中長ブログ - 佐伯元春さんのエントリ

2018/03/28
人類生存のための科学

執筆者: 佐伯元春 (11:40)
森長4年間お疲れ。
森長がいてくれて、いろんな意味で良かったよ。僕の考えを1番理解してくれていたのは、卒業ブログを見ても分かるけど、森長だったように思う。本当にありがとう。
ちなみに、僕もトリは森長だと思っていて、四国の卒業旅行中にもトリは森長やな、って何人かで話していました。(その時たまたま愛葉はいなかった)(どちやいどちやいどちやいどちやい)
(ブパパブパパブパパ)

こんにちは。
引退して10kgほど増量しました、元名古屋大学陸上競技部主将の佐伯元春です。腹が出ました。よろしくお願いします。

あ…長いです…
よしっっ読むぞ!ってくらい気概がないと読めないかもしれません…
でも最後なので許してください…

卒業ブログですか…。。

入学した時、大きなことを成し遂げてビックな存在になりたい、と何となく思っていましたが、達成度としては半分くらいかな、と感じています。。

あー、皆さん。卒業ブログですが、短距離やフィールドの卒業ブログもぜひ読んでみてください。良いですよ。さすが僕の同期です。。
特によくやばいと言われてる短距離の下級生にはぜひしっかり読んでもらって、噛み締めて、で結果出して僕たちを見返して欲しいなぁと思います。どんなもんじゃい、ってね。

で、僕の番ですね…
何を書こうか迷いました。。
僕が陸上をやる理由、とか、やっぱ七大戦絡めて書くか?とか、まぁいろいろ考えましたが逆にこれは書かないことにします。みんな書くだろうと思って。。

よし決めた、
書きたいことではなくて、伝えたいことを書こう。

はい、さて、皆さん。
突然ですが、私が何学部かご存知ですか?実はもう今の1年生からなくなってしまったのですが、情報文化学部という学部に属しています。

よく小馬鹿にされることが多いです(その理由も承知してます…)が、私は自分が情報文化学部であることを恥じたことはないですし、むしろ誇りを持っています。楽しい大学生活でした。

まぁそれは良いとして、その情報文化学部の専門の授業で、タイトルにあります、
人類生存のための科学という講義があります。内容はタイトルの通り、人類が地球に繁栄した理由は何か、ということをさまざまな視点や歴史から考えていく、というものです。

結局その答えは、超簡単にまとめると、
人類には教養を備えるポテンシャルがある
という感じでした。
人類が繁栄するのに必要なことが教養??まさかの精神論か??
と、その時は意味不明過ぎて、教授の髭を一本一本抜いてやりたいくらいに思っていましたが、今は少しだけその意味が分かるような気がしています。

教養。
単に知識という意味もあるでしょう。
学問への理解力。精神的豊かさ。常識。。。
沢山の意味がある教養という言葉ですが、その教養がなぜ、人類が繁栄する最大の理由になるのだろう。。

陸上に例えてみましょう。
あなたが強くなりたいと思ったら、何をしますか?練習をしますね。では、ただ走りますか?ジョギングだけですか?いやいやそんなことはないですよね。じゃあ、どんな練習をしますか?ペース走とかインターバルとか、与えられたメニューをします。なるほど、よしではそれを全力でやってみましょう。
(あ、陸上部にいるあなたは、陸上を全力で、やって欲しいな。。全力でやることではじめて価値のあることになると僕は思います。。全力でやらないなら、何か他のやりたいことをやった方が価値があると思います…)


で、そう、僕たちは強くなろうとする時、知識(練習メニュー)を得てから行動に移します。なぜならその方が効率が良いからです。知識を得ることも、教養の1つです。ペース走やインターバルといった我々が普段当たり前に行っているメニューも、我々より先に陸上競技を経験した人たちがいたから為せることです。彼らもいろんな試行錯誤の上、そういったメニューを得て、それを伝えていったのだと思います。


さて、練習した結果どうだったでしょう。
強くなれましたか?なれた人もいました。
あれでも、なれてない人もいました。
なぜですかね???
まぁでもまだ結果が出てないだけだろうし、もっともっと頑張ろう!たくさん距離も踏んでたくさん練習しよう!!


