中長ブログ - 最新エントリ

最新エントリ
2020/03/31
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: にわ (18:03)
15日前くらいに強打したスネが今も痛いです。

こんにちは、長距離4年の丹羽です。
あいこからブログが回ってくるはずなのですが、痺れを切らしたので書きます。


さて、私たちの代の追いコンや卒業式を奪い去った憎きコロナの勢いは未だに衰えておりません。
そのせいで、最近私は超インドアな生活をしています。勉強したり、絵を描いたり、読書したり、指パッチンの練習をしたり。
特にピアノにハマってます。気づいたら何時間も弾いてしまってます。ベートーベンの悲愴を練習しているのですが、弾けなさすぎてショパンに浮気中です。
…家を出るのは走る時くらいかもしれません。



前置きはこれくらいにして、本題に入りましょう。
卒業レーンでしたね。
ここまでくるとほぼ全員が卒業ブログを書き終えています。
参考にするために全部読んでます。
白黒反転させるやつとか、あり得ない分量のやつとか、読みにくいことこの上ないブログも散見されますが…そこは反面教師にしていきたいと思います。

ということで、今回のブログは豪華3本立てとなっております↓

❶後輩へのメッセージ
❷同期へのメッセージ(結構ふざけてます)
❸これまでの陸上人生の振り返りとかいろいろ

暇な人はお好きなところを読んでください。
特にはダラダラ書いているので、本当に暇すぎてどうしようもない人だけ見てください。



❶後輩へのメッセージ

伝えたいことは腐るほどあるのですが…私が1番伝えたいことを伝えたいと思います。


「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、だがそれは考える葦である」


みなさん、このセリフを耳にしたことはありますか?

私は最近知りました。
家族団欒の夕食時。
何をきっかけにしてか「考える葦」というワードが父の口から出てきて、私がポカンとしていると、「えwwまさかこの言葉知らんのwwやばたにえんwww」とは言っていませんが、知らないとちょっと恥ずかしいぞと父に言われました。

これはパスカル(皆さんご存知、パスカルの定理の人)が、著書「パンセ」の中で、『人間は自然界において脆弱な葦の一茎に過ぎないが、思考することができる偉大な存在でもある』とした言葉です。

こんな言葉を引っ張ってきて結局何が言いたいのかというと、

『考えることはすごく重要だ』

ということです。

少し難しく聞こえますね。
指パッチンを例にしましょうか。

指パッチンって、どういう理論で音が鳴っているか知っていますか?
弾いた中指が薬指に当たることで鳴るのです。
私はそれを知らず、今までずっと中指と親指の摩擦で音が鳴ると思ってました。
なので何度練習しても音が鳴らん。
いくら親指と中指をものすんごい勢いで摩擦させても鳴らないのです。
なかなか鳴らなかったのでググりました。友達にも聞きました。
そして正しい知識を得たことで微かに鳴るようになりました。まだまだ練習の必要がありそうですが。


少しふざけすぎました。

このように、思考を停止してただがむしゃらに練習していても成果は出ません。
なんでうまく走れないんだろう?
そもそもどういう仕組みで走力が上がるんだろう?
疑問を持ち、なぜ?を考えることが重要なのです。
もし偶然うまく走れたとして、うまくいった仕組みを理解していなければ、また偶然うまく走れるまで脚を動かすしかありません。非効率的です。


思考を止めないでください。
今より強くなるにはどうしたらいいのか、徹底的に考えてください。
分からなければ調べたり、人に聞いてください。
そして試行錯誤してください。
それを繰り返せば必ず強くなります。
努力なくして成功はあり得ません。
頑張ってください。


そして今ケガしている人へ伝えたいことがあります。他の卒業生は優しい言葉をかけてくれていますが、私はあえて厳しく言います。


無駄な時間を過ごさないでください。


私はケガをしてもメンブレしない、という強靭な心を持ち合わせているのであまり皆さん知らないかもしれませんが…
実は大学1〜3年は毎年数ヶ月も引きずるようなケガをしていました。
練習積んで、怪我して、治して。
また練習積んで、怪我して、治して…。
毎年振り出しに戻っている気分でした。
なので4年の最後に記録が出たのは、大学4年の間の練習、つまり実質1年間の努力の成果です。
私は大学4年間のうち、3年間をドブに捨てたということですね。なんと愚かな。


そんなこと言われなくても分かっとるわ!
でもどうしてもモチベ上がらないんだわ!!


という方もいるかもしれません。
でも皆さんが思っているより時間が過ぎるのは早いし、皆さんが思っているよりケガの間にできることはたくさんあります。
ケガしんどい…辛い…私かわいそう…とネガティブになるのは時間の無駄。
大事なのは今自分に何が必要なのか考えること。実行すること。

必要なことは人によって違います。
けがの原因がよく分かっていない人は、再発予防のために原因追及をするべきだし、けがの原因が筋力不足だと分かっているなら筋トレするべきだし、心身ともに疲れ果てている人は陸上競技から少し離れるのも手かもしれません(そこまで追いつめてる時点で問題だけど)。
とにかく何も考えずにただ日々を過ごすことだけは絶対にしてはいけません。

ケガにも意味があります。
自分が今までやってきた何かしらが間違っているということを教えてくれます。
けれど、ケガして、なんとなく休んで、なんとなく治して…というケガは無意味です。
私の大学1〜2年のケガがそうでした。
大学3年時のケガで思い改め、考えることをやめずに工夫した結果、最後の最後で記録を塗り替えることができました。

3年の夏、ケガから復帰したときは最初はCチームでさえ練習できませんでした。
でも4年の最後にはAチームでペーランができるようになりました。

みなさんにはまだ時間があります。
今からでも遅くないので、

" しっかり思考して "

練習するようにしてください。

応援してます。
相談ならいつでものりますよ。



❷同期へのメッセージ

これで最後になるかもしれませんので…今だから言えることを添えつつ、普通に感謝を述べたいと思います。

まず全体として。
私は人見知りでコミュ障です。
周りが「集まれどうぶつの森」ブームなのを尻目に、「おいでよどうぶつの森」をするような天邪鬼な人間です。
そんな私にたくさん話しかけてくれて、仲良くしてくれてありがとうございました。
おかげで毎日楽しく過ごすことができました。
同期が走っている姿はやっぱり励みになったし、いつも英気を養わせてもらいました。
この学年で良かったと、心から思います。

以下は特にお世話になった長距離へ向けてのメッセージです↓


長距離男子へ
意識が高く、目指す場所も高い。
そんな長距離男子は私の憧れであり、尊敬する人たちでした。長距離男子に少しでも認めてもらいたい、と思って毎日走っていました。
試合や練習日誌からたくさん刺激をもらったし、長距離男子がいなかったら私はもっとゴミみたいな走りしかしていなかったと思います。
ずっと私のモチベーションでした。
ありがとう。
ちなみに、何年か前の山の上ランキング陰キャ部門に長距離男子をノミネートしたのは私です。
(それだけ尊敬してるってことだよ!)

長距離女子へ
まゆ
一年の頃は自分のことでいっぱいいっぱいで、まゆのケガを気にしてあげられなくてごめんね。部活を離れてもちょくちょく会って、たくさん話せて楽しかったよ。
一年の頃はまゆの存在が1番大きかった。
ありがとう。

きのちゃん
長距離女子の中で1番常識があって、いつも癒されてました笑。
きのちゃんが引退してから何度も「きのちゃんが足りない…」ってなってました。
部活も勉強も一生懸命で、友達想いのきのちゃんに会えて本当によかった。
ありがとう。

はるこちゃん
大人しい天使かと思いきや、笑いのセンスも持ち合わせた陸上への意識高め天使でした。
長距離女子の中で1番刺激をもらえた存在です。
ありがとう。
うちは部活引退だけど、めちゃめちゃ応援してます。がんばってね。

あやさ
実習や試験でいなくなるたび、チョー悲しかったです。
でも最後の駅伝で戻ってきてくれて、一緒にAチームでペーランできたのはいい思い出です。
ありがとう。

あいこ
卒業旅行でずっと運転してもらえてありがたかったけど、運転荒すぎてずっと怖かったわ…。
おかげで自分が運転するときは安全運転を心がけるようになりました。
ありがとう。

なほ
ブログ読みました。
なほのケガに直接何かしてあげられることはなくて、ずっと自分の力のなさを感じていました。
それでも私の些細な行動がなほを支えられていたならよかった。
ケガが完治した or 彼氏ができた時は報告ください。
祝杯をあげよう🥳



❸これまでの陸上人生の振り返りとかいろいろ

わたしは陸上を高校から始めたのですが、きっかけは些細なものです。

幼稚園のころからマラソンとか長距離種目が並の人よりちょっと速めだったこと。
「一瞬の風になれ」を読んで、陸上かっくいー、ってなったこと。
中学で仲が良かった子が入部すると聞いたこと。
先輩の雰囲気が良かったこと。

これらのうちどれか一つでも欠けていたら陸上部に入っていなかったと思います。

こんなしょーもないことをきっかけにして陸上を始めたわけですが、今まで続けられた理由はなんだろう?と、考えてみました。


1つ目は高校の先輩の存在です。

入部した当初の私の実力は悲惨でした。
キロ5のペーランが1km過ぎでついていけない。
早々に1人だけ抜けて、隅の小径でゆっくりジョグ …というのを何度も繰り返しました。
初試合の3000mでは13'36(約4'30/kmペース)というタイムを叩き出すなど。今のペーランのペースより遅いし、なんなら調子いいときのジョグのペースです。我ながらひどいな!!

今となっては記憶が薄れてますが、そういえば高校1年の頃は毎日部活辞めたいと思ってました。
そんな私を支えてくださったのが先輩でした。
ペーランの最中に私がへばって遅れてくると毎回背中を押して励ましてくれました。
少しでも走れる距離が伸びれば褒めてくれました。
そのおかげでペーランもしっかり最後までこなせるようになりました。走り切れた時は自分のことのようにすごく喜んでくれました。
高校時代の先輩は私の陸上人生で1番かけがえのない存在です。この人たちがいなかったら今でも陸上続けてません。
絶対このブログ読んでないけど…ありがとうございました。
私もそんな先輩になれたら良かったのですが。
いい先輩になる、というのはなかなか難しいものですね。


2つ目は負けん気が強いこと。

私は比較的引きずらないタイプです。
ケガした時も最初は辛いですが、ちゃっと切り替えました。
何か言われても特に気にしないし、少しイラっとすることがあっても寝たら忘れます。
ですが、本当にグサッときたことはずっと覚えてます。


大学1年でケガした時。
私と同じ時期に同期がもう1人ケガしてました。監督は彼女に練習積んだら3000m9分台出るぞ、と言いました。私には3000m10分台は出るぞ、と言いました。
確かに持ちタイム的に考えたら私が9分台を出すのは難しかったかもしれませんが、その言葉を聞き、自分期待されてないな、と感じました。

パート長になった時。
長距離女子はサークルみたいだね、と言われました。
外から見たらそう見えるかもしれないけど、中には頑張ってる人もいる。その人達が同じくくりにされるのが本当にやるせなかったし、パート長の自分が否定されている気がして悔しかったのを覚えています。
このやろー!って思ってました。

クリスマス会の時。
パート長である私に1年お疲れ様の誕生日プレゼントを部員全員が買ってきてくれたことがありました。
けれど、嬉しいという感情より、申し訳ないという感情の方が大きかったです。
こんなに感謝されるほど何かしたっけ?
私、パート長として部員に何かしてあげれてるっけ?
何もできてないな、と。
まあパート長については駅伝の時のブログに書いたので割愛します。


今だから言えますが、私は3000m9分台で走るのが最終目標でした。
それで監督をギャフンと言わせてやるぜ!
長距離女子もやればできるじゃん、と思わせてやるぜ!
これでチームを引っ張ってやるぜ!
と意気込んでました。ずっと。
誰にも言ってませんが。


結局10分台も出せてませんが…毎日この上記の3点は、気がつくと考えていることでした。
ずっと私の奥底に存在したモチベの一つです。



3つ目は家族の存在です。

些細なことですが、朝ごはんを食べる・早寝早起きするなどの生活習慣をつけてくれたり、夜遅く帰るときはずっと起きて待っててくれたり、気分屋で面倒な私の相手をしてくれたりと、ずっと陰ながら私を支えてくれました。
家族からのアドバイスが、なんだかんだ陸上を続けるきっかけにもなりました。
腹立つことも多いけど、感謝することはそれ以上に多い。
なかなか直接言えないので、こそっとここで感謝しときます。



