中長ブログ - 佐伯元春さんのエントリ

2017/07/28
七大戦 と 恩返し と 僕

執筆者: 佐伯元春 (12:19)
とみー、回してくれてありがとう。
ここ1週間は、七大戦のことを考えると呼吸が荒くなる、それくらいに気分と身体が高ぶっています。

先ほど人生最後の定期テストが終わりました。多分。いよいよですね。

どうも、主将の佐伯元春です。
七大戦にかける想いは、かなり強めです。多分七大学の中で1番強いです。それくらいには想いの強さに自信があります。

とても長いですので気が向いた方のみを推奨します…でも読んで欲しい…最後まで読んでくれた人…好き。。。(まじで長いです)(いやほんとに)

七大戦では5000mWに出場します。
持ちタイムは昨年より3分縮め、得点をとることは最低限の目標である、というところまで成長することができました。

私が成長できた理由なども含めて、この七大戦への想いを語らせていただきたいと思います。

私が七大戦を知ったのは、実は高校1年生の時です。(亀さんが大学1年の時です。)
私には兄がおりまして、兄は大阪大学の陸上競技部に入っていました。兄は亀さんと同学年です。兄は競歩選手で高校の時にインターハイ決勝に残るくらいの選手でした。しかしその時の七大戦では、競歩という種目は対校種目ではありませんでした。

第1部

七大戦。

この七大戦という試合が終わると、多くの大学で幹部が交代すると聞いています。名大もそうですね。ですから当然どの大学もここにかける想いは、相当なものです。
数年前まで、そこには競歩が対校種目としてはありませんでした。引退試合に自分の専門種目がないというのは、寂しいことだと思います。
兄や七大学の競歩選手は、必死になって七大戦の対校種目化を進めようと頑張ったらしいです。しかし、七大戦は、全会一致を採用しているため、新たに何かを決めるというのはかなり困難です。結局兄が在学している期間では、競歩の対校種目化はなされませんでした。兄が残念そうにしていたのを覚えています。

当時高校生だった私は競歩はやっておらず、3000mSCを専門としており、それがどういうことなのかということも含め、あまりよくは分かっていませんでしたが、七大戦という試合がとても熱い試合であることを知り、自分もその舞台に立ちたいと高校生の時にすでに思っていました。頭が弱かった私は浪人し、鈴木亜由子さんが織田記念(日本グランプリシリーズの1つ、広島開催)で走っておられるのを見て感動し、ついでに少し調べると男子が前年に全日本大学駅伝に出場していたことを知り、名古屋大学を受験することを決めました。

入学してからは怪我を重ね、全く思うように走れない日々が続いていました。
怪我続きでしたが時は流れ、大学2年の時に競歩が遂に七大戦の対校種目になりました。私は個人的には、とても嬉しかったというか、良かったな、という感想でした。兄がこれを求めて在学中、頑張っていたことを思い出したからです。

今は私は種目を変え、競歩選手となり、憧れの七大戦の舞台に、戦える力をつけて、立つことができます。最初憧れてから7年経ってしまいましたが、今があるから全然いいです。七大戦でようやく勝負ができることに幸せを感じます。

七大戦は今、特に女子で、インカレの種目と比べて明らかに少ない種目で競っています。七大戦は男子も、その歴史の長さの割に、種目数が少ないです。競歩が対校種目になったのもほんの最近です。もちろん様々な経緯や理由があり、このような形になっていることは重々承知です。そこを否定するつもりはありません。それによって独特のものができあがっており、それが悪いとは言いません。しかし私は、まだまだ七大戦は発展していかなければならないと強く思います。
自分の専門種目が、引退試合にないなんて、こんな寂しいことはないと思うのです。特に女子では、ハードル専門の選手は、これで引退試合を迎えることができません。やり投げ専門の選手も、1500mが専門の選手も、競歩が専門の選手も、自分の専門種目で引退することができません。ないから諦めていた人はきっといます。これからも出続けると思います。そんな思いをして、専門外の種目に出て、専門の選手に負けて引退する選手はこれまでも今もこれからも、存在するのです。誰かが動かねばならないと思います。私は頑張って動いたつもりでしたが、時間が足りませんでした。
後輩たちにはこの思いを引き継ぎ、今後とも七大戦が発展し、七大学以外の大学にも誇れるような大会にしていってもらいたいと思います。
そういう意味では、名古屋市立がこれから参加していく国公立大戦は理想的な大会であると思っています。

