中長ブログ - ともひでさんのエントリ

2017/08/09
人類が未だ家を持たなかった頃に思いを馳せて

執筆者: ともひで (09:21)
 竹原さん、ブログを回していただきありがとうございます。
 僕も竹原さんの雰囲気好きです。


 こんばんは、長距離1年の内田です。突然ですが、僕は今ロンドンにいます。もちろん世界陸上を見るためです。数日前から熱いレースばかりで興奮しっぱなしです。また、ロンドンはとてもいいところです。料理もおいしいし、町並みも綺麗です。さらに、僕の今宿泊しているホテルは天井が吹き抜けになっており、眼前には満点の星空が広がっています(壁も吹き抜けなのは内緒)。

 改めまして、こんにちは。長距離1年の内田です。僕が名阪戦の会場である服部緑地公園に前日入りしたというありもしない噂がまことしやかに囁かれていますが、それは事実です。野宿したい人がいたら僕に声を掛けてください。すぐに厚着して向かいます。

 さて、授業も終わりとうとう夏休みがやってきましたね。僕も数学の宿題を残すのみとなりました。ちなみにこの宿題は既にこんとしさんに助けを求めてあります。
 大学の夏休みは高校とは違い、2か月もあるというからびっくりです。それに小学中学高校の時のように大量の宿題が出ているわけでもありません。大学初めての夏休み、たくさんの忘れられない思い出ができることでしょう。否。そんなものは希望的観測にすぎないということは僕が一番よくわかっています。この夏休みもきっと、鼻血を垂らして「お願いしまあーす!」と叫びながらENTERキーを叩くことも、時をかけるために「いっけえー!」と叫びながら階段から飛び降りることも、ましてや竜に乗りながら「あなたの本当の名は琥珀川」と伝えることも、挙句の果てには小人を見つけて「あり得ってぃ!」と驚くこともないでしょう。せいぜい一人でかき氷をむさぼりながらアイスクリーム現象をかみしめるのが関の山です。
 どうか皆さんに栄光ある夏休みを。

 陸上の話をしますが、つい先日の練習で僕は熱中症(正確には熱疲労らしい)になってしまいました。と言っても、走っている最中に倒れたとかいう訳ではなく、走り終わってから30分後位に突然足がつり、それが戻らず余りの痛みに悶絶し続けていたところ、病院に運ばれたという経緯です。足がつり続けるというのは、想像よりもかなり痛いです。ショック死するかと思いました。その証拠に足がつっていた間、早く足の痛みが治まってほしいという思いと水道料金の支払い期限が近いこと以外は何も頭にありませんでした。なにはともあれ、今は元気になったので良かったです。ただ、足の方はずっとつり続けていた為、歩くのも痛いほどの足のハリがあり、しばらくは走れそうにありません。それでも、最初に立ち上がった時は、クララが立った時くらい感動を覚えるレベルだったので、まだ良くなった方です。
チームの皆さんには迷惑をかけてしまい反省しています。特に、病院まで連れて行ってくれた育生さんと付き添ってくれた岸田さんと勝田には感謝しています。

 また、その翌日には学連主催の夏季大会があり、それも休ませていただいたので、チームだけでなく学連にも迷惑をかけてしまいました。なぜなら僕は学連員だからです。学連の事務所には2回ほど行きました。
 ある日のことです。僕は、東海地区の長距離のランキング表のミス探しを終え、暇をしていました。事務所にはマイケル先輩がいました。そのマイケル先輩はというとスタイリッシュなノートパソコンを広げ、あわただしく指を動かし、おびただしい数のキーを打っていました。僕はすぐに感づきました。マイケル先輩は何か得体のしれない学連に必要不可欠な機密文書的なものを作成しているに違いない。やっぱりマイケル先輩は凄いな。学連員としてずっとこの人に付いていこう。そして、今は口に出すのもおこがましいけどマイケル先輩をいつか追い越すくらい仕事をしてやるぞ。そんな決意を僕がしている一方で、跳躍の伊藤さんが「マイケル、今何やってる?」と問いました。マイケル先輩は答えました。「いや、えと、これは遊んでます。」んえええ〜。

 さて次に回したいと思います。ルール的にはそろそろ女子に回さなければならない所だとは思いますが、最初に回す人ということで同じ高高出身の萩原さんに回させてください。
 ついこの前も七大戦で岡部さん中野さんと合わせてマイルを走らせていただき、いい思い出になりました。萩原さんがいなかったら、僕が名古屋大学陸上部に所属することも、もしかしたら無かったかもしれません。
 萩原さんとの高校時代の思い出と言ったら、あれを語らねば始まらないでしょう。そう、あれは忘れもしない、僕が1年の時の県高校駅伝。萩原さんの代が部活を引退する最後の大会です。あの時、雨の影響で、閉会式は体育館内の武道場でやっていました。その武道場は県内の陸上部が収まりうるにはとても狭く、僕は体育館に入ることは出来ませんでした。そこで玄関の外の芝で待っていることにしました。そうです、そこにいたのが萩原さんです。そこには萩原さんと僕と、僕と同じ1年のチームメイトの3人がいました。その頃の萩原さんは既に、高校陸上との別れを決意し、厳しい受験戦争を戦い抜く覚悟をしていたに違いありません。そんな萩原さんが僕たちに語ってくれた、萩原さんの中学時代の体育の先生が体育の授業中に自ら編み出した究極のウサギ跳び「スーパーラビット」をやって勝手に肉離れになり病院に運ばれた、という話は今でも僕の心の支えです。

 では萩原さん、お願いします。
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