中長ブログ - 自然対数さんのエントリ

最新エントリ
2023/07/21
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 自然対数 (11:21)
お疲れ様です。

ブログパス頂きました、主将の大久保です。

いやー、レベルの高い組に入ってしまいましたね…笑笑
でも負ける気は全くなく、気合いは入りまくっています!
(髪の毛の色を見てくれれば分かると思います…笑笑)
調子は良く、勢いはあるので、それに加えて4年生パワーをライバルたちに見せつけてやろうと思います!

目指すは得点奪取!そして男女連覇!


主将に就任してから早くも1年が経ちましたが、過ぎればあっという間でした。当初にあったやる気も徐々に削がれていき、4月頃はもうストレスが限界に達しそうでした。今では全体の前で喋ることにも慣れ、就任当初よりは主将らしくなったかなと思います。いよいよ明後日で主将の座を降りる事になり、長距離の中川に引き継ぐ事になります。最後に「主将になって良かった」と思えるような七大戦にしたいと思います!

明日からの2日間の七大戦、熱い応援をよろしくお願いします!



↓ここからは半分雑談なので、時間がある人は読んでくれると嬉しいです…笑笑

七大戦後について、現状では来年の東海インカレまでは競技を続けることを考えています。具体的には、以下のような計画を立てています。


7月 七大戦

8月 東海学生夏季&中京土曜

8月&9月 院試勉強

9月末 院試

10月末 24時間マラソン(名古屋城→大阪城)

冬季 スタミナ強化のために5000mに挑戦

2月 早めにスピード練習に切り替えて、東海インカレに合わせる

5月 東海インカレで得点GET

陸上競技引退

国家公務員試験に向けて猛勉強


こんな感じですね…笑笑
気になる箇所があったらぜひ聞いてください!
先に言っておきますが、これらはモチベーションが継続したらの話です。途中で競技に対するモチベーションが失われたらそこで終わるかもしれません…

と言うことで、まだまだ競技は続けるつもりなので、今後も(老害として?)よろしくお願いします!
2023/05/23
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 自然対数 (11:28)
陸斗、ブログパスありがとう!(あの文章本当に陸斗が書いたのか謎なくらいにPOPな文章で楽しく読ませて頂きました…笑笑)

お疲れ様です、東海インカレで800mに出場します、主将の大久保信哉です。

いよいよ東海インカレまで1週間を切りました。

昨年は1週間前にコロナウイルスに感染してしまい、まさかの欠場という結果になりました。ようやく調子の上がってきたという時だったのでとても悔しかったことを覚えています。

今年のシーズンインはまずまずでした。雨と極寒の中での信大戦は3着に甘んじましたが、愛知六大では参加人数が少なかったものの優勝を勝ち取ることができました。
しかし、その後左足のくるぶしを痛めて満足に練習を積むことが出来ず、PB更新を目指して臨んだ東海学生春季では結果を残すことが出来ませんでした。さらに、春季の次の日から喉に嫌な違和感がありました。

「この感覚、覚えがあるぞ…」

この嫌な違和感は的中しました。その3日後くらいに発熱と止まらない咳。見事に2度目のコロナに感染しました。ゴールデンウィークということでどこも病院がやっておらず、とても苦しい時期が続きました。
症状が出てから1週間、ようやく復帰出来ましたが、後遺症の咳は1週間ほど続きました。今でもほんの少し残っている状態です。(体感1ヶ月はこの咳と付き合って行く必要があるかなと思います。)

走れる状態になってからなんとか東海インカレに間に合う様jogの量も復帰前より増やし、「ポイント練習<jogや補強」といった形で毎回の練習ごとにしっかりと目的意識を持ってまずは体力回復、向上を目指してここまで練習を続けてきました。

しかし、復帰後急に練習量を増やしたからか、今度は左足の裏腿から膝裏にかけて違和感が出てきてしまいました。もうなんか踏んだり蹴ったりって感じですね…大事に至る前に治療をして、なんとか東海インカレ本番に間に合う様に調整していこうと思います。

主将として下手なレースは出来ません。出場するからには万全な状態でレースに臨む必要があります。しっかりと予選を通過し、準決勝で勝ち負けのレースを展開できる様準備を怠らない様に努めて参りますので、応援よろしくお願いします!

