中長ブログ - かったさんのエントリ

2021/04/20
別に何も特別じゃ無い

執筆者: かった (19:51)
こんばんは、勝田です。結構前に和田から回ってきましたがなかなか筆が進まず、流石に新入生レーン始まる前に書いとかねばということでみんな大好きにラクスパに居座って書いております。気づいたら手元に漫画が積み上がっていましたが、なんとか書くことが出来ました。

さて、学部卒業レーンラストです。院生レーンは河上先輩がせき止めているせいで、自然消滅してるっぽいですね。竹原さんを筆頭に、國司さん、ずっきーさん、岩井先輩等、偉大な先輩方のありがたいお言葉が聞けず、非常に残念です。皆さんもう忙しいでしょうが、短くても良いのでなんか書いていただきたいです(>_<)。

シーズンインもして予選会まであと2か月を切り、もうやるしかないという時期にこんなことを書くのもなんだか気持ち悪いですが、先月末、卒業しました。4月からそのまま大学院に進学しておりますが、生活の方は全く変化がないので卒業式を終えても実感が湧きませんでした。しかし、4月に入り同級生達のSNSに「入社式おわった〜〜」や「研修つらい(´д`)」みたいな文言が出てき始めたので、「あぁ、卒業したんだなぁ」とようやく感じ始めています。

あと、もう一つ卒業を実感した出来事が。4月1日、4、5年連絡をとっていなかった高校時代の先輩から唐突にLINE電話がかかってきて、「副業やらない?」とお誘いを受けました。このタイミングでのこの誘い、明らかに「アレ」だなと思わず笑ってしまいましたが、単純なので誘われたことに対して少し嬉しく思いました。結局僕がまだ学生であるということで深く内容を教えてもらえませんでしたが、他の同級生にも同様の電話をかけていたということで、まぁ十中八九「アレ」なんだろうと思います。もう働き始めているという前提で話されたので、まぁそういう年齢になったんだなと感じました。

雑談はさておき。卒業ブログなのでやはりこの4年間について色々書きたいと思います。

4年間、自分個人としてもチームとしても、うまくいっていた時、いかない時があり。頑張っている時もあればそうでない時もあり。伝えたいことやアドバイス的なものはあんまり無いですが、僕目線から感じたこと、思ったことを書くことで名大長距離の歴史の一部になれればと思います。


とりあえず、入学時の目標は何だったかなと思い最初のブログを開いてみましたが、気色の悪い文字列が出てきただけだったのでそっ閉じしました。特に大きな目標は無かったと思います。陸上部以外の部活に入ることも考えましたが、中学・高校と朝起きて、学校行って、走って、授業受けて、走って、帰って食って寝る。みたいな生活を続けていたため、そこを切り離すことが考えられませんでした。高校時代は周りに比べると厳しい部活でしたし、ある程度のレベルでは両立させてきたという自負がありましたので、自分が品行方正清廉潔白、例えるなら今の村瀬くらいまともな人間であると思っていたと思います。

しかしいざ大学生になってみると、まぁ怠惰。自律心のかけらも無い、並以下のレベルの人間であったわけで。受け入れるまでに大分時間がかかりました。開き直り始めたのが3年生くらいで、怠惰な自分をうまくコントロール出来るようになり始めたのがこの年明けくらいからです。卒業旅行には30分遅刻しました。1年生の時みんなでナガハマ行ったときは2時間半寝坊しましたので、大分成長しました(╹◡╹)。

そんな人間ではありましたが、うまく心と体がマッチした大学3年時は、それなりに満足いく結果が残せました。高2の自己ベストをようやく更新でき、七大も棚ぼたの2位。全日本も経験しました。別に特別な練習をしたとかそういうわけでなく、速かった先輩方が卒業して、塚本先輩が色々悩みながらパートを運営する姿を見て、「なんかやらなきゃ」みたいな使命感を感じながら走っていたような気がします。
P長として意気込んで臨んだ昨年は何も出来ずとても情けなかったですが、今振り返ってみると良い経験だったと思えるくらいになりました。転んだ後の起き上がり方の大切さを、身をもって痛感しました。どうにもならない事を悩んでもしかたないのです。そういう時はシ○って寝ろ。以上。


