、なにより周りの選手がとてつもなく速そうに見えます。
そう考え始めると体はがっちがちに固まり、思うように走ることはできませんでした。


当たり前ですが、相手のことを考えてて自分のパフォーマンスを落とすのはとてももったいないことですよね。
特に陸上とか駅伝では気持ちの持ち方が大きく影響するので、「自分は強い」と自分に言い聞かせることは緊張やプレッシャーの中で自分の走りに集中するにはとても効果的なのかもしれないと思いました。


この秋、東海地区の大学長距離界では好記録が連発していて、レベルは急激に上がっています。
きっと一週間後、東海学生駅伝の時も自分は周りを気にしてビビっていることでしょう。
自分がそんな状態になっていると気がついたら、上のセリフを日曜の朝の知多半島に響かせてやろうと思います。
さすがに嘘です。
心の中で思うだけにしておきます。


駅伝は1人で戦っているのではありません。
周りがどうこうとかはあまり考えず、ただ自分のできる最高の走りをすることだけに集中して、あとは仲間を信じて襷を繋ぎたいと思います。
今年は最高の走りで、チームの優勝に貢献します。


応援、サポートに回られる方、朝早いですがよろしくお願いいたします。


次に回したいと思います。
今年はある理由から、東海学生が行われる土日はだいぶ運命共同体な浮津先輩に回します。
終わった後、果たして美味しいお酒は飲めるのか…?
飲めたとして、そのお酒は「美味しい」ままで終わるのか…?

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