中長ブログ - つかもとさんのエントリ |
2019/07/30
歴史の偉人
執筆者: つかもと (06:07)
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森下、回してくれてありがとうな?? 念のため言っておくけど、買ったスパイクはちゃんと準備して試合に臨もうな? 去年の七大、僕は3000mSC出走5分前にスパイクのピンが全部付いていないことに気がつきました。1500mで使った別のスパイクを猛ダッシュでベンチに取りに行きましたが、あの時の速さはおそらくレース本番以上にスピードが出ていたことでしょう、、、 スパイクに慣れてないとこういうことしがち(僕だけ?)だから、注意してな。 どうもおはようございます。塚本です。 早速くだらない話でスペースを使ってしまいました。 七大戦は、3000mSCと5000mに出場します。 応援よろしくお願いします。 3000mSCレーンはここで終わりです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 夏、ですね。 先々週までの連日の雨が嘘だったかのように気持ちよく晴れています。土日は台風だったけど。 天候にはマジで振り回されました。 ちゃんと天気予報を見た上で、止まなさそうだと判断して集合練習無しにした時に限って夕方晴れてきやがります。そう思って今日こそやるぞ、と思った時には練習直前に降ってきます。 やはり神様は日頃の行いを見ているのかもしれません。 夏ということで色々なイベントがあるようで、世間も盛り上がり始めているようですね。 そんな中でも流石の精鋭ぞろいの我がパート員たちは浮き足立っていなかったようです。「夏」をテーマにしたブログで出てくるイベントが合宿だけって。 パート長としてはとても喜ばしいことです。喜ばしいことなんですけど、何というかこう、大学生の一つの集団環境として危機感を覚えるざるを得ないというかなんというか、、、 せめて後輩たちには強く生き抜いて欲しいと思いました。 そしてとにかく、希望(何の?)が0になった佐藤には合宿中みっちりと距離走に付き合ってもらって、逆に希望を見出してあげたいと思います。 合宿が楽しみになってきたなぁ(暗黒微笑) 先月末、西日本インカレに出場してきました。(唐突) 今年は京都開催。 西日本インカレには始めての出場でした。 どうして出たかと言いますと、もちろん当初は5000mのタイムを狙いに行こうと思っていたんですが、それ以上に西京極の陸上競技場で走ってみたいと思っていました。 西京極陸上競技場といえば、高校駅伝の聖地ですよね。 全国高校駅伝では毎年テレビでラスト勝負から生まれるドラマを数々見てきました。 さすがに高校の頃は目標的にも物理的にも遠すぎて走ってみたいとは思いませんでしたが、大学に入ってからは自分が本格的に陸上をやっているうちに一回はこの競技場で走ってみたいと思っていました。そこでちょうど今年京都開催の西カレはラストチャンスだと思い、出場することにしました。 しかし、やはり陸上長距離はメンタルのスポーツだと言われるだけあります。 本気で勝ちたいとか記録を狙いたいと思わずに、適当なモチベーションで出場すると、キツい時のあと一歩の粘りができません。 結果は特に言及するほどでもない感じに終わりました。 そして全然悔しいとも思いません。遠征としてはむしろテレビで見る景色を眺められたことや、高校時代のチームメイトと久し振りに会ったことの方が自分の中では大きいイベントで、完全に旅行としての思い出だけが残った大会でした。 たまにはこんな感じのレースもいいかもしれないなと思いました。 すいません、西カレの話はあまり関係ありません。 今回書こうと思った内容は、その帰り道での出来事(?)です。ついでにちょっと触れとくかくらいに思ったらやはりダラダラと書いてしまいましたね。 ちょうど西カレが行われていたくらいの時期に、メーリスで会報が流れてきました。 僕は京都から鈍行で帰ってきたので2時間ほど暇で、その間ずっと会報を読んでいました。 今年の会報ですが、非常に面白い内容でした。皆さんもう読まれましたでしょうか。 特に長距離の人にとっては読んでおくべき内容だったと思います。 