…ってなると、僕みたいに膝を壊して走れなくなってしまうかもしれません…
闇雲に、がむしゃらに頑張るその気力は大変素晴らしいと僕は思います。そういう人間は貴重だと思います。そもそもそれを持ち合わせていない人もたくさんいます。しかしその気力の使い方を誤れば、社会的には何の価値もありません。。

ここで必要なのは、そう、また教養です。
いつだったか、東大の教養学部長が卒業式の挨拶の時に言いました。

教養とは知識を入れることだけを指すのではない。真に教養があるとは、得た知識が本当に正しいのか疑い続けて、使っていくことだ。

私は思います。
教養がある、というのは知識の多さを言うのではなく、知りたいと思って自分で知り、そしてそれが正しいかを疑い続けることができることだと。
キーワードは疑う、だと思っています。

練習した結果強くなれないこともたくさんあります。人によって不足していることも異なれば、伸ばすべきことも異なるからです。与えられたメニューは、単発でどんな意味があるのか、あるいはそのメニューは長期的にみた流れの中でどんな意味を持つのか、疑ってみましょう。

例えば、これは僕の考えですが、毎日毎日365日、2時間ジョグをする必要もないと思います。僕なら2週間で怪我しちゃうと思います。2時間ジョグを否定しているわけではありません。その理由がどうなのか、によって変わるからです。たしかに量が必要な人や時期もあります。その時はむしろやるべきです。でもそうでない時もあるように僕は思います。また、ジョギング以外にも強くなるための効率的なアプローチはたくさんあるはずです。結局どれが今のあなたに必要だと、あなたが思うか、が大切だと思います。

そんなことたくさん言われても結局何したらいいのか分からないよ、、と思ったあなた、大丈夫です。安心してください。なぜなら我々の身近に、我々より先に、我々が目指しているところに到達した人がたくさんいるからです。先輩でも後輩でも、あるいは全然話したことないような人でも良いです。

私が競歩を始めたときは、ほんとに10人近い人と連絡をとり教えてもらっていました。メニューもフォームもトレーニングも間の日の過ごし方も、みんなそれぞれの考えを教えてくれます。その中には来年名古屋大学に入学して来てくれるインターハイ2位の鈴木の弟もいます。

その情報がどれも正しいかと言われたら、合う合わないも含めて、全然そんなこともないとは思います。だからそこも疑って、疑って、納得したものは取り入れて、また疑って試行錯誤を繰り返して…
そうすれば、少なくとも前進はしていけると思うんです。結果が出ようが出まいが、頭を使って考えたことは、必ず次に活きるからです。そしておそらくそれを繰り返せば、必ずある程度の結果もついてくると思います。人に勝つ、という結果は分かりませんが、記録における結果はほぼ確実に出るんじゃないかな、って思います。
そうやって考えること、考えた結果得たもの、それらはすべて教養と呼べます。それをまた次に活かしたり、ほかの人に共有したりすることもできます。


ヒトはあらゆることについて、そうやって進化してきたように思います。
だからまたすべての世界記録は更新されていくと思います。




…あともう一つ、人類が繁栄してきた理由があると個人的に思っていることがあります。

それは、夢を持つ力が我々にはある、ということです。
大昔の大半の人は、人が空を飛べるようになると思ってなかったでしょう。車が走るようになると思ってなかったでしょう。携帯電話ができると思ってなかったでしょう。

でも確実に言えることは、それを本気でできると信じた人たちがいて、その中の一部の人たちが実際にやってのけた、ということです。

イチローだって、武井壮だって、ホリエモンだって、同じようなことをみんな言っています。
我々ができると心から思えることは、できるんですよ。

どうせ俺には無理だよ、、なんて思っている人。それであなたの人生終わっちゃいますよ?いいんですか?(いいならいいです。)

孫正義が言っていました。
その人の人生は、概ねその人の夢の大きさに比例するんだ
と。笑われたっていい、否定されたっていい。
身の程知らずでいい。そんな人たち放っておけばいい。すぐに見返してやればいい。

笑う人は、自分にはできないから他の人もできないと考えたり、自分ができることを想像できないから笑っているだけです。
例えば名大に受かりたい、という偏差値50くらいの高校生がいても、2年くらいめちゃくちゃ本気で勉強すればきっと受かるよ、って思うでしょう?
でも同じ偏差値の子で、東大に受かりたい、という高校生がいたら、うーむどうだろう難しいかもね、とか思っちゃうじゃないですか?鼻で笑ったりしちゃうじゃないですか。
無理かどうかも知らないくせに。挑戦したこともないくせに。そもそもその高校生とあなたは違う人間なのに。

そう、だから夢や目標を理由なく否定する人は大したことない人なので放っておけばいいと僕は思います。それをまじめに聞く必要なんてありません。14分台出したいと、あなたが本気で思うなら言えばいいです。否定してくる人は無視でいい。それが叶うかどうかは本当に知りません。でも目指さなければ絶対に叶いませんよ。幸い名大には14分台の人がたくさんいます。彼らに足が速くなる方法を聞いていけば良いんですよ。みんな教えてくれますよ!

