中長ブログ - 上寺啓太さんのエントリ |
最新エントリ
2019/03/25
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (23:30)
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M2の上寺です。流れ的に今年は学部生だけなのかなと思って書くことを何も考えていないのに、後が詰まっているみたいなので急いで書かなくてはならず、さらに元々文章を書くことが苦手ということもあって、今すぐ逃げ出したい。 とりあえず近況報告。 2月中に学業を終えたので、3月上旬に下宿先を引き払って、帰省したり、旅行に行ったりしていました。新しい住所を与えられるのが明後日なので、今は2年生の某DQNの家に居候させてもらっています。実際感謝。彼は僕をATMとしか思っていないみたいだけど。 なにも書くことが思い浮かばないので、テンプレ通りに自分の振り返りとありがたい言葉を贈呈したいと思います。 とりあえず5000mの記録の推移をまとめてみました。 入部時 16.48 1年 17.09 2年 16.14 3年 16.07 4年 15.59 M1 知らん M2 15.57 高校ベストを超えたのは2年の6月でした。はじめてベストを出して以降はわりと順調に伸びていました。M1のときは空前絶後の長期の怪我をしたため、ベストはだせませんでした。それでも、この年はハーフでそれなりに納得できる走り(勝田ざこくね?)ができたのでよしと思っています。決して満足はしていないけれど、高校ベストを超えられない人もいる中で、それなりに順調に記録を伸ばせて納得はしています。 ただし、自分は順調に伸びていてはいけない側の立場でした。14分台とか15分前半のタイムで入部していたら話は別ですが、17分前後で入部してコツコツ記録を伸ばしていても、チームには何も貢献できません。“選手には程遠い人でもPBをだせばチームが盛り上がる”というのも分かるし何度も実感してきましたが、それでも学生生活をささげて競技に取り組む以上は“選手として”チームに貢献したかったなという想いはあります。その点での後悔はあります。 話は変わりますが、競技を引退した今思うことは、想像以上に陸上中心の生活であったなということです。 速くなるためには走って食べて寝る、これが基本だと思います。毎日走って、栄養を考えながら食事をとって、夜更かしせずに寝る。当たり前のようにやっていたし、現役生のみんなはこんな生活をおくっていることだろうと思いますが、実はこれ、当たり前じゃないんです。 したいかどうかは別として、競技をしていなければ走ることに縛られないので自由に時間が使えます。土日に1日中拘束されることもないので好きなだけバイトできるし、旅行にも行けます。お金と時間を使って治療をする必要もありません。食べたいときに食べたいものを好きなだけ食べられるし、毎週のように夜通し酒を飲み散らかすこともできます。 なんの苦も無く貴重な学生生活を競技にささげることができる人はあまりいないと思っています。いろんな人がいて、例えば時間を縛られることが嫌な人もいるだろうし、実際に原則参加のシステムができた時には反対意見もありました。僕は時間を縛られることは全然苦じゃなかったけど、太りやすい体質なので食べるものを制限しなければいけないのはしんどかったです。 こんな風に、多くの人がなにかしらの、“競技をしていなければしなくてよかった我慢”をしていると思います。 それでも競技を続けているのは、強くなりたいから、この一言に尽きると思います。 強くなりたい理由は、なんでもいい。選手として活躍したい、チームに貢献したい、いろいろあると思います。なんでもいいから、自分のなかで確固たる信念をもって、徹底して競技を続けた方がいいと思います。中途半端はもったいない。 僕は、入部当初から予選会等の大舞台で好走する先輩方や第一線で活躍する同期たちに強く憧れていました。だから、選手として活躍したいと思って、それだけを目標に競技に取り組んできました。 結局、終わってみれば大舞台で活躍するような選手にはなれませんでした。しかし、最後の試合である東海学生駅伝(中京大記録会ってなに?)