中長ブログ - りょっさんのエントリ

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2015/03/16
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (17:19)
題名は皆さんに贈る言葉です。

ブログを書くのは、これまでで39回(短距離ブログの1回を含む)。
今回は記念すべき40回目。
こんにちは、ふじたりょうへいです。

ちゃまぐちくん、回してくれてありがとう!

初めに言っておくと、来年からは本社が横浜にある会社で働きます、とうとう社会人。
仕事柄、なかなか皆に会うのは難しいとは思いますが、自分の中の『OBOGは口は出さずに金を出す』という信念の元笑、はるか遠く、おそらくは海の向こうから皆さんを応援しています。


何を書こうかなと散々悩みましたが、
今までやらなかったこと、やってみます。

それは『好き勝手書く』こと。

というわけで、

・1号館室外機爆散問題
・旅行前日に西日本横断問題
・コロッセオで警報問題
・Oクサン:珍獣モード

の話はせずに、

悪びれもなく淡々と自分の競技人生を振り返っておしまいにしますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

13年前の6月。
何かスポーツやりてぇな、でも球技のノリが苦手。
そんな思いで何と無く始めた陸上競技。
もともとインドア人間だった私の中で、みんながダラダラ走る校内のマラソン大会でやればやるだけ褒められた経験から、このスポーツ、この種目を選びました。

今でも忘れません。
中1で走った最初のトラックレースは市内でビリ。1500mを6分はかかりました。
同級生の女の子からも(のちの初彼女)、
『なんであんた陸上やりゆうが?』
とか言われる、そんな選手でした。

特にスピードがなく高校生(中高一貫校です)の先輩から設定されたインターバルは設定では一本も出来ませんでした。もう一人の同級生は都道府県の補欠になるまでの子でした。
特に悔しいわけでもなかったけど、設定タイムで出来ないから皆より少しだけ本数を増やしたり、長く走ったりしました。

体の成長もあいまって、中3では3000m9分40秒くらいで走り、土佐中史上初の県駅伝出場に貢献、またそこでも区間3位で5人をごぼう抜きました。

この頃から駅伝が好きになりました。

高校に入って2年。
もともと少ない人数の長距離だけでは駅伝は組めませんでした。距離も距離だけに、400m以下のトラックがお家芸である土佐の短距離部員は、駅伝に貸してもらえませんでした。
高校入ってからは先輩もいなくてずっとキャプテンでした。
何とか5000mで土佐高歴代トップになるものの、トラックでは土佐高史上唯一一度も四国大会に行けてない5000mという種目で、例にももれず私も四国には進めませんでした。

3年の高校総体で引退しました。
1500m、3000mSC、5000mを走って内臓がやられ打ち上げの焼肉が食べれなかったことと、後輩へのメッセージみたいなので顧問へ文句言ったことしか覚えてません。

『観てくれる人がいれば。』

何度そう思ったか分かりません。
(結局は自分次第だと気づくのはまたまだ先の話)

5月に引退して間も無くしても、どこかモヤモヤする自分がいました。

実はこの時高校の長距離の後輩が6人いました。

決心したのは高校3年生の初夏の頃。

『駅伝がしたい』

そしてその思いは募るばかり。

しかしながら、仮にも進学校である母校。

私の部活続行には賛否両論でした。

後で知ったことですが、職員会議とかいろいろあったみたいです、
受験勉強させるべきじゃないんだろうか、そういう感じの。

でも恵まれたことに先輩後輩、担任、顧問、そして両親に背中を押され、出場を決意しました。

思えばこの時が12年の陸上生活で一番楽しかった。器用じゃない私は、その全てを捨てて高校駅伝に取り組みました。いや嘘、彼女は捨ててませんでした。

結果は県6位入賞。
陸上の事をあれだけ真剣に考えたのは、実質リーダーであり、エースでもあり、監督でもあったこの時ほどはありません。


閉会式で賞を取りに行くのは当時のキャプテン(表向きは交代してた)だと思って油断してたのに、『先輩早く前に出て、賞状取りに行ってくださいよ』、と言われた時は涙が出ました。

そしてやっぱり受験失敗(笑)
一年の浪人中は一歩も走りませんでした。

でもこの期間、辛い浪人生活を支えてくれたものの一つは後輩たちの活躍でした。
大学に受かったら陸上続けてみようかなと思ったのは、そのせい、いやそのおかげかもしれません。