次は偉大なる大先輩今岡パイセンにパスします!
昨日は一緒にjogして頂きありがとうございました!
金曜日は講義で現地に応援には行けませんが、名古屋の地から応援しています!

よろしくお願いします!
2023/04/20
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 自然対数 (15:27)
あやせちゃん、ブログパスありがとう!

ブログ投稿遅れてしまい申し訳ございません。

お久しぶりです。
中距離パート4年の大久保信哉です。

 昨年陸上競技部の主将となりましたが、早いことに残りあと3ヶ月程で陸上部引退ということになりました。

 最近は、4年生になり卒業論文の執筆が始まりました。また、理学部から教育学部に転学部したこともあり、まだ授業がいくつか残っているわけです。そのため、2つ下の後輩とも同じ授業があるわけです。(ちなみに1年生との授業も一つあるのですがそれはここだけの秘密にしておきたい所です。)3年生のうちにゼミ等の重めの講義を取っておいたので、講義ひとつひとつが大変というわけでありませんが、中々下の学年と同じ授業を受ける事についてはまだ抵抗がありますね。さらに、夏には院試が控えています。教育学部の院試について、先輩からは「余裕だよ」と言われはしましたが、めちゃくちゃ不安です。

 陸上部関連の話題だと、先日新入生歓迎を目的とした練習会を行いました。初めての試みという事で、色々大変でしたが無事開催でき、ようやく一息つけました。シーズンが始まり、主将として中々大変な事ばかりで正直なところ「どこかに逃げてしまいたい」と毎日の様に考えています。

 学問についても陸上部についても、自ら選んだ道ではありますが、過去の自分を恨みたくなることが多々あります。ただ、ここを乗り越えれば何か得られるものがあるのではないかと思いながら日々過ごしております。「人生大抵のことはなんとかなる」、「死ぬ事以外はかすり傷」の精神で、まずは七大戦まで走り抜けていきたいと思います!

 多忙な日々が続いていますが、自らの陸上競技に専念する事が第一であると考えています。最後のシーズン、目標である800mでの1’55切りを目指して日々活動を続けていきます!


最後までご精読ありがとうございます。

次は、先週一緒にjogした長距離パート3年の吉原に回します!よろしく!
2022/05/23
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 自然対数 (16:51)
東海インカレの中距離レーンスタートです!

最初に東海インカレまでもう後4日しかありません!
トップバッターが投稿遅れてしまい申し訳ございません…

今年は中距離パートから4人が出場しますので、応援の方よろしくお願いします!

ブログ投稿が大分ひさしぶりなのでまずは自己紹介から、


名前:大久保 信哉
学部:教育学部
出身:静岡県浜松市
出身校:浜松南高校
種目:800m
役職:渉外主務
尊敬する人:ホリエモン、ひろゆき、橋下徹


今週の東海インカレの目標は、「決勝進出」です!
確かにタイムや実力的には厳しいです。しかし、何が起こるか分からないのが勝負の世界です。最後まで諦めずに、全力で走り切りたいと思います!

昨年は、予選でラストの150m流してPBという自分でも驚く走りが出来ましたが、準決勝で敗退…

そして、昨シーズンはその流したベストを一度も超えることができずに終了。
不甲斐ないかたちで2年生のシーズンが終わってしまいました。

そして、今シーズンが始まりはや2ヶ月。
色々な仕事や用事で陸上に集中出来る時間があまり取れない日々が続いていますが、最近下宿を始め、徐々に調子を取り戻してきた感覚があります。

昨日の中京土曜のレースでは、自己ベスト近くのタイムで走ることができました!
後1週間ほどよりより上澄みした状態でレースに挑んでいきたいと思います!

共に出場する杉原、三矢と共に他大学の度肝を抜き、先輩方が頷いてくれる様な活躍をしたいと思います!


手短ではありますが、この辺で終了したいと思います。
(近日提出のレポートや阪大戦のお仕事等多忙な日々でして申し訳ないです…)

また、日常での出来事については通常レーンで回ってきた時に記していきたいと思います!

では、次は次期中距離パート長の杉原にパスしたいと思います!

