中長ブログ - 上野舞里子さんのエントリ |
2009/02/18
おばちゃんまであと○日
執筆者: 上野舞里子 (22:35)
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こんばんは☆ ハニーこと羽生田からたすきをもらいました、うえのです。だいぶ遅れてすみません! 羽生田との思い出は、びわ湖駅伝やね (笑) 羽生田は、藤永先輩の 「運は無限にある 」 って言葉でさらに上を目指そうと決意を新たにしたようですね。 「運」 「無限」 このことについて、私が思うことを書いてみます。 順番逆ですが、まず「無限」から。 石川(宇ノ気だけか?)では、給食で「かむちゃん」っていう、細かくきざんだスルメがデザート的なかんじで時々ついてきました。 それがすっごくおいしいんですけど、量が少なかったので、私は『いつか、も〜い〜わ〜っていうほど「かむちゃん」食べてみたいわ!』っていうアホなことを考えている小学生でした。 限りない「かむちゃん」・・・それが私のちっぽけな夢だったのです。 もし目の前に限りない「かむちゃん」があったら、きっと私はたらふく食べたはずです。でも、その時点で、私のちっぽけな夢は終わってしまったでしょう。 小さな袋に入っている「かむちゃん」だったから、すごーく大事に食べたんだと思います。 限りがあることを知っているからよく味わって食べたんだと思います。 限りのある「かむちゃん」。(「かむちゃん」のおはなしおわり ) 限りのないもの。 夢や希望。限りは人がつくるのかもしれません。ひたむきに何かに向かっているときはもちろんのこと、そしてそれだけじゃなくて、悩んだり苦しんだりしているときも何かに向き合っているわけで、きっと夢や希望に限りは無いように思います。 限りのあるもの。 限りが無ければいいのに、と願うことはたくさんあります。 私は、名古屋での生活は4年、という限りが、入学した時点で存在していました。 また、私の中には「おわりは必ずやってくる」という思いが根強くあって(お世話になっている地元のお坊さんの影響かな)、そのことが、良くも悪くも、これまで私の考えや過ごし方の舵取りをしてきた気がします。 限りが、必要以上につらくさせることもあります。でも今を大事にしていこう、とか目の前にいる人とかあるものは当たり前にあるわけじゃないって、思いながら。 限りがあるから、大切にしたり、感謝できるのかもしれませんね。 続いて「運」。 皆さんは、「運」というとどんなものを想像しますか? とある学部の先輩が「自分にはモノ運はなかったけど、人の運には恵まれた」、とおっしゃっておられました。その言葉がとても心に残っています。 私もそう考えるとめちゃめちゃ運がいいなと思います。 名古屋での4年間で、本当にたくさんの方々に出会いました。 目標に向かって共に一生懸命になり共に笑った山の上のみんな、ほんっといい子ばっかり教育学部の友人や「先生みたいになりたい!」って心から憧れる研究室の先生、バイト先の店長・仲間・かわいがってくださった常連さん、大家さん、行きつけの喫茶店のおじちゃん・おばちゃん…などなど。最近再会した方もいますしね♪ 感謝感謝です。 長くなりました(><)「運」と「無限」のおはなしおわり!まとめます! 仝造蠅里△襪發痢△覆い發痢どちらにも大切なところがある。 皆さんの幸運を祈ってます!Good luck☆ ところで! 私、犬山あたりにおばちゃんになりそうです (笑) いもうと(中2じゃないほう)は毎晩小太郎(赤ちゃんの愛称です)が夢に出てくるそうです♡ 今年の犬山は2月22日。 ということで次は☆小太郎が誕生日おんなじになるかもしれないこの人に♪ 梶田にたすき渡し!よろしくね!犬山がんばるワン! |
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