中長ブログ - 最新エントリ

最新エントリ
2021/02/26
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 自然対数 (20:27)
安井さん、ブログパスありがとうございます!

更新が遅くなってしまい、大変申し訳ございません。

まずは簡単に自己紹介をしておきます。

名前:大久保 信哉
学部:理学部
種目:400m,800m,(1500m)
出身校:浜松南高校(静岡)
出身・居住:静岡県浜松市

新入生レーンを書いていなかったので、自己紹介とともに最近感じたことや自分の考えについて書いていこうと思います。時間がある人はぜひ読んでいってください!
(かなり長いので(約1万字)途中で飽きたら読むのをやめてもらって構いません。)
(細心の注意を払っていますが、誤字・脱字があるかもしれません!先に謝っておきます!すみません!)
(大量のレポート課題が終わってすぐなので、固い文章になっている部分が多いかもしれません。どうか温かい心を持って読んで欲しいです!)



陸上を始めたきっかけ


 私は、小学生の時から地元の少年団でサッカーをやっていました。小学校の頃は主に左サイドバックでプレーをしていました。自分のチームは中々強く、市内で上位に入るほどでした。そのような上手い選手たちが多い中で、私は頑張ってレギュラーとしてプレーしていました。中学に上がる時、少年団の多くの周りの仲間はクラブチームに入り、自分もクラブチームからのオファーがあったものの、家から練習場までがかなり遠かったため、入学した中学のサッカー部に入部しました。

 入部当初は試合に出れてはいませんでしたが、1年の後半くらいからレギュラーとして試合に出れるようになりました。小学生の時のポジションはサイドバックでしたが、中学からはセンターバックとしてプレーしていました。(おそらく成長期に入り、身長がこの頃にはすでに170cm以上あったからだと思います。)私のサッカー部の顧問はかなりすごい人で、静岡県の選抜チームの監督でした。したがって、とても厳しく、練習もかなりハードで、夏なんかは午前中試合があった後の午後はずっと走らされたりしていました。合宿なんかは本当に地獄のようでした。しかし、このおかげでかなりの根性がついたのも事実です。今ではとても感謝しています。さらに、サッカーというのはとても治安が悪いので、相手から、「死ね」とか「殺す」とか言われる事がよくありました。面白いのが強豪校ほど口が悪いのです。そのようなこともあり、かなり精神が強くなったと思います。(サッカーの治安の悪さを経験した自分からしたら、陸上の治安の良さにはとても驚きました。)

 中学のサッカー部は正直そこまで強くはありませんでした。というのも、新人戦や練習試合では勝っていたチームであっても最後の大会では、あっさり負けてしまうことが多く、本番に弱いチームでした。その中で、陸上と出会うきっかけが2つありました。1つ目は、「箱根駅伝」でした。箱根駅伝という存在については、小学校の頃から知っていましたが、中学になって見た、箱根駅伝は僕の心の中に今でも残っています。特に、第89回大会の早稲田と帝京の最後の4位争いのデッドヒートはとても印象的でした。私はこれを見てとてもかっこいいと思い、私も駅伝を走りたいと強く思いました。2つ目が中学の頃の「駅伝部」でした。箱根駅伝の影響で、サッカー部引退後はすぐに駅伝部に入部しました。私は、サッカー部引退の直前に腰の疲労骨折を発症していて、最初の方は練習に参加できていませんでした。しかし、怪我が良くなってからは、みんなに追いつくために周りの何倍も走り込みをし、最後の駅伝大会で走ることが出来ました。1.7kmとかなり短い区間でしたが、襷をつなげたのはとてもいい経験でした。

 そして、私は高校に入学し、陸上部に入部することを決めましたが、多少の葛藤はありました。3年生の時に受けた浜松の選抜チームへの選考会があり、私はこれで落ちたら高校ではサッカーをやめようと思っていました。かなり自信はありましたが、結果は不合格。この時、高校では陸上をやろうと決心したのですが、高校を選ぶ時に、何校からかサッカーでのオファーがあることを聞き、少し心が揺らぎました。悩みはしましたが、やっぱり高校では陸上競技をやりたいという思いが強く、推薦を断り、勉強で高校に入学しました。こうして今まで約9年間やってきたサッカーをやめ、高校から陸上競技を始めることにしました。



高校時代の陸上生活について


 高校入学後、すぐに私は陸上部に入部しました。私が入学した浜松南高校の陸上部は強豪校という事はありませんでしたが、男子の4継が東海大会に進出するくらいの実力はある高校でした。しかし、顧問の先生はかなり棒高跳びで有名な人でした。特に、その息子(以下、コーチ)は現棒高跳びの総体記録保持者で、全カレでも優勝経験のある人でした。そのコーチには2年の後半から指導をしていただいており、今でもいろいろな相談を受けてもらっています。話が逸れてしまいましたが、その顧問に私は、5000mを中心に競技をしたいと言っていました。しかし、その2週間後に、「お前は400をやれ。絶対に速くなる。」と言われました。この時、とても驚いたことを覚えています。結局、私は800mを中心に、400mもやるということにしました。400と長距離の間ということで。(実際には間じゃないですけど…笑笑)

 最初の大会では、400mは58秒、800mはスパイクも履かずに走って、2分15秒だったのを覚えています。とても遅かったです。こんな感じで、1年生の間は全然記録は伸びませんでした。自分には才能がないと思い、何度も辞めたいと思いました。しかし、こんな時にいつも励ましてくれていた2つ上の先輩がいました。その人は、総体の200mで全国7位にもなった人でした。家が近かったため、よく部活終わりに一緒に帰っていました。その時に、よく「お前は身長もあるんだし、努力を続ければ絶対に速くなれる。」といつも言ってくれていました。私はその言葉を信じ、走ることを続けました。その人には練習での向き合い方についても学びました。普通メニューの中で決められた本数が終わったらメニューは終わります。しかし、その人は、最後の人が終わるまで、ずっとメニューを続けていたのです。強くなる人は知らない内に、ちょっとした努力を積み重ねているんだなと感じました。それから、私はその人が卒業するまで、できるだけその人の真似をして、色々なことを学んでやろうと思いました。そして、2年になって、400mは52秒、800mは2分1秒くらいまで自己ベストを伸ばすことが出来ました。2年生の冬季練習に入ってからは、前述のコーチの厳しい練習に耐え、3年の春には400mは49秒、800mは1分58秒で走るようになりました。

