中長ブログ - matsunagaさんのエントリ

2020/03/25
Every day of athlete life was an anniversary.

執筆者: matsunaga (07:58)
皆様お久しぶりです。
元山の上陸上部競歩パートM2の松永幸大です。競歩パート唯一の卒業生です。人生最後の中長ブログです。
Harukoからブログ回したと英語で連絡がきました。因みに、その後Toshikiからも英語で帰国できるのか聞かれ、競歩ラインでも英語が飛び交っています。I'm Japanese!

まずは、引退してからの近況について。
ここは興味のある人だけ読んでいただければ結構です。
先日まで、オーストラリアのケアンズで今年度2回目の夏を過ごしていました。ケアンズはオーストラリアの北部にある小さくてのどかなリゾート地です。観光地として、グレートバリアリーフの綺麗な海、キュランダという熱帯雨林(コアラを抱ける)、パロネラパーク(歴史的・神秘的な城)があります。また、ラグーンという海沿いのプール(無料)でプカプカ泳げ、海沿いに筋トレのマシン(軽い)や無料で使えるBBQエリアもあります。
また、ケアンズは日差しが日本の約7倍とかなり強いです。大半の人が外でもスーパー内でもサングラスをしています。日本のスーパーでサングラスをしていると、「The person is dressed and painful.」と思われますが、豪州では普通のことです。
日本人にもかなり人気があり、現地の旅行者や永住者も多いです。旅行や短期留学にはケアンズをお勧めします。
帰国前に豪州で渡航禁止令が出され、前述の通り一時は帰れない説も出ていましたが、帰国は大丈夫でした。
日本に帰ってきて感じたことは、「Japanese food is delicious. Especially rice‼」(ブログパス回収)
豪州の食事も美味しかったですが、やはり日本食が一番です。

ケアンズの話はここまでにして、陸上の話へ。
競技生活を振り返ってみると、前半は怪我を繰り返し思うように競技が出来ず苦しかったです。とはいえ根本的な改善がなされておらずなるべくしてなった結果だと思っています。後半シーズン競歩に変えてからは記録が伸び続け楽しい競技生活でした。1番や上位でゴールする嬉しさをM2になって初めて味わえました。以下、振り返りを簡潔に。

1〜3年
春〜夏: ブランクから5000m16分前半の実力をつける
秋〜冬: 足の怪我
↑繰り返し
3年冬〜春: 競歩天転向、足手術
4年七大戦: 競歩デビュー戦 27'36(山の上の天使に周回遅れされる)
4年県央: 初50分切り
4年元旦: 初20kmで洗礼を浴びる、山田日本選手権の標準切る
M1インカレ: 棚ぼたの8位入賞、山田に競り負ける、鈴木優勝
M1秋季: 大幅ベストも西カレ標準に5秒届かず、山田途中から私を利用してセコスパをかます
M1元旦: 日本選手権出場ならず(1:34'48)再び洗礼を浴びる、山田インフル明けでまとめる
M1能美(20km): 初の名大新(1:32'58)
M2インカレ: 棚ぼたの3位入賞、鈴木4位山田5位とみー7位
M2秋季: 初優勝、1年生の10000mデビュー
その後: 千葉サイレント引退
M2高畠: 2度目の名大新(1:31'49)
その後: 日本選手権標準が2分上がる(1:32'00)、山田その被害を被る
M2国士舘: ラストトラックレースで撃沈、鈴木標準切る
日本選手権: 3度目の名大新(1:29'20)、悔いなく引退
(引退後: 山田再び標準切る)

特に高畠では、1秒を削り出すことの大切さを実感しました(東洋大お馴染みフレーズ)。17km過ぎて失速しましたが、自分なりには粘りました。結果は1:31'49。その2週間後、日本選手権の標準が1:34'00から1:32'00に上がりました。あの時もう少し失速していたら、日本選手権は出られませんでした。悪いなりに粘ってよかったと後になって思える試合でした。日々の主要ポイント練やTTから1秒を意識した取り組みの重要性を再確認させられた試合でした。

4年からの後半は充実しているとも言われていましたが、全てが楽しかった訳ではありません。フォームがよくならない、大事な試合前に調子が上がらない、結果を求め続けることのプレッシャー、最上級生としての責任感を持ち続けること、同じいじり方ばかりするP長の対処方法など、苦労したこともありました。
しかし、競歩パートは皆面白く愉快で学年の壁はなく、時にはストイックであり、時にはのほほんとしており、皆がいたからこそキツい時も楽しく活動し競技でも切磋琢磨できました(前文のとある箇所はjoke)。最後の試合ではこれまでにないくらい楽しく最高の結果でした。特に現地まで駆けつけてくれた部員の応援は本当に力になりました。
途中で辞めようと思ったことは3.5週間に1回の周期でありましたが続けて良かったと思っています。

私が部活を引退し陸上競技から離れて感じたこと。
自分で言うのもあれですが、物凄い集中力と本気度で競技に取り組んでいたことを実感しました。それは日本選手権という最終目標を見つけ、それを達成すべくひたむきに取り組めたからだと思っています。
尚、現在は走ろうor歩こうと思ってもなかなかモチベーションが上がりません。Because there is no goal in walking or running seriously. 自分の軸となる相応な目標を立てそれを達成すべく考えて練習に取り組むのは大事だと引退してから感じさせられました。
ひとまず当分の目標は健康維持です(dull)。気が向いたら走り歩く気になればフォームを気にせず歩きます。
 また、陸上競技に取り組んだ経験を通して、目標を持ち自ら考えて取り組むことの大切さを知りました。また、学部時代に足の怪我をした経験から自分自身を徹底的に知り身体的精神的限界を見極めることの重要性を学びました。

現在怪我をしているorモチベーションが切れている皆様へ。
思うように走るor歩けず、辛い思いをしている時期だと思います。皆が走っている傍らで走りに関する本を読み筋トレする時間は苦痛でした。ですがこれらの補強などは復帰したときに必ず生かされます。周りからは「あいつ戻るの早いやん、才能の塊や」と言われている人は故障を経て進化した人です。才能ではありません。私も競歩の記録向上が著しい時期もありましたが、怪我の時に筋トレタバタをやってきた成果が2〜3年経って現れました。これらの取り組みが無駄でないことを確認しました。
続いてモチベーションが切れてしまった人へ。
結論から言えば、暫く休む期間を設けても大丈夫です。体力筋力落ちるのではないかと心配する人もいますが、意外と落ちません。それまで努力していたら、再開してから1〜2週間で走り方、歩き方を思い出せます。練習再開後は、無理をしないことが一番です。練習強度は弱くても継続が大事です。長距離種目において大きな覚醒はあまり期待しない方が良いです(経験談)。頑張りすぎてまたモチベーションが切れる、の悪循環に陥ります。
少しずつ課題や設定をクリアしていきましょう。
自分なりに考え継続して練習ができればば、トップレベルで競り合える日は必ずきます。今後の復帰と活躍を期待しています。

最後に、競歩パートの仲間たち、ダメダメな時も支え引退しても応援してくれた同期、山の上でお世話になった現OBの先輩、後輩部員、サポートしてくれたマネージャートレーナー、忙しい中グラウンドに足を運び練習を見て下さった育生さんや斎藤先生、治療院の先生方など、多くの人の支えがあって真剣に取り組め満足のいく競技生活ができました。Thank you for six years‼

これにて競歩レーンは完全終了です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
See you‼
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