そして6年前、名古屋大学陸上競技部の門を叩きました。

周りにはとんでもなく強い選手ばかりで、いつも練習を観てくださるけどとんでもない金尾先生もいました。
おれもこうなりたい、そう思ったのは確かです。(金尾先生なりたいわけではありません、強い選手に、です。)

わけ(全略)あって学連に入りました。
今思えば大きな分岐点。

そこで間もなく縁あって選抜合宿に行きました。
当時M1だった育生さんと出会ったのがこの時で、麻保呂さんと三人で居間で話したのは今でも覚えてます。
『この人たちについてけば選抜とやらに入れるのか』
そう思って練習してました。
名大に戻ったらなんだか強くなった気がして楽しかったのを覚えてます。

その冬怪我をしました。

つまらないのが嫌いな自分は、部をやめようかなと思いました。
この時濱田先輩が強く引き止めてくれて、今でも感謝しています。

2年になり走れるようになって調子も上がってきた矢先、
克也と長谷川に東国体の選手争いに負けました。
めっちゃ悔しかった。

東国体の選手が決まった1週間後の名阪戦、亀と古川を抑えて(今では信じられないかもしれませんが笑)、卓弥と競り合って初めて5000m15分台で走りました。
もちろん長谷川にも克也にも勝ちました。

高校時代、顧問の先生に、
『おれの言うタイムを出せたら駅伝に短距離を貸そう』
それが15分台でした。
その分一際嬉しかった、、、


と同時に、一つのやってやった感がどこかにあったのかもしれません。
しかも、この頃からちょうど、学連では次期幹部として周りから認知されはじめ、やりがいというのを感じ出しました。

3年になると学連で秘書になりました。
学連では運良く大きな大会に呼ばれたこともあって、大した事もしてないのに幹事長に噛み付くただの口だけ人間でした。それでいて周りからは働き者に見えるらしく、走らなくても部に居場所がありました。いや、自分でそう思い込んでいただけかもしれません。

思えば先輩方から睨まれだしたのもこの頃な気がします、そりゃそうです、大した実績もないのに大きな顔をしているのだから。
といっても当時の僕には気づくことは出来ませんでした。

4年になって幹事長になりました。
幹事長の大変さ、佐久間先輩はじめ歴代の幹事長の偉大さを知りました。
台湾では血を吐いたし、それはそれは色んな人に怒られました。

11月知多からの帰りの高速のサービスエリア、もう日も落ちた中、レンタカーの中で仮眠とったら日をまたいでしまいました。
この日は確か知多二往復目。
当然、深夜のサービスエリアではお店も空いてなくて、真っ暗闇の中、なんか食べなきゃと、ちょうど手元にあるプリンを一人で食べてたら、情けないことに涙が出てきました。気がついたら声も上げずに真顔で泣いていました。
『何のために誰のためにこんな惨めな思いをしてるんだろう。』
そう思えば思うほど、目から出てくる水は止まりませんでした。

それでも皆の前では笑顔でいつも通りヘラヘラしてようと決めていました。それが自分らしさだと思っていたからです。

とはいうものの、秘書の山西や周りの人に恵まれたおかげで、
任期最終日2013/3/31の21:00まできっちり?仕事をこなすことが出来ました。もちろん、楽しいこともたくさんありました。中京大の名だたる選手に胴上げされた名大生なんて、きっと私くらいでしょう。

この間、陸上部では和田パート長はAチームのメンバーとして孤軍奮闘し、澤田主将は結果がついてこないことに苦しみもがいてました。同期が部を引っ張らなきゃなんない一番大変な時期に、全くといっていいほど時間を割けなかった、割こうともしなかったにも関わらずいつも気遣ってくれた同期の皆には感謝さえすれど、おこがましいといえばそれまでですが、今でも申し訳なさでいっぱいになります。

この頃から、同期の中でも自分は異質なんだな、結局のところ陸上部の中では何もしてないんだな、ということを意識するようになります。



そしてやっぱり陸上したくて院に進学しました。

それはM1の秋の事です。

コーチになった育生さんに本気で叱られました。
確かペーランの時に勝手にペースをあげたからだと思います。

『考えて走れ』

そう言われてペース配分とか、色々考え始めるとすぐに自己ベストが出ました。
あれがなかったら自分は部員になれずになんとなく引退していたでしょう。

M2になって、就活を終えました。
でも冬は全くといっていいほど走れてなく、もはや思い切って80くらいで回れればいいやと思いたち、走ったのが信州大戦でした。
5000m16分40秒をちょっと切ったくらいなのに楽しかった、