話が長くなりました。。
とにかく私は七大戦に様々な角度から熱い思いを持っていたということです。

あとここでお知らせです。
残念ながらまだ半分も終わってません。。
タイトルにあるように、ここまでは七大戦だけのことを書きました。後半の幕開けです。。


第2部

恩返し。

今回大事なのは、むしろこっちです。しかも若干第1部と内容がかぶりますがお許しください。

私は今、競歩をしています。

先に書きましたが、名古屋大学には全日本大学駅伝に出場したくて来ました。つまり一応走っていたのです。しかし怪我を重ねてしまい、大学2年の秋に医師に思い切り走るのは、数年くらいは難しいかもしれない、と言われてしまいました。

その時は悩みました。もう辞めようかなと思ったりもしました。いや本当にやめた方が楽になれると思いました。なぜ走れないのに、わざわざ僕は主務までやって、たくさん審判もやって、こんなに辛い思いをしてるんだろうと。。

しかし私は、名古屋大学陸上競技部が、大好きでした。

常に高い意識で陸上と向き合う長距離の先輩方。
憧れの先輩方でしたし、今もそうです。先輩方のように大学を背負って走る為に、そこで結果を出す為だけに、毎日高い意識で練習を積む姿がかっこよかった。怪我を重ねてしまっていた時は、まぶしくて目をつぶりたくなる時もありました。もはや神のような存在の亀さんのような先輩も、高いポテンシャルを持つ岸田さんや國司さんのような先輩方も、とにかくストイックに追い込んで苦しい思いを乗り越え最後M2の予選会でしっかり25周粘り切った無限さんのような熱い先輩方も、私は大好きでした。彼らに認められたい思いは、捨てることができませんでした。

下級生の時からずっとウチの主戦力だった短距離、中距離、フィールドの同期。
1年の時から、彼らは輝いていました。1年の時から対校戦にバンバン出て、そしてどんどん成長していって、活躍していました。山下も、ゆきも、しまけんも、たいしょーも、西田も、るいも、手石も、上野も、小田も、砂原も…etc

彼らだって、みんながみんなポテンシャルがとても高かったわけじゃないと思っています。彼らは1年の時から対校選手として試合に出て、常に自分に満足することなく上を見て、練習を積みました。彼らはめちゃくちゃ伸びました。いまも成長しています。彼らに認められたい思いは、やはり捨てることができませんでした。

それと、心から尊敬できる後輩たち。
浮津も、一林も、裕也も、真野も、角屋も。
後輩だけど、尊敬しています。みんなベクトルは違うけれど、こいつらに認められたい思いは、やはり捨てることができませんでした。

どうしようか考えました。考えていろんな人に相談して、出た結論が、競歩への転向でした。ちょうどこの年、七大戦に競歩が対校種目化されたことも大きな理由の1つです。
大学2年の冬のことです。

とはいえそんな簡単にうまくいくはずもなく、最初は苦戦しまくっていました。というか全く結果は出ませんでした。
迎えた去年の七大戦では、全く勝負もできなかった上に失格。同期や後輩たちが活躍する中で自分の無力さを痛感しました。恥を知りました。

実は私の大学でのターニングポイントは、競歩への転向を決めた時ではなく、去年の七大戦です。この時、まだ私は、結局競歩へ転向することを決断できた思い、すなわちみんなに認められたい思いは、全く満たされていないと強く感じました。こんなに辛く悲しく悔しい思いをしたのは、人生で初めてだったと思います。

私はそこから、この七大戦で得点を取るためだけに、ただこれだけを目標に据え、全てを見直しました。フォームも、メニューも、体重も、何もかもです。
この1年間、七大戦のことを忘れたことはありません。去年の思いを、忘れたことはありません。自分が結果を出せなかったことが悔しいんじゃないんです。大好きな先輩や、同期や、後輩たちに認められるに値することを成し遂げられなかったことが、悔しいんです。