去年が全日本大学駅伝が50回記念だったということで、大会が始まったころのエピソードを交えて当時現役だった諸先輩方の投稿が特集されていました。 それを読み進めていく中で、特に印象に残った文章がありました。それは前監督が長距離の監督に就任してから全日本に初出場するまでと各出場回のことをまとめた記事です。 今から20年ほど前の話だと思います。当時男子は今でも歴代記録上位に名を連ねる先輩方を中心に全日本大学駅伝出場を決めていました。そのころ、同時に女子も全日本女子大学駅伝への出場を目指していたそうですが、まだ力不足で叶わなかったと書いてあります。 その時に女子選手から「私たちに何が足りなかったのでしょう」と聞かれたのに対し、前監督は「女子が全日本に行くには、まだ歴史が足りん」と返したそうです。 なんかちょっと言い方がカッコイイですよね。それで印象に残ったんだと思いますが、それ以外にもその時の僕の心情的にも何か響くものがあったのだと思います。 西日本インカレは、全日予選の一週間後でした。全日予選を終えてからの僕は、少し腑抜けた感じになっていました。 1位とは総合で10分差を超える大敗。もう負けというよりも、勝負になっていませんでした。 終わった後に、國枝先生は「君たち、今回はそんなに悔しそうじゃないね。」とおっしゃっていました。 たしかに、その時の僕は悔しいというよりは最後の全日予選がこんなにもなすすべ無く、あっけなく終わってしまったことに対する虚無感に支配されて呆然としていたと思います。 現実問題、今回はライバル校と戦力的に互角に戦える可能性すら数パーセントでした。それでも何が起こるか分からないからと、自分にとって最後の全日予選をモチベーションに走ってきていました。 僕以外のみんなは思ったより冷静に現実を見ていたのかな、とも思いましたが、それよりも自分が少ない可能性を盲信しすぎてたと思います。 終わってから数日間、僕は現実を見られずに、いつも通りに走り出すことができませんでした。 そんな中旅行ついでにみたいな感じで、集中力皆無でレースに出場した自分に、「歴史」というワードが突き刺さりました。 普段普通に部で陸上をやっていて、部の「歴史」なんかを意識する人は少ないと思います。 しかし誰しもがある程度目にする部の歴史があります。それは部が何年にできたとか創立何年目とかの話ではありません。 歴代記録です。 僕がいた高校の陸上部でも、毎年歴代10傑が更新されていました。 僕は高校でも大学でも、入部した時に「どの種目でもいいから歴代10傑に入って、部に自分の名前を残したい」と思いました。多分同じことを思った人も多いと思います。 歴代記録とは、過去にその部に在籍した全ての人の記録が集積されたもの、つまり部の実績の歴史と言って過言ではないと思います。部のレベルとも直結する重要なデータだと思います。 歴代記録に名を連ねている先輩方が全日本大学駅伝出場に大きく貢献した歴史が会報に書いてあります。 それも、第一回大会のことから書いてありました。全日本大学駅伝とともに歩んできたこの半世紀の陸上部長距離の歴史を知れることはとても有意義なものであると感じています。 初出場から最近まで様々な世代の様々な選手が関わっています。特に今回は、陸上部長距離史の中ではとても大きな存在であった方の訃報とともに、全日本を経験した数多くの歴代長距離ランナーの方々の投稿がありました。その様々な経験や思い出とともに陸上部の存在を改めて理解した中で、前監督の「歴史」という言葉を目の当たりにしたことで、自分はあることを実感します。 自分たちはこの「歴史」の先端に立っている、と。 とても大げさな言い方ですね。傲慢で自意識過剰な言い方かもしれません。 しかし、どれほど多くの先輩が、どれほど前の時代の先輩ががこれまでの自分たちと同じように全日本を目指し走ってきたのかを知るとその重さを実感せざるを得ませんでした。 一週間前、自分たちが勝負すらできなかった全日予選は、紛れもなく名大陸上部長距離の新たな歴史の一つだったのです。 前監督から、「歴史が足りん」と言われた女子選手たちがどう思ったのか気になります。 これは、前監督が女子選手たちに送った褒め言葉だったのかもしれません。