そこで、久我がブログに書いてたような事に気づきました。

そして東国体、初めてポイント選手に選ばれました。
そこでポイント獲得、しかも自己ベストのおまけつき。

でも何よりあんなに遠くにいた澤田と6年目にして初めて一緒に5000m走って、直接対決して、そして勝てたこと、それが一番嬉しかったです。


この時点で入部して5年。
遅すぎましたが、
初めて部の一員になれたような気がしました。
学連員じゃなくなっても、幹事長じゃなくなっても一選手として皆と対等に話していいんだとホッとした気持ちもありました。

でもまた怪我をしました。

思えば暑さに苦手意識があったのも、長引いた原因でしょうか。

復帰した秋季は17分かかりそうでした。私は一度キツくなると粘れない事が分かりました。

それでもなんとか持ち直しライン上の上寺を押しのけて、東海学生のBの補欠には食い込むことができました。
最後の5000mは、レース展開やペース配分、みんなの応援より、なにより上寺に負けたら絶対ダメだ、と、そのことしか考えてませんでした。
自己ベストに届かなかったこと、もちろん悔しくはありましたが同時に一度も彼を前に出さずに、勝ちきったことにホッとする自分がいました。

ただ、彼はきっと私なんか目じゃない選手になってくれるでしょう。


最後の東海学生駅伝は、初めて名大の応援をしました。結果はどうあれ健志を送り出した瞬間、一成を送り出した瞬間には、選手にはなれなかったけど部の一員としてその役割を果たせた思いでいっぱいでした。

ここで私の競技人生は一区切り。
長いようで短い、人生の多くを費やした競技人としての生活は幕を閉じました。
(西濃駅伝はおまけ)

こうやって振り返ってみて、今一番心の中にあるのは、
タイムが出なかった、駅伝で正メンバーになれなかった悔しさでもなく、
また満足感や達成感でもありません。



感謝の気持ちです。



指導して頂いた金尾先生、育生さん、

後悔のない選択を尊重、後押ししてくれた土佐陸上部の先生方、先輩後輩同期、

こんな自分を受け入れてくれてた名古屋大学陸上部の先輩や後輩、

時には厳しいけど、競技活動も応援してくれた故伊藤晃先生はじめ学連関係の先生方、東海、全国の学生陸上を支えあった主務や選手たちや、他地区の学連員、

そして、、、、

我が強いおれらの緩衝材になってくれて、学年会の開催場所をいつも提供してくれる、カメラを向けると必ず変顔してくれるぐっさん、
練習する機会が一番多くて、誰よりも負けたくなかったくがちゃん、
ウマも合わないし、お互いイライラさせるばかりの相性なのに、なんやかんや長い付き合いの奥さん、
いつも褒める言葉しかでてこないし、ダメな時もいい時も、海外旅行が体力的にしんどい時笑も話を聞いてくれたしのや、
中々結果がついてこないおれたちの中で唯一といっていいほど活躍してくれた、いつもは元気なのにお腹が異常に弱いけんし、
部での付き合いはもちろん、学年会の場所抑えから、恋愛相談から、パリでのワインの飲み相手まで、割とどんな時でも一緒だったのに肝心の主将の時にはついてやれなくてごめんよなさわだ、

6年間競い合ったこの6人とさらに、
よっしー、すがさん、克也、はっせー、波多野の長距離メンバや、短フィのだいご達、佳世ちゃん達女子、未久達のマネ、ほんでまぁ特別(腐女子)枠で加藤紫帆、

などなど個性豊かな同期達。


産み育ててくれた父さん母さんはじめ家族の皆、


ふじたのことを好きな人、嫌いな人、別にどうでもいい人。



割と顔に態度がでる私ですが、今なら上に書いたような、陸上競技を通して出会った全ての方々に素直にありがとう、ここまでではあるけどきちんとやりました、と伝えれる自信があります。

今、おそらくチームとして大変な時期だとは思います。
そこで僕からは、

『Encore un peu de pain, s'il vous plaît』

この一言だけをはなむけの言葉として捧げます.

