中長ブログ - もりけんさんのエントリ

2023/04/04
もりけん先生になりました。

執筆者: もりけん (23:11)
やまのうえ中長競歩ブロックのみなさんごきげんよう、先日名古屋大学理学部を卒業した毛利健太郎です。昨日、辞令をいただいて晴れて三重県の臨時的任用講師に就任しました。

卒業レーンということで先生らしく真面目な思いを書きました。読んでいただければ幸いです。

僕が入部したとき、中距離ブロックは間違いなく最も勢いのあるパートでした。当時の先輩たちはほとんどが今の対校選手並みの記録を持っていて、しかも名大記録を上回る記録を持つ大型新人も加入するとのことでした。乗るしかないですよね、このビッグウェーブに。と、思っていたら受験のブランクを感じなくなってきた頃に世界を巻き込む新型感染症の波で全てが水泡に帰してしまいました。
そんなこんなで多くの選手の調子が狂い、気づけば部員も減ってしまいました。役職も持って引くに引けない立場になったのに記録は入部当初のまま、より速い後輩も加入して練習ではみんなから置いてけぼりであの時期は自分が本当に陸上競技を続けたいのか考えさせられる期間だったように思います。
そしてほぼほぼ声がでかいからという推薦だけで副将に就任しました。幹部の中で唯一対校選手として部に貢献できていない自分が幹部になることには個人的にとても抵抗がありました。あの時期は人間関係も上手くいかずこの幹部でやっていけるのかという不安や自己ベストを更新できていない焦りに苦しめられました。さらに今までにない応援形式に対応せねばならず引き継がれたように仕事をこなせばいいというわけではない手探りのような手応えのなさで無力感に苛まれ、とどめに部としての集大成である七大戦では開会式途中で退場、早退という不甲斐なさを部員全員の前に晒し、あんなに惨めだったのは初めてでした。
僕たちが幹部の代で七大戦男女総合優勝という快挙を成し遂げられたのですが、何も貢献できた実感がなく、正直なところ消えてしまいたいとさえ思っていました。

総括として、4年間で高校時にマークした自己ベストを更新することもできず、それ以外の場面で活躍を見せることもできず、なかなか思い通りにならない競技生活でした。
しかし、東海インカレの後に他の幹部に応援ありがとうと言ってもらえたとき、僕が作ったシャツをみんなが着てくれたとき、そして普段の活動で部員が話しかけてくれるとき、この部が自分にとって一つの居場所だと感じることができました。だから数字に残るような成果はあげられなかったけど、この部に入ったことに後悔はありません。

これから教員として生きていく中でこれまで以上にたくさんの生徒に出会うと思います。生きることがつらいと感じている生徒も少なくない時代、やまのうえのみんなが僕に居場所をくれたように、僕が持つ授業や学級がその子にとって居場所になるような教育を目指そうと思います。

ありがとう、やまのうえ陸上競技部。
充実した大学生活でした。
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