よろしく!
2021/05/07
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 自然対数 (22:46)
こんにちは。

先日、初投稿で超長文を書かせていただきました大久保です。
以下、簡単な自己紹介を記載しておきます。

名前:大久保 信哉
所属:名古屋大学 理学部 数理学科
学年:2年
パート:中距離
役職:渉外主務
次期役職志望:主将
趣味:自己啓発本を読むこと

いよいよ今日から自分自身にとって初めての東海インカレが始まります!

意気込みを語る前にまずは、このご時世の中、本大会を運営していただけるを感謝したいと思います!学連の方々や審判、補助員の方々には頭が上がりません。本当にありがとうございます!

そして、東海インカレ1日目に出場した選手の方々、お疲れ様でした!

私も今日の山の上陸上部の闘志あふれる走りに続いていきたいと思うのですが、先週、私は腰の激痛に見舞われていました。そこで私の大嫌いな整形外科に行ってMRIを撮ったのですが、特に骨に異常はなく、痛みも痛み止めを飲んだら良くなり、一件落着でした。(原因が分からないのは怖いのですが…)

何はともあれ、腰の痛みもなくなり、レースの感覚も戻ってきました。さらに、腰の痛みのせいで4日間ほど走れなかったのですが、そのおかげで案外疲労もしっかりとれた感じもあり、まさに絶好調という感じです!

今シーズンに入り中々結果を出せていませんが、今回の東海インカレでしっかりと殻を破っていこうと思います!もう言い訳はしません!(笑)

攻めた走りで名大に勢いをつけていきます!

(因みに、タイトルに特に意味はありません。すみません、ただ言いたかっただけです…(笑))
2021/02/26
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: 自然対数 (20:27)
安井さん、ブログパスありがとうございます!

更新が遅くなってしまい、大変申し訳ございません。

まずは簡単に自己紹介をしておきます。

名前:大久保 信哉
学部:理学部
種目:400m,800m,(1500m)
出身校:浜松南高校(静岡)
出身・居住:静岡県浜松市

新入生レーンを書いていなかったので、自己紹介とともに最近感じたことや自分の考えについて書いていこうと思います。時間がある人はぜひ読んでいってください!
(かなり長いので(約1万字)途中で飽きたら読むのをやめてもらって構いません。)
(細心の注意を払っていますが、誤字・脱字があるかもしれません!先に謝っておきます!すみません!)
(大量のレポート課題が終わってすぐなので、固い文章になっている部分が多いかもしれません。どうか温かい心を持って読んで欲しいです!)



陸上を始めたきっかけ


 私は、小学生の時から地元の少年団でサッカーをやっていました。小学校の頃は主に左サイドバックでプレーをしていました。自分のチームは中々強く、市内で上位に入るほどでした。そのような上手い選手たちが多い中で、私は頑張ってレギュラーとしてプレーしていました。中学に上がる時、少年団の多くの周りの仲間はクラブチームに入り、自分もクラブチームからのオファーがあったものの、家から練習場までがかなり遠かったため、入学した中学のサッカー部に入部しました。

 入部当初は試合に出れてはいませんでしたが、1年の後半くらいからレギュラーとして試合に出れるようになりました。小学生の時のポジションはサイドバックでしたが、中学からはセンターバックとしてプレーしていました。(おそらく成長期に入り、身長がこの頃にはすでに170cm以上あったからだと思います。)私のサッカー部の顧問はかなりすごい人で、静岡県の選抜チームの監督でした。したがって、とても厳しく、練習もかなりハードで、夏なんかは午前中試合があった後の午後はずっと走らされたりしていました。合宿なんかは本当に地獄のようでした。しかし、このおかげでかなりの根性がついたのも事実です。今ではとても感謝しています。さらに、サッカーというのはとても治安が悪いので、相手から、「死ね」とか「殺す」とか言われる事がよくありました。面白いのが強豪校ほど口が悪いのです。そのようなこともあり、かなり精神が強くなったと思います。(サッカーの治安の悪さを経験した自分からしたら、陸上の治安の良さにはとても驚きました。)