 そして最後の総体。地区予選では決勝で足をつってしまったものの難なく突破し、県総体に駒を進めました。県総体本番の1週間前の600mTTでは82秒で走れるほどとても調子が良く、目標の東海大会にもいけると感じていました。大会本番、予選はスローペースで、ラスト流して自己ベスト近くでゴールしました。そして準決勝。私は正直あまりアップができていなく、予選の時より足が重く感じていました。スタートするとすぐに、藤枝明誠の橋本(国体2位)に風除けにされました。高身長の弊害です。準決もスローペースで、結局前半でスタミナを削られた私はラストスパートで勝てず、結果組で5番、決勝には進めませんでした。敗因はレース展開とアップの不完全さでした。とても悔しかったです。東海に行けなかったのもそうですが、とても調子が良かったのに自己ベストも出せなかったことも悔しい気持ちの一つの要因でした。

 県総体の後も7月まで競技を続けました。最後の県選手権では、西部地区の高校生で唯一の決勝に進出することができましたが、結果はビリ2位。自己ベストも更新できませんでした。大事な大会で結果が出せない自分、練習では調子良く走れるのに試合になるとベストな走りができない自分がとても悔しかったです。後悔が残るかたちで高校での陸上生活が終わってしまったので、絶対に大学にいっても陸上競技を続けようと決心しました。



1年間の浪人時代


 私は、高校の陸上部を7月の中旬に引退しました。その後から受験勉強を始めたのですが、正直全然勉強しませんでした。というのも、当時の私には特に行きたいと思う大学がありませんでした。結局、私が通っていた高校(いわゆる自称進学校)では地元の静岡大学へ行けとよく言われていたので何の疑いもなく志望校を静岡大学にしていました。模試では、大体A判定、調子が悪いとC判定という感じでした。しかし、どんどん入試が近づくにつれて判定が悪くなっていきました。不安が募りながら迎えたセンター試験本番。結果は過去最低点。正直、1日目の夜に答え合わせをして悟りました。センター試験が終わり私は半分浪人を覚悟していました。しかし、親も担任の先生もまだ諦めるなと励ましてくれていたので、現役で受かることを諦めずに勉強を続けましたが、結果は前期後期とも静岡大学不合格。記述は得意でしたが、流石にセンターの大失敗がかなり足を引きずりました。結局浪人することになりました。陸上競技を再開するのが1年遅れるのはとても悔しかったことを覚えています。
 
 浪人する時、浪人して静大じゃちょっと物足りないと感じ、志望校を東工大・阪大・名大まで上げました。現役時はろくに受験勉強なんてしていなかったので、ポテンシャルはあると信じていました。浪人中は夏までカフェでバイトをしながら参考書代を稼いでいました。正直模試の結果は1年を通していい感じでした。名大に関しては記述ではほとんどA判定でした。しかし、浪人というのはめちゃくちゃキツかったです。私は大手の塾に入っていては周りと差をつける事はできないと考えました。偏差値を爆上げするためには自学自習していくしかないと考え、個別指導の塾に入っていました。よって特にバイトを辞めた後なんかは、(浪人中に友達ができる事はほとんどなかったので、)ほぼ喋らない日も少なくありませんでした。それでも受験勉強を続け、11月の河合塾の記述模試では数学と化学では偏差値75近くを叩き出すことが出来ました。現役時の偏差値は55もなかったので、20以上上がりました。その勢いのまま苦手なセンター試験も何とか名大のボーダーくらいは取れました。その後も、早稲田には落ちましたが同志社には余裕で合格し、本命の名大についても合格を勝ち取ることが出来ました。

 私にとってこの1年間はとても厳しく、孤独で、苦しいものでしたが、今となってはとても貴重な経験であったように思います。浪人したおかげで、頑張ることの大切さを学ぶことが出来ました。あの1年を経験したことで、これから現れる厳しい現実に対しても何となく乗り越えていける感じがします。1年間周りに助けられながらも、自分一人で様々なことを行なっていくことで、自ら行動していくことの重要性について学びました。この経験は自然と今後の人生に活きてくると考えています。今後の陸上人生でも活かしていけるようにして行こうと思います。



山の上陸上競技部への入部から今に至るまで


 名古屋大学の二次試験が終わった次の日からすぐに私は走り始めました。最初は自分の体とは思えないほど体が重く動きませんでした。受験のストレスからか、体重は7kg近く落ち、筋肉も減っていました。まずは基礎体力の回復を目標とし、長めのジョグと筋トレを行なっていきました。しかし、コロナ禍でオンライン授業ということもあり、なかなかモチベーションが上がりませんでした。そこで、Twitterで名古屋大学陸上部の新入生募集のツイートを見つけたのですぐに入部届を提出しました。初めて中距離パートの先輩たちとズームで顔合わせをしたときは、すごいクセが強い人が多いなと感じ、少し安心しました。それにより少しモチベーションも上がり、オンライン授業と塾講師のバイトの間を使って徐々に近くの競技場に行くようにし、個人練習を積んでいきました。しかし、8月の始めの前期の期末試験が始まり、生活習慣が乱れてしまってからは中々陸上に身が入らなくなりました。その後の夏休みはバイトが忙しい中でも午前中はできるだけ練習を行なっていくことを意識していきました。

 夏休みが終わり、10月に入りようやく中距離パートの練習に参加できることになりました。初めて先輩や同期と走った時のことはとても覚えています。個人で半年近く練習してきましたが、それよりも何倍も質のある練習ができたように感じました。ちょうどその時の練習が600mTTでした。私は一泡吹かせてやろうと思い、かなり意気込んで走りました。ラスト120mでスパートをかけ1番でゴールしました。正直めちゃくちゃ嬉しかったです。しかし、その1週間後の秋季記録会では、全く記録が出ませんでした。組が悪かったり、全然調整できていなかったりと色々ひどい結果で終わってしまいました。
 
