中長ブログ - ななこさんのエントリ |
2021/03/19
陸上との出会いに感謝
執筆者: ななこ (16:07)
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こんにちは。しみー回してくれてありがとう! 淑徳4年の桐山です。 2月の最後に国試がありました。マークミスがなければ春から管理栄養士として、病院の厨房で働きます。ずっと夢だった資格を持って働けるワクワクと緊張で感情がドタバタしています。 卒業レーンということで陸上について書いてたら長くなったのでさーっと読んでください。 ー陸上を始めたきっかけー 小学生のときある人の年賀状の写真を見て 陸上を習ったら「ユニフォームを着て赤いタータンで走れる」と知りました。走ることが大好きな私にとって素晴らしく魅力的で、なんてかっこいいんだろうと純粋な気持ちで陸上を始めました。当時は1000mが大好きでPBを更新する高揚感にすぐどハマりしました。今年は何度かこの初心に帰り救われました。始めた頃のことを思い返すと頑張れます。 山の上の存在は高校3年の夏頃に見つけ、調べるうちに「ここで陸上を続けたい」と気持ちで溢れた記憶があります。実際に入部して東海インカレで初めて集団応援をしたとき、七大戦の優勝を目の前にしたときは個人と言われている陸上に今まで感じたことのないくらいの“集団”と“一体感”に感動しました。山の上に入って大正解でした。 ー今年についてー 陸上競技は、人がいなくてももちろん走れるし、自分が走らなければ記録は絶対伸びないし、400mトラックはどこも同じだから関係ないと当たり前のことをほぼ毎日言い聞かせてました。あとは、またみんなと一緒に練習できるようになったときに成長してる姿を見せようと思ったら1人でも楽しくてしょうがなかったです。 その中で、LINEで近況報告したり電話で相談し合ったり、一緒にメニュー考えたり、zoomで朝の補強をしたり、ガーミンで繋がっていたりダイアリーを見たり。それだけで一緒に練習しているような気がしてそうゆうツールは私にとってものすごく支えとなりました。 何度も試合が直前に無くなってしまっても、集まって活動ができなかったとしても、12月までにコロナが少しでも落ち着いて引退試合と決めた中京で、最後の中京で1500か3000を走って絶対あのタイムを出して引退する!と何があってもそこが目標でモチベでした。 それが、10月ごろ卒論発表が12月19日(土)という連絡が来ました。中京と同じ日でした。 このとき何があっても1番目標としていたものが一瞬で消えたと思い、「これ以上陸上を続ける意味は何だろう?」と頭の中は「?」がたくさんでした。 振り返ってみると私はとにかく走ることが大好きで、試合でPBが出たときのあの高揚感が大好きで陸上をやっていると思い出します。T.T.だとしても何にせよ練習の成果がタイムとして出るのだから、ベストを出せたらもちろん嬉しいです。それでも試合で、公認記録でベストを出したかったです(これはみんな同じだと思うけど)。私は2年生の頃から練習で走れていても、本番急に足が抜けてしまうような感覚で走れないことが多くありました。T.T.でベストが出ても、練習で調子が良くても本番ボロボロだったら意味がないと何回も思いました。 中京のタイムテーブルは直前にしか出ず、卒論発表の解散時刻もはっきり決まっていなかったので当日まで本当に走れるか分かりませんでしたが、もしかしたら時間が合って走れるかもしれないと思いひたすら練習しました。5000ならきっと午後だろうと走れる確率が高そうだったためエントリーしました。 当日は親の力も借りてスタート50分前に競技場に着き、同期のサポートもあって何とか走れました。そして、最後にPBを大幅に更新することができました。ああこれ!とトラックで感じる久々のあの高揚感です。 競技時間についてはただただ運が良かったのと、良い意味?で諦め悪い自分の性格がこんなんで良かったって心から思いました。 文章まとめるの苦手で長くなりました。 何事も始めたきっかけとか、なぜ今これをやっているのかとか定期的に思い出すことは自分自身の活力になると思います。そして陸上を楽しむこと、目標を明確に持って毎日確認すること、自分を信じることが1番大切だと思います。 改めて、4年間山の上で活動することができ個性豊かな大切な同期、優しい先輩後輩に恵まれて幸せでした。今後もずっと陸上と繋がって走り続けたいです。中山道で人数が足りなかったらぜひ誘ってください🏃 次は、先日誕生日を迎えた紗瑛に回します! 学校は違っても同じ栄養学科の紗瑛の存在は心強く4年間本当に支えられました!ありがとう🍅 |
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