こんなものですかね。

高校終わって大学入学の時に陸上部なんて入る気なかったし、なんなら消去法で決めました。
なんとなく運動しとくか、みたいな。

大学一年の記憶はほぼありません。
何も考えずに練習してたんでしょうね。


でも引退した今では、まだ記録を更新したいという気持ちが強いです。陸上への熱い思いがすごいです。


高校で努力する、という基礎が作られ  

大学で本気で努力する、ということを学びました。


この陸上部に入って、いい大学生活を送れました。結果的に、すごく成長できたと思います。




そろそろ締めないと誰かのブログみたいに鬼のように長くなりそうなので終わります。

とその前に一つ報告。というか宣戦布告。

最後のトラックで3000mが10分台でそうだったこととか、結局初マラソンがなくなったこととか、悔いが残ってるからだと思いますが…。

とりあえず今年ぐらいは信大戦などの二校対校戦にOGとして参戦するつもりです。
なお私に負けた現役生は加木屋緑地20周の刑(ごほうび?)に処するので悪しからず。



ほんとに最後に。
名古屋大学で陸上競技ができたこと、みなさんと出会えたことに感謝しつつ、私の最後のブログを締めさせていただきます。


こんなに陸上が好きになるなんて、人生において欠かせないものになるなんて、思っていませんでした。
これからは市民ランナーとして、みなさんに刺激を与えられるよう頑張ります。



ありがとうございました。
2020/03/31
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: みずき (13:51)
のぶ回してくれてありがとう

通例としてパート長→主将みたいな流れだと思いますが、中距離が協調性のない集団だからこうなると若干予想できてました。すまんねノブ。悪いのはサイトシュンとハセガワだから(だれ?)。



どうも、お久しぶりです元中距離パート長の小川です。

競技から半年以上離れて週1回5kmjogしかできないデブになりました。筋肉が脂肪になっただけですが、お腹は相当柔らかくなっています。東京に行ったら霜降りになる予定です。
来年度から東大の院になりましたが、コロナウイルスのおかげで約1ヶ月間、愛知の実家からリモートで研究することになりました。東京はひどいことになっているので早く収束してほしいものです。
次の研究室は分かってはいましたが超ハードなので辛抱して2年か3年精進します。





4年間を振り返りたいところですが、ギリギリで回された挙句、下書きを書いても書いても没になっていたので自分の中の4年間で学んだことについて書きたいと思います。

僕が1500mに絞り始めたのは一年生の七大が終わったあたりで、理由としては七大に出たいということと、1500mが学内で一番狙いやすい種目だったからです。
なかなか不純といいますか、逃げの選択と自分でも思いますが、これこそ「逃げ恥」であり合理的判断だったと今思うと良い判断したなあ...と思います。
また七大戦には北大と九州大に友人がいたこともあり、また結構前にブログで書きましたが三人で対抗で入賞したいなと憧れたこともあり、モチベーションのきっかけにありました。





当時の僕はPB 1500m:4’18, 5000m:16’26で七大戦の入賞ラインは1500m:3’57, 5000m:15’00くらいでした。目標に掲げるに、七大入賞というのは1500でも5000でも大きすぎる目標であり、さらに長距離パートは10000mや駅伝にウエイトを置くパートでしたから、1500mや七大に大目標を置くこと自体だいぶ気が引けました。

院生まじで怖かった...

こんな弱い奴が七大で入賞は無理やろ(笑)みたいな視線を向けられるのは承知の上で、どうにでもなれと思いながら目標提出に「1500mで七大出場」を出した覚えがあります。入賞でなく、出場に遠慮しているところが自分の性格が出ています。


とは言え、心の中では入賞という目標を掲げてました。



10000mや駅伝に向けた練習で1500mの記録を狙えるはずがありません。1年生の秋頃まで長距離で練習していましたが、徐々に中距離の練習を行うようになり、文吾さんの勧誘により年越しを機に中距離に移籍しました。
移籍というよりレンタル移籍的なイメージで中距離で武者修行して長距離に戻って5000,10000mに活かすつもりでした。また正式に長距離から中距離に移籍していないのでHPや名簿にはずっと長距離パート所属になって少し申し訳ない感じていました。



報告なしに移籍してしまい、当時の長距離パート長のブロッコリーこと、森長さんには非常に申し訳ないと靴を舐めたい思いで一杯です。
このような無茶苦茶な行動を許してくれた(?)当時の先輩方には感謝しても仕切れません。それと長距離の同期にも一緒に予選会や駅伝を戦うことができなく申し訳ないです。
快く受け入れてくれた中距離パート、1500mパートの先輩方、同期には一生感謝しています。





結局、中距離に移籍して最後まで中距離でしかもパート長までやって、入学時には考えられない青春をしていました。
結果的に昨年の七大で入賞でき、3分台もだし有終の美を飾れたわけですが
移籍した2、3年生の時期がすごくしんどかったのを覚えています。

当時の1500mの対抗選手といえば3’51の文吾さんが院生でインカレは任せられますが、学部生の1500mで頼れるのは塚本くらい。1500パートと銘打って存在するくせに対抗戦で長距離のエースに頼って、しかも大して速くない。

長距離により速い奴がいるにもかかわらず1500特化の専門パートの存在意義はあるのか、長距離で練習してたまにスピード練したほうがいいのではないか、
結局「文吾パート」であり1500mは名ばかりではないか、
そんな中勢いの良い砂原さん、角田さん、ノブが800mでグイグイいく勢いのよさ
着々と速くなり院生方と引けを取らない塚本
すごく自分のいる立ち位置に危機感や恥ずかしさを感じることがありました。




そう感じる時に心の支えにしていたのは松岡修造の励まし動画とイチローのドキュメンタリー番組、駿台の英語講師の竹岡広信の言葉でした。

松岡修造については文字通り、YouTubeで検索をかけてもらえば一発で出てきます。これはドーピングみたいなもの。一時的なメンタルの回復に使います。(https://youtu.be/zhwLxNjK97A)


イチローさんはおそらく知らない人はいないと思いますが、昨年の東京ドームにてメジャー開幕戦で引退した超スーパー野球選手です。いつからイチローファンになったか覚えてませんが、スポーツ雑誌Numberでイチローさんが表紙になると大体買ってます。引退直後の4/25発行のNumberを読んでいただければイチローさんの戦績やら修羅場を少し知ることができます。ぜひ読んで見てください。Numberだけでなく、イチローさんの取材動画は多くアップロードされています。おすすめなのは稲葉篤紀さんとの対談動画です。(https://youtu.be/i6haPJ7UuXo)

イチローさんが大事にしている「深み」について少し触れています。深みというものは動画を見ればわかりますが、ある像に対し、無駄なく最短ルートで成った場合深みはないとコメントしています。
しかし、人間は楽をしたがる生き物ですから最短ルートで行こうとする。しかし結局途中でつまずいて修正してルートを歩んで行って、またつまずいて、修正して、、、これの繰り返しで目標を達成した時得られるものが「深み」であると思います。
晴子ちゃんのブログにもとにかく頑張って、ある時振り返ったら自分の歩んできた道を俯瞰して見ることができるようになっているみたいなことがありましたが、これこそ「深み」を得られた瞬間だと思います(引用してごめんなさい)。

この「深み」とは無駄だと感じることでもとにかく、無我夢中になって目標を達成することで得られるものだと思います。何か貫禄に近いものだと思います。先輩方でも「深み」を感じる方はたくさんしました。特に佐伯さんと岸田さんは近い存在ではありませんでしたが先輩としてすごく深み、貫禄を感じました。それをなにか憧れる自分がありました。



みなも知るとおりイチローさんはここでは書ききれないほどの記録を打ち立て、とてつもないプレッシャーに打ち勝ちキャリアを積んできました。有名なインタビューの一部に人に笑われてきたことを達成してきたと自負しているというコメントがあります。
https://youtu.be/0gE8XxwmFpo )(13分くらいから)
日本の大したことない学生がイチローさんの姿を重ねることなんて生意気ですが
逆境という意味で同じ状況にいた自分には大きな心の支えでした。




竹岡広信は知る人ぞ知るという人ですが、検索したらデカ眼鏡のくせのある英語講師ができてます。高校3年生のとき駿台に通っており、講義を受けていました。とてつもなく癖のある先生で毒舌が特徴的だったという印象がありました。NHKのプロフェショナル仕事の流儀という番組があり、竹岡回がYouTubeに上がっています。竹岡の大事にされる言葉に「なにくそ」という言葉があります。これはイチローのスタンスと似たような意味ですが、難問に対しても諦めず、ライバルに模試で負けても「なにくそ」と努力することが大切だという意味です。





話を戻しますと、自分の立場としては、1500m4’15付近の凡走ランナー、800mには砂原さんや同期のノブが勢いよく、長距離は院生がマジ強で、さらに塚本もいる。1500パートの学部生として足を引っ張っている存在と思っていましたが、上記の「なにくそ」という精神を持ち、無我夢中で練習しました。一緒に練習した岩井さんや戸叶さんは一番近い存在としてたくさん頼らせていただきました。ありがとうございました。

この無我夢中に頑張った時期は自分にとって非常に価値のある時期になりました。




いろいろ書きましたが、
学んだことは

「大きな夢を持ち、無我夢中に頑張ること」

でした。

当たり前やねえか、偉人が言っとることと同じやないか
と思いますよね 

しかし、同じ部活に所属していた言う人がいると自分にも出来るかもしれないと思いませんか。

大きな夢を達成するには時間がかかります。

新3年生は引退までまだ一年以上あります。今からでも努力次第で達成できます。
今の中距離で核となるのは新3年生世代だと思っています。しかし中距離新3年生は今、元気がないと聞きます。
今一度、奮起して勢いを巻き起こせば、パートだけでなく、チームに大きな影響を与えられると僕は確信しています。
1年後に驚くような記録をTwitterで見ることを期待しています。ほんとに頑張れよ!!!!!
しばらく愛知にいるのでいつでも相談乗ります。



みんなへ
今後、逆境だらけの人生だと思いますが「なにくそ」精神で、そのさきにある深みを求めて頑張って生きてください。僕も頑張ります。

同期へ
皆それぞれの道を歩みますが、いつか同窓会見たいな会で会えることを楽しみにしています。その時みんなが深みのある人間になっていろんな話を聞くのが楽しみです。4年間ありがとう。

お世話になった方々へ
今までお世話になりました、おかげで記録を大幅に伸ばすことができました。これから競技は続けませんが、違う道で頑張っていきます。またご飯やなんか誘ってください。

4年間ありがとうございました
また会う日までさようなら
2020/03/31
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 俊介 (10:50)
さとこう回してくれてありがとう。明日からトラックの運転手頑張ってね。

中距離4年の齋藤です。大変遅くなり申し訳ありません。

何を書くかを考えていたら、とうとう今年度最終日になってしまいました。結局何も出てこなかったので、感謝の気持ちだけを伝えさせていただきます。下の方にスクロールすると、例えばのぶのブログ塚本のブログといった有益なブログがあるので、僕のはとっとと読み飛ばしてくれてどうぞ。

共通: 4年間ありがとうございました。僕は大変コミニュケーション能力が低いので、困惑させる事があったかもしれませんが、結局4年間やってこれたのはそういった部分を許容してくれた皆のおかげに他ならないでしょう。これからも応援しています。

中距離: 学年の分け隔てなく楽しくやってこれてよかったです。時々容赦なかったですが、それはそれで中距離の個性だと思います。部員の入れ替わりで体制が変わり、社会情勢もだいぶカオスで大変な時期だとは思いますが、まあうまいことやって下さい。大丈夫でしょ。長居や新潟での活躍楽しみにしてます。

特に中距離同期へ: 刺激的な喜怒哀楽を与えてくれる豊かなメンバーと共にいられた事は、やはり僕にとって大切な思い出となりました。皆何かしらにおいて能力が高く、見習わないといけない点が数多くありました。特に世渡り。4年も一緒にいればいい思い出も悪い思い出も相応にあるのですが、それも一興ですね(語彙力)。追いコンも卒業式も消えまともな挨拶もできなかったけど、やはり最後は感謝の気持ちを伝えておきたいです。ありがとう。お元気で。

院でも部活に残る同期へ: 自分は他になしえたい夢があったので部を離れましたが、同様に同期が全カレという目標にむけて練習に励んでいる事を考えると、少しだけ身が引き締まる思いがします。大学院進学という環境の変化に加え、謎の感染症の蔓延という非常に難しい時期で、無責任な事を言うのは少し憚られますが、応援する気持ちについては変わっていません。また勇姿を見せて下さい。繰り返しになりますが、がんばれ。

来年も4年生の同期へ: どした?

もう回す人はいないようなのでここで終わります。これからも応援してます。
2020/03/31
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: のぶ (00:15)
お久しぶりです。森信人です。


はせがわパスあざす。
遅くなってすまぬね。





今回のブログは学部最後ということで、僕は今までの感謝の気持ちをたっぷりと伝えたいと思います。



陸上感とか、後輩達に伝えたいこととか、あんまり上手く書けんと思うから、ほっこりする内容で行かさせて頂きます。ためになることは全く書いてないからごめん。また山の上で会った時に、たくさん語り合いましょう!