に運よく出場させていただくことができ、そこで少しは周りの人に認めてもらえるような走りができたので、競技者としては全く悔いはありません。上にも書いた通り、チームに貢献できなかったという後悔はありますが、全く競技に未練のない形で引退でき、幸せだと思っています。 それでも、前の人も言っていた通り、自分自身も徹底して競技に取り組めていたかと考えれば、そうではありません。特に、怪我をしたときや就活で精神を蝕まれていた時期など、くさりかけていた時期もありました。僕はたまたま、最後の試合で納得できる走りが出来たので悔いなく引退できましたが、もしあの試合でミスをしていたら大きな未練を残していたと思います。 だからこそ、今後も競技を続ける後輩たちには、徹底して競技に取り組んでほしいなと思います。終わった後に後悔しないために。 最後になりますが、やまのうえで関わった全ての方々、ありがとうございました。特に、6年間を共に過ごした同期(けぬなんで一緒に卒業してないの〜?)には感謝しています。もっと特に、最初はにぎやかだった同期が中距離へ移籍したり4年で卒業したりして減っていく中、最後まで長距離パートとして共に過ごした、名大のエースこと岸田にはまじのガチで感謝しています。ありがとう。 4月からは引っ越して遠い場所(名古屋大学駅から2駅らしい)に行ってしまいますが、たまには遊びましょう。みんなスマブラ強くなってな?(安藤はトラウマ) 次は文吾に回します。 |
2018/12/08
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (17:13)
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和田&内田、回してくれてありがとう。M2の上寺です。 しばらくとめていて申し訳ありません。国語が苦手で(センター試験104点)作文能力が極端に低く、まとまった時間がないと文章が書けない性質なんですが、1ヶ月前くらいから急にやることが増えて(これでも一応大学院生)全く筆がうごきませんでした…。すまない。 早速ですが本題に。 いよいよ明日は東海学生駅伝。来週の中京大記録会にエントリーはしていましたが、今のところ出るつもりはないので一応明日で引退ということになります。 朝や夜に川名公園で老人子供やウェイ系大学生たちの好奇の目を浴びながら走った毎日やレースや練習で喜んだり悲しんだり、そんな日々も明日で終わりかと思うとなんとも言えない寂寥感があります。よくパトロールしていたダイアリーも、見ることも書くこともなくなると思うと寂しい。 4年生の最後の試合で怪我をして以降、大学院では苦しい日々でした。怪我が治ったと思ったらまた別の場所を痛める、いよいよ大丈夫かと思っても中々思い通りに走れない。特にM1の秋シーズン、怪我で東海学生の選手争いにすら絡めなかった時は、長い競技生活で初めて走るのをやめてしまいたいと思いました。 こうして振り返ってみると、大学院の2年間でまともに走れていたのは数ヶ月だけです。 それでも、M2の秋以降は(タイムには全く満足していないけど)自己ベストは出せたし、夏までの自分からは考えられないくらい練習もこなせて、本当に楽しい日々でした。試合でうまく結果を出せなかったのは自分のツメの甘さだと痛感していますが、それでも後悔はほとんどありません。続けてよかった。 なんか卒業ブログみたいになってしまいましたが、もちろんまだ終わったわけじゃなく、明日が最後の試合です。 Bチームではありますが、この試合は入部当初からずっと出たいと思っていた試合です。だからこそ、最後の最後に走れることは本当に嬉しいです。ただ正直なところ、チーム事情とかはあるにせよ、来年からチームに残らないのにボーダーすれすれの実力でBチームを走らせてもらうことにはかなりの申し訳なさも感じています。 しかし、だからこそ、こういった貴重な機会を頂けたことにとてつもなく感謝しています。と同時に、貴重な1枠を使って出場させてもらう以上、絶対に情けない走りはできないので覚悟を持って出走します。 お世話になった方々へ走りで恩返し、といえるほどの実力は僕にはありません。厳し目なコースで正直自信もありません。