 気持ちを入れ替え次の日から11月の下旬にある地元の浜松での月例記録会に向けて質の高い練習を積んでいくことにしました。同期の仲間たちに色々手伝ってもらいながら調整もうまくいきました。直前の600mTTでも84秒まで戻すことが出来ました。そして迎えた試合当日。アップでも特に問題なくこれは行けるぞと思いました。しかし、レースが始まると前半から中々足がうまく回らない感覚がありました。そして2週目に入ってから集団から離されてしまい、結局後ろから2番目でゴール。記録も2分2秒と散々でした。動画を見返してみても、かなり動きが固かったです。原因を考えると、調整の方法にあると感じました。私は直前2週間の調整を高校時代の時の調整方法を参考にしていました。しかし、普段の練習が変化しているのに調整はそのままというのはあまり良くなかったのではないかと感じました。練習や生活の環境に合わせて、調整の方法に関しても変化を加えていかなければならないと感じました。

 その1週間後の中距離パートでの800mTTに関しては走るつもりはなかったのですが、のぶさんに煽られて出る羽目になりました。ほとんど調整はせずに本番を迎えました。私は初めから引っ張る宣言をしていました。その通りに、1週目は56秒で先頭で通過しました。550mくらいまでは先頭で粘ってましたが、安井さんに抜かれてしまい万事休すでした。しかし、先頭で引っ張るというレースは高校時代はしたことがなかったのですが、先頭でのレース展開の中で、2分フラットで走ることが出来ました。タイム的には物足りなかったのですが、大きな収穫となりました。

 それから私は先頭で引っ張るということに味をしめました。というのも、私の中には「勝つ時は完膚なまでに勝つ」というモットーがあります。そのモットーにぴったりの勝ち方が、800mでは先頭で引っ張って、最後まで敵に前を走らせずにゴールすることであると考えました。800mTTの後の練習からは常に先頭で引っ張るようにしました。そのことでいいことが多くありました。
先頭で走ることで、精神的な部分が鍛えられます。さらに、ペースをしっかりと合わせなければならないので、ペース感覚というのも自然と身についていきます。1年生ながらも先輩を引っ張ることは中々緊張しますが、自分の力を伸ばしていくためにも継続して行なっていきました。

 2020年最後の練習は雨の中の600mTTでした。中々調子は上がっていませんでしたが、全力で走りました。この時も先頭で引っ張ってやろうと考えていましたが、これまた安井さんに先頭をとられ、そのままゴールされてしまいました。結局タイムも84秒と中途半端なタイムで終わってしまいました。終わった後はまだ余裕があり、出しきれずに終わってしまったという感じでした。かなり悔しかったです。

 それから年始の練習再開まで年末年始もしっかりと練習を続けました。母校の練習にお邪魔させてもらったり、同期の仲間達と浜松の浜まできてもらい一緒に練習したりと工夫をしながら練習を続けました。そのおかげで、2021の練習再開にもいい感じで向かっていけました。

 最近ではもっぱら先頭で引っ張っています。いつも中距離の練習で変な格好で先頭を引っ張ってるのが私です。色々な友達をどんどん作っていきたいので、いつでも気軽に話しかけてください!



400m、800mに加えて1500mも


 最近練習の中で、「俺って1500m向いてるんじゃね?」って感じることがあります。1200mとか1600mみたいな練習の時、かなりいい感じで走れることが多いです。私は高校では400m、800mを中心に走っていたので、中々未知ではありますが、大学では1500mも走ってみようかなと考えています。なにか1500mで勝つためのコツなどがあれば、なんでも教えてほしいと思います!


 
 競争することの楽しさ


 先日、中距離パートのミーティングの中で、「陸上をやる意義」について考えることがありました。改めてなんで陸上をなんでやっているのかを考えてみると最初は走るのってかっこいなとか思っていましたが、最近思うのは「陸上競技は勝敗がはっきりしている」ということです。私は競い合うこと、勝敗がはっきりしている物事が好きです。それなので、自分の性格を考えても陸上競技というのは自分にあっているなと感じました。そう考えると、「どんなスポーツでも相手をはっきりとわかる形で勝てれば良いな」と考えることもあります。例えば、卓球やテニスなども1対1の勝負であり、勝敗がはっきりしています。私は部活を全力でやるために大切なことは、まず第一に「勝つこと」と考えてしまいます。私はタイムよりも相手に勝つことが大前提と考えていて、自己ベストを出すために走るというよりは、相手に勝ち、その上で自己ベスト、タイムがついて来ると考えます。ですので、走ることが好きで陸上をやっているっていう人を見るとすごい尊敬します。私はこんなにきついスポーツを好きでやっている人は本当にすごいなと思います。私に関しては、絶対に倒したいライバル(私は一方的にライバルと思っていますが…)がいるので陸上を今も続けています。そのライバルを知りたい人は、ぜひ僕の部員紹介を見てみてください。



カイジの影響


 しかし、なぜここまで私が競争することを好むのかと考えてみると、おそらく「カイジ」という漫画の影響があると思います。この漫画はもっと上の世代の人に人気があるのですが、私は小学生の頃から読んでいました。かなり刺激の強い漫画を小学生の頃から読んでいたので今ではその影響か、かなり偏った考えを持つようになってしまいました。しかし、カイジの中に書いてあることのほとんどは(中には暴論・極論もありますが、)とても人生の中で役に立つような正論がたくさん書いてあります。今後社会に羽ばたいていく人にはとてもためになる漫画であると感じるので、ぜひ読んでみてほしいです。(私は現在出版されている全巻を持っているのでいつでも貸し出します!)