 中学のサッカー部は正直そこまで強くはありませんでした。というのも、新人戦や練習試合では勝っていたチームであっても最後の大会では、あっさり負けてしまうことが多く、本番に弱いチームでした。その中で、陸上と出会うきっかけが2つありました。1つ目は、「箱根駅伝」でした。箱根駅伝という存在については、小学校の頃から知っていましたが、中学になって見た、箱根駅伝は僕の心の中に今でも残っています。特に、第89回大会の早稲田と帝京の最後の4位争いのデッドヒートはとても印象的でした。私はこれを見てとてもかっこいいと思い、私も駅伝を走りたいと強く思いました。2つ目が中学の頃の「駅伝部」でした。箱根駅伝の影響で、サッカー部引退後はすぐに駅伝部に入部しました。私は、サッカー部引退の直前に腰の疲労骨折を発症していて、最初の方は練習に参加できていませんでした。しかし、怪我が良くなってからは、みんなに追いつくために周りの何倍も走り込みをし、最後の駅伝大会で走ることが出来ました。1.7kmとかなり短い区間でしたが、襷をつなげたのはとてもいい経験でした。

 そして、私は高校に入学し、陸上部に入部することを決めましたが、多少の葛藤はありました。3年生の時に受けた浜松の選抜チームへの選考会があり、私はこれで落ちたら高校ではサッカーをやめようと思っていました。かなり自信はありましたが、結果は不合格。この時、高校では陸上をやろうと決心したのですが、高校を選ぶ時に、何校からかサッカーでのオファーがあることを聞き、少し心が揺らぎました。悩みはしましたが、やっぱり高校では陸上競技をやりたいという思いが強く、推薦を断り、勉強で高校に入学しました。こうして今まで約9年間やってきたサッカーをやめ、高校から陸上競技を始めることにしました。



高校時代の陸上生活について


 高校入学後、すぐに私は陸上部に入部しました。私が入学した浜松南高校の陸上部は強豪校という事はありませんでしたが、男子の4継が東海大会に進出するくらいの実力はある高校でした。しかし、顧問の先生はかなり棒高跳びで有名な人でした。特に、その息子(以下、コーチ)は現棒高跳びの総体記録保持者で、全カレでも優勝経験のある人でした。そのコーチには2年の後半から指導をしていただいており、今でもいろいろな相談を受けてもらっています。話が逸れてしまいましたが、その顧問に私は、5000mを中心に競技をしたいと言っていました。しかし、その2週間後に、「お前は400をやれ。絶対に速くなる。」と言われました。この時、とても驚いたことを覚えています。結局、私は800mを中心に、400mもやるということにしました。400と長距離の間ということで。(実際には間じゃないですけど…笑笑)

 最初の大会では、400mは58秒、800mはスパイクも履かずに走って、2分15秒だったのを覚えています。とても遅かったです。こんな感じで、1年生の間は全然記録は伸びませんでした。自分には才能がないと思い、何度も辞めたいと思いました。しかし、こんな時にいつも励ましてくれていた2つ上の先輩がいました。その人は、総体の200mで全国7位にもなった人でした。家が近かったため、よく部活終わりに一緒に帰っていました。その時に、よく「お前は身長もあるんだし、努力を続ければ絶対に速くなれる。」といつも言ってくれていました。私はその言葉を信じ、走ることを続けました。その人には練習での向き合い方についても学びました。普通メニューの中で決められた本数が終わったらメニューは終わります。しかし、その人は、最後の人が終わるまで、ずっとメニューを続けていたのです。強くなる人は知らない内に、ちょっとした努力を積み重ねているんだなと感じました。それから、私はその人が卒業するまで、できるだけその人の真似をして、色々なことを学んでやろうと思いました。そして、2年になって、400mは52秒、800mは2分1秒くらいまで自己ベストを伸ばすことが出来ました。2年生の冬季練習に入ってからは、前述のコーチの厳しい練習に耐え、3年の春には400mは49秒、800mは1分58秒で走るようになりました。