しかし、忙しい時間をぬって指導してくださった育生さんをはじめ、引退して時間がたっても応援に駆けつけてくださるOBさん、6年間苦楽を共にした同期・先輩、生意気ながらもよく絡んでくれる後輩たち、そういった山の上でお世話になった全ての方々の前で無様な走りを晒したくない。晒すわけにはいかない。わざわざ応援に来てくれている人の前で情けない走りをするのは競技者として失格、と以前カメ先輩がおっしゃっていましたが、今はその意味がよく分かります。 皆がどれくらい意識しているのかは分かりませんが、オープン扱いではあるけどBチームとしての目標(3時間30分以内)もあります。このタイムは現在の距離・コースに変わって以降の4年間(出走は3回)で一度も達成されていません。しかし、(コンディションやレース展開、コースの難易度とかはあるにせよ)1kmあたりで言えば3.18~19秒くらい、決して無理な数字ではないと思っています。この目標に近づくために、少しでもチームに貢献できるよう全力を尽くします。 ここまで自分のことを書き連ねましたが、もちろんパートとして目指すのはAチーム。今年はかなりの布陣が揃っており、期待が高まります。 特に、最後まで6年間をともに過ごした同期の2人には、なんとしてもいい走りをして締めくくってほしいです。彼らの背中は1ミリも見えないまま終わってしまいましたが、それでも第一線で活躍し続ける姿にいつも鼓舞されていました。直接応援することはできないけれど、2人が勝利を手繰り寄せるような走りをみせてくれることを祈っています。 最後に。 私はこの試合に関して5年間付き添い・サポートでした。もちろん、付き添いとしての役割は責任もって100%こなしてきたと思っています。が、心の隅では“自分はチームに全く貢献できていない”という想いが常にありました。 少し前のブログで、走る選手は“凄い”のであって“偉い”わけではない、とP長は言っていました。同じようなことを過去にも言われたことがありましたが、実際に選手として走らないとなると、どうしても「チームに貢献する=選手として結果を出す」という考え方になってしまいます。これはたぶん僕だけではないはずです。 駅伝は陸上競技の中で数少ないチームスポーツです。去年までの自分はこの“チーム“というのは”走る選手”という意味として捉えていましたが、今は違います。 走れない悔しさを堪えながらも真摯にサポートしてくれる姿勢をみれば、必ずそれに報いてあげたい、報いなければならないという気持ちになり、やる気がでます。苦しい場面で応援されれば「もう少し頑張ろう」と、必ず力になります。車を出してくれる人がいなければ万全の状態でスタートラインにたてないだろうし、自分を犠牲にして運営してくれる人がいなければそもそも試合が成立しません。 何がいいたいかというと、選手はいわずもがな、付き添いはサポートで、応援は応援で、形は違えど自分に与えられた役割をしっかりこなすことは必ずチームへの貢献につながります。昔の僕が180度違う考えだったように異論はあると思いますけど、少なくとも今の僕はそう思います。 悔しさはもってもいいと思います。というかもってください。それが今後の原動力となり糧となるはずです。ただ、決して卑屈になる必要はありません。選手になれなかったからとふて腐れて無気力になる…人はいないと思いますが、それぞれが責任感をもって行動すれば、それがチームの勝利につながります。チーム全員が各々の役割をしっかりとこなして、その結果勝利をおさめることができたなら、その要因の何割かには必ずサポート・応援も寄与しています。だからこそ、自信をもって行動してください。 と、去年までの自分に言ってやりたいです。。。 P長とほとんど内容がかぶっていましたが、5年サポートの僕が言うと少しは説得力ありませんかね。笑 これにて上寺レーンは終了です。Bレーンで書いてない残りの2人(柴田&鈴木健)にもう一度まわしておきます。Aの人より遅く書くのはさすがにだめよ? というわけで、明日は全員で勝利を掴みましょう。 |
2017/03/17
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (22:35)