教育の重要性

 ところで、皆さんは教育というものにどのくらい興味を持っていますか?私は1年間の浪人時代の大学受験の経験、大学での教職の講義を通して、教育というものの社会の中での重要性や奥深さについてとても考えさせられました。いずれ結婚して子供ができることを考えている人は教育について必ず考える時が来ます。人を育てるということの責任について今一度考えてみてほしいと思います。私も最初は、理学部数理学科に入り、過去の偉人たちが作ってきた数学というのを堪能できればいいかなと思い、大学に入りましたが、今では教職の講義を通してその考えは二の次になりました。以下は、私が教職課程の講義の中で「教育の意義」について書いたレポートの一部です。改めて教育について考えるきっかけになってくれれば幸いです。


 教育とは、「人生の価値に考え続け、それらを社会に還元していくためのもの」であると考える。この世の中には人間では答えを出すことのできない問題がたくさんある。その中の一つが「なぜ人は生きるのか?」ということである。この質問に具体的かつ一般的に答えを出す事はこの複雑化した社会の中では不可能に近い。しかし、このことを考えながら生きていくことが重要であると考える。つまり、「この質問に対してはっきりとした答えを個人が持ち続ける、人生の価値について考え続けることが『幸せ』に生きていくための一つの考え方である」ということである。しかし、考え続けるためには、考える方法を知らなければならない。ある物事についてどのように思考していくか、つまり、何をどのように学んでいかなければならないのかということを知らなければならない。その役割を担うものが教育であると考える。

 ここで、考え続ける事は学び続けることというように言い換えることもできる。そこで、人生の中で様々な学びを続けていくためには「経験する」ということがとても重要になってくる。このように考えていくと、ロックの言うような生得観念を否定した経験論の重要性が分かってくる。しかし、人生の価値に対して、考え、学び続け、経験を重ねるだけではただの自己満足で終わってしまう。ここで、現代の世の中には「社会」というものが存在する。社会は進化を続けるものである。この現代の社会を考えると、自分で考えるだけでなく、その考えについて他者に対して発信していくことが重要であると考える。そこで、どのように他者に発信し、自分の考えや発想を社会に還元していけば良いのか享受することについても教育の役割であると考える。

 アインシュタインは「他人に尽くすことが、価値のある人生」と語っている。「人生の価値について考え、様々な方法で、そのための行動をし、社会に還元することの重要性について教えること」が教育の重要な役割であると考える。



努力に対する考え


 ここまで読んでくれた人の中でこう思った人はいるのではないでしょうか?「なんでこいつはこんなに書いてんの?」それは、私は「よく分からないない努力が好き」だからです。私はなりたい自分になるための努力に関しては人の何倍も努力をするようにしています。しかし、そこに直結しないような努力には中々気が向かない性格です。ですが、それよりもよくわからない、皆がやらないような「絶対にそこじゃないやろ!」みたいなものを全力でやることがとても好きです。それなので、今回のブログに関しては、授業のレポート並みに頑張って書きました。ここまで読んでくれた方にはとても感謝しております。ぜひもう少しお付き合いください。



 今後の目標


 最後に私の山の上陸上部員としての目標を書いて、終わりにしようと思います。私の目標は大きく分けて3つあります。

 一つは、「日本インカレに出場」することです。やはり私は「勝利」がほしいと思ってしまいます。勝つために全てを犠牲にするというわけではありませんが、いつでも勝利に貪欲でいたいと思います。今の自分の力とポテンシャルを考え、全カレに出場することも夢ではないと思っています。しかし、それが夢で終わってしまうか現実になるかは今のこの一瞬一瞬の生き方で変わると思います。確実に後悔の残らないような生き方をしていこうと思います。

 二つ目は「単純に速くて強い選手になる」ということです。

「お前足速いな!」

これはよくのぶさんに言われる言葉です。「足が速い」って中々陸上をやっていると言わなくないですか。私はこのような疑問を持つとともに、単純に足が速ければ試合のような勝負でも勝てるということを改めて考えました。「完膚なきまでに勝つ」ということを考えると、足が速くなれば距離関係なく勝てます。どんな距離でも速く走れる選手が強い選手のようにも感じます。「速くて強い選手」を目指して日々精進してまいります。

 最後の三つ目は「中距離パートにより勢いをつけていく」ことです。中距離というと「陸上競技の中で最もきつい種目」と言われることもあります。確かに練習もめちゃくちゃきついです。だからこそパートの中で互いに励まし合いながら、メリハリをつけていかなければならないように感じます。練習では、お互いにそれぞれの欠点を認め合い改善していき、競い合っていくことで実力をつけていく。それ以外の場所ではチームの仲間意識を強くしていくようにする。中距離のきついメニューをこなしていくためにはお互いの関係がとても重要になって来ると思います。私には好きな言葉があります。それは、

「一蓮托生」

です。しっかりと中距離チームを先輩や同期たちと共に活気の良いパートにしていければ良いと考えています!



最後に

 ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。正直中々大変でした。主に浜松の実家から大学までの新幹線の中で仕上げました。おそらく支離滅裂な部分や誤字脱字があるかと思いますがそこのとこは温かい気持ちで読み流して頂き、後日私にお伝えください。また、「ここ面白い」とか「ここ意味わからん」とか「こいつ何言ってんの」とか意見があればぜひ直接話してください。私は大体中距離パートの中で変に派手な格好をしているのですぐにわかると思います。気軽に話しかけてください!

 今後ともよろしくお願いいたします!



 卒業生レーンを開設いたします!



  中距離→かじゅさん
  男子長距離競歩(学部生)→崇先輩
  女子長距離競歩→えり先輩
  男子長距離(院生)→飯田先輩

  よろしくお願いいたします!
2021/02/08
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 安井遥祐 (13:48)
天池さん、喜古ちゃんブログパスありがとうございます。
長い間止めてしまって申し訳ありません。テスト勉強が一段落したのでブログを書かせていただきます。


久しぶりなので自己紹介を

と思ったのですが、自分が自己紹介に書けるような特徴を持っていないことに気づいてしまったので割愛させていただきます。
気になる方はHPでも見ておいてください。HPは部員紹介や歴代記録など、いろいろなことが書かれていて結構面白いですよ。