進学しても普通に陸上を続けておりますが、正直、大学院で陸上を続けるかは迷いました。昨年のこの時期はやめようかという気持ちの方が大きかったと思います。続けた理由としては、チームで全日本に出たいという事も大きいですが、まだ出来る、まだやれると思えた事が一番です。あと、佐伯先輩や小川先輩を見てきた人間としては、でっかい花火を打ち上げて競技生活に終わりを告げたいなとも思っています。



まぁ自分の話はこのくらいにして、チームの話をしましょう。陸上は個人競技ではありますが、やはり長距離は駅伝などがあるのでチームの存在が大きいです。
長距離パートの歴史を振り返るのには中長ブログを読むのが一番です。僕はこの中長ブログを遡るのが割と好きで、選手達の考え方、言葉のニュアンスから、当時のチーム状況がなんとなく浮かんできます。みなさんも暇があればぜひ読んでみてください。


ということで、ちょっと名大長距離パートというチームの歴史につい書いていきたいと思います。歴史を知ることで、このチームに対する思い入れがわいてくれれば嬉しいです。べ、別に自分について書くことが少なかったとか、そういう訳じゃないからねっっ!

今から書く内容は、概ね客観的事実に基づいているとは思いますが、少しばかり僕の勝手な解釈・憶測も含まれています。不快な思いをした方がいたらすみません。とりあえず謝っときます。許して下さい。


まず、チームは生き物でありますので、徐々に変化していきます。分かりやすいものでいうとダウンで長いこと走る伝統だったり、時には言語(笑)だったり。色んなものが変化していきます。このチームにおいては、大学院へ進学して6年(または9年)、長いことチームに在籍する人が多いので他のチームに比べるとゆっくりですが、確実に変化しています。そして何年かに一度、大きく変化をする転換期が訪れます。このチームは、ここ数年で2回の大きな転換期を経験しています。1回目は2014年ごろで、2回目は2019年。今回はこの転換期でのチームの変化について書いていこうと思います。

1回目はそれまでずっと名大長距離を指導してくださっていた金尾監督(面識は全くない)が転任(?)された時期です。名大が最後にチームとして全日本に出たのが2012年。それまでの長距離パートは完全に“チーム”だったんだなという印象です。学部生から院生まで幅広く実力者がいて、毎年当然のように予選会突破・東海学生優勝という目標を掲げる事が出来る。人数が充実していて、メンバー争いはバチバチ。「予選会付近の練習で設定ペースを守らないと後ろから舌打ちがとんでくる」という証言があるほどです。ブログでも選手達は常に駅伝の事について語っており、監督を中心にしっかりとした型が出来ているチームだったんだなと思います。

そこから選手主体のチームに徐々に変わっていきます。ブログではそれまではあまり見られなかった、チームに対する意見が散見されるようになります。特に2014〜15年については、色々あったんだろうなという事が非常に強く伝わってきます(当事者じゃないのでこれ以上は語れないですが)。上級生のレベルはかなり高かったですが、他大(岐阜経済あたり?)も相当に強く、予選会突破や東海学生優勝がなかなか難しくなってきます。

僕が入部したのは2017年ですが、この頃は力関係が院生>塚本>>>>>>>>>学部生みたいな構図になっていました。実力的にもそうですし、やはり選手主体になってくるとどうしても“速い奴が偉い”みたいになってくるので、発言権的なものも院生>>>>>>>パート長みたいになってきます。メニュー決めや選手決めなどの判断も同様だった印象です。「院生による院政」と一部部員に言われていました。(断じて僕じゃない)

なんか書き方が良くなかったので一応言っておきますが、じっっさい、当時の院生の皆さんは凄まじかったです。実力は勿論ですが、知識量やそれを実践する能力、陸上への向き合い方など、競技者として相当なレベルで成熟していました。入学したときの岸田さん(当時M1)と今の自分を比べてみるのがおこがましいくらいです。


そんな院生に対し学部生はというと、2校対抗5000mでスコンクをくらったり、2017年に総合優勝した七大では無得点。コンスタントに実力を伸ばしていた塚本先輩以外はかなり厳しめな状況でした。ミーティングやブログ等で何度厳しい言葉をかけられたでしょうか。そのたびに奮起して、なかなかかみ合わず、結果が出ないの繰り返し。院生からしてみたら、かなり歯がゆかったと思います。それでも辛抱強く接してくださっていたし、今思うと厳しい言葉も僕らを思っての事だったのかなと感じています。

