中長ブログ - つかもとさんのエントリ

2018/12/05
東海学生駅伝まであと4日 part3

執筆者: つかもと (13:25)
河上先輩、回していただいてありがとうございます!
来年からは、河上先輩が名大のアイデンティティとも言えるMの名を背負っていくんですね。
えっ、まさかDも…?


どうもこんにちは。
塚本です。


最近雨鬱陶しいですね。今日は気持ちよく晴れてますが。
今年、ここまでNO体調不良の僕に最後の試練が降りかかっているようです。
でもまぁ、心配いりません。
コンディション調整のためなら、予定(授業)とかはいつでもキャンセルする所存です。


それでは余談に入っていきます、、、


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先日、愛知駅伝が行われました。
僕は今回も含め、刈谷市の代表として何回か参加させてもらっています。


この大会は、僕の中ではかなりインプレッシブな大会です。

この大会、数ある市町村対抗駅伝の中では少し特徴があります。それは、参加する世代の幅が広く、さらに細かく区間分けされていることです。
他の県をよく知りませんが、よく見るのは中学生、高校生、一般と3世代分くらいに分けて、各世代2,3人づつが走る、みたいな感じですかね。規模の大きい所だと一人の選手が2日間で2区間走らないといけないみたいなこともあるだとか。

対して愛知駅伝は、小学生、中学生、高校生(ジュニア)、一般のそれぞれ男女。さらに男女は分かれていませんが40歳以上の区間もあります。
その細かく分かれた区間に出走するのは各市町村から一人づつ。

何をグダグダと言ってんねん、て感じになってるかとは思いますが、このシステム、実は結構ヤバいことが起こります。
何かというと、実力差が出るんです。チーム内での相対的な実力差という意味でも、その区間内で見た実力差的にも。
それも、えげつないほどモロに。

意味わからないと思うの詳しめに説明します。
上でも言った通り、各チーム、出走するのは各年代から一人づつです。つまり、当たり前ですがその市町村にいるその年代の一番強い人が出走することになります。

仮に、例えば各世代のレベルがそこそこ高い市があったとします。その市で各年代で一番強い人は、普段から県内でもそれなりに戦える実力があります。しかし高校生の男子だけは偶然その代に人がおらず、一番強いの人でも県ではまるで戦えないほどとします。

何が起こるか分かりますでしょうか。
露骨に足を引っ張るんです。高校生男子のそいつが。

他の区間は区間上位で走ってくるのに、そいつだけ区間下位の実力ですから、めっちゃ順位を落とすことになります。そしてこれがまた残酷なことに、区間順位という数値としてすごく分かりやすい形で足の引っ張り方が可視化されてしまいます。

これ、各世代に何人か走るシステムであれば、ちょっと緩和されます。当然一番強い人だけが出てくるから強い市町村もあるわけで、何人か走ることになれば実力が劣る選手も出さないといけなくなる市が出てきて、区間配置の仕方違いにより戦力差が均されます。当然それでもこういう辛い人は出てくるでしょうけどね、、、
そう考えると現行の愛知駅伝のシステムは、表面上世代を越えて繋がるタスキ…みたいなキレイな感じに見せかけて、一部の人が割を食う悪魔の制度と言えなくもないです。


…なぜこんなにdisるかと言いますと、上で例えで出した高校生というのは、実は高校1年生の時の僕のノンフィクションエピなのです。
刈谷市は例年各世代それなりに強い人が揃っているのですが、中高生男子の育成に課題を抱えています。そこの区間では毎年苦戦を強いられるのですが、その年偶然中学生に県上位で戦う強い選手がいました。
高校生で選ばれたのは僕。当時の5000mの自己ベストは、15′38″。降旗さんと激闘の末破れ、出した記録ですね。
当然高校生区間には、県のトップレベルの、14分台の選手がたくさん出てきます。もちろん僕なんかひとたまりもありません。
不遇なことに男子ジュニア区間は2区。
さらに無情なことに、1区の中学生女子の子が、かなり上位でタスキを持ってきました。なすすべなく抜かれていき、4.8劼隆屬11人もの選手に抜かれました。
刈谷市は3区以降順調に巻き返し、徐々に順位を上げていきます。そしてアンカーまで上手く走りきり、僕にとっては最悪の形で幕を閉じました。