ところで、皆さんはテスト週間いかがお過ごしでしょうか。
僕はこれまでサボってきた授業の復習のツケを払うために睡眠を削って勉強に勤しんでおりました。仮眠を挟んではいたのですがちゃんとした睡眠はとていなかったので、1日が終わった気がせず、240時間くらいある長い1日を過ごしているようでした。72時くらいまではずっと深夜テンションで楽しかったのですが、そのあとはただの地獄でした。目覚ましの幻聴とか聞こえてましたし。
普段からちゃんと勉強していればこんな頭の悪いことはしなくて済んだので、同じ過ちを繰り返さないよう、ブログに書き込んでネットに垂れ流すことで自分への戒めにしたいと思います。


ここからは陸上の話を。

昨年は活動がかなり制限されていた上に、僕自身のモチベーションもあまり高くなかったので大会に一度出場しただけで終わってしまいました。しかも結果は2分0秒と七大戦対抗に出たとは思えない記録でした。
しかし、ここまで落ちればもはや失うものなど何もありません。体を"戻す"ではなく"一から作り直す"という意識に切り替え、今年はガンガン攻めていきたいと思います。天池さんも言っていましたが今の中距離パートには勢いがあるので、その勢いに乗りつつ、後押しもできるような選手を目指します。今年こそPB更新したいですね。今年のコロナがどうなるかはわかりませんが全員で頑張っていきましょう。



それでは、かなり短いですが文章を書くのは苦手なのでこのあたりで終わろうと思います。

次はなぜか新入生レーンを書いていない大久保信哉くんに回したいと思います。お願いします。
2021/01/18
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: hibiki (14:27)
ひなちゃん、バトンパスありがとう!
そして、みなさん、更新に時間がかかり申し訳ありません。

11月に入部し、早2ヶ月。まだまだ分からないことだらけですが、グラウンドで顔を合わせているであろう先輩方、そして同級生にむけてまずは簡単に自己紹介をさせていただきます。

名前:喜古 響(きこ ひびき)
所属:工学部環境土木建築学科 1年
種目:中距離
出身:茨城県日立市

先ほど早2ヶ月と言いましたが、この2ヶ月で既に数回脚を痛めてしてしまっています。というのも、春先から入部を迷っていたものの決心がつかず、その間にjogしかしてこなかった私の身体は既に高校時代のものとは全くの別物になっていたからです。

ここで高校時代の話を少ししたいと思います。
私の母校は全国高校駅伝に過去32回のうち23回出場しており、走ることが好きで好きでたまらなかった当時の私が脇目もふらずに決めた学校です。(家から近いなんて動機があったことはこの際隠しておきましょう)
中3の冬から高校2年の半ばまで、都大路を目指し練習に明け暮れました。
関東の誇りディズニー、女子高生の鉄板Instagram、流行りのタピオカ、恋…その他諸々を諦めて走っていたわけですが、何よりも練習をきっちりこなせることが幸せでした。(今では監督が魔法をかけていたとしか思えません)
都大路を自分の脚で走る夢はとうとう叶いませんでしたが、チームとして2度訪れた京都の大舞台はどんな旅行より素晴らしいものでした。

しかし、いくら走るのが好きだとはいえ引退した(魔法が解けた)時にはもう十分だな、走りたくないなと思ったものです。
それが今このブログを書いているのですから、人の気持ちは本当に不思議です。
山の上に初めて訪れた時、正確には陸上に恋しくなって訪れてしまった時、こうなる予感がしていました。(勝手に名前をお借りして申し訳ないですが、圭先輩の存在もとても大きかったです!)


中距離パートの皆さん、散々迷っていた私を温かく迎えてくださり本当にありがとうございます。まだまだ体力の戻すための練習が必要な私ですが、明るく笑いの絶えないこのパートで練習を重ねていくのが楽しみです。
山の上陸上競技部の皆さん、これからよろしくお願いします!!

天池先輩が回しているので指名はしません、安井先輩お願いします!
2021/01/06
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 天池駿介 (18:37)
あけましておめでとうございます。
日菜子ちゃんブログパスありがとう!これからよろしくね〜

自己紹介 
名前:天池駿介 
学部学科:理学部化学科 
役職:中距離パート長 
ハマってること:すき家 スキパス強すぎ 


まずは新年ということで、抱負からいきます。僕の今年の抱負は

「強く、勢いのある中距離パートを作る」

です。これはパート長になる時に掲げた目標でもあり、これさえ達成すればパート長の仕事は果たせたことになるかなと思っています。

進捗はと言いますと、勢い◎強く△です。勢いの面では、個性際立つ後輩に恵まれたのもあり練習中はバチバチ、他ではワイワイといったメリハリも勢いもあるなか活動できています。後は今年の大会でイケイケな中距離パートを披露するだけです。

一方で強くの面では、今季唯一の公式戦であった秋季ではコロナ明け1ヶ月でパート練も週一でしかできなかったのもあり全員凡走となってしまいました。しかし冬季練習では、着実に練習のレベルが上がってきており年末600t.t.では全体的に良い走りで見ていて楽しかったです。特にゆうたがベストを約2秒更新する走りには痺れました。これからはメンバーに適宜ヒアリングしながらよりよいメニュー作りをすると共に、パート長としても強い中距離パートの一端を担えるよう頑張っていきます。

ここまでパート全体の話をしましたが、個人としては12月頭で膝周りをやってしまいリハビリ中です。最近は1時間以上のjogでも足が痛むことは無くなってきたので再発しないよう補強を続けると共に、12月の遅れを取り戻せるよう頑張って行こうって感じです。パート練習楽しみいいいい

次はゴリゴリマッチョ(になってる予定)の安井に回します!成人式楽しんで〜
2020/12/30
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: ひなこ (08:48)
お疲れ様です。琴子先輩ブログパスありがとうございます。初めまして。中距離1年の仲日菜子です。11月に入部したばかりで、初めましての方もたくさんいるので簡単な自己紹介をします。

名前  仲日菜子(なかひなこ)
学校  金城学院大学 人間科学部 コミュニティ福祉学科
種目  中距離
性格  最初は人見知りですが、慣れたらたくさん話します
バイト先  場所は違いますが、琴子先輩と同じ映画館