「お前たちはよく頑張った。しかし他の条件が整わなかっただけだった。」という。 名大の女子駅伝チームは、それから数年後に全日本女子大学駅伝に初出場を果たします。「名大陸上部の歴史に大きな一歩を記した」と書いてあります。 その書き方は、それまでの歴史を作り上げた全ての女子長距離選手の存在があってのことだった、という風に僕は解釈しました。 中学生の頃、社会の授業で「なぜ歴史を学ばなければならないのか?」ということを考えさせられた記憶があります。 多分色々それらしい理由があったと思いますが、最も強調されていたのは「人はこれからを生きていくために、過去のことを知って、過去の過ちや失敗から学んでこれからに生かしていくことが必要だから。」だったと思います。 まぁそりゃそうだ、って感じですよね。 日本史とか世界史のスケールでこれを言われても全然ピンと来ませんけど。 ここに来て、その重要性を再認識した気がします。 僕は現在4年生です。 名大の駅伝選手としての自分には、まだ東海学生駅伝が残されています。 しかしどうしても、僕は全日本大学駅伝のことを一番に考えてしまいます。 そう考えると、4年生の僕たちはもう名大として全日本大学駅伝に出場することはできません。全日本出場に直接貢献することもできません。 自分は、名大の全日本大学駅伝の歴史の中では「終わった存在」なのです。 しかし、だからと言ってそれで終わってはダメなのだということです。 名大が最後に全日本大学駅伝に出場したのは、現在D2の國司先輩が1年生だった2012年です。もう7年間本戦から遠ざかってしまいました。名大の長距離の歴史で見ると、僕の4年間は暗い時代を作ってしまったのかもしれません。 そんな4年間でも、チームにとって無駄にしてはいけない。かつての女子チームがそうだったように、この暗い時代も含めた「歴史」を積み重ねて、いつかまた名大が本戦復帰するための糧にしなければならないのだと思っています。 終わってしまったパート長の僕が今目指すべきこと。 それは、また名大の長距離が強いチームに戻るために、そのためのシステムを作り上げること。基礎づくりをすることだと思っています。 パート長に立候補した時、理由は自分が本戦に出たいから、という独りよがりな考えしか持っていませんでした。 冷静に考えたら、最初からそのつもりでやるべきだったかもしれません。自分は、自分の世代での出場を最初から諦めるという大人な選択ができませんでした。 自分の4年間で、なぜ予選突破できなかったかを考えることがあります。僕の4年間は2年生から今年まで3回、枠が2つありました。それなのにダメだったのは、もちろん自分が努力不足だったと思いますが、在籍中の状況も運が良くなかったと思います。主にライバルチームの強化状況や戦力状況ですね。名大の状況も少し含みます。こういったことは、正直どうしてもある程度の運が絡むものだと思っています。つまりは、諦めずに本戦を目指していれば、いつかは今以上のチャンスが訪れるのではないかと思います。 残りの期間ですが、これまでのやり方は変えて後輩を巻き込みながらこれからのチームを考えていこうと思っています。どうか今いる後輩たちが全日本の本戦を走ってほしいというのは、今の自分が走るモチベーションの一つになっているかもしれません。 僕自身、大学陸上においていつでも全日本大学駅伝を念頭にやって来ました。それまでで感じたことを、ここまで長々と書きました。結局当たり前なことを大げさにしているだけだと思っていますが。 毎度不安になるのでいっておきます、全て僕個人の思っていることです。不快な気持ちになられた方がいらっしゃったらごめんなさい、、、 書き方がアレなので、何か切ない感じのテンションの文章になってしまっているかもしれません。 書いておこうと思ったことがもういくつかあります。 何年後のチームがどうこうばかり書いていたり、自分たちを「終わった世代」だとか書くのは我ながら競技者としてどうなのかと思います。 もちろんまだ競技をやめるわけではありません。 それでもこれほどまでに真剣に陸上に取り組めるのは今年がおそらく最後です。 その期間のうちに、一陸上競技者の僕個人として達成しておきたいことが二つあります。 一つ目は、自己ベストの更新です。 