それでは、まず同期から。
4年間ってかなり長い時間をみんなと一緒に過ごしてこれたことはとても思い出に残ってます。最後の年は特にこの代の団結力はめちゃ強かったと思うし、主将として沢山の人達から支えられて素晴らしい代であると実感しました。ありがとう。なんだかんだほとんどのメンバーが途中離脱することなく、みんな一緒に卒業できてよかったです。(もだ?)社会人の人どこでも会いに行くんで美味しいご飯食べさせてください!!!



次に先輩。
先輩方には本当にお世話になったし、先輩方がいなければここまで全力で陸上と名大陸上部というものに向き合えなかったと思います。中距離の偉大な先輩方にはたくさんの知識を教えてもらい、佐伯先輩を始め歴代の主将や幹部からは名大陸上部に対する愛や七大戦に対する思いを学び、1個上の中距離のちょっとした先輩からお酒の偉大さを知りました。他にも言いたいことはたくさんありますがとりあえずは感謝で溢れてますありがとうございました!!



次に後輩。
まずは主将についてきてくれてありがとう!中々チームの目的が不明確な時期もあったし、他大の子は特にチーム一丸となって七大に向けて戦うって感じに不満を持った子もいると思うけど、最後までついてきてくれて、全力で応援してくれて嬉しかったです。そして今の後輩には優秀な子が本当に多く、勧誘時には特に救われました。後輩にはこれからの活躍を本当に期待してます。



次に中距離のみんな。
もう常套句みないな感じになるけど、あのキツい練習をこなしてこれたのはみんながいたからです。今まさに実感するところであるわ。練習中にふざけあったりとかお互いに刺激しあったりした関係が中距離らしくて、昔から変わってない、名大中距離の良さだと思います。そのライバルの中でも特に光志には感謝したいと思います。練習では支え支えられだったし、試合においては光志がいなければあのベストは絶対出てませんてました。まだおれが負けっぱなしやからこれから勝負な!あと、主将頑張れよ。



次に他大のライバルたち。
東海地区を始め、七大勢や対抗戦相手の中距離勢にはかなりのライバルがいます。(相手に意識されてなかったらちょっとだけ悲しい)みんなにも伝えてきましたが、自分の陸上のモチベはこいつらに負けたくないって気持ちがかなりウエイトを占めてます。去年の七大なんかは特に、周りがベストを出して刺激を受け自分もベストを出すことができたし、更にまたライバル勢がベストを出すことで七大に向けて相当な士気が高まりました。もちろん嫉妬心なんかもありますが、このライバル達がいなかったら、これまでここまで燃えずに陸上に向き合えていなかったと思います。みんなありがとう。



最後に幹部。
幹部のみんなには1年間支えられ続けました。自分は最初、主将に決まったときは自分から立候補とか積極的に決まったものではなく、ある程度流れでという惰性的に決まった面が大きくありました。なので最初はかなり動揺していたし、そこまでリーダーシップをとるということが出来ていませんでした。自分の芯がなかなか定まらない中で、幹部を集め話し合うことを頻繁に行い、そこで方向を見つめ直すなど、幹部の皆にはめちゃ助けてもらいながらなんとかやってきました。パート長なんかは自分達のパートに費やす時間がある中で、相当な時間を話し合いなどに割いてもらいかなりしんどかったと思います。最終的に七大に向けて部が一丸になれたのもパート長を始め、幹部の皆全員のサポートやそこに対する共通の思いがあってのもので、最後の皆の話を聞いてこれをとても実感できました。自分のキャリアの中で、名大陸上部の主将を遂行できたことはとても大きく、これを一番に支えてもらった幹部には本当に感謝しています。みんなありがとう。







以上、大学生が書くブログとは全く無縁の、しょーもない感謝のブログとなりました。なんか小学校の卒業式で卒業生が一言ずつ感謝の言葉述べる風のやつにめちゃ似てて恥ずかしいです。(その後絶対旅立ちの日に歌う)

これもう終わりみたいな内容になっちゃいましたが、しっかりまだ陸上続けます。春休みとコロナの影響で、今は結構まずい状態ですが(まじで中国に訴訟したい)、しっかりと体を作り、まず初めは試合が行われることと試合に出れることを目標として頑張ります。

大学4年間陸上をやってきて、追いかけきれなかった夢と越えられなかった人と記録を求めて、残り限りある時間の中であがきます。自分が出場するという目的で新潟に行けるように、全力を尽くします。そして自分の中で納得できる形で陸上競技を終えたいと思います。

ということで、これからもよろしくお願いします。一緒に頑張りましょう!







それでは次に。
部活面に関しても、それ以外の事に関しても、本当にお世話になりました。山の上の中で最も感謝している人の1人です。
みずきよろしく。
2020/03/30
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: つかもと (17:01)
みなさん、こんにちは。
塚本です。


こんとし、回してくれてありがとう。めっちゃええこと書くやん、、、
それ以前のみんなも下級生にとっては読むべき、卒業レーンにふさわしい有意義なブログを書いていて感心してしまいました。真面目かっ。
あと回ってくるの早すぎわろた。おかげでめちゃめちゃのんびり書くことができました。
お待たせしました。



とうとう卒業レーンが回ってきてしまいました。
ついにブログ書くのも最後になってしまいます。僕にとっては寂しいことです。
同期の中では、この中長ブログに書く・読む含めて費やした時間はマイケルや山田に引けを取らないと思います。
暇なときに自分の入学する以前の記事を遡りまくったことが何回もあります。


ブログに対する情熱が有り余り、何度も何度も長文を投稿してしまいました。あれでも推敲を重ねてできる限り削った末出来上がった文章だったのです。
これ以降ブログを書くことはないという事実は、自分にとってとても辛いことです。最後くらい、後悔のないように全てを出し切って終わりたいと思います。
己の中にある全ての書きたいことを、とめどなく、そこはかとなく、余すことなく、ノーカットで綴っていきます。
まだ書く前ですが、もう長くなりそうなことが自分でわかります。
最後なので、どうか許してください。





みなさん、「ちゃららら」ってご存知でしょうか。
そうです、京大陸上部の部内誌のことですね。


「部内誌」って表現があっているのかはわかりませんが、名大の陸上部で言うと会報のようなものです。一年に一回発行される、その一年の陸上部の出来事がつまった一冊になります。
名前を出してしまっていいのかはわかりません、、、関係者の方いたらすいません、、、
僕は京大にいる高校時代の先輩に何度か見せてもらったことがあります。


このちゃららら、会報と同じく部員一人一人の投稿集があります。
その中でもメインはやはり卒業生の投稿です。現役部員の投稿とは分けて前の方にまとめられています。


ここまでに関してはほぼ会報と変わりありませんが、この部員投稿がちょっとテイストが違います。それは、一人一人が書く文章の内容が半端なく濃いのです。


名大の会報は、一人が書いてよい量の制限があります。それゆえ割とあっさりとした内容になっていることが多いのですが、京大のそれは量の制限とか(多分)ありません。投稿集がめっっっちゃ長いこと続きます。特に卒業生は、一人20ページとかのレベルで書いている人もいました。


同期やパート全員に一人づつメッセージを書いていたり、自分の陸上人生を1年ずつ詳細に書いていたり、その内容は様々です。
ですが、共通していることはやはり内容がとても濃密なのです。それは、その一人一人の部で得た経験がその人にとって、とても大きいものであったことを物語っているように思います。適当に過ごしていたらかける文章ではありません。一人の部員として、部活動に一生懸命エネルギーを注げ続けた証なのです。そんな部員がたくさんいるからこそ、京大の陸上部は永く強くあり続けられるんだろうな、と読んでいて思いました。



自分も、卒業するときにはこれくらいの規模でそれまでを振り返りたい、、、
そういう謎の憧れを持つようになりました。しかし名大の会報には文字数制限があります。叶わない夢に諦めかけていたその時、僕はあることに気が付いてしまいます



ブログあるやん!



有意義な卒業レーンを書いてくれた同期たち、そして有意義なメッセージを待っていた後輩たち、ごめん、、、
このブログに開設以降運営に関わった全ての方々にも、「そんな場じゃねえわ」とツッコまれそうで申し訳ありません、、、


京大の方々も、やはり大学卒業というのは一つの大きな区切りだと捉えているのでしょう。当たり前ですがその先の進路がどうであれ、競技に真剣に取り組める時期がそこで終わる人が多いからですね。
自分も卒業後はできる限り競技を続けたいとは思っていますが、今までほどの情熱を持って取り組み続けることはできないでしょう。ここは、自分の陸上に限らず人生において、大きな節目だと感じます。


これまで書いたどのブログも自分の我強さにまみれていたと思いますが、最後も抑えきれない我の強さにより、このブログを使って自分の陸上人生を振り返らせてもらいたいと思います。そこにはもちろん、ブログとしての有意義さなどは欠片も存在しません。ただの自己満足です。しかし追いコンも卒業式もなくなってしまった今、これ無しでは真の意味で卒業できないのです(?)


…ポワポワポワ–ン(回想に入る音)(河上先輩ではない)




第1章 〜帰国〜


なんと2009年まで遡ります。
訳あって海外にいた僕は、小さい頃から父と兄の影響で野球をやっていました。
日本の学年で小学校6年生の時、土手っ腹にデッドボールをくらったところから僕の陸上人生は始まります。



小学校の割と序盤の方から海外にいたのですが、その地域では小学生が集まるリトルリーグがありました。日本でリトルリーグというとガチなイメージがありますが、地域的に都会か田舎かというと田舎よりな場所だったので、集まる人数がそこまで多くもなく、監督や審判含むリーグの運営も近所のおっちゃんで回っているようなのほほんとした場でした。レベル的にも高いとは言えず、試合によってはバットを一回も振らなければ勝手に押し出しで勝てるみたいな感じでした。


そんなレベルなのにも関わらず、なぜか硬式球を使っていました。多分国柄的に(?)世間的に軟式球にあまり馴染みがなかったのだと思います。
そんな感じなのでなんとなく分かると思いますが、悲劇が起こりやすいです。
あんまり上手くない投手に限って目一杯投げるので、球はどこに行くかわかりません。そして僕はデッドボールをくらいます。


小学生の頃の話なのでちょっと記憶が肥大化されてるとは思いますが、とてつもなく痛いです。それはもう、一塁に行けるだけでは割に合わないほど痛いのです。それ一発で3点くらいくれてもいいと思いました。


それからというものの、打席に立つのが嫌で嫌でしょうがなくなりました。自分に打席が回ってくる回になると憂鬱でしたし、打席に立っても逃げることしか頭にありませんでした。
当たり前ですけどそんな感じでやる野球は1ミリも楽しくありません。その意識で打てるわけもないし、そもそも守ってても球飛んでこないし。
中学に上がった年には、もう野球はいいや、と思ってやめてしまいました。


早速くだらないエピソードですが、大きい転換点だった気がしています。もう少し続けていたら、周りのレベルもそれなりに高くはなってきていたでしょう。そうなれば、そもそもノーコンな投手が減ってより本来の野球らしい野球ができたと思います。
小さいころから野球は結構好きだったので、デッドボールを食らっていなければ帰国しても野球部に入っていたでしょう。陸上とかの選択肢は全く頭にありませんでした。



僕の住んでいた地域では、通年でやるスポーツの活動というのは、学校に付属したクラブであるかないかに関わらず多くありませんでした。ある期間だけそのスポーツのクラブができて、他の季節になると他のスポーツクラブの活動が始まる、と言った具合になっていました。日本でいうと小学校の部活で夏だけ特設される陸上クラブみたいな感じですかね、日本の方はよく知らないですが…



中学校に上がった僕は、秋スポーツのクラブとして、これまた兄の影響でクロスカントリークラブに入りました。

(文脈上あまり必要のない説明ですが一応しておきますと、僕のいた地域は日本のように小中高大6,3,3,4年制ではなく、5,3,4,4年制で高校まで義務教育でした。さらに年度の区切りが春ではなく秋になるので、年度内で見ると秋スポーツ→春スポーツとなります。ちなみに野球のリーグは学校のクラブではありませんでしたが春スポーツです。僕は日本でいう小学6年の夏の終わりに中学に進みました。)


クロスカントリーとはスキーではありません。長距離ではよく練習でやるアレの方です。なんとクロカン走が一つのスポーツとして確立されており、レースとかもちゃんとあるのです。
何にもやらないのもアレだし、兄が入っていたのでなんとなく入りました。


このスポーツ、当時の僕を刺激する大きな特徴を持っていました。それは、レースがvarsityとjunior varsityの二つの部に分かれているのです。上級生と下級生といった感じです。しかし日本の学年別レースのようにはっきり学年で分かれておらず、下級生をvarsityで走らせることができるのです。


まだ中学生ですから、もちろん年上の方が足が速いです。しかし人数の関係上、僕のチームは1年生を二人までvarsityで走らせることができました。
始めたての僕はクロカンとか以前に長距離走がとても遅く、その上根性無しですぐ歩き始めるようなヤツでした。
そんなある日のレース、同学年の子がvarsityに選出され上級生に混じって健闘する姿を見ました。速くなりたいとか強くなりたいとか全く思っていませんし、むしろキツイことはなるべく避けたいとさえ思っていましたが、その「選ばれ抜かれた強者同士の戦い」感がなんかカッコイイなと思ったのを覚えています。


中学生(日本で言ったら小学生)の初心者の集団です。ちょっと真面目に走り始めれば記録はすぐに伸びます。結果的に僕は、シーズン最後のレースに向けた部内選考に勝ち、varsityの権利を勝ち取りました。レース本番ではvarsityの中でビリから2,3番目でしたが、悔しいとかは全くなく、もう長距離走をしなくてもいいという解放感と、自分はvarsityだったという事実に満足するのみでした。


そしてしばらく時間が経ち、春になります。春スポーツの開幕です。
僕は迷うことなく陸上クラブに入りました。そして種目は迷うことなく短距離を選択しました。


当時、僕は現地の学校とは別に日本語で日本の授業を受けられる補習校に通わせてもらっていたのですが、そこで1年に一回ある運動会の徒競走で負けたことがありませんでした。さらには野球をやっていたリーグでは、(今思えば単に日本人だったというだけで)「イチロー」と呼ばれていました。
そんな感じだったので、僕はとても自分の短距離走の速さに自信を持っていました。ついにキツい長距離走から解放されて、自分の得意な種目で勝負できる、やりたかったことがやれるしヒーローになれる、と希望に満ち溢れて入部したのを覚えています。


練習初日、現時点での走力を確認するためのTT的なものが行われました。100mです。自信満々で走り出した僕は、5人中4番目でゴールしました。

??????

