中長ブログ - 日佳理さんのエントリ

2014/03/30
まだ名古屋・・・(・。・)

執筆者: 日佳理 (21:53)
にいます。ひかりです、笑
明日の午後ようやく東京に巣立ちます。明後日から、日本橋の会社に通うんだという気がようやくしてきた感じです、笑
最近は卒業式やら送別会やらで7日間連続で飲み続けているわけですが、その度に一緒にいる人の顔や言葉を胸に焼き付けています・・。

せっかく卒業生レーンを設けていただいたのに、こんなに書くのが遅くなってしまってすみません
みんなの卒業生レーンを読んでいたら、それぞれその人らしさがあり、考えさせられることがあり、これを書くことも一つの区切りだと思ったので書きます!笑


私の場合、競技を引退してからもうだいぶなるのですが、引退した後もしばらくはなんとなくの習慣で山の上に練習に来ていました。その時思ったことが、「引退する前と見える景色が全然違う」という事でした。上手い言い方がわからないのですが、自分の目標としていたものがなくなった瞬間、同じように同じ場所で走っていても、なんとなくふ抜けた感じで、みんなの輪の中にいてもなんとなく自分は浮いている感じでした。(もちろんみんなと話すのは楽しいけど、そういう意味じゃなくてね)

あ、もう自分はここにいるべき人じゃないんだ。

そう思いました。山の上陸上部は、目標のない人がふらふら走りにくる場所ではありません。当たり前のことかもしれませんが、引退して部活に来て初めて実感した気がします。

なんで、そこまで全女にこだわっていたのか。
と言われると、小学校の頃からずっと大好きだった「走ること」でなんらかの結果を残したかったというただそれだけです。駅伝はテレビでも注目されますし、ずっと私の憧れでした。中学のバスケ部では、自分自身が大きく成長できる貴重な経験をさせてもらえたし、大切な仲間もできたけれど、結果は何も残せませんでした。高校で大好きな陸上を始めたけれど、またこれといった成果は残せませんでした。

大学に入ってからも、強い選手になれたとはとてもじゃないけど言えません。よく怪我もしていたし、破天荒な選手だったと思います。しかし、名大が全女の切符をつかみ取った時、金尾監督はそんな私を信頼してくださいました。先輩も後輩もこんな私を信頼してくれて、山の上陸上部の本当に多くの方々に応援していただいて、私は全女の選手として憧れの仙台を走ることができました。

ただ本番は、納得の行くレース(あゆこがよく使うフレーズごめんね笑)はできず、悔しい思いが残ってしまい、どんなに厳しくても、もう一度全女に挑戦したいと思って練習していました。

結局その夢は叶いませんでしたが、院生になってから、10000mの思わぬ38分切りができたり(あの時はさきとゴールで嬉し泣きしてしまった笑)、育夫さんスピード強化メニューのおかげで(ありがとうございました)1500mのベストを更新できたりと嬉しいこともありました。
そうやって、つらいことも楽しいことも、みんなで追いかけた目標も、山の上で出会った皆さんのおかげで素敵な思い出になりました。こんなすばらしい人たちに囲まれて陸上ができたことは私の一番の誇りです。幸せ者でしたっ!!

特に、後輩たち。同期や先輩が引退した後でも、私がこんなに楽しく山の上にいられたのはいつも隣で元気に話したり笑ったりしてくれたあなたのおかげです。
たくさん一緒に練習してくれて、長いジョグもペース走もみんなのおかげで乗り越えられました。
男の子も女の子も、ありがとう。もちろん、中長で唯一最後まで残った同期のうめも、ほんとに心の支えでした。就活の時なんかも、本当にありがとう。

しかし、やはり競技面では未練も後悔も消せないままです。終わったことは、どうがんばっても終わりなのです。
予選会も、その他の試合も、「その日」までにやれたことが自分の全力です。
まだ競技を続ける後輩のみなさんは、みな賢いですしもちろんわかっているとは思いますが、くれぐれも怪我や体調には気をつけて、後悔しないように毎日しっかり頑張ってください。

ずっと応援しています。

またひょっこり山の上に現れた時には、ごはんに付き合ってね(*^^)

それでは、社会人頑張ってきまーす!!またね! 
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