そして重要になってくるのが、この当時の学部生は全員、一回目の転換期の前のチームを経験していない世代であるということです。徐々に元のチームの型は希薄になっていき、チーム意識にギャップが生まれてきます。形式的にチーム目標を立てていた印象です。「予選会組とそうでない人たちの意識の差」が毎回ミーティングの議題に上がっていました。以前のチームで当たり前に共有できていたことが、出来なくなる。そのズレを、かなり指摘されていました。


一応(自分も含め)フォローしときますが、学部生陣は別にやる気がなかった訳では無かったです。選手それぞれの競技に対する熱量、ハングリーさは昔も今もあまり変わらないです。ただ、求められるレベルが高かったことや、上に挙げたチーム意識のギャップが大きかった。なんか、ずっとどろ〜〜っとした流れの中で良くない方へみんな流されていく様な感覚。なかなか抜け出せませんでした。

…書くの疲れてきました。見返していると考察厨みたいな気持ちの悪い文章になってしまいましたが、ここまで来ると勢いで残りも書いていこうと思います。


先輩方がゴソッと卒業した2019年。チームに2回目の転換期が訪れました。全体の走力はガタッと落ち、それに対して他大の走力は桁違いに上がっていき、予選会では皇学館に10分以上の差をつけられます。そこから当時P長の塚本先輩が、大きくチーム方針を切り替えていきます。(ここらへんの詳しい経緯について読みたい方はこちら)

この辺りから、お互いあまり干渉し合わないチームになっていった様に思います。それぞれが自分の目標をもっていて、独立している感じ。塚本先輩も僕も部員に対して甘々でしたし、院生の飯田・鈴木先輩達も温厚な方々でしたから、厳しい言葉が飛び交うことは殆どありませんでした。重田が和田を煽るくらい。

見方によればドライな関係とも言えますし、チームとして戦っていく上ではちょっと生ぬるい、緩い雰囲気であるといえるかもしれません。厳しい言葉をかけあい、ぶつかりあってこそチームだと思う人からすれば物足りないものだったと思います。

こういう環境で結果を出すというのは、結構難しい事です。人の取り組みに対してとやかく言う人はいませんし、練習で離れても誰もケツをひっぱたいてくれません。遅刻しても別に怒りません。(去年の東海学生前にkくんが寝坊した時に笑って済ませてしまったのは、我ながら甘すぎたと反省していますが。)ちゃんと自律して、自分で継続させないと結果は出ません。当たり前ですが。そういう意味では、以前よりもシビアになったなと思います。

けれど、着実に皆伸びていきました。勧誘チームががんばって強い新入生が入ってくれたり、靴だったり、色んな要因はあると思いますが、危惧されていたほど壊滅的な状況には陥りませんでした。

そこから今に至ります。今のチームはどうでしょうか。森川を中心に予選会突破をチーム目標に掲げています。みんなはどう思っていますか。メンバーに入りそうな人は意識していると思いますが、他の皆はどうでしょうか。全く関係の無いことだと捉えていますか。ケガ組の崇が毎練習終わり、メニュー動画をアップしてくれていますが、どう感じているでしょうか。

僕は、院生としてどう立ち振る舞うのがいいか、まだそのスタンスに迷いながら生活しております。ちゃんと目標はありますし、練習はしっかりやっていますが、チームに対して何か出来ているかと言われれば微妙なところです。

何が正解かは分かりません。塚本先輩とよく(先週もした)こういう話をしますが、結局どうすべきかなんて分からんな、で終わります。まぁぶっちゃけ結果次第で肯定されるし否定もされるみたいなところはありますが。

けれど一つだけ思うのは、試合後に誰かの弱さを責めたり、誰かに責任をなすりつけたりするようなミーティングはもうしたくないです。まじで。


はい。長くなってきたんでそろそろ終わります。
先にも言いましたが、チームは常に変化しています。持ちタイムが速い一年生がたくさん入ってきて、上級生の取り組み方も変わってきます。森川・佐藤は研究室配属されたようで、練習に出てこれない日があるかもしれません。

僕を含め皆さん一人一人の行動がこのチームの歴史を紡いでいきます。その意識はもってもらいたいなと思います。


最後になりましたが、今までお世話になった先輩・同期・後輩の皆さん、ありがとうございました。まだもう少し続けますので、これからも温かく見守ってくれたら嬉しいです。

以上。終わりーーーーーーーー!
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