ただただここに感謝の意を表しながら、藤田亮平の記念すべき40回目のブログを最後にしたいと思います。

本当にありがとうございました。



では次に。

主将と幹事長、組織は違えどお互いおつかれさんやったな、
漢字二文字違いの澤田恭平にタスキをつなぎます。
駅伝でタスキつなぎたかったけど、それは叶わなかったからこんな形でタスキリレー。
バトンはつないだんだっけ?

6年間ありがとう、これからもよろしく。


あと滞ってる学部生にも回しておこうか。

もしかしたら一部の同期よりも一緒にいたかもしれない一成、
(お前が学連でほんまによかった、楽しかったで。)

と、

「天下のモテ男」のフリを受けて、
その素敵な笑顔が大好きな友紀に回します。
短くていいからこっちでも何か書いてね。
あと下の名前で呼んで欲しいな←

○卒業レーン
院:久我→忍矢→奥さん→山口→おれ→澤田

学部:福井→中野→一成
→友紀

○通常レーン
上寺→雅斗→松井→カトケン



おしまい
2014/12/01
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (11:03)
モリナガまわしてくれてありがとう!
でもやっぱり最後がモリナガなのはなんかやだから、女の子とポイントしようかな笑

こんにちは、毎日がハーレムのふじたです。

この前なんか、濃緑に載る女子部の集合写真にお邪魔してしまいました。

一成くんは本当に邪魔でした。



さてもうすぐ最後のトラックレースです。




、、、、、ここまで書いて筆が進まず汗


というわけで、昨日人生最後のトラックレースに出場してきました。


結果はご存じのとおりです。


残念ながら自分で決めた目標は達成できませんでした。



でも、上寺との直接対決に2連勝したし、


ラップを見てもベストラップとワーストラップの差も小さく、今の実力は出し切ったレースでした。


ただ、この状況だとおそらくよっぽど東海学生を走ることはありません。




でも、



陸上部に入って6年。


ついに名古屋大学の陸上部員として東海学生駅伝に参加できることにわくわくしています。


この1年、『陸上部の部員になる!』ことを目標にして頑張ってきました。


残念ながら今回は、ランナーとしてはその形は叶わなかったけれども、


付添として選手をサポートしていきたいと思います。




そして、東海学生が終わったらいよいよ引退です。


ありがたいことにいろんな人から、『部活に遊びにきて』というような声をかけて頂いています。


でも部活の日の山の上は自己実現の場。


目指すべきものがなくなる僕に部活に顔を出す資格はありません。




東海学生駅伝のメンバーとして、
名古屋大学陸上競技部の部員として、


残り一週間となった競技人生をかみしめたいと思います。


とにもかくにも、東海学生駅伝!!


一丸となって望みましょう!!!


次は、遠いところ旗まで作って駆け付けてくれた妹:聖菜に回します。


聖菜と会えてよかったよ。
ほんまにありがとう。
2014/07/07
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (16:56)
笹の葉さらさら〜♪

降籏回してくれてありがとう。

めでたく25歳になりました、ふじたです。

今年もいろーーーーーーーーーーーーんな人から、おめでとうメッセージを頂きました。
この場を借りてお礼を言います、ありがとう!!

思えば毎年、

『織姫が会いに来ない』

と嘆いていましたが、

織姫と彦星が一年に一回しか会えなくなっちゃったのって、
いちゃいちゃしすぎて仕事をしなかったから、だそうで。

つまり今まで散々織姫を探してきたのですが、
その人とは年に一回しか会えなくなっちゃう、というわけですね。

これはよくないと思い立った僕はついに織姫探しをやめて、
お互い高めあえるようなパートナーに注目することにしました。





そう、牽牛。


うし。


モー。




はい、しょうもない話はおいといて、、、
ついに25歳になりました。
25歳というと、部員の中でも上から数えた方が早いっていうか、
もはや本当に一番上です。
じつは育生さんと3つしか違いません。

昔は誕生日は『自分がちやほやされる日』だっていう印象でしたが、
年をとるにつれて『特に周りの人に感謝する日』になってきます。

いい年の取り方ができたのかもしれません。


陸上競技も中学一年生の6月から始めたのではや、12年というキャリアを積んだことになります。
幸いにも今シーズンは、夏に初めて自己ベストを更新したり、東国体で宣言通りポイントを獲得したり、
とんとん拍子で来たのですが、
この前の3000は燦々たる結果に終わってしまいました。

うまくいかないものですね、陸上って(笑)

でもタイムは確かに悪いんですが、個人的にはいい失敗をしたなという感じなので、
来る最後の冬シーズンに備えて課題を一個一個つぶしていきたいです。



あと、掲示板でも書きました通り、
学連派遣員の任が解けました!