最悪の形、というのは、クソみたいな考え方ですが、僕一人がやらかした形だからです。チームの順位の推移を折れ線グラフにすると、綺麗なV字型、というかチェックマーク✔のような形になります。谷底は僕一人で作り上げています。
関係ないですが、後に応援メッセージ欄みたいなところで、「刈谷市の2区遅すぎん?」みたいな書き込みを見つけたりもしました。

この時は、相当凹みましたね、、、
これ、その立場にならないとわからないことかもしれませんが、匿名で叩かれるのはマジでメンタルがヤバい、、、

なんでこんなことをムキになって長々と語ったかと言うと、今回の大会を見ていてこの経験を思い出したからです。
今回、ある高校生の女の子で僕と同じような展開で、僕よりもよっぽど壮絶な経験をしたであろう選手がいました。女子のジュニア区間というのは後半にあるので、テレビなどでもある程度目立ってしまいました。
僕はとても気持ちがわかるので、同情してしまいました。全然知らない選手ですが、この経験をバネにこれから頑張ってほしいと思いました(何様)


ちょっとだけ触れようと思った話が長くなりすぎました。以上は余談の中でも余談。
以下も余談が続きます。


駅伝や対校戦など、団体で陸上競技をやっていると、時には足を引っ張ってしまうことが出てくると思います。

自分もこれまで、数多くの戦犯を経験してきたように思います。上の愛知駅伝のことも含め、チームの負けに直結するような走りをしてしまったことも何度かあります。

その中で、自分の中で大きく残っているのは、去年の一橋戦の走りです。戦犯、というほどでもなかったかもしれませんが、一位予想をされていながら負けてしまったことは、相手を勢いづかせてしまい総合の負けに繋がったと言ってもいいでしょう。
なんでかあんまりわからないですが、この時はこの時でめっっちゃ悔しかったことを覚えています。
それ以降僕は、これでもかというほど一橋大学を意識するようになり、毎日のように一橋大学のホームページをチェックするようになりました。


皆さん、一橋大学陸上部のホームページを見たことがありますでしょうか。特に中長の方、結構充実していて、普通に見ていてもそれなりに楽しいです。自分の中での因縁は終わりましたが今でも結構見てます。

中でも、僕たちにはないシステムとして、「掲示板」というものがあるのです。これは、選手たちが試合に出場するたびに反省を書いていくものです。
それだけなら他の大学もやってそうなことですが、何かって文量がとてつもなく多い。とても読みきれない。えげつなく詳細。人によっては調整法からメンタル面など事細かに分けて振り返っています。


自分はこれを発見して、考え方がだいぶ広がりました。なんと自分のダイアリーの内容の薄っぺらいこと。めちゃくちゃ恥ずかしくなりました。文字として反省を書き残すことの意味は、こうまでしてやっと生まれるものなのか、と。


人によるとは思います。日誌とか書いてなくても速い人は速いですね。
でも一回、見てみてほしいなと思います。


最近パート内のミーティングで、よく考えて練習をするべき、的な話をしました。
必要なことは、トライ&エラーを繰り返して、良い方法を見つけていくことだと考えています。
そのためには、エラーをはっきりとさせ、それとよく向き合うことが大切なことは言うまでもありません。


一橋大学のみんなは、僕らと目指すところが違います。彼らの最終目標は箱根駅伝の予選会で、20劼鬚いに速く走るかということを主眼においています。僕らとくらべて、よりごまかしがきかないとも言えますかね。
そんな中で、彼らはそのプロセスを掲示板や部内の練習日誌を通して上手くやり抜き、記録を向上させていっているのです。(実際はどうかを詳しく知りませんが…)


またこれを契機に、色々な大学の陸上部のブログや練習日誌を読み回るようになりました。
選手によって、様々な信条や考え方の偏りが見えて面白いです。
そういったものすべて含めて、僕の陸上に対する知識として堆積していき、強くなるための試行錯誤の材料となっていきました。