私は主将です。しかし私は主将のくせに、頭では引っ張っていっているつもりでも、心では引っ張っているという認識はあまりありませんでした。というかそういう認識を持てなかった。むしろ逆です。みんなに認められたいその思いで、肩を並べたいその思いで、実はチームを見てきました。

そんな主将だったから、みんなにもとっても迷惑をかけたと思います。
カワチにもみさほにも、久木にも、とっても迷惑をかけて、そして助けられました。

でも私は、私はみんなが大好きです。
名古屋大学陸上競技部が、大好きです。

神様…もしも願いが叶うなら…
私はみんなに恩返しがしたいです。
名古屋大学陸上競技部に、恩返しがしたいです。あの時辞めることを引き止める存在となってくれた仲間たちに。
そして私が成長する、成長したいと思う理由になってくれた仲間たちに。

思えば私は、東海インカレでも七大戦でも、もちろん予選会でも、名大に貢献できたことはありません。1点も入れていません。予選会も走っていません。
私は競技の面で、名古屋大学陸上競技部になんの貢献もしていません。

…だから。

恩返しをさせてください。
いつも元気をくれた先輩方に。

恩返しをさせてください。
いつもまぶしかった同期たちに。後輩たちに。

恩返しをさせてください。
名古屋大学陸上競技部に。

この日の為に競歩を始めました。
去年より持ちタイムを3分更新し、勝負できるところまでやってきました。どこの誰にも七大戦への想いは負けません。



第3部 最終章


〜いざゆかん、俺たちの七大戦〜


ここからは更にとても個人的なものなので不快に感じられる方もいらっしゃるかもしれません…お許し下さい…
そして最初に言わせてください…
申し訳ありません…思うことを言いたいように言わせていただきます。。

私は、自分で勝手によくツイッターなどのSNSをチェックして、他大学の方で、七大戦で優勝したい、などという言葉を発している人を見つけたりしますが、そういうものを見るだけで独り燃え上がっています…


簡単にそれを…言わないで欲しい……
(簡単かどうかも私の思い込みですね、お許しください)


七大戦。
人によっては一年の中の一つのイベントに過ぎないのかもしれません。
そこで目標として優勝を掲げているのかもしれません。


私は、今年名古屋開催の七大戦に向けて、とてつもなく大きなプレッシャーがかかっていました。

正直言うと、とても重たいものでした。優勝しなければならないプレッシャー、私自身もそれを部で目標として掲げるなら、得点に絡みうる戦力にならないといけないというプレッシャーはありました。

昨年私が主将に就任したその時は、ベストを3分程縮めないと得点に絡めない状況で、正直3分も1年間で縮められるか、と言うプレッシャーはありました。

七大戦、優勝。
逃げ出したくなる時もありました。
もう諦めてしまって楽になりたいと思うこともありました。
しかし私と、我々は、常に現実的な戦力分析を行い続け、我々の欠点を見つめ、そこを互いに指摘し合い、時には言い合いもして、半ば喧嘩のようにもなりつつ、ここまで辿り着きました。

決して簡単な道のりではありませんでした。
むしろ元々、個の主張が強い我々の学年を束ねるのはとても大変でした。

更に、他の大学に絶対に負けてはならないプレッシャーは常にありました。

しかし私は、我々は乗り越えてきたのです。
如何なるプレッシャーにも打ち勝ってきました。

OBさんからも、先輩からも、そして何より自分達自身からの優勝への期待と言うプレッシャーを常に感じ、そしてここだけを見据え、我々は戦ってきました。

我々は、負けるわけにはいかないのです。
生半可な気持ちではないんです。
勢いだけで、優勝という目標を掲げているわけではないんです。
ずっと、ずーっとこれを見据えて、いろんなものを積み重ねてきたんです。

本当に命をかけて、ここまでやってきました。


ですから本気の、決意表面をさせてください。


見せてやる。
私の大学陸上競技人生を。

ぶつけてやる。
私のこれまでの全ての想いを。

いざゆかん、七大戦。
こんなに熱いメンバーで臨む七大戦、
負けるわけがない。

負ける、わけがない。

勝ちましょう、男女アベック優勝です。

大丈夫、なぜなら名大の主将が、
私なのですから。
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