中長ブログ - ブンゴさんのエントリ

2019/03/31
ありがとう、さよなら。

執筆者: ブンゴ (11:49)
こんにちは、西尾文吾です。
投稿遅くなってごめんなさい


上寺回してくれてありがとう。
四月からも川名公園で走ってそうやな笑


卒業式も卒業旅行も終わり、今までの生活に一区切りし、新たな生活が始まるのかと思うと、ワクワクと寂しさが共存する不思議な感覚です。

さて最近はというと、ニュージーランドとシンガポールに卒業旅行に行ってきました。
ニュージーランドはracing the planetという大会に参加するために、シンガポールは中長同期と観光で行きました。

ネタ感豊富なニュージーランドでのお話でも。

Racing the planetは7日間で250キロ走るステージレース。ステージ1〜4は毎日40キロ前後、ステージ5はオーバーナイトで約80キロ、ステージ6は約10キロの距離をを走ります。
self-supportedの原則のもとレースの際に必要なものはすべて持参し走るため、レースの7日間に必要な寝袋や衣類、食料、サバイバルグッズなど10キロ超の荷物を背負いながら走るのです。
それだけならいいのですが、コースも超過酷。さすがは新期造山帯、風光明媚な大自然は見る分には趣深いですが、走るには不向きです。累積標高10000m超のアップダウンに、川渡り、鉱山を超え、羊と並走し、沼地を突き進み、草木をかき分け、ニュージーランドの開拓者たる心持ちでした。
そのコースの厳しさに完走率は約60パーセント、僕も2回ほど死ぬかもと思いました。

トラブルなどありましたがなんとか完走し、総合17位で日本人1位でした。
これからは専門種目800m〜250kmにしたいと思います。
いやむしろ、練習で250mを走りまくっているから、専門は250m〜250kmですね。

レース中は大変なことばかりでしたが終わってから数週間経ち、良かった思い出だけが残っているのが不思議です(これは多分部活も一緒ですね笑)
今度はサハラ砂漠のレースに出てみたい笑


余談が長くなってしまいましたが、本題へ。
自身の競技生活について振り返りたいと思います。

6年間という名古屋大学での競技生活は僕の青春であったのではないかと思います。

振り返ってみると、いろいろなことがあったなと思います。
1年の時の春合宿ではコンショー先輩との大論争の末、論破され自身のエセ理論派を自覚したり、
2年時には与えられたメニューを無視し、自身でメニュー作成し先輩方に怒られたり、
挙げ句の果てに駅伝での惨敗を機に長距離パートでは自分の目標を達成することができないと見限り、中距離パートに移籍したりと
陸上競技部での優等生とは程遠い選手だったと思います。

はたから見ると問題児ではあったかもしれませんが、自分なりのポリシーや核なるものがあったのではないかと思います。
常に「この努力で本当に目標達成できるのか?」と努力の量だけではなく質に関して批判的に省みていたような気がします。

一生懸命やっているのに結果が出ていない現状に対してやる気がないから結果が出ないとか精神論的なもので片付けるのではなく、自身の取り組み(現状)と目標を客観的に分析し、そのギャップを埋めるべく効果的な施策を打ち出し、実行することが重要なのだと常に考えていました。
これを言い換えると、「努力が報われるように正しい(と思われる)努力をしよう」とか、「目標とその取り組みが乖離していないか必ず確認すべし」とかそういった言葉になると思います。

やる気や努力の量というのは大事ではあるのだけれども、それだけでは超えられない壁、頑張りすぎて怪我に泣く選手を見てきたからこそ、私は努力の質や方法に固執していたのかもしれません。

このポリシーというものは中距離パート長を経験し、自分の中の核たるものになってきたような気がします。

お調子者が多く、一見不真面目に見えるような奴らでも練習だけは一生懸命。
練習後にぶっ倒れている姿を何度も見ました。
そんな奴らに望む結果を実現させるために、自身の全てをかけて最適と思われる道を示すことが自分の役割であると考えていました。

パート長の時にみんながベストを更新して喜んでくれたことが自分の中で一番の思い出かもしれません。

この経験は自分の選手としての結果にも結び着き、全国大会決勝進出という結果に結びついたのだと思います。
最終的にB4時の成績が最高ですが、M2の最後まで800mや5000mで自己ベストを更新できたのは少しは満足いく競技生活であったと思います。


対校戦で多くの優勝といったものは出来ず、皆さんの期待には応えることができていなかったかもしれませんが、ある程度の結果を残し、選手として部に貢献することはできたかと思います。
ただ、自分が残した記録、結果というのは僕一人が成し遂げたものではなく、
早朝からジョグしてくれた仲間、ぶっ倒れるくらいまで一緒に練習してくれた人、必死に応援してくれた人、大会を運営している人、サポートしてくれた人、様々な人に何年も影響を受けながら出すことができた記録だと思います。
さらに自分が頑張ろうと思えたのも仲間、ライバルの存在があったからだと思います。
記録、結果を出すのは選手ですが、その結果を生み出すことができたのはやまのうえの皆様がいたからです。

選手として貢献できなかったと嘆く方が多くいますが、僕はそれほど重要ではないと思うのです。
正直僕が今までに残してきた記録というのは、遺伝と環境という外的要因に大きく起因すると思うからです。
もちろん自由意志のもと意思決定、行動選択の末この結果に結びついたのだとも思いますが、自身がその行動に至ったのは周りから与えられた小さなきっかけの連続であったと思います。
大論争した夜、朝ジョグしようと誘い合った仲間、お互いの目標を語り合った夜、メニュー後の補強に付き合ってくれる仲間、練習後の銭湯での会話、フォームに関する議論など様々なきっかけがあったからこそ、自身が行動を変革し、切磋琢磨し合いこの結果を出すことができたのだと思います。

選手として貢献できなかったと嘆く方へ。
比較的選手として貢献してきた(自惚れかもしれませんが)立場から言わせてもらうと、
皆さまが部員として行動してきた何かの集合値としてやまのうえ陸上部が存在し、やまのうえという環境と、皆様の相互作用によって生み出される小さなきっかけによって多くの大記録が生み出されるのです。
その大記録には選手の名前が付いていますが、同時に名古屋大学とも付いているのです。

つまり何が言いたいのかというと、選手として貢献するのはもちろんですが部員として貢献するということを意識して欲しいのです。
これはルールを守るとか役職につくというわかりやすいものだけでなく、練習でみんなを盛り上げるとか、自主練にみんなを誘うとか、理論で練習をサポートとか、夢を語り合うと言った様々な道があります。
部員として何かしら周りに良い影響を与えられるようなきっかけを与えられる部員こそ、部に貢献した者だと思います。
氷山の一角のように目に見えるのは選手の記録だけかもしれませんが、その大きな氷山を形成している大部分は海の下にある目に見えない多くの部員の努力なのだと思います。

自分がある程度満足いく競技生活を送ることができたのも、優しく接して切れた先輩方、一見クールだけど心には熱いものを持っている同期たち、こんな自分に付いてきてくれた後輩たち、サポート、応援してくれた方々など本当に皆様のおかげだと思います。
本当にありがとうございました。


本当に長くなってしまい、また投稿が遅れてごめんなさい。
次のブログは、
同期で競い合ってきたライバルみたいな存在の岸田、
長い間お世話になりましたの亀さん、あんみ先輩に回したいと思います。


本当にありがとうございました。
そしてさようなら。また会う日まで!
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