約1週間後、メンバーを変えてもう一度100m走が行われました。ビリでした。

???????????

あれ?僕って足速いはずじゃ?イチローのはずでは?
自分でも何が起こってるのかよく呑み込めないまま、対抗戦100mの3枠の争いから遠く脱落していきました。


しょうがないので人が足りていなかった走り幅跳びの選手になりました。正直全然やりたくなかったので成長しません。むしろやるたびに足が痛くなってすぐにどうでもよく思うようになりました。

種目が変わってからも、部員全員で短距離走をやる機会は設けられていました。僕はその度に100m復帰を目指して走るのですが、正選手との差は全く縮まりません。
そのうち僕は気が付き始めます。
これ、一生勝てんわ、、、


その差を埋めようと必死に努力したりしたわけではないので言う資格はありませんが、やはり短距離には、少なからず体格とか元々ののポテンシャルとかそういう事情が絡みます。
中学1年生当時の僕の身長は150cm弱。同級生たちはすでに170cmを超えている子もいました。その上同い年にして筋骨隆々。
隣で走っていて、馬力の違いを感じるのです。一歩の大きさがまるで違います。はたから見てたら、大人と子供が一緒に走ってるような光景だったでしょう。もし仮にこのままやっても、一生同じくらい速く走れるようにはならないんだろうな、と悟ります。
中学1年生にして、井の中の蛙という言葉をこれ以上なくダイレクトに受け止めました。文字通りに「大海を知る」ってか。


根性の無い塚本少年は、陸上ごとどうでもよくなり適当にシーズンが終わるのを待つ体制に入りました。
そんな僕の様子に気がついてか、コーチが僕に提案してきます。長距離種目にチャレンジしてみないか、と。
えーっまた長距離かよ。キツイからイヤ。ということを英語で表現しきれずに押し切られて走ることになりました。


世界中どこでもやっぱり長距離走は子供達に人気がありません。その時長距離を専門にしていた部員は0で、コーチも流石に枠くらいは埋めておこうと思って僕に提案してきたのだろうと思います。クロカン部のコーチと同じ人なので、長距離走もやったことあることがバレていたのも災いしました。


向こうの(中学校での)長距離種目は日本と違い1600m(1mile)走です。その時は多分8分以上かかってました。しかし部内でトップ。何かこう、部内での立ち位置を見つけたような気がしてちょっと優越感を感じました。この時も、部内で1600mが一番速いという事実がなんか気持ちよくて、気がついたら長距離をメインに走る選手になっていました。

これまた長距離走あるあるですが、始めたての人というのは、ペース配分とかも含めてその種目の走り方がわかってくるので、走るたびに勝手にタイムが伸びてきます。僕はこれにハマり、どんどんタイムが縮むことが嬉しくなってのめり込んでいきました。

僕のいた市は、日本からしてみるとかなり異質な試合形態をとっていました。基本的にレースは、同市内の中学校と2校対抗戦のような形で行われ、全ての組み合わせが終わった後、最後に全中学集まってのレースが行われます。
僕はレースのたびに相手校の選手と競り合いながらタイムを伸ばしていき、最後のレースでは5分台に突入し入賞を果たしました。


今見てもタイムは大したことないですが、それまで何も考えていなかった状態で、競争で勝った、とか入賞した、という体験は自分の中に強烈に響くものです。程度の小ささはともかくとして、この時の長距離走で結果を残した、という経験は長距離を走る今の自分の観念に繋がっていると思います。


シーズンが終わり、日本に帰国しました。
転入した中学校では何か新しいことにチャレンジしようと思っていて、特に陸上をやろうと思ってはいませんでした。しかし長距離走での栄光(?)が頭を離れず、気がついたら結局陸上部に入っていました。



第2章 〜駅伝〜


日本に帰ってきたら、やっぱり様々なことにカルチャーショックを受けます。
上で書いたような日本のやり方から全く違うことを当たり前だと思っていたので、日本のレースを目の当たりにしたときにはもう何が何だかわかりませんでした。
そして特に衝撃を受けたのは、レベルの高さ。
僕のいた西三河地区は、岡崎市や豊田市など陸上が盛んな市が多く、非常にハイレベルなレースが繰り広げられていました。その年の夏、中学選手権の3年男子1500m、トップはなんと4分フラットでゴールしました。
4分て笑。今まで6分弱で先頭争ってた自分たちはなんだったん?笑


僕のいた中学の陸上部には、本格的に長距離をやったことのある顧問の先生はいませんでした。メニューなどは先生が立ててくれていましたが、おそらく手探り気味だったのだと思います。いま振り返るとかなり初歩的なもので留まっていました。多少の強度の波はついていたように思いますが毎日似たような練習で、その一つ一つの意味などは全く知らずにただやっていました。なのでポイント練習とかインターバルとかペース走とか知りませんでした。あとで高校で知ってこれまたカルチャーショックを受けました。

しかし、中学生も体が成長するので、走り続けていれば自動的にタイムが伸びます。学校の練習には体力を持て余していましたが、休みの日などには父と一緒に長いジョギングをしたりしてある程度の体力がついてきていました。
そして中学最後のトラックレース、タイムは4分26秒まで伸ばすことができました。それでも県大会に出場することはできませんでしたが、満足して終わったと思います。


しかし最後のレースでベストを出したことにより、悔いなく勉強へと切り替えるはずが、陸上へのモチベーションはむしろ増していきました。そして先生から推薦で誘われた駅伝チームにどっぷりハマりこみます。


聞いたところによると多くの中学校では「駅伝部」というのは陸上部とイコールではないようですね。秋頃のシーズン限定で、普段の部活は関係なしに速い人ややる気のある人を募って発足することが多いようです。僕の中学もそうでした。他の部活にいたけど中学で駅伝をやってみて、高校から陸上に転向した、という人は周りにたくさんいます。


この「駅伝」との出会いも、今思えば大きくターニングポイントだったかなと思います。そこで経験した団体競技特有の一体感や達成感など、ありきたりな表現しかできませんが、自分にとっての長距離走を陸上競技というより駅伝のためのものと認識し始めたタイミングだったと思います。

この機会に、中学の卒業文集を見返してみました。自分のクラスの投稿欄に、「20歳の時にはどうなっていたいか?」というお題に対して、自分は「走ることをやめないでいたい」と答えていました。ハードルの低すぎる未来像に当時の競技レベルの低さを感じますが、自分を形成するアイデンティティのうちの多くが、この時点ですでに走ることだったのだと思います。



高校に進学しても、やっぱり陸上部に入ります。
当時、自分の高校の陸上部は厳しいことが学校内で有名になっており、「陸上部に入るのはやめたほうがいい」と色々な人に言われることがあるくらいでした。そのせいで経験者が多く陸上部に入るのをやめるのですが、走ることをやめないと宣言(?)したばかりだし、1ミリも入部をためらいませんでした。


上にも書いた通り、中学までの陸上は部活の制約のせいで基礎の基礎すぎて、陸上をやっているにカウントしていいか微妙なラインでした。高校にきて、初めてちゃんとした取り組み方を知ることになります。それはもうまたカルチャーショックの連続で、こんなにも練習が辛いものだったのかと心が折れそうだったのを思い出します。
しかし、それが結果的に中学時代までに温存しまくっていたポテンシャルが開花するきっかけとなり、記録が爆発的に伸びていきました。


中学時点で3000mの自己ベストが10分台だった自分が、最終的には高2で5000m14分台を出すまでに成長します。それには、チームメイトに恵まれたことがとても大きかったと思います。



特に大きな存在だった同期がいます。原嶋渓といいます。
彼は中学時代、サッカー部でした。もともと走ることが大好きだった彼は、初心者ながら入部直後から驚異的な成長を見せ部内の主力になります。
そんな彼と、僕はいつも一緒に走っていました。競り合っていました。実力的にはすぐに追い抜かれて、次第に負けることがほとんどになってしまいましたが、常に互いを意識して、高め合えていたように思います。


彼以外にも、陸上に熱いとても同期や先輩後輩と一緒に陸上漬けの日々を過ごしていました。運よく同期も先輩後輩も長距離の人数が多く、実力的にも恵まれたチームだったと思います。二つ上にはインターハイに出場した先輩もおり、格上の先輩食らいついたり格下のチームメイトの下克上を受けたりしながら、まさにみんなで速くなっているチームでした。


そんな僕らのチームは、ある時から東海高校駅伝出場を目標にし始めます。
なんだか「長距離をやっているなら駅伝が目標でしょ」みたいな雰囲気が部内にはあって、最初は何も考えずただそれに従っているだけでした。しかし全員が一体となって取り組む日々を過ごすに連れて、本気で駅伝で結果を残したいと思うようになったのです。
流石に全国高校駅伝は現実的に厳しいので、頑張れば手に届きそうな水準ということでの目標です。
過去のブログでも詳しめに書いていました。→「予選会まであと6日!」


今考えれば、その目標を達成した後に何かがあったわけではありません。ただ東海高校駅伝に出場できる、それだけのためでした。
しかし、その時の僕らは、それ以外に考えられないくらいにそこに向かっていっていたのです。
それは、チーム全員がそれに向かって本気で取り組んでいるという過程が、自分にとってこれ以上なく充実していたからだと考えています。
本気でこいつらと勝ちたい。
このチームで喜び合いたい。
そういう気持ちが、他の細かいことをどうでもよくするくらいに上回っていました。駅伝が終わった後に、自分は陸上を続けられるのかと心配になることもありました。仲間も全員同じ気持ちだったからこそ、そのようになったのだと思います。


駅伝で負けてから、当時は個人のインターハイ出場に目標を切り替えて再スタートしたつもりでした。
しかし、すでに駅伝が陸上のすべてとなっていた自分の頭を、どこかで切り替え切れていなかったのかもしれません。そこから引退までは、うまくいかないことの方が多かったように思います。小さな怪我や病気による不調を繰り返し、最後の高校総体はあっけなく負けてしまいます。


思い返してみても、なんだか自分の記憶がこの時期だけ非常に薄く感じます。あまり自分にとって良い出来事がない時期だからだとは思いますが、それでも自己ベストを更新することもあったし、変わらず真剣に陸上に取り組んでいたはずです。ただ、それまで自分の中でのすべてだった県駅伝を終えてからの、喪失感にとらわれすぎて、陸上をしている意味を本心では見失ったままだったかもしれません。



県総体で負けてから、ぼやっとしている自分の目に名大の陸上部が入ってきます。

自分の高校は、名大へ進学する人がとても多い高校でした。それも、進学校にありがちな、まだ大学とかよくわかってない下級生のうちから、模試ではとりあえず名大と書かせておく雰囲気があったからです。その流れのままに受験本番まで向かう人が多いのだと思います。
自分も例に漏れずその一人でした。別に本気で名大に行きたかったわけではなく、何も考えていなかったのです。もちろん合格できるだけの学力を持ちあわせていたわけではありません。無理そうなら後で全然変えるつもりでした。


