中長ブログ - サトケンさんのエントリ |
2018/03/18
Grazie!
執筆者: サトケン (23:11)
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こんばんは、イタリアから帰ってきたばかりのサトケンです。 現在時差ボケで生活リズムがグチャグチャです笑 さて、早速ですが自分の陸上人生を振り返ろうと思います。 1年目 肝損傷(肝臓に穴)入院→しかしながら、復活して5000mの高校PBを26秒更新。 2年目 肺気胸(肺に穴)入院→しかしながら、復活して5000mのPBをさらに25秒更新。 3年目 内臓異常なし→5000mのPBを6秒更新(あれっ?!健康なのに・・・) 4年目 5000mに関しては空白の年、PB出ず。10000mで31分台出せたのは良かった。 5年目 予選会に初出走。PBを18秒縮め、5000mで14分台→東海学生初出走。 6年目 予選会と東海学生に出走。 実はこの6年間で陸上をやめようと思ったことが3回ありました。 1回目は2年目の肺気胸です。 1年目の肝損傷の入院はまだすぐ直ったので大丈夫だと思っていました。 しかし、肺気胸は再発可能性が3年以内に50%、しかも予防方法はないと医者に宣告され、走ること自体が怖くなりました。 2回目は特に何も起きて上述の振り返りには何もたいしたことがない4年目の夏です。 4年生になって研究室生活が始まり、いろいろとストレスの処理がうまくいかず、そのストレスが走りに影響を与えてしまっていました。 その時は練習でスタートして200mで胸が締め付けるような苦しさに襲われたり、予選会メンバー選考レースも途中棄権というひどい有様でした。 3回目は5年目の東海学生後です。 私は東海学生本番前に2回風邪をひいてしまいました。 予定の区間配置の変更などチームに迷惑をかけてしましました。 東海学生飲み会後1人になって、 「何をやってるんだか、これから就活もしないといけないし、部活やめようか」と。 やめようと思った3回の中で1番悩みました。 それでも、陸上競技を続けようと思ったのは、 活躍する山の上の先輩、同期、後輩の姿を思い出すとで 「何も結果を残していないまま終わりたくない、彼らのように活躍したい」 と思ったことが1つ。 また自分の原点を顧みた時に 私は自分よりも周りの人に喜ばれた時に幸せを感じるタイプであることを再認識し、 「山の上に貢献したい」 という思いを強く持てたからだと思います。 結局あなたは結果残せたの?山の上に貢献できたの?という問いに対しては 東海学生を外しているので自信を持って「はい!貢献しました!」とは言えないですが、 ちょっとした大会でポイントを取る、練習で積極的に前を引っ張る、応援等で貢献できたので継続してよかったと思っています。 私は走れなくなったわけでもないのに、すぐに辞めたくなっちゃう弱い人間です。 それでも、私以上の大けがから復帰した選手や自分と同レベルくらいの選手が結果出してるのを見て「自分もやってやるぞ」とモチベーションを保ってきました。 山の上にはトラックがあるいい環境だけではなく、精神面的にもいい環境です。 皆さんのまわりにモチベーションをあたえてくれる人が1人はいるはずです。 探してみてください。 きっとそれがあなたの競技力を高めてくれる大きな原動力になると思います。 最後に 先に述べたことと少しかぶりますが、 ここまでやってこれたのは、 山の上の皆さんから刺激や応援を受けたこと、育生さん、マネージャー、トレーナーの手厚い競技のサポートがあったからです。 本当にお世話になりました。 本当にありがとうございました。 お世話になった分、これからはOB会費を納めることで山の上を支えていきます。 では、また会う日まで。 次は雅斗へ。よろしくな! |
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