ブログというものを書いたことがないので、初めてで何を書いたらいいのかわかりませんが、私が大学でも陸上を続けようと思った理由、また入部してみて思うことを書きたいと思います。

中学3年生から陸上部に入部して、高校3年生の夏、約3年半陸上に力を注いできました。中学3年生から高校2年生まで県大会に進んだり、県駅伝にオープン参加で他校から声をかけていただいたり、タイムもよく練習もこなして順調な陸上生活を送ってきましたが、高校2年の冬に手術をしてから、あまりいいタイムが更新されず、そのまま引退という形になりました。なので、大学でも陸上を続けるか迷いましたが、母校の練習に参加したり、課題の息抜きにジャグをしたり、中高時代の青春を陸上に捧げてきたので、離れることができず、入部しました。引退してからガッツリ走ったのは1年振りだったので、最初はとても緊張しましたが、山の上の中距離パートの皆さんはとても優しく、明るくて毎回の部活が楽しみで仕方ありません。同期の1年生もみんな個性豊かで一緒にいてとても楽しくて、落ち着きます。
陸上は選手同士が高めあって励まし合い、強くなるスポーツだと思うので、これからチームみんなで一緒に強くなりたいなと思います。

まだまだ完全に体力が戻ったとは言い切れませんが、徐々に戻していき、全メニューをこなしたいと思います。これからもご指導よろしくお願いします。

長くなりましたが、ここで終わります。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

次はいつもお世話になっている天池先輩と、同じ時期に入った1年生の喜古さんに回したいと思います。お願いします!
2020/12/17
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 渡部琴子 (18:51)
冨田くんブログパスありがとう!はじめまして。長距離4年の渡部琴子です。先日は東海学生駅伝お疲れ様でした。今年初めてのブログなので自己紹介をします。

名前 渡部琴子(ワタナベコトコ)
学校 金城学院大学 人間科学部 多元心理学科
種目 長距離
似ていると言われたポケモン チコリータ
バイト先 映画館

みなさんご存知の通り鬼滅の刃が大大大人気で10月中は毎日が土日並の忙しさでした。バイト先では映像チェックや清掃などもしますが、飲食の販売を主に担当しています。あの時期は油断してると食品の補充が追いつかなくなるので、社員一同全集中でポップコーンを作る日々でした。公開から1ヶ月以上たっても人気な作品なので鬼は恐ろしいです。

卒業レーンまでブログが回ってこないと油断していたので、数ヶ月前から卒業レーンに向けてのブログを書いていていたところです(笑)下書きしたら意外と長くなってしまったので、今回のブログ投稿の内容は私が本来卒業レーンで書くはずだった内容を前編、後編にわけて書きたいと思います。恐らく変な人と思うかもしれませんが、前編は山の上に入部するまでの出来事全てを書きました。良かったら最後まで読んで下さい。



前編
〜山の上に入部するまでの私〜

小学校
1学年5.6クラスある大きな小学校に通っていました。マラソン大会は女子100人ほどいる中で3年連続2位をとったりと運動は割と出来るタイプでした。陸上部の顧問の先生から声をかけて頂きそこで陸上をやった事がありましたが、あまり本格的なご指導を受けなかったのと、自分自身も受け身であまり学ぶ姿勢がなく、特に身についた事はほとんどなかったのでこの時陸上やっていたことはあまり人に話していません(笑)

中学校
中学ではバスケ部に入部しました。走る面では活躍していたり、体力賞を頂いたこともありました。体型に恵まれなかった事や団体競技の難しさも感じていたので、その時高校生になったら陸上部に入りたいなぁとなんとなく思っていました。

高校
しかし、その夢はすぐに終わってしまいました。進学した高校は陸上部の(というか部活全体の)レベルが高過ぎたのです。元々部活動に力をいれている高校だとは知っていましたが、陸上部に関してはスポーツ推薦者ばかりが集まっているという内部事情は入学後に知りました。私はこの時入学先の事をきちんと調べなかった事を深く悔やみ入部は諦めました。入学してすぐ自分の一つの夢が終わってしまった私はその後陸上の穴を埋める為に少しの間ジムに通っていましたが、すぐに他に頑張りたい目標や夢中になれる事が出来たので、ジム通いは長くは続きませんでした。しだいに陸上へのスイッチもきれ、大学生になって陸上をやる事を考えなくなり、残りの2年間運動は体育の授業ぐらいしかしませんでした。高校3年生の冬には、テニスの授業で次の日腕が筋肉痛になるくらいその頃には体力はとっくに落ちていました。体力は失いましたが、周りの友達と楽しく、勉強も頑張ったりとあとは平凡な高校生活を送っていました。






高校3年の3月、自分の中で思いもよらない出来事がありました。自分も高校を卒業し、周りの友人も卒業式ラッシュを迎えていた頃でした。中学の同級生が部活引退をインスタやTwitterに投稿したのを見た時自分の中で衝撃が走りました。


『辛くて大変だったけど、この部活にはいってよかった』充実さそのものが写真や文面から伝わりました。それはまさに自分が本来入学前に思い描いていた光景でした。

皆んな楽しそうで自分と離れてる間にこんなに充実した時間を送っていたんだ。その反面自分は部活に夢中になって過ごす高校生活ではなかったなぁ。だけどもう戻れないんだ。そう思うと辛くて辛くて嫉妬しました。思い出として何も残らない事は自分にとって、とてもとても辛いことなんだと気づきました。



こんな苦い思いを抱えたまま大学生になりました。でも、人生で1番体力の低下を自覚していたので陸上をやるか微妙でしたが、なんとなく行った山の上の新歓で陸上のスイッチが再び入り入部をしました。


とくに何も準備せずの陸上スタートだったので、始めた頃は一度失った体力を戻すのに精一杯な上、実績もなかったので色んな事を言われましたし、沢山の屈辱を味わいました。育生さんに認めてもらうのにも時間がかかりました。それでもやっぱり自分は走る事が好きで、私に陸上の基礎を教えて下さった育生さんのご指導の元新しい知識や経験を得る事に自身の成長、やりがいを感じられたり、優しい優しい周りの人の支えがあってここまで続けてこれました。本当にありがとうございます。感謝しかありません。