全日予選で敗北する名大を見て僕は、なんとなく親近感を覚えていたということは前のブログに書いた通りです。
加えて、それまでも名大の選手が近くにいることが多かったのです。
「1組目を走っている國司さんは、春のレースの時話しかけてくれた人だな」「3組目を走っている鈴木(雅斗)さんは、いつか一色マラソンでスパート勝負した人だな」「1年生で自己ベストを出した時に、一緒に走っていた人も名大の人だったな(降籏さん)」そんなことを考えながら、すでに名大側の人として観戦していたと思います。
「ここで僕が走ったら、どんな感じになるんだろう…」
うっすらと、名大のユニフォームを着て走る自分の姿を思い描いていたと思います。


数週間後の話です。
インターハイの東海地区予選まで駒を進めていた原嶋を応援しに、エコパの競技場に行っていました。
ベンチで待機している彼に、見たことある人が近づいてきました。なんと元マラソン日本記録保持者の、超有名な方でした。
なんとなく察しがついていましたが、その少し後、彼に告げられます。
「駒澤大学で箱根を目指そうと思う。」
「一流ハードラーの第一歩」

そうなるんだろうな、となんとなくは思っていました。しかし、いざそれが現実となった時、嬉しい気持ちとか応援する気持ちというよりは、さみしい気持ちの方が勝ってしまっていました。いつも一緒に走っていた彼は、互いにライバルだと思っていたはずの彼は、気がついたら自分なんか全く手の届かない遠くへ行ってしまう、と。


その時、数週間前に見た光景が頭の中を流れました。


決めた。名大に行く。
自分が名大を全日本に連れて行く。

そしてそこでまた、彼の隣を走る。



最終章 〜陸上観〜


やっと卒業ブログっぽくなってくるかもしれません。
大学陸上を振り返ってみたいと思います。



このように自分のことに時間をかけて向き合うというのは、やはり新たに発見することがたくさんあります。ましてや今回のように文章にしてみると、自分を含め人間の考え方というのはグニャグニャとしていることがよくわかります。


この陸上部に入る時、自分の目標は「全日本大学駅伝出場」でした。そこで、彼と一緒に走ることが本当の目的だったわけです。


しかしだとすると、東海学連選抜として出場した2年時に目標は達成されています。結果的にですが彼は4年間伊勢路を走ることはできなかったので、本当の目的が果たされることは自分の結果にかかわらず達成されることはありませんでした。


しかし自分は気がついたら、「名大で」全日本大学駅伝出場を目標にして陸上に取り組んでいたわけです。
それは紛れもなく、山の上のたくさんの仲間と出会ったからです。



1年生の頃、入ったらすぐにエース格になれるだろうと思っていた自分の鼻をへし折るように受験ブランクにぶち当たります。思うように走れない中で、初めて「中堅層」として臨む駅伝(予選会)、そして経験したことのない大人数からの応援とプレッシャーを経験し、すぐに全日という目標を見失いそうになりました。

そんな中でも、必死に「3強」の背中を追い続け、東海地区のトップレベルに仲間入りをしました。しかし、それでも全日は遠かった。有名な駅伝映画の言葉を借りるようですが、「良いタイムを持っていること」と「強いランナーであること」は全く別物であることを、勝負のレースに負け続けることで学んだのが2年生の頃です。
「予選会まであと13日!」

3年生になって、全日予選で初めて主力らしい走りができました。しかし総合では遠く及ばず、自分の力だけではどうしようもない無力感を感じるとともに、それまで忘れていたチームとして強くなることに目を向け始めました。自分が速くなることはチームのためであることを一番に意識していました。



そしてパート長に就任しました。ここからの1年間が自分にとっては最も大きな1年でした。

なんとしてでも、自分が、名大が、全日本に出たい。チーム内の誰よりもそう思っていた自信があります。しかし、そう思いすぎるがあまり現実を見失い、空回りしていました。


大学4年生の春。インカレで2種目入賞し、片方では優勝。初めての全国大会の出場権を獲得し、大学生活の中で一番走れていた時期だったと思います。

そして大学生活の中で一番、陸上が楽しくなかった時期でした。


自分が走れている一方、ケガ人と不調者が大量発生し、全く前に進めないチーム。パート長である自分のせいだと頭ではわかっていたものの、思い通りにならない苛立ちが焦りを生んでいました。就職活動のストレスなども合わさって冷静に考えられなくなり、現実から目を背けたまま突き進んでいたと思います。

当たり前のごとく全日予選で大敗します。そこで自分にとっての全日本がなくなって初めて、目が覚めたように思います。
「歴史の偉人」

ある先輩は、客観的に見て達成確率が50%以下の目標は目標ではなく妄想だと言っていました。また他のある先輩も、“A goal without a plan is just a wish.”と書いています。

今振り返っても、夢の中にいたような感覚でした。僕の目標は、ただの妄想に過ぎなかったのだと思います。自分でも達成できると信じきれない目標に向かって進んでいくのは、苦しいものです。
ふと現実に戻った時、自分のやるべきこと、というよりは自分にできることの限界が見えてきました。そうしてようやく、自分本位ではなく、本当の意味でチームのために考え動くパート長になった気がします。


再スタートを切った矢先、今度は自分が怪我をしました。それまで怪我をしたことがなかったので復帰に時間がかかってしまいましたが、その時は本当にもう自分は走れなくてもいい、と考えていました。来年以降の戦力になれない自分よりも、チームの結果の方が大事だと思っていたのです。
最終的には、結局チームのみんなに助けられ、駅伝でギリギリ復帰することができました。
「東海学生駅伝まであとぴったり24時間」

直前にブログで、終わりの集合では笑顔で挨拶ができればいいと書いていました。
どんな顔で挨拶していたか自分では覚えていませんが、この4年間で一番晴れやかな気持ちでの挨拶だったのを覚えています。

目標に向けて、僕個人としては足を引っ張る形になってしましました。3位を取れたことも、チームの強化が実った結果とは言い切れないと思います。
しかし、パート長として取り組んできたそれまでの全てが無駄ではなかったとわかったような気がして、救われた気持ちになりました。
そして何より、勝てる可能性が半々くらいの中で、それぞれが持てる最大限を発揮する駅伝ができたことに、これ以上ない充実感を感じたのです。やっと、このチームで思い描いた「駅伝」ができたな、と。






前のブログで一度、僕は一橋大学の中長ブログを欠かさず読んでいるという話をしたことがあるかもしれません。今でも見ています。
そっちの方でも卒業生が最後にブログを書くのですが、その中で自分が4年間で強く印象に残ったレースベスト3をあげるという流れがあります。
それを見ていて、自分もそれやったろと思いました。
我が強い程度に収まらないブログになってきていますが、大学4年間を振り返った今、最後の我を振り絞って語らせてもらたいと思います。


3位 一橋戦2017

そんな話をしていたらちょうど一橋大の話です。このレースは前にも一回印象に残っているレースとしてあげたことがあります。
この大会では中長距離種目がこぞって負け越し、総合での負けの原因となってしまいました。
一橋大学の選手たちは皆、対校戦における勝利への執念が強く、そういう意識の薄かったこちらサイドの自滅により負けてしまったという感じでした。
めちゃめちゃ悔しかったのを覚えています。実力では負けていないのに、レースの巧さで負けた。名大陸上部において、対校戦というものにどういう姿勢で臨むべきかを考えるきっかけとなった試合でもあります。
「公比1/2」


2位 東海学生駅伝2018

自分が3年生の時の東海学生駅伝です。この大会で自分は4区の区間賞を獲得したのですが、実は区間3位だった選手がタスキを受けとるタイミングでミスをタイムロスしており、本当はその人の方が速く走っていたのです。それを知りながら表彰を受けることのやるせなさというか惨めさが強烈に頭に残っています。
また、この時は総合でも優勝を狙っていながら2位。自分の無力感を感じました。そして何より、タイムを大幅に稼いでくれた先輩方3名がラストイヤーだったことで、それから名大に厳しい時代が来ることを予感させる象徴的な大会であったことから特に印象に残っています。


1位 東海インカレ2017

自分が2年生の時です。見てた人は少ないと思います。だいたい印象に残るレースといえば悔しい思いをしたものが多いのですが、これは自分の大学で走ったレースの中で唯一「会心の走り」と呼べるレースです。
10000mに出場したのですが、エントリー段階では希望者もそうたくさんおらず、とりあえず出てみよう的な感じでした。もちろん格上ばかりで入賞すら厳しいと思っていましたが、集団の中で粘りに粘っているうちに気がついたら4位入賞を果たしていました。

当時の自分にとって、インカレで入賞することなんて遠いことだと思っていたので、上位の常連だった他大学の上級生をたくさん倒して入賞できたことは、自分でも信じられないくらいのことでした。
あれだけ会心のレースができたと自分の中で感じることは今まで他にありません。自分の力の120%が出せた感じでした。出し切りすぎて、大会終了後に体調を崩し2週間お医者さんから走るのを禁じられるくらいでした。

良い走りができて良かった、というのも印象に残っている主な理由なのですが、そのレースによって、見えている景色が変わった、というのが一番大きな思い出としての残っています。
それまでの自分は、チームの中ではエース格の先輩たちの脇を固める存在にすぎず、足を引っ張らないことだけを考えていました。しかしこのレースによって、自分も他大学と勝負できる、という自信を持つことができました。それによりチームを俯瞰してみることができるようになり、他大学の戦力まで含めてより自分の置かれている状況が見渡せるようになりました。

言い表し方が下手でよくわからないかと思いますが、これって実はとても大切なことだと思っています。レース前に、周りがみんな速そうに見える時って一回くらい経験があると思います。それはもちろん自分に自信が無いからそうなるのだと思います。それは人によってはどうしようもないことなのですが、自分が周りよりも持ちタイムで劣っていないと思うだけでも、レースへ臨む気持ちが全然違うと思います。

誰かも言っていたような気がしますが、「成功体験」というのはそれ以降の新たな成功にも大きな役割を果たします。自分にとって、「一回でも東海地区のトップで戦えた」という事実があることはだいぶ自分にとって心強いことで、それからのレースで勝ちを狙えるようになっていった一因だったと思います。
あくまで個人の意見ですが、伸び悩んでいる人の中には、こういった一回のちょっとした成功でブレイクスルーが生み出される人がいるのではないかと思います。そうしたきっかけを掴みにいくことが、まずは飛躍の一歩目であると思います。






もちろん、他にも思い出に残っているレースというのは山ほどあります。しかし思い出そうとするほど、自分が悔しい思いをしたレースばかりが蘇ってきます。
冷静に振り返ってみると、自分の大学の4年間は100%満足のいくものではなかったのかもしれません。逆にそんな人滅多にいないと思いますが。
しかしながら、やはり多くの卒業生が言うと同じく、自分にとって大きな意味のあった時間であったと言いきれます。


長々と書いた自分史の締めくくりとして、自分の陸上人生において、特に大学の後半で向き合うこととなった「陸上観」の話をします。



「陸上観」

国語的に見れば正式には存在しない言葉です。東大の陸上部長距離が使っている言葉を借りています。「人生観」とかの「〜観」を使った造語です。ざっくりといえば、なんのために陸上をやっているのか、どのように陸上向き合うのか、みたいな感じです。


上にも書きましたが大学を卒業すると言うのは多くの人にとって陸上人生を終える(もしくは競技としての陸上から離れる)タイミングなので、卒業ブログにはそのことを書く人が多いと思います。少なくとも陸上をちゃんとやりきったと思える人が、それまでを振り返って行き着いた先が、その人の「陸上観」であるとも呼べるかもしれません。


今まで卒業レーンを書いた人も、それについて書いている人は多くいますね。それらは、それぞれが経験した様々なことの集大成なので、読み応えがあります。そしてこれからも陸上を続ける人にとっては貴重なものです。自分も過去に、先輩方の卒業ブログを見て考えさせられたことがたくさんあります。


卒業ブログに限ったことではないかもしれませんが、こう言った場でよくでる話に「真剣にやらないのであれば辞めた方がいい」と言うものがあります。本当にやりたいことが陸上ではなくて、ほかにやりたいことがあるのならばそっちをやった方がいい、と言うか有意義になりやすいってやつです。
僕も同じ意見です。そしてそれはもう、ほぼ事実なのだと思います。特に長距離においては、嫌々走ってたら偶然速くなった、ということにはほぼならないからです。


しかし、大学の陸上部という集団の性質上、そうとも言ってられない状況が多いです。部内での細かい役職や大会の運営に関わることなど、走らない人が果たす役割も非常に大きく、そういった人たち無しでは成り立たない競技なのです。
ゆえに、裏方に回ることがほぼなく、試合を出続けさせてもらった僕が「真剣にやらないならやめた方がいい」とかそんな偉そうなことはとても言えません。かといって部をやめようとしている人を延々引き止めたりもできず、とても心苦しい思いをしてきました。