本当は冬まで手伝いたかったんだけど、
組織において『責任はないけど発言力は大きい人間』が多くいるのはよくありません。
この5年間、名大の陸上部にはいろんな形で支えてもらって、
特に2012年は幹事長を全うできました。


しかし選手としてあと5か月、陸上部にお世話になることになります。
今後ともよろしくお願いします。



大変まじめにおさまったところで次は、
モーーーーえこに回します。

実習お疲れ様!

みんなの願い事が叶いますように!!
2014/06/01
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (10:11)
向井理ってほんとに「めいだい」出身なんだね!
向井孝次くん、回してくれてありがとう。
不覚にもブログを読んで朝から笑ってしまったよ

こんにちは、
東国5000のチームじじいの中でも一番じじい、
山の上陸上部最年長(24歳11ヶ月)、the king of じじい の藤田亮平です。

目指せ長老系男子。

日本陸連の4継チームの愛称が、

『韋駄天スプリンターズ』

だそうですが、
それに比べて、

『チームじじい』

って、何だかもう朝の9:30に灼熱のトラックを12周もするのが憚られるようなチーム名です。

でも割と気に入ってるのはここだけの話。

最近、

ちょっと寝るのが遅くなったらすぐ疲れるたまるし、
予期せぬスピードにも全然対応できないし、
ちょっとしか飲んでないのにゲロゲロなるし、
次の七夕にはアラサーだし、
焼肉食べ放題でもコーラとかカルピスじゃなくてホットマテ茶とかのんで、「あ、胃に優しいこれ」とか思っちゃったし、
枕からなんだかおっさんの臭いがするし、
次の七夕にはアラサーだし(大事なので2回目)、

年を感じる事も多くなって来ました。つらたん。。。

さてこんな年齢ですが、
僕も実は初めてのポイント選手です。

東海地区の学生陸上競技に関しては、部員の中でも一番それに貢献してきた自信が僕にはあります。
いろんな大会のために自分の時間を削って、時には寝る時間さえも削って、尽力してきました。

でも、

名古屋大学陸上競技部に貢献したことはたったの一度もありません。
陸上部への貢献、それは『競技で活躍すること』に他ならないんだと気づきました。
『競技以外にも貢献の仕方はある』
っていう言葉は、競技者である以上競技で貢献してきた人間しか言えない、言っちゃダメなセリフです。

僕は恥ずかしながら、その言葉に甘えてここまで来てしまいました。

育生さんから頂いたこのチャンス、なんとか微力ながらも名古屋大学陸上競技部に『貢献』したいものです。
あと育生さんにぎゃふんと言わせたい笑

そして東国が楽しみな理由がもうひとつ。
それは、学連選抜のメンバーが多く出走することです。
学連選抜メンバーと選抜マネジャーが同じスタートラインに立つ。
これは学連もがんばって、競技も続けてきた僕にしか経験できない事です。
競技力じゃ足元にも及びませんが、そのスタートラインに立てたこと、それに自信を持って東国に臨みます。

幸いにも調子はよく、昨日のけんし爺ちゃんとの長老対決も制してやりました。
この一年の密かな目標、
『同期には負けない』
の達成のため、きょーへい爺ちゃんにも負けるわけにはいきません。

当日は朝も早く、
また作戦上、競技力上華やかなレースも出来ません。
ただ決めたタイムを12.5周刻むことしか出来ません。
そんな私ですが、応援していただけると幸いです。

よろしくお願いします。

さて次は、、、、
じじいの戯言が続いたので、
うらわかき一年生、
東国3000mSCのポイントの元春に回します。

Do ours best!!!
2014/04/11
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (18:42)
タケス、まわしてくれてありがとう。
もうほぼほぼ事務所には行きません。たぶん