私が思うに長距離という種目は努力すればするほど結果に現れる種目だと思っています。今怪我や現状にもどかしさを感じている子も継続的に努力すれば必ずチャンスはあります。応援しています。



長くなりましたが、とりあえずここで前編終わりです。拙い文章になりましたが、最後まで読んで下さってありがとうございます。後編も楽しみにしてて下さい(笑)

では、そろそろ次に回したいと思います。私にも可愛い金城の後輩が出来ました。次は日菜子ちゃんお願いします!
2020/12/12
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: かった (21:50)
こんばんは、勝田です。
飯田先輩、改めてベストおめでとうございます!世代トップは河上先輩に逃げ切られちゃいましたが、この世代は15分前半に6人(浮津・柴田・飯田・河上・鈴木・一林)(敬称略)固まっていてアツいですね。(竹原さんどこ。。。)
Aチームの出走は初めてですが、去年のBアンカーで走ってる飯田先輩ならあの坂は余裕なはずです。宜しくお願いします。


はい、というわけで、無事、なんとか、名大として本番を迎える事が出来そうです。良かったぁぁ。。。
先週の○島大学のニュースをtwitterで見てから、いつ名大も出場停止になるかビクビクしておりましたが、もう大丈夫だと思います。
色々大変な状況ですが、開催して下さる学連の皆さん、審判の方々、本当にありがとうございます。配車して下さる部員・OBOGの皆さんも、ありがとうございます。
僕は明日は上寺さん(スマブラで後輩にイキリがち)に送ってもらいます。ありがとうございます。お願いします。
中長渉外の中島も、配車を振ってくれた佐藤副将も、色々大変だったと思うけどありがとう。


東海学生最終レーンです。てっきり國司さんが明日の朝投稿するんだろな〜〜と思っていたら、先越されてしまいました。


集合練習が再開でき、予選会があってからの約3ヶ月、初めは全体の活気があまりありませんでしたが、練習を重ねる内に段々と元気がでてきて、みんなの状態も良くなっていきました。
先月の東海大記録会ではPBラッシュ、先週土曜日のポイントではメンバー+αが集団で同じメニューこなす事ができ、チームとしては非常に良い状態だと思います。
國司さんのブログにもあったように、今年は國司さんは出走しないので、B1ーB3ーB4ーB3ーB2ーM2ーB1と、非常に若い(当社比)チームです。


僕もなんとか復活しました。寺島に煽られ、重田達に置いていかれながらも、ようやくうまく走れるようになってきています。
東海大記録会は散々な結果でしたが、明日は後ろに控える後輩達がのびのび走れるようがんばります。

塚本先輩からP長を引き継いで1年、僕がチームに対して出来たことは本当に少なかったです。しかし、それでも皆成長し続けて、来年の予選会突破に向け進んでいっています。
今回の目標は3位。相手も去年より強くなっていますが、勝ちに行きます。(心の中での)応援宜しくお願いします。

ではこれにて(緊張して全然書けないです許して)。twitter速報をお楽しみに!!!
2020/12/12
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: くに (15:21)
ミーティングお疲れ様です。國司です。
昨晩一度更新したのですが、内容が若干フライング気味だったので再度投稿させて頂きます。

ミーティングでも触れられていましたが、名大はメンバーの新陳代謝が一気に進み、新人たちの活躍にワクワクしてきますね。
と名大陸上部の老廃物並み感想でした。
もちろん熟成した飯田の走りも楽しみにしているよ!

先週くらいから、ちょくちょく部活に出没していますが、後輩皆さんの元気な姿が見られて嬉しく思います。特に、今日なんかは緊張気味の様子が初々しくて心が洗われるようでした(笑)
緊張を悪だと捉える人もいるかと思いますが、緊張感の裏には集中力の高まりがあると思うので、ベストパフォーマンスができるチャンスです。
緊張/集中の狭間をコントロール出来るようになると、本番に強い選手になれるので緊張感を上手に利用してみて下さい。


少し個人的な話を。
10月以降は完全に博士論文の執筆を競技よりも優先したため、東海学生駅伝は補欠ということで、学生ラストシーズンはあっけなく終了してしまいました。
僕自身がメンバーの枠を消費しない分、若手にチャンスが回るため決して悪い事ではないと考えていましたが、某有名駅伝ツイッタラー様のTweetを拝見したところ「今大会の私の出走を期待してくださっていたのかな…」と切ない思いを禁じえませんでした。
ただし、走る事を封印して研究に挺身した濃密な数か月は非常に有意義だったと感じているため、後悔はありません。
と博論や投稿論文が形になった現在は感じていますが、研究に追われていた日々は徹夜続きで「大学やめてぇ・・・」と毎日ストレスを吐露していました。理系の闇ですね(笑)
(今は少しだけ落ち着いていますが、また怒涛の修正作業が予想されるため、再び悪夢の日々が始まります笑)

まあ個人的な話を振り返りつつ何が言いたいかというと、有限の学生生活において、部活動を頑張る事が貴重な経験であることは当然疑いの余地はないのですが、学業・研究に挺身する事も同様に大事な事だと思います。
小林監督も仰っていましたが、スポーツでも学業でも後悔を残さないように、大学の恵まれたリソースをどんどん活用してみて下さい。



せめて最後に実用的なアドバイスを。
知多半島は非常に海風が強いコースで、特に4, 5区は向かい風が一番きついため、ペース配分を誤ると想像以上に体力を消耗してブレーキをおこしてしまいます。
序盤はかなりペースを抑えて後半ネガティブスプリットでいく事で最速で走れるのではないかと思います。
そして、7区は序盤の3kmのアップダウンでの脚への負担が非常に大きく、ここで力を使い過ぎてしまうとラスト4kmが地獄です。中間点を過ぎたあたりからの下り坂でペースアップできればゴールタイムを大きく伸ばせるので、こちらも後半勝負で行きましょう。
6区は走ったことがないので、ノーコメントで。きっと飯田なら大丈夫。
1〜3区は例年追い風が強いので、脳死で突っ込んでも終盤までなんとか踏ん張れます。森川も勝田も経験値があるので大丈夫でしょう。
以上。

それでは明日の駅伝楽しみにしています!!
頑張れ山の上!!
2020/12/11
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 恵理 (21:46)
こんにちは。椙山4年の青木恵理です。
椙山の皆回してくれてありがとう😊
凄くスムーズに回って来たから本番もこの調子で順調に襷が来るのを待ってます!