僕たちは陸上「競技」部です。真剣に陸上をやれなくなった人がたくさんいていい場所であるべきではありません。全員が陸上と裏方を同時に担えれば問題ないのですが、部としての成果や効率性を考えると、どうしても役割分担することになってしまいます。僕たちはいつでも、競技で部に貢献できない人たちのおかげでちゃんと「競技」ができています。そういう難しいバランスをとりながらやっていかないとけない集団なのです。



僕は、多くの人の「陸上観」を見るようにしてきました。ブログなどで文章化されたものだけでなく、チームメイトと1対1で聞いたりもしました。もちろん同じような状況で陸上に取り組んでいる東大をはじめとした他大学の選手たちのものも多く見てきたつもりです。
それを通して、あることに気がつきました。
陸上をやっている人も、所属するチームの勝利を自身の成長のモチベーションにする人と、自身の成長それ自体をモチベーションにできる人に分けられるのです。


大した話ではありません。単純に言えば、陸上をやっていて何が楽しいか、ということです。
単に陸上競技という点だけで見るならば、個人競技なので全ての人が後者だと思います。しかし、部活動として陸上をやる僕たちの中には、前者もたくさんいます。


僕より3世代上の、ある先輩が、引退し部を去る直前にこう書いていました。
「僕の走る最大のモチベーションは”学校の名を背負って試合に出ること”であった。いい記録を出したときにはもちろん嬉しいけど、いい記録を出したことによってその先の何か大きい大会への出場権が得られることが最も重要であった。つまり僕にとってタイムは目的ではなく手段に過ぎない。」


完全に前者よりの考え方だと思います。
そして思い返してみれば、僕も同じような考えで陸上をやっていました。全く理解できない人もいると思います。ですが、こう考えるタイプの人も確かに一定の割合でいます。
僕は、名古屋大学に駅伝をやりにきた。最初からそう言っていたと思います。もちろんトラックで記録を伸ばすために練習していましたし、自己ベストを出せたときは嬉しかったです。しかしそれは全て駅伝でチームに貢献するためだと考えていました。選手それぞれの持ちタイムから駅伝におけるチーム総合力を伸ばすため、それが一番自分を走らせる原動力になっていたと思います。
僕もその先輩も、チームに所属していなければ、自身の自己ベスト更新をこだわりきれないのです。


名大のようにチームの自由度が高いほど、いろいろな人がいて、完全に自分の戦いに割り切っている人もいます。どちらも間違いではなく、その人が陸上に取り組む意味そのものなのです。だから難しい。
駅伝においても、年によってはチーム内でまとまりきれず、ロードレース×7みたいになってしまっていたこともありました。いつも選手は全力で走っていたと思いますが、やはりその辺の雰囲気というのはどうしても時と人による部分があります。だからこそ、自分としても最後の年にある程度チーム全体で納得のいく駅伝ができたことはとても嬉しかったのだと思います。


こう言うと駅伝に限った話のようですが、そうではありません。
名大の陸上部は全体として対校戦の勝利を目標としています。そして、僕たちの中には、対校戦で点が取りやすいから、あるいは枠が空いているから、と専門種目を変えた人がいます。そこまで至らなくても、対校戦の度に別種目を優先したり、兼ねたりする人がいます。幹部からお願いされて仕方なくやっている人もいるかとは思いますが、この行為というのは、紛れもなく自分個人の競技にかける時間を犠牲にして、チームへの貢献を優先した動きです。


こういったところだと思います。
入部当初、駅伝をやりにきたとは言え、全日本に東海学連選抜で出場したことによって目的を達成しそうだった自分が、名大としての出場にこだわった理由です。
僕の意見です。個人としての好記録や勝利はもちろん嬉しいですが、それによってチームが勝利したことの方が何倍も嬉しいです。
このチームには同じように思ってるヤツが何人もいて、そいつらはそれを目指して頑張っている。それが僕にとっては楽しくて居心地が良くて、気がついたら「このチームで勝ちたい」という目的に変わっていたのです。このチームで過ごした時間と、関わった人たちがそうさせたのだと思います。



部を辞めようと思っている人がいたら、少し考えてほしいと思うんです。
辞めたいと思う理由の多くは、結果が出ない、忙しい、怪我が治らない、練習が辛い、つまらない、、、とかだと思います。
そこで、自分の「陸上観」について。自分がもう完全に自分一人の戦いをしていて、自分の記録を伸ばすためだけに陸上をしているのであれば、それはちょうどいい辞め時なのかもしれません。
しかし少しでもチームのためを思って陸上をした瞬間があるならば、もう少し粘ってみてもいいんじゃないかなと思います。チームのためになんらかの負担を負えたことがあるならば、必ずいつか、このチームにいてよかったと思える時が来ると思っています。そしてそれは、上手くあらわせないけれど、陸上じゃないと味わえないことだと思うし、チームにいないと得られない感情だと思います。
少なくとも自分の4年間は、このチームのために陸上をやりたいと思えたし、このチームじゃないとできなかった(やろうと思えなかった)こともたくさんあったし、チームにたから有意義なものとなったと思います。




書きたいこともだいたい書けたと思います。しかし、最後にもう一つやりたいことがあります。
上にもに書きましたが、この4年間ブログを漁り続けて様々な考え方に出会いました。しょーもない記事から深い記事まで、多種多様な記事が存在するこのブログ。少なくとも僕にとっては陸上に取り組むに当たって、そしてこの部で過ごすに当たって非常に大きな意味を持っていたものだったと思います。


僕はもう投稿する側でなくなります。もう発信する機会がなくなってしまいます。なので最後に、少しでも有意義なことを発信する場としてお返ししたいと思いました。それは、僕が在学中に投稿されたブログの中で、僕が感銘を受けたブログを3つピックアップさせてもらうというなんとも偉そうなアレです。

「〜新・3大長距離全員が読むべき中長ブログ〜」

として後輩たちにもぜひ読んでほしい、さらには後世に語り継いでいってほしいと思います。
(勝手に引用させてもらってます。著者の方々、不快に思われたら申し訳ございません。)



1.「人類生存のための科学」(佐伯元春さん)

僕の2つ上の世代の主将が書かれた卒業ブログです。在学中に、長く怪我に苦しんでいました。しかし競歩に転向し、初心者の状態から日本選手権の標準を切るまでに成長しました。最後の年には主将としてチームを引っ張り、七大戦優勝を成し遂げました。
何回も読み返していますが、良いブログだなと思います。この部活で陸上に取り組むに当たって、大事なことが書いてあると思います。過去に一回、引用させてもらったこともあります。
大変失礼ですが、陸上にはとてもアツい、なんなら暑苦しいくらいの主将でした。ですが僕はそんな佐伯先輩が引っ張るチームの雰囲気が好きで、多くの影響を受けたと思います。
知らない世代も多くなってくると思いますがぜひ読んでほしいです。


2.「あと10時間」(池亀透さん)

比較的最近の記事です。昨年度の東海学生レーンの投稿です。
僕の6つ上の先輩ですが、たくさんの影響を受けた先輩の一人です。特にブログやダイアリーなどは個人のことだけでなくチームのことも客観的な視点で書いていて、僕は全部スクショしてアルバムにまとめていたほどです。上に書いた「成功体験」の話も、以前のブログから大いに影響を受けています(「きっかけ」)。僕が在学中の先輩の投稿は全てレース前の投稿で、そのたびに経験に基づいた教訓が登場するのでそれ全部読んでほしいですが、代表としてこれを選ばせていただきました。
これに関しては僕の名前が登場して嬉しくて印象に残ったのもありますが、それ以上に普段は語らないような陸上への情熱を語っていて感銘を受けました。9年間名大で陸上を続けてきた視点から見ても、やはり陸上競技を続ける上でその面白さ・楽しさを見失ってはいけないということ、言葉の重みを感じます。


3.「下克上は幻か」(濱野貴仁さん)

コレです。コレです。
僕が入学する直前の記事です。そしてご本人とも直接お話ししたことがありません。なので選ぶのを非常にためらいましたが、それでもみんなには読んでほしいと思ったので選ばせていただきました。
確か初めて山の上に行った日に電車の中で読んだブログだと思います。その時はあまりわかっていませんでしたが、今思えば大きな意味のあるブログだと思います。特に今のチームには。

大きな大会(全日本や東海学生駅伝など)に出場したことのある選手を「出世選手」、ない選手を「非出世選手」として分けています。当時のチーム状況と今ではちょっと違いますが、やはり昔から中堅層以下の成長に課題を抱えるチームだったのだと思います。今のチームでは、下克上はほぼ起こっていないと言っていいでしょう。しかし当時よりも選手層が薄いため、それほど成長していなくても出世選手となる選手がで出てきてしまい、チームとしてのレベルが下がってきています。
この危機的状況を伝えるべく、自分がパート長の時も同じようなまとめ方をしたことがあります。

生意気ですが、自分は1年生の時から出世選手で、正選手争いというものを経験したことがほぼありません。なので非出世選手としての気持ちはわからないし、僕が呼びかけても上手く伝わらなかったのかもしれません。しかし現実問題、今タイムを持っていない選手は、将来的にも他校と互角に戦えるようにはよっぽどならないことがデータで示されています。
特に今の名大は、中堅層以下の成長にチームこれからの大部分がかかっています。

勝田を中心に、新チームの長期的な目線での強化は進んでいると思います。数年後僕たちがOBとして応援する名大が、かつての名大のように全員が成長していて、勢いのあるチームになっていることを願っています。






ここまで書ければ、もう悔いはありません。


本当に最後に、名古屋大学の陸上部でお世話になった全ての人に感謝を申し上げます。
自分の大学生活がこんなにも充実していたのは、何一つ不自由なく陸上競技に打ち込める環境があったからです。部長、監督、OB会の方々、育生さん、本当にありがとうございました。
一緒に陸上をしてくれた先輩方、同期のみんな、後輩たちも本当に感謝しています。特に同期、この学年で陸上部として活動できて、心から楽しかった。本当にありがとう。
そして、陸上に関していつでも全力で応援してくれた家族。特に、このブログも読んでいるであろう父さん。ありがとう。


やっぱり長くなってしまいました。
ここまで執筆に2週間かかってしまいました。あまりに長すぎると思ってだいぶ削ったのですが、結局こうなります。
卒論を書くときに教授から、「君の書く文章は冗長でよくわからん」と言われました。
こんなにも長いのに、ここまで飛ばさずに読んでくれた人は、僕と相当親しい人だけかと思います。読んでくれてありがとうございました。あともう一つ言うことがあるとしたら、ヒマかい。


ごちゃごちゃといろいろなことを書いていて思いますが、結局は、やっぱり自分は、陸上がすごく好きなんだな、と感じます。
上にも書きましたが、自分は今まで駅伝をモチベーションに陸上をやっていたので、社会人として、個人の限界を目指して陸上を続けることはできないだろうと思っていました。
しかしチームを卒業した今、やっぱり走らずにはいられませんでした。様々なイベントがキャンセルになり、目指す大会も全てなくなってしまいました。しかし、何を目指すでもないのに、なんだかんだ走ることはやめていませんでした。

結局、僕は今後も市民ランナーとして走り続けることにしました。自分の記録のみとの戦いになる今後、どこまで本気でやれるのかわかりません。
でも続ける限り、名大陸上部で得た様々なことを活かして、まだまだ自己ベストを更新することを目指していきたいと思っています。
現役生も倒しに行きますよ。みんな、大会で会っても無視しないでな…!泣


それではここで令和2年卒業生、男子長距離卒業レーンを終わります。
みなさん、またどこかでお会いしましょう…!
2020/03/28
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: ふるはた (22:31)
ふるはたです。
特に紹介はいりませんね?

茂田から回って来ました!
(人を引き合いにしといて滑るのはやめて)

学部卒業時はブログを書けなかったので、
今回は書けて良かったです。笑
長くなってしまいましたが、斜め読みでもしてくれれば幸いです

7年間(!)名古屋大学で陸上部に所属していましたが、
ようやく春から社会人になれるようです。
特に中距離のメンバーは代を問わず、
気のおけない仲間が揃っていて、
最後まで頑張れたと思います!
今まで本当にありがとうございました!

タイトルについて、
奇貨という言葉をご存知でしょうか?
”奇貨おくべし”で「一見不利だがうまく利用できれば得難い機会」
というような意味になります。

コロナの蔓延でいつも通りには練習ができていないと思いますが、
その中で何ができるか、どう時間を使うか、
ということが大事だと思います。

これまでも山の上のみなさんは忙しい中、
様々工夫して練習をして来たノウハウを持っているので、
ある意味有利なのではないでしょうか。
非常時であるからこそ、本懐を忘れず競技生活もがんばってください!