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卒業レーントップバッターの上寺です。 3日前に卒論を提出し、(たぶん)卒業が決まりほっとしています。 後輩のみんなは春休み終盤で、そろそろ死にたさが増してくるじきだと思うけど、 僕の春休みはまだ始まったばかり… 昨日は春休みイベント第一弾として某主将のゴミ屋敷を掃除しに行ってきました。 彼も3年間で少しは成長したらしく、いつもより掃除し甲斐がなかったのが残念です(とは言っても開始5分で45Lのゴミ袋がいっぱいになるくらいには散乱してた) 明日からは少しだけ地元に帰り、全日本競歩のサポート・応援をしてきます。おねがいだから実家をゴミ屋敷にするのだけはやめて? ゴミ屋敷を掃除し、さらにサポートまでするという好待遇なんだから、日本選手権標準は軽く切ってほしいものです。失格したら張り倒す。 卒業レーンなのでありがたいお言葉をおくろうかとおもいましたが、特に思い浮かばないので手短に自分語りをして終わろうと思います。 4年間を通じて、本当に同期に受けた影響が大きかったなと思いました。 今の4年生はあまり情熱を表に出すタイプではなかったけど、各々確固たる目標をもっていて、それにむけて黙々と練習をする。そんな選手が多かったのではないかと思います。 そんな背中をみて、学ばせてもらったことが多くありました。 今もそうだけど、入部時の持ちタイムは僕だけが圧倒的に遅く、一方で、同期たちは1年のときから対校戦のポイント選手を走ることも多く、正直遠い存在に感じていました。 でも、普段の練習からちょくちょく 「今日よかったじゃん」 とか 「フォームよくなったんじゃない?」 「こうすればもっとよくなるんじゃない?」 と、アドバイスをもらえて、気にかけてもらえて、そのうち 「こいつらに認めてもらえるような選手になろう」 と強く思うようになりました。 今でも、僕の走るモチベーションのほとんどはこれです。 幸いにも同期のほとんどが山の上に残ります。 刺激をもらってばかりで、僕から彼らに何かを与えることはできなかったけど、あと2年間で必ず、彼らに認めてもらえるような結果を出します。 以上、駄文になってしまいましたが終わります。 次は部活だけでなく勉強面もお世話になった藤原に回します。 よろしく。 |
2016/11/13
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (09:25)
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おはようございます。上寺です。 柴田まわしてくれてありがとう。 結果的に今回はよかったけど、次回以降はこの回し方はフラグになりかねないから気をつけようね。(真顔) まずは昨日の駅伝強化お疲れさまでした。 多くの方がPB or UBを出していて、例年に負けず劣らずお祭りだったのではないでしょうか。 とにもかくにも、名大としては来月の東海学生に向けていい流れをつくれたのではないかと思います。 今日も日体大でエースの2人がはしるので、20時くらいにはみなさんで日体大のホームページに張り付いて、F5キーを連打しましょうね。 個人的には千葉の2年ぶりのPB、サトケン先輩の14分台、そして1年間チームを引っ張ってきた我らがP長のPBが印象的で、応援にも熱が入りました。 僕自身としましてはやっっっっっっっっっっっっっと16分をきれたということで、4年生のお荷物(4年生最後の16分台)から4年生の小荷物くらいには昇格できたというところでしょうか。 残りのシーズンは(物理的に)走れるかわかりませんが、チャンスがあればもう一度PBを狙っていきたいと思います。 入部当初は 「まず16分をきってからがスタートライン」と思っていましたが、スタートラインに立つまでに3年半もかかってしまいました。 逆に言えば3年半でちょっとづつタイムを縮めていき、ようやくスタートラインには立てました。 自分は来年以降も競技を続ける予定ですので、来年はもっともっとチームに刺激を与えられるような存在になれるよう精進します。 15分59秒程度で何をほざいているんだと思う方もいるかもしれませんがあとひとつ。 僕の入部当時の5000mの記録は16分49秒でした。 僕より後に入部した後輩たちでこの記録より遅い記録をもって入部した人は、未経験者の3人を除いていない(はず)です。 