みんなが言ってくれている通り椙山は2年振りの出走となります。咲笑ちゃんと駅伝を走り続けて3回目。いつも人数ギリギリながら大学生活の内にこれだけ走れることにも感謝です✨

12月に入って愛用のアームウォーマーを紛失してしまいました。ワンチャン駅伝で使おうと思っていたので本日新調してきました。金欠の私に¥2500は痛手でした。こんなしょうもないミスが多く、自分のそそっかしさが心配になってしまいます。昨日もしみーと育生さんに「えりりんは惜しいんだよな」と言われたところです。今までは割としっかりしてるねって言われてきた子だったんだけどなぁ…

おっと。こんなポンコツエピソードはすぐに忘れていただいて…今年の駅伝に関して。
個人的に、大学3年まで学業を言い訳に中途半端な練習しかできていなかったと今となっては思って少し後悔していますがもう遅いです。
ただ4年になってみて、コロナのおかげで走ることだけは充実しました。これまでより自分の時間が増えて陸上に向き合う時間が増えました。また新しい環境に身を置き、新たなネットワークを築き楽しんで走ることも思い出すことが出来ました。陸上をする上で苦しい思いをすることは多かったです。しかし、今シーズンはそれ以上に楽しんで走ることの大切さと、皆と練習出来ることの尊さを再確認した期間でした。
特に私はここ2ヶ月、駅伝で8.1kmを走るための練習を積み重ねてきました。調整したガチレースとしては人生最長です。練習をしっかりこなすことは出来ましたがまだまだ不安と緊張でいっぱいですが、それも楽しんで程よい緊張感で本番も突っ走ります!

さいごに椙山のアンカーとして、、、
駅伝に向けてしっかり練習を重ね成長した、ほんわか可愛いもえぴ。
ケガと向き合いながらも努力を継続して、椙山のために率先して動いてくれたあやなちゃん。
絶対的に頼れるエース、ムードメーカーでもあり、頼りない4年を支えてくれた絢香ちゃん。
駅伝への想いが飛び抜けてる、苦しい時も努力を続けてくれたムードメーカー咲笑ちゃん。
この4人が繋いだ襷をゴールまで少しでも早く持っていけるように頑張ります。

真面目なブログになってしまいましたが、お許しを。
駅伝に向けて、学連の方、審判補助員、サポートなど多くの方のご協力に感謝して頑張ります。

現地での応援は規制されておりますが、チーム椙山の応援も是非、よろしくお願いします!!!
以上椙山レーンでした✨
2020/12/11
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 飯田康平 (13:32)
M2の飯田です。
予選会に続き鈴木(兄)からのブログパスです。ありがとう。
僕は確かに名駅にいましたが、それを見かけた彼は姿を見せずLINEのメッセージだけを残して去っていきました。いったい何をしていたのでしょうか。気になりすぎて木になりそうです。


今年も残すところ3週間ということで、2020年ももう終わってしまいます。早い…
さらに、この3週間に加えること約1ヶ月で修論の提出日がやってきます。つらい…
ですが走りの調子がいいときは研究も不思議と捗るという気がしているので、今回の駅伝では良い結果を残せるように頑張りたいところです。


今年度前半はせっかく就活が終わったのに試合もなく、何か空白の期間のような日々でした。今更ですがそれだけ自分にとって試合の存在は大事なものだったんだなあと改めて気づくことができたと思います。
やっとレースの機会をいただいた9月の予選会では、メンバー入りできたのはいいものの、準備不足感が否めませんでした。最低限昨年よりタイムは縮めましたが、チームに貢献できず、他大との差を見せつけられることになりました。
そんな状況の中、まとまって練習ができるようになってからチームの雰囲気や状態はどんどん良くなっていったように思います。僕もこの流れに便乗してかなり調子を上げることができました。

ここで一つ重田に倣い、僕も調子に乗って報告を挟ませていただきます。

先日の東海大記録会で5000mのPBを更新しました!(ヤッタネ!)
練習内容からするとこのくらいは出るかなあとは思っていましたが、これまでのように後半失速してしまうんだろうなと考える自分もいて、走り終わったときは達成感と少し驚きと実際もうちょっといけたかもな等々、よくわからない感情になっていたと思います。
正直に言うと14分台が見えたところでトラックレースを終えてしまうのは悔しいですが、数年前まで16分切るか切らないかのところでうろついていたことを思うと、ここまで伸ばせるとは想像もつきませんでした。
逆に言うと自分には少し厳しいかもなというタイムでも、これまで多くの先輩方、同期、後輩が一気に数十秒記録を伸ばしてきたように、名大にはそれを成し遂げられる環境が十分にあるということです。
来年以降楽しみな後輩たちには最後の1年、最後のレースまで良い意味で悪あがきをしてほしいと思います。
っと卒業ブログっぽいことを先走って書いてしまったところで駅伝の話に。


昨年はBチームの7区を走りました。
最長区間にもかかわらず下って上ってとなかなかタフなコースでしたが、初出走だったということもあってかなり楽しんで走ることができました。同時に、トラックでは持ちタイムの差があっても東海学生のようなコースなら差を縮められる、何があるかわからないといった要素も孕んでいると実感しました。
今回は現地での応援が禁止ということで選手にとっても応援を予定されていた方々にとっても、物足りないという思いは少なからずあるかもしれませんが、何が起こるかわからないという心持ちで出来れば結果を期待して速報を追っていただけると嬉しいです。
期待に応えられるよう、皆で頑張ってきます!


次でレーン最後ですかね。勝田に回します。
今年は色々あってP長としてなかなか苦悩したと思いますが、ここにきてチームを良い状態に仕上げてくれました。流石です。

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