私自身の7年間の振り返りについては、
会報を参照してもらうとして、
山の上で活動する方に伝えたい3つのことを述べます。

1. 目的について
 なぜ陸上部に入ったか再考してみましょう。PBの更新、全カレ出場、走ることが好き、いろいろあると思います。今その目的は達成されていますか?
 私自身、まずPB更新と思って入部して、それを達成した後に、目標が曖昧になっている時期がありました。ぜひ何を達成したいか、を常に意識して練習に取り組んでください!

2. 結果と要因
 私自身もよくbngに言われていたことですが、Aという練習をしてBという結果を出せた、という時のその結果と要因は本当に正しく因果関係にありますか?
 たまたま疲労が抜けていたとか、今までの練習の組み合わせが適してたとか、いろいろと分析できると思います。出した結果をどこまで要素に分解して考えられるか、ということが成功し続ける、またはピークの波が小さい人の特徴なのかな?と思います。(ピークの波が激しいやつが何言ってるんだという感じですが。笑)

3. 使えるものは有効活用する
 山の上の環境は非常に恵まれています。全天候トラック、コーチ、トレーナー、全国区の選手、etc… これらを使いこなせていますか?わからないことを聞く、教えてもらう、という当たり前のことができているかどうかの差が大きい気がします。(自分で調べればわかることまで聞くのは問題ですが←)
 一例としては、トレーナー。個々の競技についての知識や経験は選手の方があると思いますが、怪我・故障からの復帰や治療はトレーナーに一日の長があります。怪我を慢性化させないために、リハビリをしっかり指導してもらうことが重要だと思います!


最後に、本当にいろいろありましたが、
大学7年間、陸上部に所属していて良かったです!
これからもできるだけ大会とか顔出しますので、
みなさん(特に中距離)がんばってください!!期待してます!

中距離M2の2人目にして最後はグンマーの安藤です、よろしく!
2年間ありがとう!
2020/03/25
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: しほ (20:05)
きょうか回してくれてありがとう!

中距離4年のはせがわしほです。
卒業レーンで回ってきて、入部してからもう4年も経ったのかと改めて実感します、、早い😭
私は今年の自己寸評を提出しないという大罪を犯してしまった(のんちゃんごめん😢)ので、学部生最後の節目としてしっかりこの場で思いの丈を綴りたいと思います。

山の上陸上部に所属した4年間は、私にとって今までになく実り多く、濃い4年間だったと思います。

1つは、女子主将として2年間幹部に所属し、強いチーム作りについて皆で話し合い考えたこと。これは中学高校の6年間の陸上人生では味わうことのない大きな経験でした。
私は見ての通り、行動も生活もだらしなく、皆の手本になるような選手、ましてや陸上部を引っ張る主将という立場には向かなかったかもしれません。けれど、陸上が好きという気持ちは誰にも負けない自信があったし、名大の女子部を強くしたいという思いもずっと抱えてきました。女子部員の皆が何を思い何を目標にして陸上に向き合っているのか、皆の練習や試合の様子を見ていく中で、またミーティングで話し合っていく中でひしひしと感じ、1人1人が強くなり、且つ強いチームを作り上げていくために一生懸命考えてきました。最後の七大戦で3位をとれたのは、1人1人がチームのために自分の記録、順位にこだわり続けた結果だと思っています。私は女子主将としてしっかり役職を遂げられたかわかりませんが、2年間、私を主将として付いてきてくれた女子部の皆には感謝したいと思います。本当にありがとう。

もう1つは中学高校以上に伸び伸びと楽しく陸上をやれたことです。
私は名大陸上部に入って、高校の時の記録を更新しなければいけない、対抗選手としてポイントをとらなければいけないというプレッシャーも大きく、大きな怪我も多かった中で何度も部をやめようと思ったことがありました。部に所属している以上、自分のことばかりを考えて競技するというわがままが通用しないというのも重々承知していました。けれど、それらのプレッシャーに押し潰されて、入部したての頃は心から陸上を楽しむことができませんでした。
けれどそんな私のスタイルを理解してくれて、伸び伸びと陸上をやらせてくれた周りの支えてくれた人たちのおかげで、少しずつ陸上を楽しむことができたし、何より記録も伸びていきました。初めて肉離れをした時、疲労骨折で松葉杖生活になった時、そんな時でもやれるトレーニングを教えてくれる先輩や同期がいました。食事管理やケアについてもトレーナーさんを始め、たくさんの人たちに教えてもらいました。私はすごく恵まれた環境にいるんだなと実感したし、そんな中で自由に陸上をできることが本当に幸せだなと感じました。3、4年生になる頃は対抗選手としても、一選手としてもプレッシャーを力に変えて競技に取り組むことができ、先輩、同期、後輩たちのおかげで選手として強くなれたと思っています。大学陸上生活での今までにない辛い経験や大きなプレッシャーは、私が選手として、ひとりの人間として、なければならない一通過点だったと思うし、それを乗り越えたからこそ、いま、陸上を心から楽しめ、伸び伸びと競技できているのだと思います。山の上陸上部に大きく成長させてもらった4年間でした。

陸上を続けた10年間、その中の山の上陸上部に所属した4年間が充実したものであれたことを、たくさんの人に感謝したいです。

先輩たちへ
大抵の先輩たちは私に対してめちゃくちゃ優しく、そんな先輩たちに私はめちゃくちゃ甘えてました笑。厳しい言葉に落ち込むこともあったけど、私のためを思った言葉だったのだと今は思います。陸上に対してまっすぐで、いつも真剣で、時には楽しく面白い先輩たちが私にとって本当に憧れでした。私もこんな先輩になろう!と常々思ってました(なれたかな?笑)。先輩たちの期待に私はどれほども応えることができませんでしたが、今でも応援してくれる先輩、支えてくれる先輩がいることに感謝です。これからも私らしく陸上を続け、先輩たちに良い報告ができるように頑張ります!

同期たちへ
個性的なメンバーが多く、我と我のぶつかり合いで大変な時もあったけど、楽しかったこともたくさんありました笑。幹部のメンバーと1年間頑張ってこれたのはかけがえのない思い出です。
特にきょうかへ
私にとってきょうかは本当に強くてかっこよくて、それなのにいつも努力し続けていて、私にとって本当に憧れの存在でした。同じ競技をしてるから、バチバチすることもあったけど、きょうかの存在があったおかげで、刺激をもらえて頑張らなきゃ記録出さなきゃって頑張ってこれました。本当にありがとう。

後輩たちへ
まだ競技を続けている私を、快く迎えてくれて、練習参加させてくれてありがとう😊後輩たちと陸上するの楽しいです(おばちゃん感🌸)。今はコロナの影響で部活停止になり、練習場所も限られたり試合もなくなったりして、モチベーションが保てなくなる辛い時期だと思います。けれどそんな時こそ、できることを考え柔軟に対応できる選手になってほしいと思います。これは陸上だけじゃなく他のところにおいても通ずることだと思うので、この今の辛い時期は私たちが更に成長するためのなくてはならない一通過点なんだぐらいの心持ちで前向きに頑張ろう!
そして何より、陸上を楽しむ気持ちを忘れないでください。これは私がずっと貫いてきたスタイルでもあるんですが、楽しんでやると辛い練習も案外あっさりできちゃうし、自ずと結果もついてきます。部の決まり、環境、コンディション、周りの誘惑、いろいろ縛られるところはあると思うんですが、そんな中でも自分の意思をしっかり持って競技に向き合っていくことができれば、楽しむことはできると思うので、せっかく好きで始めた陸上を、もっともっと好きになってほしいと思います。


何度も言いますが、陸上競技人生10年間というのは、私にとって本当に実りあるものでした。そしてこの10年目が大きな節目であるとも思います。
陸上競技を続けることを決めた時に、陸上競技11年目はどう陸上と向き合っていこうかと考えました。勿論、楽しんで陸上を続けるだけでもいいかなと思った部分もありますが、せっかくならもう少し記録にこだわり続けたいとも思いました。それは、今でもこんな私が結果を出せると信じてくれている人たちのためでもあります。その人たちに恩返しできる1番の方法は結果を出すことです。
私はこれから、今までに自分が記録や結果を出す選手として足りなかった部分をしっかり考え、それを練習や行動に移したいと思います。1人ではできないこともあるので、まだまだたくさんの人に力を借りることもあると思いますが、皆の応援や支えに応えられるよう、そして陸上選手として誇れるような存在になりたいと思います。
ですので、これからも山の上陸上部の皆さん、そして先輩たち、同期たち、よろしくお願いします🙇♂

最後に、本当に楽しくてかけがえのない思い出をありがとうございました!あと2年間もっともっと、良い記録、結果、思い出を残していきたいと思います😊

それでは次のブログは、暴君主将同士として何かとぶつかることも多かったけど、今ではけっこう仲良しなのぶに回します。
中距離同期の中で大学院でも競技を続ける唯一の存在です、本当に心強い。これからもよろしく。
それではお願いします!
2020/03/25
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: matsunaga (07:58)
皆様お久しぶりです。
元山の上陸上部競歩パートM2の松永幸大です。競歩パート唯一の卒業生です。人生最後の中長ブログです。
Harukoからブログ回したと英語で連絡がきました。因みに、その後Toshikiからも英語で帰国できるのか聞かれ、競歩ラインでも英語が飛び交っています。I'm Japanese!

まずは、引退してからの近況について。
ここは興味のある人だけ読んでいただければ結構です。
先日まで、オーストラリアのケアンズで今年度2回目の夏を過ごしていました。ケアンズはオーストラリアの北部にある小さくてのどかなリゾート地です。観光地として、グレートバリアリーフの綺麗な海、キュランダという熱帯雨林(コアラを抱ける)、パロネラパーク(歴史的・神秘的な城)があります。また、ラグーンという海沿いのプール(無料)でプカプカ泳げ、海沿いに筋トレのマシン(軽い)や無料で使えるBBQエリアもあります。
また、ケアンズは日差しが日本の約7倍とかなり強いです。大半の人が外でもスーパー内でもサングラスをしています。日本のスーパーでサングラスをしていると、「The person is dressed and painful.」と思われますが、豪州では普通のことです。
日本人にもかなり人気があり、現地の旅行者や永住者も多いです。旅行や短期留学にはケアンズをお勧めします。
帰国前に豪州で渡航禁止令が出され、前述の通り一時は帰れない説も出ていましたが、帰国は大丈夫でした。
日本に帰ってきて感じたことは、「Japanese food is delicious. Especially rice‼」(ブログパス回収)
豪州の食事も美味しかったですが、やはり日本食が一番です。

ケアンズの話はここまでにして、陸上の話へ。
競技生活を振り返ってみると、前半は怪我を繰り返し思うように競技が出来ず苦しかったです。とはいえ根本的な改善がなされておらずなるべくしてなった結果だと思っています。後半シーズン競歩に変えてからは記録が伸び続け楽しい競技生活でした。1番や上位でゴールする嬉しさをM2になって初めて味わえました。以下、振り返りを簡潔に。

1〜3年
春〜夏: ブランクから5000m16分前半の実力をつける
秋〜冬: 足の怪我
↑繰り返し
3年冬〜春: 競歩天転向、足手術
4年七大戦: 競歩デビュー戦 27'36(山の上の天使に周回遅れされる)
4年県央: 初50分切り
4年元旦: 初20kmで洗礼を浴びる、山田日本選手権の標準切る
M1インカレ: 棚ぼたの8位入賞、山田に競り負ける、鈴木優勝
M1秋季: 大幅ベストも西カレ標準に5秒届かず、山田途中から私を利用してセコスパをかます
M1元旦: 日本選手権出場ならず(1:34'48)再び洗礼を浴びる、山田インフル明けでまとめる
M1能美(20km): 初の名大新(1:32'58)
M2インカレ: 棚ぼたの3位入賞、鈴木4位山田5位とみー7位
M2秋季: 初優勝、1年生の10000mデビュー
その後: 千葉サイレント引退
M2高畠: 2度目の名大新(1:31'49)
その後: 日本選手権標準が2分上がる(1:32'00)、山田その被害を被る
M2国士舘: ラストトラックレースで撃沈、鈴木標準切る
日本選手権: 3度目の名大新(1:29'20)、悔いなく引退
(引退後: 山田再び標準切る)

特に高畠では、1秒を削り出すことの大切さを実感しました(東洋大お馴染みフレーズ)。17km過ぎて失速しましたが、自分なりには粘りました。結果は1:31'49。その2週間後、日本選手権の標準が1:34'00から1:32'00に上がりました。あの時もう少し失速していたら、日本選手権は出られませんでした。悪いなりに粘ってよかったと後になって思える試合でした。日々の主要ポイント練やTTから1秒を意識した取り組みの重要性を再確認させられた試合でした。