 そして最後の総体。地区予選では決勝で足をつってしまったものの難なく突破し、県総体に駒を進めました。県総体本番の1週間前の600mTTでは82秒で走れるほどとても調子が良く、目標の東海大会にもいけると感じていました。大会本番、予選はスローペースで、ラスト流して自己ベスト近くでゴールしました。そして準決勝。私は正直あまりアップができていなく、予選の時より足が重く感じていました。スタートするとすぐに、藤枝明誠の橋本(国体2位)に風除けにされました。高身長の弊害です。準決もスローペースで、結局前半でスタミナを削られた私はラストスパートで勝てず、結果組で5番、決勝には進めませんでした。敗因はレース展開とアップの不完全さでした。とても悔しかったです。東海に行けなかったのもそうですが、とても調子が良かったのに自己ベストも出せなかったことも悔しい気持ちの一つの要因でした。

 県総体の後も7月まで競技を続けました。最後の県選手権では、西部地区の高校生で唯一の決勝に進出することができましたが、結果はビリ2位。自己ベストも更新できませんでした。大事な大会で結果が出せない自分、練習では調子良く走れるのに試合になるとベストな走りができない自分がとても悔しかったです。後悔が残るかたちで高校での陸上生活が終わってしまったので、絶対に大学にいっても陸上競技を続けようと決心しました。



1年間の浪人時代


 私は、高校の陸上部を7月の中旬に引退しました。その後から受験勉強を始めたのですが、正直全然勉強しませんでした。というのも、当時の私には特に行きたいと思う大学がありませんでした。結局、私が通っていた高校(いわゆる自称進学校)では地元の静岡大学へ行けとよく言われていたので何の疑いもなく志望校を静岡大学にしていました。模試では、大体A判定、調子が悪いとC判定という感じでした。しかし、どんどん入試が近づくにつれて判定が悪くなっていきました。不安が募りながら迎えたセンター試験本番。結果は過去最低点。正直、1日目の夜に答え合わせをして悟りました。センター試験が終わり私は半分浪人を覚悟していました。しかし、親も担任の先生もまだ諦めるなと励ましてくれていたので、現役で受かることを諦めずに勉強を続けましたが、結果は前期後期とも静岡大学不合格。記述は得意でしたが、流石にセンターの大失敗がかなり足を引きずりました。結局浪人することになりました。陸上競技を再開するのが1年遅れるのはとても悔しかったことを覚えています。
 
 浪人する時、浪人して静大じゃちょっと物足りないと感じ、志望校を東工大・阪大・名大まで上げました。現役時はろくに受験勉強なんてしていなかったので、ポテンシャルはあると信じていました。浪人中は夏までカフェでバイトをしながら参考書代を稼いでいました。正直模試の結果は1年を通していい感じでした。名大に関しては記述ではほとんどA判定でした。しかし、浪人というのはめちゃくちゃキツかったです。私は大手の塾に入っていては周りと差をつける事はできないと考えました。偏差値を爆上げするためには自学自習していくしかないと考え、個別指導の塾に入っていました。よって特にバイトを辞めた後なんかは、(浪人中に友達ができる事はほとんどなかったので、)ほぼ喋らない日も少なくありませんでした。それでも受験勉強を続け、11月の河合塾の記述模試では数学と化学では偏差値75近くを叩き出すことが出来ました。現役時の偏差値は55もなかったので、20以上上がりました。その勢いのまま苦手なセンター試験も何とか名大のボーダーくらいは取れました。その後も、早稲田には落ちましたが同志社には余裕で合格し、本命の名大についても合格を勝ち取ることが出来ました。

 私にとってこの1年間はとても厳しく、孤独で、苦しいものでしたが、今となってはとても貴重な経験であったように思います。浪人したおかげで、頑張ることの大切さを学ぶことが出来ました。あの1年を経験したことで、これから現れる厳しい現実に対しても何となく乗り越えていける感じがします。1年間周りに助けられながらも、自分一人で様々なことを行なっていくことで、自ら行動していくことの重要性について学びました。この経験は自然と今後の人生に活きてくると考えています。今後の陸上人生でも活かしていけるようにして行こうと思います。