僕も自己紹介をすると


名前:藤田亮平
学部:工学研究科(単位は無事取り終えたので皆さん安心してください)
学年:2年(修士)
出身:私立土佐高等学校
種目:5000m、10000m


山の上ではだいたい”ふじた”と呼ばれています。『ちょっ、ふー(↑)じー(→)たー!!!(↑)』と呼ぶ意味わからんやつもいますが…


修士2年生だからって後輩にたかられているやつがいたら、それが自分です。


今年は最上級生の威厳(笑)なんかもう諦めました。だって幹事長だった2年前ですらなかったもの。

さてなぜか一切触れらてこなかったこの『学レーン』。

そうDoから始まる私たちは一世代から一人だけ選ばれるスーパーお人好し集団、

東海学生陸上競技連盟

に所属する愛すべきポンコツ5人衆です。

その世代から雑用を早々に押し付けられ、
他人のことに時間を割くと書けば聞こえはいいけど、
とどのつまり東海数千人の登録者のために影ながら馬車馬のごとく労働を強いられてるのが私たちです。

と、ここまで書けばいいこと無いけど、それなりに得られるものもあります。
でもそれを言葉にできるほど、我々は器用じゃないので、
それは直接感じ取ってください。
もしくはいろんな先輩に聞いてみてください。

『世のため人のために無償でがんばった経験。』

これは社会に出ようとするとき、
めちゃくちゃウケがいいですよ。



愛すべきポンコツ、その6人目。



今年の新入生からも例外なく一人だけ私たちの仲間になるのでしょうが、
選ばれし子には悪い思いはさせません。

就職活動も落ち着き、部活に顔出すことができそうなので、
信州大の5000mからシーズンを始めようかと考えてます。

あと一年、よろしくお願い申し上げます。

さて次は、

先週は飲みに、
昨日は晩飯に付き合ってくれて、
世界史の本を貸してくれて、
『あんたがかっこいいと思ってやっとった事、だいたいかっこ悪かったよ、』
と伝えてくれた、

紫帆ちゃん、、、、

じゃなかった、

火曜日にご飯に付き合ってくれた、

志穂ちゃん。

に襷を回します。
書き方だとかは周りに聞いてね。


……桜はやっぱり綺麗やなー。
2014/02/28
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (14:59)
前回、藤原から華麗な年末パスをもらいました。
しかし書いたのは元日の22時というなんとも中途半端な時間、
My mother に「あんたブログまわっちゅうで」と言われるまで気づかない、
しかも面白くない、、、、

あゆこから聞きました。

「うちのお母さんが、藤田さんにあのタイミングでブログまわったらどんなおもしろいことを書くんだろう、って期待してましたよ〜」と。

それから私は反省のあまり夜も眠れない日々が続きましたが、とうとう筆をとるチャンスが巡ってきた次第です。

ありがとう岡部。くわくわを大事にね。。

前置きが長くなりましたが、

どうも、絶賛就活中のふじたです。
就活のネタなんて腐るほどあるのですが、こういうところに書くのはやめておきます。
聞きたい人は直接!!!

さて、この季節と恒例行事といえば、、

そう、【追いコン】

忘れもしない、去年の追いコンを振り返ってみたいと思います。
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(おかしい…)

私はそう思った。
なぜならまだ会の半分なのに、主将の澤田が前でいじられている。

そして時は流れ、ダイゴが呼ばれた時点で私は気づいた。

私がおおとりなのかと。


そしていよいよ私の番である。
ただ想像はついていた、どうせあのネタでいじられるんだろう。

みんなの前に立ち、ほんとにかざりのような挨拶を済ませると、コンパ係はいう。

「実はあの方に来てもらっている」と。
騒ぐ部員たち。

私は混乱した。
そう、例のあの子は来ないという話を聞いていたからだ。

「さぁどうぞ!!」

混乱している私をよそに「例のあの子」は飛び込んできた。



例のあの子(仮)「ちょっ、ふーじーたー!!!」



妙に似ているその奇声を発しながらあの子は入ってきた。
いや、それはあの子のお面(お手製)をかぶり、萌子の服を申し訳程度に着た、



柴田一成だった。

「なんだよもう!!」


そんな落胆をよそに会は進んでいく。

「実は都合がつかず来られないということでした。一成でさぞかしがっかりされてるかもしれませんが、実はあの方から手紙を預かってきてます」。


流れるレミオロメンのBGM。
それをバックに“あの子からの”手紙を読み上げる一成。

なんて気が利く後輩達なんや。
最後の最後にうれしい展開にしてくれた、
一成たち2年生(当時)にはそんな感謝の気持ちでいっぱいだった。
しかし、のちにこの気持ちは踏みにじられる。