4年からの後半は充実しているとも言われていましたが、全てが楽しかった訳ではありません。フォームがよくならない、大事な試合前に調子が上がらない、結果を求め続けることのプレッシャー、最上級生としての責任感を持ち続けること、同じいじり方ばかりするP長の対処方法など、苦労したこともありました。
しかし、競歩パートは皆面白く愉快で学年の壁はなく、時にはストイックであり、時にはのほほんとしており、皆がいたからこそキツい時も楽しく活動し競技でも切磋琢磨できました(前文のとある箇所はjoke)。最後の試合ではこれまでにないくらい楽しく最高の結果でした。特に現地まで駆けつけてくれた部員の応援は本当に力になりました。
途中で辞めようと思ったことは3.5週間に1回の周期でありましたが続けて良かったと思っています。

私が部活を引退し陸上競技から離れて感じたこと。
自分で言うのもあれですが、物凄い集中力と本気度で競技に取り組んでいたことを実感しました。それは日本選手権という最終目標を見つけ、それを達成すべくひたむきに取り組めたからだと思っています。
尚、現在は走ろうor歩こうと思ってもなかなかモチベーションが上がりません。Because there is no goal in walking or running seriously. 自分の軸となる相応な目標を立てそれを達成すべく考えて練習に取り組むのは大事だと引退してから感じさせられました。
ひとまず当分の目標は健康維持です(dull)。気が向いたら走り歩く気になればフォームを気にせず歩きます。
 また、陸上競技に取り組んだ経験を通して、目標を持ち自ら考えて取り組むことの大切さを知りました。また、学部時代に足の怪我をした経験から自分自身を徹底的に知り身体的精神的限界を見極めることの重要性を学びました。

現在怪我をしているorモチベーションが切れている皆様へ。
思うように走るor歩けず、辛い思いをしている時期だと思います。皆が走っている傍らで走りに関する本を読み筋トレする時間は苦痛でした。ですがこれらの補強などは復帰したときに必ず生かされます。周りからは「あいつ戻るの早いやん、才能の塊や」と言われている人は故障を経て進化した人です。才能ではありません。私も競歩の記録向上が著しい時期もありましたが、怪我の時に筋トレタバタをやってきた成果が2〜3年経って現れました。これらの取り組みが無駄でないことを確認しました。
続いてモチベーションが切れてしまった人へ。
結論から言えば、暫く休む期間を設けても大丈夫です。体力筋力落ちるのではないかと心配する人もいますが、意外と落ちません。それまで努力していたら、再開してから1〜2週間で走り方、歩き方を思い出せます。練習再開後は、無理をしないことが一番です。練習強度は弱くても継続が大事です。長距離種目において大きな覚醒はあまり期待しない方が良いです(経験談)。頑張りすぎてまたモチベーションが切れる、の悪循環に陥ります。
少しずつ課題や設定をクリアしていきましょう。
自分なりに考え継続して練習ができればば、トップレベルで競り合える日は必ずきます。今後の復帰と活躍を期待しています。

最後に、競歩パートの仲間たち、ダメダメな時も支え引退しても応援してくれた同期、山の上でお世話になった現OBの先輩、後輩部員、サポートしてくれたマネージャートレーナー、忙しい中グラウンドに足を運び練習を見て下さった育生さんや斎藤先生、治療院の先生方など、多くの人の支えがあって真剣に取り組め満足のいく競技生活ができました。Thank you for six years‼

これにて競歩レーンは完全終了です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
See you‼
2020/03/23
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: きょうか (11:57)
もだくん回してくれてありがとう。
寿司おごってもらわないといけないのに三月予定入れすぎてやばいので、早くおごってもらえるように頑張って日程調整するから待っててね!

中距離4年山中 今日香です。
すごく久しぶりにブログを書くなぁと思ったらもう卒業ですか、、。
ついこの間まで先輩方が卒業ブログ書いてたのに、本当に時が経つのが早い。

みんなより一足先に陸上から離れてもう半年ぐらい経つんですが、走ることはやめてません。ジョグは定期的にしてます。
走りたい時に走りたいだけ走る、今はそれがとてつもなく幸せです。

半年前の県選手権で約10年間やってきた陸上競技人生に終止符を打ちました。
やめた直後は落ち込んだりするのかなと思いましたが、そーゆーのは一切なく、すんなりやめれた自分にびっくりするくらいでした。

卒業ブログってみんな何書いてるんだろう
半年前のことだから熱い気持ちというものが薄れつつあるので、それを取り戻すのもかねてまずはこれまでの陸上人生を簡単に振り返ってみたいと思います。

ほとんどの人は私が800を走っている姿しか見たことないと思いますが、実は私は元短距離です。
中学生は100mの選手で、高校の推薦も100の選手としてお声がかかりました。大学一年の東海インカレも400mhに出場しました。

中学時代大して強くなかった自分にとって全国レベルの選手しか周りにいない環境は学ぶことも多かった反面、苦しい思いばかりしました。
怪我をきっかけに400に転向し、高校最後の年には400mHにも挑戦。
結果は個人は東海大会止まり、目標としていたインターハイには届きませんでした。

ですが、その悔いがあったからこそ大学でも陸上を続けることができだと思います。
大学では、今度こそ全国に行きたい、その一心で2年生から 800に転向しました。

大学では個人選手権には出場できたものの、目標としていた全カレには出場できませんでした。
またまた目標は達成できず結局陸上から退くことになりました。

こうやって振り返ると、自分が望んでいた輝かしい結果には到底届かず、悔いしか残らない10年間だったなと思います。
しかしこの陸上人生、特に大学四年間は一番濃厚で、自分をいろんな意味で成長させてくれました。

山の上のコーチのいない練習環境はデメリットもある反面、メリットも多くありました。
自分自身のことを理解して、自分が一番強くなる方法を考えて、いろんな手段を使って確かめて、ここまで追求することなんてまずできない。
良くも悪くも自分次第。
これが成功した時の達成感は中学高校では絶対に味わえません。
こんな素晴らしい経験をさせてくれた山の上には本当に感謝感謝です。

10年間の中で怪我も多くしました。
試合中の肉離れ(足が取れたかと思った)、脛骨の疲労骨折(気がついたら治ってた)、右中足骨4本疲労骨折(骨折りながらインハイ走った)。
全然自慢できることじゃないですし、怪我しないことが一番ですが、一回やそこら怪我しても腐らず焦らずやれば全然間に合うよってことを伝えたいです笑
昔の私みたいに無理して走ると長引くので少し違和感感じたら潔く休みましょう。

まあ10年間の思いはもっとありますが、この場でどうやって深く入っていいかよくわからないし、長々書いてもそんなにみなさん興味ないと思うので、ここらへんで終わっときます。

最後に後輩へ
それぞれいろんな想いで、週4回の練習に来ていると思いますが、目標は絶対に持つこと、そしてぼんやりとしたものでなくて、明確にしてほしいと思います。
目標がないとこんなきついことずっと続けられません。何も見えない状態で続けても楽しくないと思います。やる気でないし。


私は県選で目標としていた全カレへの道が消えたので、すぐやめました。ダラダラ続けても時間の無駄だと思ったからです。
あと陸上をしっかり楽しんでください。タイムが伸びなかったり、モチベーションが上がらなかったり、怪我をしたりなど、陸上が嫌いになりそうだったら、一回陸上から離れてみてもいいかもしれません。私も本当に走りたくない日があったら練習サボるとか結構やってました(毎回はやめてね)だから少しはサボることも大切なのでは?と思います。
あと、私は走ることはすごい嫌いでしたが、中距離のみんなと練習することは楽しかったので、みんなに会うために練習に行ってました。自分なりに楽しさを見つけて頑張ってください。

もう一つ、本当に速くなりたいと思ってる人へ、
高校では結果を残せていたのに大学に入ってから一切伸びなくて悩んでる選手も結構多いと思いますが、悩む暇あったら少しでも今出来ること考えろって言いたいです。
本当に自分も他人も納得できるくらい努力してるのか。一度考え直してみてください。大した努力もしてないのに、頑張ってるのに結果が出ない、タイムが戻らないって嘆くのは本当に頑張ってる人に失礼です。強い選手は周りが思ってる以上に努力してるし、それを当たり前にやっています。
別に死ぬほど練習しろって言ってるわけではありません。努力の仕方は人それぞれで、朝練するだとか、回復のために早く寝るとか、ご飯をしっかり食べるとか、禁酒するとか、ケアは欠かさないとか。
この努力が当たり前になれば絶対強い選手になれると思います。
私も競技やってた時は、強い選手と比べると自分の努力なんてゴミカスだなってつくづく思ってました。
競技やめた今でもあの時もっとちゃんとしてればと、後悔しかありません。
みんなには、勝負のレースで、自分はここまでやってきたんだからタイムが出ないわけがないって思うぐらい頑張ってほしいと思います。

こんなに一つのことに時間をかけて打ち込めることができるのは大学がラストチャンス。
残りの陸上人生存分に楽しんで、悔いが残らない終にしてください。

これでほんとに最後、
山の上陸上部で本当に良かった、中距離で本当に良かったです。中距離に誘ってくれた昔のパート長文吾さんには本当に感謝です。
四年間本当にありがとうございました。

次は四年間同じ800選手として頑張ってきたしほに回します。
自分にはない、彼女のポテンシャルの高さにはいつも恐れていました。(いつ抜かれるかビクビクしてた笑)
一度でいいので一緒のレースで走りたかったね笑
今年は怪我ゼロで頑張ってね。
私の代わりに全カレ行ってくれ!
2020/03/20
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: さとこう (22:28)
どうも。佐藤晃平です。
もだに回してもらいました。あふれ出た思いは名市のブログに書いたので、こちらでは気ままに話していきたいと思います。僕の思いを述べたものは名市陸上部のブログにあるので、そちらを参照してください。

卒業投稿のお話
卒業投稿を毎年読んでいます。今年は自分が卒業なので、同期の投稿の内容に深く共感しています。みんな思いを込めて練習に取り組んでいたこと、そして陸上競技に対する愛を感じました。そして、みんな書いてること同じですね(笑)。不思議ですね。
それなのに、どうして内容は同じはずなのに、同期や一つ上の先輩の卒業投稿には感動し、自分が一年生の時に読んだ卒業投稿はなぜか説教くさく感じるのでしょう?これも不思議ですよね。たぶん多くの人が感じていることだと思っています。一年生の自分と三・四年生の自分とではいったいどこが違うのでしょうか?
大きな違いは、終わりの自覚だと思います。
陸上に限らずどこにでも当てはまると思いますが、この時間が長く続くと考えてしまうとどうしてもだらけてしまいます。しかし、この時間は残りわずかしかないと考えると、不思議と力がわくのです。残り少ないと自覚すると、特に精神的に変化します。一年生の時よりも、より積極的に強くなるにはなにをすればよいのか、どこを改善すればよいのかを考えられます。僕が4年生の時には、自分は今年で卒業なので、その最後を飾ろうという気持ちが強くありました。自分に残された時間は少ない。それなら最後はこの大会でいい結果を出して終わろう、と強く思いました。
多くの宗教は、死を説きます。なぜでしょう?それは心を律するためだと思います。
キリスト教やイスラム教が天国と地獄を説くのは、死を意識することで、天国へいくためにはどうすればいいか考えるなど、心を律することができるからです。人間は時間があると必ず堕落してしまいます。堕落せずにいかに心を律するか、つまりいかに心を引き締めるか、これが最も大事です。慢心しないこと、さらに上を目指す気持ち。忘れないでいてほしいです。

山の上のお話
4年間山の上で練習できてとてもよかったです。
たくさんの仲間と出会い、つらい練習をし、酒を飲む。とっても充実していました。
レベルの高い仲間に刺激を受けたり、教えてもらったり、自分が強くなるためにはどうすればよいのか考えたり、そんな時間はすごく大切で重要でした。こいつに勝ちたい、この記録を出したいという気持ちが続いたのは、やはりみんなと練習できたからだと思います。
とっても充実した時間を過ごせてよかったです。

後輩へのお話
つらくなった時、やめたくなった時、体が思うとおりに動かない時、たくさん経験すると思います。常に楽しいなんて無理です。他にやりたいことを見つけたなら、それを優先しても問題ないと思います。だって大学生活は一度しかないのですから。
では部活をやる利点はなんでしょう?僕が出した答えは、輝かしい思い出が作れるということです。やっているうちは当たり前すぎて気づきませんでしたが、仲間と練習し、刺激され、とてもきらきらしている時間だと思います。振り返って、自分は素晴らしい大学時代を過ごせたと思えるなら、一番です。僕は陸上競技部に入って、陸上競技をやって素晴らしい時間が過ごせたと思えました。ほんとによかったです。
みなさんもぜひ、そう感じる陸上競技生活にしてほしいと思います。

最後に
ここまで部活ができたのは、先輩同期後輩、応援してくださった方々のおかげです。ありがとうございました。特に同期はたくさんの刺激を受けました。正直自分がここまで続けるとは思っていませんでした。続けられたのは同期のおかげです。ありがとう。この環境で過ごせたことは最高の思い出です。陸上を通して関わってくださった皆様に感謝です。

次はしゅんすけに回します。

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