中長ブログ - 上寺啓太さんのエントリ |
2016/11/13
血の代償
執筆者: 上寺啓太 (09:25)
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おはようございます。上寺です。 柴田まわしてくれてありがとう。 結果的に今回はよかったけど、次回以降はこの回し方はフラグになりかねないから気をつけようね。(真顔) まずは昨日の駅伝強化お疲れさまでした。 多くの方がPB or UBを出していて、例年に負けず劣らずお祭りだったのではないでしょうか。 とにもかくにも、名大としては来月の東海学生に向けていい流れをつくれたのではないかと思います。 今日も日体大でエースの2人がはしるので、20時くらいにはみなさんで日体大のホームページに張り付いて、F5キーを連打しましょうね。 個人的には千葉の2年ぶりのPB、サトケン先輩の14分台、そして1年間チームを引っ張ってきた我らがP長のPBが印象的で、応援にも熱が入りました。 僕自身としましてはやっっっっっっっっっっっっっと16分をきれたということで、4年生のお荷物(4年生最後の16分台)から4年生の小荷物くらいには昇格できたというところでしょうか。 残りのシーズンは(物理的に)走れるかわかりませんが、チャンスがあればもう一度PBを狙っていきたいと思います。 入部当初は 「まず16分をきってからがスタートライン」と思っていましたが、スタートラインに立つまでに3年半もかかってしまいました。 逆に言えば3年半でちょっとづつタイムを縮めていき、ようやくスタートラインには立てました。 自分は来年以降も競技を続ける予定ですので、来年はもっともっとチームに刺激を与えられるような存在になれるよう精進します。 15分59秒程度で何をほざいているんだと思う方もいるかもしれませんがあとひとつ。 僕の入部当時の5000mの記録は16分49秒でした。 僕より後に入部した後輩たちでこの記録より遅い記録をもって入部した人は、未経験者の3人を除いていない(はず)です。 もっといえば1年生のときの僕のSBは17分9秒で、練習も男子の一番下のチームでこなせないようなへっぽこ野郎でした。(今もへっぽこですけどね) そんな僕でも、3年半もかかりましたが、とりあえず16分をきるところまではこれました。 いわんやみんなをや、ってわけです。 何が言いたいかというと、去年は1人もいなかった「初めて16分を切った選手」(ただし一林は除く)が、まだ今シーズンは終わっていませんが今のところ河上と僕で2人出ているので 「あいつらでもいけるならオレでもいけるじゃん」 と思ってください。 ちなみに、僕も負けないように頑張ります。 ここまで読んでくださってありがとうございます。 以下は最近の僕の回顧録ですので、暇な方はどうぞ。 先にブログパスをしておきます。 宣言通り好走をした浮津に回そうかと思いましたが、たぶん近いうちに東海学生レーンで書くと思うので、昨日同じくPBを出した千葉に回します。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下回想〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 話は2週間以上前にさかのぼる。 当時の僕は練習の消化具合が非常によく、調子に乗っていた。最っ高に。 「実際15分台よゆっっ!!」とか言っていた。 いわゆる黒歴史である。 10月30日(日) 迎えた中京大記録会。17時45分。スタートの号砲とともに、僕は快調にその一歩を確実に、力強く踏み出した。はずだった。 結果はみなさんご存じなので割愛させていただくが、 「穴があったら入りたい」とはまさにこのことである。 というかあの時の僕しかこの慣用句を使いこなせないのではないだろうか。 その後は駅伝強化前にもかかわらず、指数関数的に調子が下がり、一週間前の最終練習ではここ2か月で最も走りの感覚が悪かった。 そして迎えた駅伝強化当日。 午前8時半。起床。体が重い。 朝食をとる。体が重い。 マックスバリューに行って買い物(+α)をする。心なしか体が軽くなった気がした。 ・・・・・ 15時半。競技場着。少し応援をしてアップを始める。足が重い。 まあ今までの自分の傾向的に調子悪いと思っている時の方が記録はでる、と暗示をかけながらスタートラインにつく。 17時20分。スタート。 1周目。想定していたドンピシャのペースで先頭が引いてくれた。ありがてぇ。 1000mの通過。ここでPBを確信した。 3000mの通過。若干遅いけど余裕はある。ペース上がるだろうから前の方へいこう。 3450m。悲劇はおきた。突然に。 (ちょいきつくなってきたな…でもまだいけそう、50切りを目指そうか…あっ!) そう思ったときにはすでに、僕の右足は死んでいた。 (あれ、足痛くね?これやばくね?ん〜どしよ〜〜??) 残りはあと3周と半分。とりあえず一周はしってみる。 マネージャーさん「この1周82秒です!!」 僕は絶望した。圧倒的に。 あぁ情けない。またこのまま終わってしまうのか。 そう思っていたが、レース中ということが幸いしてアドレナリンにより痛みが消えてきた。 (あれ?わんちゃんあるんじゃね?) この時点で残りは800m。僕は死に物狂いで走った。 目標タイムには届かなかったがなんとか15分台でフィニッシュ。それと同時に僕の右足もフィニッシュ。 その後はみなさんも知るところである。 ・・・・・ ここで悲劇は終わったと思っていた。 だが甘かった。自己ベストを出した代償は大きかった。 (帰路にて…) 僕は自転車を軽快にこいでいた。 あれ、なんか調子悪くね? そう思ったときにはすでに手遅れであった。 後輪の部品が破損していたのだ。 (このままこいでいたら後輪はずれおちて大けがするかも。危ないから押して帰ろう。) 僕は自転車を押して帰ることにした。 そして僕は重大な事実に気が付いた。 (…あれっ、押して帰るの無理じゃね?) そう、僕の右足は死んでいたのである。 家までの距離はおよそ2〜3辧死んだ右足。壊れた自転車。 人生21年。ここまで絶望的な状況があっただろうか。いや、ない。 夜の川名に僕の足を引きづる音が響き渡っていた…。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 実際心は折れかけていましたが、それでもなんとか走りきれたのはまぎれもなく応援のおかげです。 特に僕の後や明日に試合が控えているのにもかかわらず応援して下さった方、本当にありがとうございました。もっともっと精進します。 |
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