中長ブログ - ななみさんのエントリ

2021/03/12
愛すべき陸上

執筆者: ななみ (01:16)
こんにちは。
ご無沙汰しております。清水夏波です。
 
いよいよ卒業レーン、みんなの最終回が始まってますね。
何を書こうか、何を書いたら読み手の皆さんはすっきりした気分で清水夏波を記憶してくれるんだろう、としばらく悩みました。うーん、やっぱり、どんなに苦しいこと書いても最後にやってよかった!!みたいなこと書いた方が丸く収まるかなーとかね。
でも今回は、私の大学での陸上生活の始まりから、それがどう終わったかまでを書きたいと思います。少し長くなりますし、感動とかではないので、エネルギーがある時に読んでもらえればと思います。
よろしくお願いします。

私は、陸上をしている人が好きで陸上部に入りました。高校も、大学も。

りく-じょう-ぶ【陸上部】
とにかく誠実な人達が揃った集団。サボっても誰にも迷惑にならないのに、ただ自分のために一生懸命練習し、自分には一見何も利益がないのに仲間を励ます。聖人。

くらいの評価です。
大学での陸上生活は、とにかく楽しくて、入部したときは、部活の日が楽しみでしょうがなくて。明らかに高校より走る量も強度も上がってるのに全然いやじゃなくて、速いスピードやより長い距離に挑戦することを心から楽しんでいました。そしたら1年の秋にはもうPBが出て、さらにそこにいわゆる運動理論を少しだけ教えてもらって練習してみたところ2年の春から夏は面白いほどタイムが出ました。

そして、同じ年の秋季大会に左膝を酷く怪我しました。最初はすぐに治るものだと思っていましたが、なかなかよくならず、時間ばかりが過ぎました。当時は、自分のできるだけの治療やリハビリをしている、と思い込んでいましたが、先輩方やスポーツ整形の先生方に見せると、なんでもっと早くやらなかったんだ、と思うような「治す」方法がどんどん出てきました。自分が想像するような「できるだけ」なんて、ほんとに限られたちっぽけなものです。
私が言えることがあるならば、続けてればいつか治るだろう、と自分に言い聞かせることをやめて、新しい治療法を試し、直さなければいけない自分のクセを見つけることです。

怪我をすると気持ちが落ち込んでいきます。落ち込んでいるのが通常運転になって、ナイーブな自分に気づかなくなります。だから、気づくと10分ほど何もせずぼーっとしていたり、少し優しい言葉をかけられただけですぐに涙が出てきます。でも復帰するのを諦めたくなくて、自己啓発の本を読んだり、成功者の定義みたいなのを読んで必死に気分を保っていました。
行っても走れないと分かっていながら行く合宿は何度も逃げたくなりました。辛くなるたびに、同じように怪我をしていた一つ上の山下なほ先輩と2人で励まし合い、夜は青木恵理に頭を撫でられながら寝ました。
怪我をした2年間、わたしには何本もの命綱が存在していました。毎日オンラインで一緒に筋トレしたり、國司先輩や卒業した先輩方にアドバイスをいただいたり、トレーナーさんには身体だけではなく心のケアをしていただきました。それがなければ、私はとっくに部活を辞めていました。

4年生の秋季にようやく、最低のタイムを出して復帰してからは、本調子ではないにしろ、やっと普通にスピードを出して走れることが楽しくて仕方ありませんでした。少しずつ練習がこなせるようになる度にどんどん雲が晴れていくようにまた自分の走りに希望が持てるようになりました。

引退すると決めた中京記録会で絶対に完全復活すると決めていたので、約3ヶ月間ただがむしゃらに走りました。
その結果、記録会の1週間前に足が疲労骨折しました。それでも痛み止めを飲めば最後の記録会くらいは乗り切れると思っていました。当日も通常通り競技場に向かい、アップをはじめました。でも、軽いジョグも接地した瞬間に激痛が走り、すぐに歩くことも辛い状態になりました。もしかしたら、もう少しすれば倍飲んだ痛み止めが効いてくるかもしれない、と思ってアップなしでレースに出ようかと、招集〆切のギリギリまで待ちました。痛みは消えませんでした。
ここまでやってきて棄権をするのは逃げなんじゃないか、ほんとは痛くないのに痛いふりをして引退レースから目を逸らそうとしているだけなのではないか、と何度も自分を疑いました。もしそうなら一生自分を嫌いになるから。それなら足を引きずってでも出て、出た証拠を残した方が自分は納得するんじゃないかと思って無理矢理召集場に行こうともしました。その時、「それならうちがしみーを止めた」と青木恵理が言ってくれました。
そこでやっと、少し現実を受けとめることができました。


今でも、もし2年の秋季に無理して出なかったら、もしもっと早く色んな治療をしていたら、もしもっと走りの改善をしていたら、、と何度も思います。そして、中京の日を思い出して、まだ苦しくなります。
それでも、私はまだ、陸上と陸上をする自分が好きです。
怪我中、自分ならブランクがあっても練習すれば前よりももっと速くなって復帰できる、ということだけはずっと信じていました。
陸上を通して、真剣に努力することの美しさを知りました。仲間のタイムが良かった時の感動と焦りの入り混じった刺激に背中を押される感覚を知りました。応援されたり支えられたりすることがどれだけ幸せか知りました。

こんな陸上に、面倒を見てくださった先輩方に、慕ってくれた後輩達に、当たり前のように支えてくださったトレーナーさんとマネージャーさんに、ずっと声をかけ続け信じてくれた同期に、心から感謝しています。
本当にお世話になりました。

長文失礼いたしました。
次は、将来のルームメイトに考えていたほど気があうオバキャラ川辺のぞみと、最高の努力家桐山菜奈子にバトンパスしたいと思います。
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