山の上陸上競技部への入部から今に至るまで


 名古屋大学の二次試験が終わった次の日からすぐに私は走り始めました。最初は自分の体とは思えないほど体が重く動きませんでした。受験のストレスからか、体重は7kg近く落ち、筋肉も減っていました。まずは基礎体力の回復を目標とし、長めのジョグと筋トレを行なっていきました。しかし、コロナ禍でオンライン授業ということもあり、なかなかモチベーションが上がりませんでした。そこで、Twitterで名古屋大学陸上部の新入生募集のツイートを見つけたのですぐに入部届を提出しました。初めて中距離パートの先輩たちとズームで顔合わせをしたときは、すごいクセが強い人が多いなと感じ、少し安心しました。それにより少しモチベーションも上がり、オンライン授業と塾講師のバイトの間を使って徐々に近くの競技場に行くようにし、個人練習を積んでいきました。しかし、8月の始めの前期の期末試験が始まり、生活習慣が乱れてしまってからは中々陸上に身が入らなくなりました。その後の夏休みはバイトが忙しい中でも午前中はできるだけ練習を行なっていくことを意識していきました。

 夏休みが終わり、10月に入りようやく中距離パートの練習に参加できることになりました。初めて先輩や同期と走った時のことはとても覚えています。個人で半年近く練習してきましたが、それよりも何倍も質のある練習ができたように感じました。ちょうどその時の練習が600mTTでした。私は一泡吹かせてやろうと思い、かなり意気込んで走りました。ラスト120mでスパートをかけ1番でゴールしました。正直めちゃくちゃ嬉しかったです。しかし、その1週間後の秋季記録会では、全く記録が出ませんでした。組が悪かったり、全然調整できていなかったりと色々ひどい結果で終わってしまいました。
 
 気持ちを入れ替え次の日から11月の下旬にある地元の浜松での月例記録会に向けて質の高い練習を積んでいくことにしました。同期の仲間たちに色々手伝ってもらいながら調整もうまくいきました。直前の600mTTでも84秒まで戻すことが出来ました。そして迎えた試合当日。アップでも特に問題なくこれは行けるぞと思いました。しかし、レースが始まると前半から中々足がうまく回らない感覚がありました。そして2週目に入ってから集団から離されてしまい、結局後ろから2番目でゴール。記録も2分2秒と散々でした。動画を見返してみても、かなり動きが固かったです。原因を考えると、調整の方法にあると感じました。私は直前2週間の調整を高校時代の時の調整方法を参考にしていました。しかし、普段の練習が変化しているのに調整はそのままというのはあまり良くなかったのではないかと感じました。練習や生活の環境に合わせて、調整の方法に関しても変化を加えていかなければならないと感じました。

 その1週間後の中距離パートでの800mTTに関しては走るつもりはなかったのですが、のぶさんに煽られて出る羽目になりました。ほとんど調整はせずに本番を迎えました。私は初めから引っ張る宣言をしていました。その通りに、1週目は56秒で先頭で通過しました。550mくらいまでは先頭で粘ってましたが、安井さんに抜かれてしまい万事休すでした。しかし、先頭で引っ張るというレースは高校時代はしたことがなかったのですが、先頭でのレース展開の中で、2分フラットで走ることが出来ました。タイム的には物足りなかったのですが、大きな収穫となりました。

 それから私は先頭で引っ張るということに味をしめました。というのも、私の中には「勝つ時は完膚なまでに勝つ」というモットーがあります。そのモットーにぴったりの勝ち方が、800mでは先頭で引っ張って、最後まで敵に前を走らせずにゴールすることであると考えました。800mTTの後の練習からは常に先頭で引っ張るようにしました。そのことでいいことが多くありました。
先頭で走ることで、精神的な部分が鍛えられます。さらに、ペースをしっかりと合わせなければならないので、ペース感覚というのも自然と身についていきます。1年生ながらも先輩を引っ張ることは中々緊張しますが、自分の力を伸ばしていくためにも継続して行なっていきました。

 2020年最後の練習は雨の中の600mTTでした。中々調子は上がっていませんでしたが、全力で走りました。この時も先頭で引っ張ってやろうと考えていましたが、これまた安井さんに先頭をとられ、そのままゴールされてしまいました。結局タイムも84秒と中途半端なタイムで終わってしまいました。終わった後はまだ余裕があり、出しきれずに終わってしまったという感じでした。かなり悔しかったです。

 それから年始の練習再開まで年末年始もしっかりと練習を続けました。母校の練習にお邪魔させてもらったり、同期の仲間達と浜松の浜まできてもらい一緒に練習したりと工夫をしながら練習を続けました。そのおかげで、2021の練習再開にもいい感じで向かっていけました。

 最近ではもっぱら先頭で引っ張っています。いつも中距離の練習で変な格好で先頭を引っ張ってるのが私です。色々な友達をどんどん作っていきたいので、いつでも気軽に話しかけてください!