「ふじたへ。いままでほんとうにありがとう。
いつかブログに、『下の名前で呼んでほしい』って書いてあったね。

りょうへい、これからもよろしく、、、





、、、大山毅」

この後のことはあまり覚えていない。

目の前にタケシの顔があったこと、
おいお前らふざけんなって思ったこと、
出るべきとこで自重したくせにここぞとばかりに登場した神父波多野、
「先輩、ぼくぎりぎりよけたっしゅ!あれはチューじゃないっしゅ!!!」とかいう意味の分からないフォローをしてくるタケシ、、




図1.その様子



私の代の追いコンはこうして幕を閉じた……

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今年は人数多そうなので大変そうですね、頑張ってね岡部。

あゆこのお母様、これで満足していただけたでしょうか。
筆足らずなとこはあゆこさんに補足してもらってください笑。

次はそうさなーーー、、

今回書こうと思ってた真面目なことを代わりに書いてくれそうな

ひらまつのゆいにゃん

にたすきを回します。

いい経験になったでしょう、おつかれさま。
2014/01/01
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (22:51)
FUJIWARAよ、回してくれてありがとう!
なんか中国四国は相変わらず迫害されるけど、がんばろう泣

というわけで、、、

みんなぁ、ひさしぶり!
就活やら学会やらで部活にはなかなかよう行けやせんかったがやけど、
元気にしょったかえ?

ぼくはなんと4年ぶりの年末年始の帰省で、高知に帰ってきちゅうがよ
久しぶりに土佐の陸上部の人らぁと飲んだり、
高校の同級生と飲みよったがやけんど、
みんなぁなんちゃぁ変わってなかった!!

特に高校時の顧問の先生に、久しぶりにおうたがやけんど、
「おまんらがまだ陸上続けよってうれしいわえ」
とかいうてもろうたき、まだまだがんばらんとね、、

やっぱり高知はえいとこやにゃぁ
知り合いと飲みよって、気がついたら全然知らん人と飲みゆうなんて高知でしかないろう。
いろんな人に会えて、いろんなとこも久しぶりに走れたき、
就活はもちろん、2014年も、残りわずかな競技者生活も悔いのないようにがんばらにゃね!!


はい、という訳で皆さん今年もよろしくお願いします。
明日には名古屋に戻るき……、戻るので言葉をなおさん…なおさねば!汗

藤田の土佐弁が聞きたい人は早めに何かしら誘ってください笑

次は高知大好き近藤翔平にまわします。
あけましておめでとう!!
2013/10/02
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (17:35)
おれ最近風呂上りがかっこいいんだよね、

っていうと、

一生見る機会ないですね、とゆりかに言われました。

ふじたりょうへいです。

‘藤’原 ⇒ 金‘田’ でまわってきたので‘藤’‘田’なのかな??


最愛の後輩、金田に回してもらったにもかかわらず、くにしに催促されて初めて気付くという失態をおかしてしまいました。

二人ともありがとう。


さて、、、、

最近は暑さも和らぎ、だんだん過ごしやすい季節になってきました。

トラックシーズンも終盤にさしかかり、
ロードシーズンの開幕を待つばかりですが、

やはり4年間の学連生活のせいで、この秋の涼しさにあんまりいい思い出はありません笑。


そんな秋口のスポーツニュースを賑わすのはやはり、

『引退』

の二文字。

思えば、
一つ下の男子どもは当然のごとく院に進学するし、
二度と行くまいと誓った学連事務所にも下手な幹事より顔出してるし、
競技としての陸上も続けているし、

そういえばこの数年間、環境が劇的に変わるほどの『引退』を経験していない気がします。

とはいうものの、

あのピッカリン先輩ですら山にいらっしゃらなくなるし、
現幹事長も世代交代を意識したラストスパートをかけてるし、
プロ野球で言えば、桧山選手、藤本選手が引退と、

僕の競技生活が残りわずかなのも意識せずにはいられません。

決して結果がでているとは言えない現状ですが、形はなんにせよ納得する形でおわれるようにがんばります。


超まじめな文章になってしまったので、最後に笑いを提供して締めますね。



http://youtu.be/GPIatOlgGo4


がっちがちに緊張してたふじたでした、ちゃんちゃん。

さて次は『1年生と仲良くなろうキャンペーン』で最初の餌食になった、

ちあき

にまわします。

今度ごはん食べに行こうぜ!!笑
2013/07/07
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (07:07)
愛しのゆいから、2年ぶり2回目のバースデーパス!
僕は幸せ者です。

晴れて(?)24になった、ふじたです。

ゆいありがとう、そしておめでとう: )

(かとけんもありがと笑)

なんと今日は磯村の誕生日でもあります。
おめでと、いそむー!