もっといえば1年生のときの僕のSBは17分9秒で、練習も男子の一番下のチームでこなせないようなへっぽこ野郎でした。(今もへっぽこですけどね) そんな僕でも、3年半もかかりましたが、とりあえず16分をきるところまではこれました。 いわんやみんなをや、ってわけです。 何が言いたいかというと、去年は1人もいなかった「初めて16分を切った選手」(ただし一林は除く)が、まだ今シーズンは終わっていませんが今のところ河上と僕で2人出ているので 「あいつらでもいけるならオレでもいけるじゃん」 と思ってください。 ちなみに、僕も負けないように頑張ります。 ここまで読んでくださってありがとうございます。 以下は最近の僕の回顧録ですので、暇な方はどうぞ。 先にブログパスをしておきます。 宣言通り好走をした浮津に回そうかと思いましたが、たぶん近いうちに東海学生レーンで書くと思うので、昨日同じくPBを出した千葉に回します。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下回想〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 話は2週間以上前にさかのぼる。 当時の僕は練習の消化具合が非常によく、調子に乗っていた。最っ高に。 「実際15分台よゆっっ!!」とか言っていた。 いわゆる黒歴史である。 10月30日(日) 迎えた中京大記録会。17時45分。スタートの号砲とともに、僕は快調にその一歩を確実に、力強く踏み出した。はずだった。 結果はみなさんご存じなので割愛させていただくが、 「穴があったら入りたい」とはまさにこのことである。 というかあの時の僕しかこの慣用句を使いこなせないのではないだろうか。 その後は駅伝強化前にもかかわらず、指数関数的に調子が下がり、一週間前の最終練習ではここ2か月で最も走りの感覚が悪かった。 そして迎えた駅伝強化当日。 午前8時半。起床。体が重い。 朝食をとる。体が重い。 マックスバリューに行って買い物(+α)をする。心なしか体が軽くなった気がした。 ・・・・・ 15時半。競技場着。少し応援をしてアップを始める。足が重い。 まあ今までの自分の傾向的に調子悪いと思っている時の方が記録はでる、と暗示をかけながらスタートラインにつく。 17時20分。スタート。 1周目。想定していたドンピシャのペースで先頭が引いてくれた。ありがてぇ。 1000mの通過。ここでPBを確信した。 3000mの通過。若干遅いけど余裕はある。ペース上がるだろうから前の方へいこう。 3450m。悲劇はおきた。突然に。 (ちょいきつくなってきたな…でもまだいけそう、50切りを目指そうか…あっ!) そう思ったときにはすでに、僕の右足は死んでいた。 (あれ、足痛くね?これやばくね?ん〜どしよ〜〜??) 残りはあと3周と半分。とりあえず一周はしってみる。 マネージャーさん「この1周82秒です!!」 僕は絶望した。圧倒的に。 あぁ情けない。またこのまま終わってしまうのか。 そう思っていたが、レース中ということが幸いしてアドレナリンにより痛みが消えてきた。 (あれ?わんちゃんあるんじゃね?) この時点で残りは800m。僕は死に物狂いで走った。 目標タイムには届かなかったがなんとか15分台でフィニッシュ。それと同時に僕の右足もフィニッシュ。 その後はみなさんも知るところである。 ・・・・・ ここで悲劇は終わったと思っていた。 だが甘かった。自己ベストを出した代償は大きかった。 (帰路にて…) 僕は自転車を軽快にこいでいた。 あれ、なんか調子悪くね? そう思ったときにはすでに手遅れであった。 後輪の部品が破損していたのだ。 (このままこいでいたら後輪はずれおちて大けがするかも。危ないから押して帰ろう。) 僕は自転車を押して帰ることにした。 そして僕は重大な事実に気が付いた。 (…あれっ、押して帰るの無理じゃね?) そう、僕の右足は死んでいたのである。 家までの距離はおよそ2〜3辧死んだ右足。壊れた自転車。 人生21年。ここまで絶望的な状況があっただろうか。いや、ない。 夜の川名に僕の足を引きづる音が響き渡っていた…。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 実際心は折れかけていましたが、それでもなんとか走りきれたのはまぎれもなく応援のおかげです。 特に僕の後や明日に試合が控えているのにもかかわらず応援して下さった方、本当にありがとうございました。もっともっと精進します。 |