話は少し変わってしまいますが、七大戦を持って、中距離のパート長に小川が就任しました。
1年の時の彼しか知らない人からしたら、今の彼は「誰?」て感じかもしれません。
今季、彼は飛躍しました。1500mのタイムを10秒以上縮め、今や名大中距離のエースです。
彼が変わったからタイムが飛躍したのか、タイムの飛躍が彼を変えたのか、よく分かりませんが。


彼はよく、こう言っています。
陸上と受験は一緒、メニューは授業と一緒、と。
何が言いたいかと言うと、授業だけ受けっぱなしでも学力は伸びないのと同じように、メニューだけやってたって伸びるとは限らない。大事なのは自分には何が足りないのかを分析し、それを補うためには何をしなければならないかを考えること。


陸上は、積み重ねが大事だと言われています。練習を継続することが、伸びるためにはまずは必要です。しかし、だからこそいつも同じことの繰り返しになり、次第に思考停止に陥ります。
そうなった時に、自分をよく分析し、何が足りないのかを把握すること、何をすれば解決に向かうのかの方法を考える必要があります。
そしてこれをら探し出すのは、とても難しいことだと思います。


前々主将「人類生存のための科学」
http://nagoya-univ.sakura.ne.jp/middle-long/modules/weblog/details.php?blog_id=2736


自分の経験を言葉に書き起こす必要は出てきます。
自分を客観的に分析する必要があるから。
そうしたら、自分の抱えた問題が見えてきます。
本来色々なことを試してみて、やっと解決策が見つかります。しかしそんなことしなくても、答えが見つかる可能性があります。
多くの人がそれぞれの体験や考えを文字として発信しているし、僕たちの場合、同じ道を通った先人たちが近くにたくさんいるからです。
勉強に例えると、数多くの参考書がこの世には転がっているし、チューターや先生がたくさんいるから、とかですかね。


中距離では、春に自分がどうなっていたいか共有し、そのためにどうするか、また自身を管理するための取り組みが行われ始めてるようです。小川パート長を中心に、パート全体が、これから変わろうとしているのでしょう。



最後にもう一個だけ直接は関係ない話を。
編集段階ではわからないですが、ここまででけっこう長くなってしまっている可能性はあります。ごめんなさい、、、


去年の夏頃、自分は「3強入り」を目標に掲げていたと思います。
3強というのは、目指すべき存在でありながら、いつも自分にヒントを与えてくれる存在でした。
気がついたら、(記録だけで見れば)自分も肩を並べるくらいにはなれていました。

しかし、追いついたと思ったらまた、壁は高くなっていました。


「私が後輩にとっての超えるべき壁となり,一人でも多くの後輩が私を超えることで,強いチームになっていけたらと思います.しかし壁が低いようでは意味をなさないため,私自身も日々の鍛錬を欠かさないように精進していきます.」



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ご存知の方も多いかもしれませんが、僕は東海学生が終わると長距離パート長に就任します。


誰がなるにしろ、長距離パートは、大きく変わっていくと思います。
僕は、佳境を迎えた代の前線に立たせていただきます。決して、弱体化の年のパート長として大学陸上を終えたくないのです。

当たり前ですが、もう一度深く陸上というものに向き合わなければならないと感じます。
これからチームを作っていこうとする時には、今まで見てきたたくさんのチームの考え方、先輩たちから得た知恵や教訓、パート長仲間となる小川や山田が持っている情熱、そしてそこから作り上げた自分の信念のようなものが、自分の助けとなると信じています。


以降、チームは主軸を多く失います。
彼らは、僕にとってはまさに「先人」でした。
これからは、その目印無しで前に進んでいくことになるでしょう。
でも僕は、これからももっと強くなっていくつもりでいます。パートのみんなも一緒に。
人は、夢を持つことができる生き物なのですね、、、

僕たちは、来年以降も戦える。僕自身、そう他のチームに知らしめられるような走りを、当日したいと思います。


そして何より、頼りになる院生の方々を含めた先輩方と走れる最後の機会に、チームの優勝に貢献するような走りを。


区間賞を獲ります!



当日は朝早く寒いですが、サポート、応援の方よろしくお願いします。


結局長くなってしまいました。次に回したいと思います。

國司さん、お願いします!
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