最終的にはなんとしてでも超えたいと思っている目標は、 5000m 14′28″79 10000m 29′55″29 です。 何の記録かって深い意味はありませんが、強いていうなら僕にとっての超えるべき”壁”なのです。 さらに欲を言えば、内田みたくこのサイトの自分の自己ベスト欄を全て緑色にしたいです。1500mと3000mSCはもう更新できました。そして上の目標が達成できたとしても、800mが鬼門になりそうです。 そして二つ目が、七大戦で活躍することです。 やっと七大戦の話に入ります。 長距離パートの歴史には全日本大学駅伝が大きく関わっているのと同じように、部の歴史には七大戦が大きく関わっているように思います。こちらも一回大会から結果が記録されていて、これに関してはOB会ホームページの「陸上競技部の歴史」というところで見られます。昔は東大と京大が圧倒的2強だったようですね。名大は今まで3回優勝したことがあります。 僕はありがたいことに過去3回出場させてもらってますが、2年連続長距離種目無得点というこれまた暗黒の歴史を作ってしまいました。しかも片っぽは名大が総合優勝した年で、露骨に足を引っ張りました。 対抗戦うんぬんの話はインカレの時に詳しめに書いたので省きますが、最近は全日本から遠ざかってしまった時代と少し重なって、「対抗戦で長距離が足を引っ張ってしまった時代」でもあります。 悔しくて情けない、申し訳ない思いをたくさんしました。最後になる今年こそは、むしろ長距離が得点を稼いで、総合の目標に大きく貢献した年にすること。これを何としても達成し、今までの贖罪をして対抗戦を終えたいと思っています。 今年は5000mと3000mSCに出場します。 なかなか厳し目な兼ね方だと思っていますが、両種目得点を狙っています。 お昼頃に3000mSCを走って、夕方前に5000mです。 3000mSCは優勝を狙います。 思えば去年はまだ始めたばかりでわんちゃんを狙っての出場でした。点が取れたことと記録がよく伸びることで楽しくなってしまい、それからはガンガン出場してきました。去年からハードリング技術はあまり上達していませんが泣、記録は伸ばせてきたのでしっかり勝負のレースをして来たいと思います。 5000mは正直どうなるかわかりません。 今まで一日2レース走ることはよくありましたが、3000mSCと他の何かを同日に走ったことがないので、どのくらい影響があるのか想像がつきません。それでも記録では得点圏内にいるので、厳しいレースになるとしても何とか粘って得点したいと思います。 思えば去年は、ミスれば3年連続長距離種目無得点という壮絶なプレッシャーを抱えた中でのレースでした。院生やOBの先輩方からのプレッシャーを自分の中で無駄に肥大化させてしまっていました。 当事者の選手たちには本当に申し訳ないのですが、正直自分が点を取れなかったらもう無得点だろうと思っていました。仲間を全く信用していないクソ野郎ですね。 その結果、3000mSCでは6位の選手に張り付く極度のチキンなレース運びをしてしまいました。結果的に点が取れたので良かったのかもしれませんが、とにかく6位になって1点を確保することしか頭にありませんでした。 去年は戦力分析において自分は得点できないとされていましたが、今年はたくさん点を取ってくる計算になっています。しかし、パート長になって見方が変わったからなのかわかりませんが、去年よりも変な緊張をしていないように思います。もし自分がミスっても勝田か森川が点をとってくれるだろうと本気で思っているからです。もしかしたら佐藤や森下が下克上することも0ではないと思っています。 今年はしっかり後輩たちを信用して、自分は自分のベストを尽くすことに集中したいと思います。 各選手全力で走りますので、応援のほどよろしくお願いいたします。 以上です。 これで3000mSCレーンは終わりです。 全部読んでくれた方、すいませんでした。お疲れ様です。 当日は暑いと思いますが、体調に気をつけながらまずは楽しみましょう! その上で、部員全員で勝ちを狙いにいきましょう! |
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