中長ブログ - 佐藤雅彦さんのエントリ

2008/12/03
東海学生まであと4日!

執筆者: 佐藤雅彦 (13:52)
飯塚の首、暑苦しいよ。
それじゃあ、喉を開いて体を換気することもできないじゃないか。

貴婦人は確かに美しいが。

首を冷やさないことは、風邪予防の基本だと思っています。呼吸が楽になりますよ。でも、当日はいい天気になりそうですね。明け方の冷え切った空気を思いっきり吸い込んだら、きっと、人のぬくもりが感じられるでしょう。そんな中を走ってみたかったのですが、中山道で失敗して、それ以来、疲労が残ったままです。叶うことはありませんでした。

Bを4年で固めることを目標にしていたのですが、4年以外のメンバーに勝てるとは思っていません。悔しいですが、切り替えはできています。順応力は人よりもあるつもりですから。

ところで、メンバー争いをしてて思ったのですが、自分がメンバーになるために、蹴落とすことと、這い上がることは違うと思います。そして、今の自分の力をよく把握すること。強いチームにするには、這い上がっていかなければならない。蹴落としたのでは、チームが弱くなってしまう。

弱いのならば、強くなればいい。
遅いのならば、速くなればいい。
強くなれないのならば、後押しすればいい。
速くなれないのならば、信じて送り出せばいい。

駅伝って、そういうもんじゃないだろうか。
誰かが待っていると信じられるから走れる。
そしてそれは、大きくなって結果というひとつの形になる。

それは、川のようだと自分は思う。
最初は路も狭く、障害も多い。しかし、始まらなければ始まらない。そこを超えると、川は急流となって動き出す。途中で水をかき集めながら、幅を増していきそして大河となる。それまでの想いが水流となりそれは大きなものになるでしょう。しかし、そこには走ってきた人の分だけの川幅もあります。その幅全てを独りで使えるはずもなく、それならば、その人達に使ってもらえばいい。横からでも引っ張ることはできます。

しかし、心はどう頑張ったって見えやしない。どんなに信じたって、伝わらないものは伝わらない。
ならば形にすればいい。それが声であったり一押しであったりするわけで、川幅が変わらない分、流速となって背中を押してくれる。

一人が持つことができる流れはわずかなものです。だから、一人一人は流れの一部でいいと思うのです。
言いたかったのはこれだけなのに、すいません。

前にもこんなことを書いた気がしないでもないでもないのですが、まぁ気のせいでしょう。これはあくまで1個人の考え方です。押し付けるつもりはありません。やっぱり蹴落とす人はいるだろうし、いろいろあって形にできない人もいるでしょう。

でも僕は、駅伝が大好きなんです。

このブログも、信じていることのひとつの形です。


次は、男女それぞれ期待している翔也さんと難波ちゃんにお願いします。

皆さん、次々書かないと、回りきらないですよ!
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