2016/05/16
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (18:27)
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岸田さん。どうも。 今の自分は忙しさ10段階評価で2.3くらいです。つまり暇です。 上寺です。 ブログかなり久しぶりだなと思いましたが、4か月ぶりくらいでした。 ま、ふつ〜めやね。 例にのっとって自己紹介します。 名前:上寺 啓太 出身:石川県金沢市 出身校:金沢桜丘高校 所属:名古屋大学工学部物理工学科材料工学コース…(あとになんかつづきますけどよくわかりません) 好きなもの:ウォシュレット 4月に研究室に配属され、希望通りの研究室に入ることができました。 國司先輩と同じ研究室です。研究テーマも國司先輩と似ています。。 とはいってもコアタイムもなくそんなに忙しい研究室ではない(と思う)ので、今は大学に行くこともそんなになく、走るか寝るか、(ほどほどに)院試の勉強をするか、くらいしかしていません。 なので同期の就活ガチ勢()に比べればだいぶ暇です。 東海インカレ3日間お疲れさまでした。 3日間を通して、改めてこのような大舞台で優勝争いを繰り広げる同期や先輩方が本当にすごいなと思いました。 もちろん、本人たちは満足していない部分もたくさんあるかと思いますが。 自分自身はといいますと 4月の頭に軽い怪我をしたので、春季と中京大は練習のつもりで出場して(それにしてもダメだったけど)、このインカレOPに照準を合わせていました。 中京大後は足の痛みが少しあったのでジョグ等の距離を抑えつつも、ポイント練習はしっかりこなしました。 要所の練習(最近でいうと土曜日の練習)はほぼこなせていたので、というか過去の自分と比べてもかなりいい方の練習消化状況だったので、いけるかな、と思っていました。 で、レース・結果はここで書けるようないいものではなかったので割愛しますが、(今さらながら)自分の課題を知ることはできたと思います。 実際にはインカレの少し前から分かっていたことですが、そんなに簡単に短時間に解決しないからこその課題なので、長い目で、遅くとも秋には解決できるよう取り組んでいきたいと思っています。 というと誤解があるかもしれませんが、上半期もあと何レースか走る予定ですので、1本1本を無駄にしないよう走ります。もう4年で残された時間もあまりないので。 では次に回します。 最近書いたような気がしなくもないですが、インカレレーンでだいたいの人が書いてしまったので、最近ようやく怪我なく走れるようになってきた鈴木(健)に回します。 |
2016/01/26
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (15:42)
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こんにちは。上寺です。 河上回してくれてありがとう。 自分も滑舌が悪いほうだと思っていたけど、河上や遠藤に出会って安心しました。 本当にありがとう。 最近寒すぎますね、、、 自宅では下宿を始めてから今までで1,2回しかつけたことのなかった暖房を、ここ3日ほど連続でつけて寒さをしのいでいます。 よく 「北陸出身からしたら大した寒さじゃないやろ」 とか 「このぐらいの雪たいしたことないやろ」 とか言われますが… これは誤解です。 個人的には風が強い分、圧倒的に名古屋のほうが冬は寒く感じます。 あと、雪が降る地方には道路に融雪がついているし、みんな冬になればスノータイヤに変えているので、そんなに危なくありません。 が、名古屋にはそんなものはなく、雪に慣れているとかそういう問題ではありません。(昨日は2回こけました…) まあ明後日くらいからまた暖冬傾向に戻るらしいんで、それまでの我慢ですね。 競技のほうは、可もなく不可もなく、という感じです。 ただ、今までの冬季練とはちがって自分なりに考えて、知識ある方々にアドバイスももらいながら練習をできていると思います。 来シーズンが早くも学部最終学年となってしまったので、今までのようなしょぼい結果ではなく、 「上寺、どした〜??」 と、みんなをびっくりさせるような結果をだしてみせます。 そしてしっかり選手争いに加わり、チームを下から押し上げていけるような存在になれるよう、精進します。 次は、最近学部のことでいろいろお世話になっている金田先輩にお願いします。 またお話聞かせてください。 |