400m、800mに加えて1500mも


 最近練習の中で、「俺って1500m向いてるんじゃね?」って感じることがあります。1200mとか1600mみたいな練習の時、かなりいい感じで走れることが多いです。私は高校では400m、800mを中心に走っていたので、中々未知ではありますが、大学では1500mも走ってみようかなと考えています。なにか1500mで勝つためのコツなどがあれば、なんでも教えてほしいと思います!


 
 競争することの楽しさ


 先日、中距離パートのミーティングの中で、「陸上をやる意義」について考えることがありました。改めてなんで陸上をなんでやっているのかを考えてみると最初は走るのってかっこいなとか思っていましたが、最近思うのは「陸上競技は勝敗がはっきりしている」ということです。私は競い合うこと、勝敗がはっきりしている物事が好きです。それなので、自分の性格を考えても陸上競技というのは自分にあっているなと感じました。そう考えると、「どんなスポーツでも相手をはっきりとわかる形で勝てれば良いな」と考えることもあります。例えば、卓球やテニスなども1対1の勝負であり、勝敗がはっきりしています。私は部活を全力でやるために大切なことは、まず第一に「勝つこと」と考えてしまいます。私はタイムよりも相手に勝つことが大前提と考えていて、自己ベストを出すために走るというよりは、相手に勝ち、その上で自己ベスト、タイムがついて来ると考えます。ですので、走ることが好きで陸上をやっているっていう人を見るとすごい尊敬します。私はこんなにきついスポーツを好きでやっている人は本当にすごいなと思います。私に関しては、絶対に倒したいライバル(私は一方的にライバルと思っていますが…)がいるので陸上を今も続けています。そのライバルを知りたい人は、ぜひ僕の部員紹介を見てみてください。



カイジの影響


 しかし、なぜここまで私が競争することを好むのかと考えてみると、おそらく「カイジ」という漫画の影響があると思います。この漫画はもっと上の世代の人に人気があるのですが、私は小学生の頃から読んでいました。かなり刺激の強い漫画を小学生の頃から読んでいたので今ではその影響か、かなり偏った考えを持つようになってしまいました。しかし、カイジの中に書いてあることのほとんどは(中には暴論・極論もありますが、)とても人生の中で役に立つような正論がたくさん書いてあります。今後社会に羽ばたいていく人にはとてもためになる漫画であると感じるので、ぜひ読んでみてほしいです。(私は現在出版されている全巻を持っているのでいつでも貸し出します!)



教育の重要性

 ところで、皆さんは教育というものにどのくらい興味を持っていますか?私は1年間の浪人時代の大学受験の経験、大学での教職の講義を通して、教育というものの社会の中での重要性や奥深さについてとても考えさせられました。いずれ結婚して子供ができることを考えている人は教育について必ず考える時が来ます。人を育てるということの責任について今一度考えてみてほしいと思います。私も最初は、理学部数理学科に入り、過去の偉人たちが作ってきた数学というのを堪能できればいいかなと思い、大学に入りましたが、今では教職の講義を通してその考えは二の次になりました。以下は、私が教職課程の講義の中で「教育の意義」について書いたレポートの一部です。改めて教育について考えるきっかけになってくれれば幸いです。


 教育とは、「人生の価値に考え続け、それらを社会に還元していくためのもの」であると考える。この世の中には人間では答えを出すことのできない問題がたくさんある。その中の一つが「なぜ人は生きるのか?」ということである。この質問に具体的かつ一般的に答えを出す事はこの複雑化した社会の中では不可能に近い。しかし、このことを考えながら生きていくことが重要であると考える。つまり、「この質問に対してはっきりとした答えを個人が持ち続ける、人生の価値について考え続けることが『幸せ』に生きていくための一つの考え方である」ということである。しかし、考え続けるためには、考える方法を知らなければならない。ある物事についてどのように思考していくか、つまり、何をどのように学んでいかなければならないのかということを知らなければならない。その役割を担うものが教育であると考える。