今年は、

沙耶からお菓子をもらったし、
聖菜からはプリティすぎる傘をもらったし、
向井にご馳走作ってもらったし、
紫帆に飲み代奢ってもらったし、
今日はM1誕生日会あるし、

で、幸せな七夕になりそうです。

ただやっぱり織姫が現れる気配はありませんヽ(´ー`)ノモウイイヤ

24歳、干支もついに3週目、

いろんな人に助けてもらいながら生きてる事を忘れない大人になりたいですね。

24年間もお世話になってる両親への感謝も忘れずにいようと思います、父さん母さんありがとう。


24になっても、
M1になっても、
坊主になっても、

相変わらずなふじたりょうへいですが、
これからもよろしくお願いします(((((└(:D」┌)┘)))))))


さて、

先週の予選会をもって、金尾先生が名大の監督を降りられたそうですね。


思い返せば、、


僕の好きな人にいらんメールを送ってたり、
会議の途中で『早く帰りたい』って口パクしてきたり、
選抜合宿でラビットにされたり、

と、よくよく考えるとあんまりいい思い出がないのですが笑、

名大の監督としてだけでなく学連の先生という立場でも助けていただき、
なんやかんやで本当に感謝しています。


と、つらつら文字で書くよりも、
感謝を表すには走りと仕事で結果を出すのが一番だと思うので、
気持ち改め、精進して行かねば。。。


具体的な目標は書きません、秘めておきます。


ちょっと真面目に書きすぎたかな、
まぁいいか、もう24だし。


というわけで次に。

これからお世話になる、

林育生さん

にタスキリレー。

金尾先生、今までありがとうございました。
育生さん、これからよろしくお願いします。

今日は七夕!
皆の願いが叶いますように。。。ヽ(o°∀゜o)ノ
2013/05/08
カテゴリ: 日記 : 

執筆者: りょっ (23:39)
ブログを書く時は、一度メモ帳とか、ワードに書くといいよ!
元ブログ長のまめ知識でした。

<以下、ところどころ文字クリックでページにとべます>

こんにちは、ふじたです。

唯奈、まわしてくれてありがとう!

でも正直なところ、あいばちゃんにまわして欲しかったなんて口が裂けても言わないよ←



新歓で、

‘不埒’と書いたTシャツを見にまとい、タオルを頭にまいたやや声高で坊主頭の修士1年生、なにやら元幹事長とか呼ばれてるその人を見て、


『なんてクレイジーな人なんだろう』


とか思ったのが4年前の話。


元幹事長、修士学連員、工学部、飲み会大好き、、、


今の1年生からしたら僕も立派にクレイジーな先輩なのでしょう。



そして、欣也さん、ひこにゃん先輩、ご結婚おめでとうございます!


名大学連員の結婚ラッシュですね、ぼくも4年後結婚できるんだろうかか、そもそも彼女は出来るのか……


(でも佐久間先輩よりは早く幸せになりたいなぁ。。。。)


さてと、、、

新入生むけに自己紹介して終わります。

なまえ :ふじた りょうへい
がくねん:いちねんせい(しゅうし)
がくぶ ;こうがくけんきゅうか(学科で言うと機械・航空工学科)
しゅっしん:とさこうこう(高知)
こいびと:りあじゅうばくはつしろ
とくちょう:だれよりもきいろ
まぶだち:ふるた ゆい
なんでひらがななの?:かんじちょうのまね

こんな感じです。

黄色いウィンブレ着てたら1/1で私です、なんて分かりやすい。



あと4年間ずっとひら部員でしたが、実はあんな事や、こんな事、さらにはあーーんな事までしたりしてました。




詳しく聞きたい、または興味ある人は話しかけてください。


大学の陸上競技、選手だけやっててもダメなんだと言う事を、熱く語って差し上げます。


さてそんな腫れ物もとれた5年目、しかし、今のままじゃ選手であるとは胸を張って言えません。


勝負の1年、掴みとったロスタイムを悔いの無いようにがんばります。


ではでは次に。。


『歴代副将は部内恋愛してる』事に焦りを感じてる、

信州大戦で晴れてなぜか学連員の仲間入りを果たした向井にタスキリレー!


そろそろ潰されないようになんないとな! 笑

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