2015/09/04
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (11:05)
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こんにちは。上寺です。 今日は久しぶりに晴れてますね。 さちほちゃん回してくれてありがとう! また日々の練習でお世話になるかもしれないですが、よろしくおねがいします。 夏休みもはや折り返しをすぎました。みなさんはどのようにすごしていますか? 僕は家にいるときはソーシャルゲームしかしていない気がします。。 本当に中身のない生活です。 ここ最近のビッグイベントといえば、来週にTOEICを受けることですかね。 期末試験前はやる気に満ち溢れていたんですけど、いざ夏休みになると勉強できないものです。人間の愚かさを実感しています。。。 TOEICが終わったら本格的に暇になるので、だれかいい暇つぶしがあれば教えてください、、、 では本題。 6月初めくらいから足を痛めたこともあって、ずっと不調が続いていました。 合宿前くらいにほんの少しだけ走れるようになったので、なにか復調のきっかけを掴めればいいなと思い合宿に臨みました。 合宿では最終日までにBで走ることを目標にしていましたが、思ったより走れていたので3日目朝にはBに加わりました。最終日も割と走れたので、復調のきっかけを掴めたかな…と思っていました。 合宿後は、合宿中が嘘のように足が動かなくなり、また不調。のループに陥りかけていましたが、今週からメニュー復帰し、タイムはまだまだですがいい感覚では走れているので、とりあえず一安心しています。 秋シーズン、もちろん目標はありますが、今は試合に出られる状態ではないので、とりあえず春ごろの調子まで戻します。一橋戦に間に合えばいいかな… では次に回します。 次は院試お疲れ様です、そして全カレ頑張ってください! の國司先輩にお願いします。 また研究室の話を聞かせて下さい! |
2015/05/10
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (22:44)
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こんばんは。上寺です。 一応今季初ブログなので自己紹介しておきます。 名前:上寺 啓太 学部:工学部物理工学科 出身:石川県金沢市 特徴: … ついに初のポイント選手となりました。 ここまでの道のり、とても長かったです。 ポイント選手として、それも東海インカレという大きな試合で走らせて頂くことができるとは、2年前の入部当時の僕からは考えられないことです。 と、こんな書き方をすると東海インカレ出場がゴールみたいに思われてしまいますね笑 とにかく、この試合をいい経験にできるようしっかり走ってきます! ひっそり出場してきた地元の県選手権では、ボロボロだった春季と比べればそこそこ走れました。 ただ、この試合もレース展開にまだまだ改善点があると感じたので、インカレでは最低でもPB、あわよくば10分をきれたらな、と思っています。 短いですが次に回します。 次は優勝が期待される文吾に回します。 全カレ目指してがんばってな! あと、前日に怪我するなよ! |
2015/03/01
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (14:39)