 ここで、考え続ける事は学び続けることというように言い換えることもできる。そこで、人生の中で様々な学びを続けていくためには「経験する」ということがとても重要になってくる。このように考えていくと、ロックの言うような生得観念を否定した経験論の重要性が分かってくる。しかし、人生の価値に対して、考え、学び続け、経験を重ねるだけではただの自己満足で終わってしまう。ここで、現代の世の中には「社会」というものが存在する。社会は進化を続けるものである。この現代の社会を考えると、自分で考えるだけでなく、その考えについて他者に対して発信していくことが重要であると考える。そこで、どのように他者に発信し、自分の考えや発想を社会に還元していけば良いのか享受することについても教育の役割であると考える。

 アインシュタインは「他人に尽くすことが、価値のある人生」と語っている。「人生の価値について考え、様々な方法で、そのための行動をし、社会に還元することの重要性について教えること」が教育の重要な役割であると考える。



努力に対する考え


 ここまで読んでくれた人の中でこう思った人はいるのではないでしょうか?「なんでこいつはこんなに書いてんの?」それは、私は「よく分からないない努力が好き」だからです。私はなりたい自分になるための努力に関しては人の何倍も努力をするようにしています。しかし、そこに直結しないような努力には中々気が向かない性格です。ですが、それよりもよくわからない、皆がやらないような「絶対にそこじゃないやろ!」みたいなものを全力でやることがとても好きです。それなので、今回のブログに関しては、授業のレポート並みに頑張って書きました。ここまで読んでくれた方にはとても感謝しております。ぜひもう少しお付き合いください。



 今後の目標


 最後に私の山の上陸上部員としての目標を書いて、終わりにしようと思います。私の目標は大きく分けて3つあります。

 一つは、「日本インカレに出場」することです。やはり私は「勝利」がほしいと思ってしまいます。勝つために全てを犠牲にするというわけではありませんが、いつでも勝利に貪欲でいたいと思います。今の自分の力とポテンシャルを考え、全カレに出場することも夢ではないと思っています。しかし、それが夢で終わってしまうか現実になるかは今のこの一瞬一瞬の生き方で変わると思います。確実に後悔の残らないような生き方をしていこうと思います。

 二つ目は「単純に速くて強い選手になる」ということです。

「お前足速いな!」

これはよくのぶさんに言われる言葉です。「足が速い」って中々陸上をやっていると言わなくないですか。私はこのような疑問を持つとともに、単純に足が速ければ試合のような勝負でも勝てるということを改めて考えました。「完膚なきまでに勝つ」ということを考えると、足が速くなれば距離関係なく勝てます。どんな距離でも速く走れる選手が強い選手のようにも感じます。「速くて強い選手」を目指して日々精進してまいります。

 最後の三つ目は「中距離パートにより勢いをつけていく」ことです。中距離というと「陸上競技の中で最もきつい種目」と言われることもあります。確かに練習もめちゃくちゃきついです。だからこそパートの中で互いに励まし合いながら、メリハリをつけていかなければならないように感じます。練習では、お互いにそれぞれの欠点を認め合い改善していき、競い合っていくことで実力をつけていく。それ以外の場所ではチームの仲間意識を強くしていくようにする。中距離のきついメニューをこなしていくためにはお互いの関係がとても重要になって来ると思います。私には好きな言葉があります。それは、

「一蓮托生」

です。しっかりと中距離チームを先輩や同期たちと共に活気の良いパートにしていければ良いと考えています!



最後に

 ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。正直中々大変でした。主に浜松の実家から大学までの新幹線の中で仕上げました。おそらく支離滅裂な部分や誤字脱字があるかと思いますがそこのとこは温かい気持ちで読み流して頂き、後日私にお伝えください。また、「ここ面白い」とか「ここ意味わからん」とか「こいつ何言ってんの」とか意見があればぜひ直接話してください。私は大体中距離パートの中で変に派手な格好をしているのですぐにわかると思います。気軽に話しかけてください!

 今後ともよろしくお願いいたします!



 卒業生レーンを開設いたします!



  中距離→かじゅさん
  男子長距離競歩(学部生)→崇先輩
  女子長距離競歩→えり先輩
  男子長距離(院生)→飯田先輩

  よろしくお願いいたします!

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