そしてここで忘れてはならないのは、口だけ、にならないことです。表面上でなく、心から、身体の奥底から湧き上がる自信を持ってその夢や目標を公言することです。そうすると、行動が必ず伴います。
あー14分台出したいな、くらいなら寧ろ本気でやっている周りの人からしたら腹が立つでしょう。簡単にそれを言ってんじゃないよ、と思うでしょう。僕はこれを、七大戦の優勝を目標として掲げる、ウチと阪大と京大以外の大学に感じました。なめないで欲しいと思いました。例え結果が伴っていなくても、その人がその夢に対して本気かどうかなんて、周りの人は簡単に判別できます。
もしもその夢や目標にまだ自信がなくて、心からできると思えないのなら、自分の現状を把握した後で、自分が本当にできると思えるラインまで目標を下方修正すべきです。

大切なのは夢を持ちそれが、本気で、できるとあなたが信じることです。根拠のない自信があればいいと思います。
俺はやれる、まだやれる、もっともっと強くなれる。少なくとも僕はその精神で、競歩を始めて1年で21分台も出したし日本選手権標準も切りました。(そこまで大したことではないかもしれないけど…)
でも僕は競歩を始めた時から本当にやれると思っていました。オリンピックに出られる、とまでは思えなかったのでそこまでの目標は掲げませんでしたが、日本選手権くらいなら出れるやろ、って思ってました。根拠はありません。


孫正義は、また、言いました。
その夢が叶うかどうかは、その人がどれくらいそれが叶うと信じられたかによるんだと。

多分マジで大切なんだと思います。
だから今あなたが、あ俺やれるんじゃないかなこれくらいのことは、って本気で思えるなら、その夢は叶いますよ。逆に思えないなら、今は叶いません。

最近では脳科学でもこの根拠のない自信が、その人に良い影響を与えることも分かってきているみたいです。確か茂木さんかなんかが言ってたと思います。



僕、短距離とフィールドの卒業ブログ読んでて思いました。
だいたいみんな似たようなこと言ってるな、って。

僕の言葉でまとめるなら、
僕が大学の陸上で学んだことは、教養と夢の大切さです。

夢を持ち、それができると心から信じて、そしてそれを叶えるために常に頭を使って尚且つ自分の行動を疑うこと。

僕はまた、これを忘れないで、社会人になっても大きな結果を出していきたいと思います。
自分の抱く夢に向かって、また一から走り出したいと思います。

そしてきっとその夢もまた、叶います。
どうせいつか叶います。
なぜなら僕が、佐伯元春だからです。




最後に、みんなせっかく名古屋大学陸上競技部ならびに山の上陸上競技部に入ったので、卒業する時までには何か残して欲しいなって思います。あなたがここにいた証を、残して欲しいです。何か後輩たちに伝えて欲しいです。どんなことでもいいので、影響を与えて欲しいです。あなたがここにいてよかったと、思わせて欲しいです。
そうやって残したあなたの想いや言葉や伝えたことは、新たな教養となってもっともっと最高の名古屋大学陸上競技部、山の上陸上競技部になると思うんです。70年後には、名古屋大学陸上競技部に13分台が3人くらいいるかもしれませんよ?みんなが4年間で得たことを後輩たちはすぐに知り、効率的な生活を送ることができるんですもの。
そうやって繁栄させていきましょうよ!進化させていきましょうよ!
人類生存、繁栄のためには、そういう新たな教養が必要だって思います。


最後の最後に、皆さん。
ほんまにありがとうございました。
大学で熱意を注ぐものに陸上を選び、名古屋大学の陸上競技部に入り、皆さんに出会えて、ホントに、ホントに良かったです。最高です。
頼りない主将だったと思いますが、皆さんのおかげで最高の気分で今を迎えることができています。

僕はもっともっとビックになるので、皆さんももっともっとビックになってください。

4年間、お世話になりました。
大好きです。愛してます。
ありがとうございました。
ありがとうございました。

これで長距離、競歩レーンは終わりですね。
では、また会う日まで。
さよなら(は別れの言葉じゃなくて)。
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