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こんにちは。上寺です。 われらがP長の出場しているびわ湖毎日マラソンを見ながらこのブログを書いています。 22劼らいで先輩の勇士を確認できました。 三輪ちゃん回してくれてありがとう! ちょうど1週間前の犬山10劼蚤臑臑臟死をかましたこのタイミングで、犬山在住(まちがってたらごめんね)の三輪ちゃんが僕にブログを回してくるあたりドSっぷりを感じずにはいられません… これが女帝たる所以なのですかね… さて今日は日本学生ハーフ、静岡マラソン、びわ湖毎日マラソンと長距離パートが各地で活躍する日でしたね。 出場された方々、本当にお疲れ様です! 10kmもまともに走れなかった僕にはマラソンはおろかハーフマラソンすらまともに走れる未来が見えません… 精進します。。 1月終わりくらいから2月初めくらいまではいい感じに練習をこなせていた…と思っていました。 わりと自信をもって臨んだ西濃駅伝では、向かい風がどの程度影響しているのか分かりませんがお世辞にもいい記録とはいえないようなタイムでした。 その後はなかなか疲労がぬけず、連戦となった犬山… 距離表示が正しいのかどうかわかりませんが5kmまではやや下りで追い風であったこともあり、まあまあのタイムで通過はできました。 その後は… ……… ということです。 自分は練習はできていても試合でそれに見合うような結果を出せないことが多々あるので、来シーズンは試合前の過ごし方を見直していかないといけないな、と痛感しています。 気が付けばもう3月…学部生の折り返し地点が目の前まで来ており、うかうかしていられません。 この失敗を引きずって調子を崩すことのないよう、気を引き締めて練習していきたいと考えている次第です。 でははやいですが、春休みでネタもないので次に回します。 同じく犬山10kmに出場した雅斗先輩、おねがいします。 |
2014/11/26
カテゴリ: 日記 :
執筆者: 上寺啓太 (19:52)
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佐伯回してくれてありがとう! 外見が怖い?なにを言っているんですかね… こんばんは。外見も内面も優しい上寺です。 来週はいよいよ東海学生ですね。 やはり大きな試合が近づくにつれ、語らずも徐々に雰囲気がピリピリしてきていますね。 僕はピリピリとしながらもチームが一つの目標に向かっていく、この雰囲気が大好きです! その前に、今週末には中京大記録会がありまして、僕も5000mに出場してきます。 11月はすでに2試合走っており、連戦の疲れからかあまり調子は良くありません。 ですが僕は 「今回はいけそうだ!」 と思った試合ではいい走りができないことが多く、今回の試合ではそのような期待を抱くことなく試合に臨むことになりそうなので、思わぬ記録がでちゃうかもしれません。 また、今回の試合を最後に4年生、M2の前で走る試合はないので、情けない走りにだけはならないよう、全力を尽くしてきます。 そして… 皆さんご存知の通り、今回の中京大記録会はBチームの選考も兼ねています。 けが人を除いて上位20人がA・Bチームに選ばれましたが、僕は21番目ということでBチームに入ることはできませんでした。 去年の自分の実績を考えれば、間違いなく成長はしています。 していますが… Bチームではありますが、20番目ではありますが、憧れであった名古屋大学陸上部のメンバーに入れるところまであと少しというところまで来て、届きませんでした。 補欠を目指してどうするんだ、という意見もあると思います。 しかし、僕は(今でも速くはありませんが)入部当時、もっと言えば去年の時点では補欠に入ることですら夢物語でした。 だからこそ、選手から見れば何の価値もなく、むしろ屈辱にすら感じてしまうかもしれない補欠ですが、僕にとってはたとえ補欠だとしてもそれに選ばれるということにはとても大きな意味があります。 正直、めちゃめちゃ悔しいです。 この経験、悔しさを糧にして今後の練習にはげんでいきます。 そして、来年こそは有無を言わせないような記録を出して、必ずやメンバーに入って見せます! 性にも合わないことを書き綴ってしまいすいません。 長くなりましたので次へ回します。 次は某コンビニの前でハーレムだったと噂の森長に回します。 よろしく〜 |